Chapter6 艦長の思いのほか笑えない憂鬱(その2)
1 ディズィール・理論エリア特別閉鎖領域 ザイール
管理自治区上空20キロメートル。ディズィールが位置する超高空の空間を360度にわたって再現した特別閉鎖領域は、寄り添う惑星の青い光で満たされていた。
宇宙との狭間に位置する空の色は深い藍色を示し、地平線は青く強い光を湛える。遥か眼下に臨む地上は緑に覆われ、河川が複雑な軌跡を描いていた。
此処から見た地上は戦争の痕跡などほんの小さな爪痕程にしか見えない。海岸線に沿うように築かれた旧市街の大半が廃墟と言う事実を認識するのは日が沈み、地上の灯が確認できるようになってからだ。
フロンティアが巨額の資金を投じて管理自治区に復帰させた人工光が照らし出すのは、地上のほんの僅かなエリアに過ぎないのだから。
空間を埋め尽くす夥しい量のウィンドウは、全ての業務がいつも通り順調であることを示していた。淡々と自身の担当業務こなすオペレーター達と裏腹に、ザイールは深い溜息を吐く。
その理由は今この艦内で起きている『取るに足らない程の事案』が、艦に与える影響の大きさを想像するが故だ。それは『葛城 愛』の全てを引き継ぎ覚醒しつつあるアイへの懸念と言っても過言ではない。
ザイールの思考を遮る様に空間に迸る強い光。それは直ぐに年齢幾何もない少女の華奢なフォルムを形成する。光の粒子を纏いながら背中へと流れ落ちるシルバーブルーの長い髪。
空間転移が終了すると同時に、独立降下型潜航巡察艦ディズィール艦長アイは軽く閉じていた瞳を開き、真っすぐとザイールを見つめた。
「響生と美玲に連絡は取れないのですか?」
「それが、二人とも一切の外部連絡手段を閉じてしまっているようでして」
「どういうことです?」
「二人とも美玲のプライベート領域に居るのは間違いないのですが、この領域自体が一種の隔離状態にあって、外部アドレスからの通常アクセスを拒んでいるようです」
ザイールが発する声のトーンが僅かに落ちる。それでも、それを聞き取ったオペレーターの数人が、その顔に様々な表情を浮かべて振り返えった。顔を引きつらせた男性オペレーター。若い女性のオペレーターは明らかに興味津々と言った感じで聞き耳を立てる。
フロンティアにおいて、男女が閉鎖状態に置いたプライベート領域で共に過ごす事はそれなりに深い意味を持つ。
「美玲のプライベート領域…… ですか……」
アイの顔に浮かび上がる動揺。
「強制召喚をかけますか?」
「いえ……」
指示を仰ぐザイールにアイは言葉を詰まらせた。異様な間が閉鎖領域を支配する。
その静寂を破ったのは閉鎖領域に唐突に響き渡った『この空間にはいない者』の声だった。
「強制召喚した方がいいわ。多分それを彼等も望んでる」
それとほぼ同時に空間に舞い始める光の粒子。急激に密度を増したその中から現れたのはサラだ。
その姿を確認したザイールが顔を強張らせる。
「特別閉鎖領域に民間人……」
そのザイールの表情に空かさずアイが口を開いた。
「サラを呼んだのは私です。直接ミッションには関係ないですが、ブリーフィングに彼女にも参加してもらおうと思いまして」
「はぁ、それはどういう……」
未だに困惑の表情のザイール。
「次のオペレーションに響生を参加させる事によって、サラの護衛の任務から彼を解かなければなりません。だからサラにもある程度の此方の事情を把握していて欲しいのです」
「ですが――」
さらに反論しようとしたザイールの言葉を遮る様にアイの言葉が重ねられる。
「ザイール、フロンティアは『管理自治区構想』をレベル7の長期オペレーションに掲げているのですよね? サラはそのオペレーションの要です」
アイの瞳に宿る光が僅かに強さを増した。ザイールが瞳を閉じる。
「分かりました。艦長が其処まで言うのでしたら。ですが次回以降は正規の手続きに則って召喚してください。それと、些細な予定の変更でも少なくとも私には伝えてください。本来なら出来るフォローも出来なくなってしまう可能性がありますので」
「分かりました。以後気を付けます。勝手な事をしてしまって本当にごめんなさい。ザイール」
瞳をザイールから下に逸らしたアイ。ザイールの表情が僅かに緩む。
「いえ…… 分かって頂ければ良いのです。私は艦長が御自身の意思によって行動すること自体に反対はしませんし、むしろそうであって欲しいと望んでいます。それに実際、艦長は私が期待していた以上に良くやってくれていますから」
その返事にアイが再び顔を上げた。
「ありがとう」
アイの瞳に浮かんだ僅かな笑み。だが、それは直ぐに再び厳しいものになってサラに向けられた。
「サラ、『響生達が強制召喚を望んでる』ってどういう事?」
「彼等がプライベート領域を隔離してるんじゃなくて、『誰か』によってされてる可能性が高いってこと。つまり彼等が何らかのトラブルに巻き込まれて閉じ込められてるとは考えられない?」
真顔で普通じゃ考えられないような事を口にしたサラに、アイだけでは無く他のオペレーター達の顔にも困惑が浮かぶ。
「そんな事って……」
「響生は『問題発生』って言って出てったわよ? それも結構焦ってたと言うか深刻そうに見えたわ」
その言葉にアイが表情を変えた。それは事態の深刻さに対し不釣り合いなものとも呼べるかもしれない。
「そ、そうなの?」
アイから漏れた声は、僅かに普段の明るさを取り戻してすらあった。アイの視線がザイールに向けられる。
「もしその推測が正しかった場合は忌々しき事態です。それにしても彼等から事情を聴かなければ、何が起きたかの推測すらも出来かねますが。
強制召喚を掛けます。宜しいですね?」
「はい、お願いします」
アイが頷いた。ザイールが眼前に展開したウィンドウに手を滑らせる。空間に迸る強い光と共に召喚された大量の光の粒子。
それが徐々に寄り添うように重なる二つのオブジェクトを形成する。
途端に閉鎖領域内に響き渡った美玲の悲鳴にも似た細く切な気な声に、場の空気が一瞬にして凍り付いた。『閉鎖状態に置かれたプライベート領域』からの一組の男女の強制召喚である。
オペレーターの内、数人が両手で顔を覆った。だが、悲しいかな、覆い隠したはずの目は何故か指の隙間に位置している。
徐々に光を失っていくオブジェクト。それによって露わになる。理解しがたいデザインの衣服に身を包んだ美玲の姿。赤い刺繍が施された巫女を連想させる着物を、肩が露わになるまで開けさせ、響生に縋りつくようにして荒い息をしている。
一方の響生は美玲の頬に手を置いてはいるものの、顔は明後日の方向を向き、彼女を見ない様にしているかの様な姿勢だ。そして壮絶極まりないその表情。
あまりにチグハグな二人をどう理解してよいのか分からずに、閉鎖領域内の硬直状態は更に続く。
完全に召喚を終えた響生の手がだらりと美玲の顔から滑り落ちた。
「た…… 助かった……」
響生から漏れた憔悴しきった声。『その言葉が何を意味するのか?』誰もが必死に思考を巡らせていた。唯一人を除いては。
アイの長い髪が、僅かな光を宿して静かに浮き上がる。小刻みに震える細く白い腕の先に続く握りしめられた拳。
「ひーびーきー!?」
普段の艦長から想像の出来ないほどの感情が宿った声に、オペレーターの数人がまるで自分の事の様に肩を震わせた。
同時に閉鎖領域に浮かび上がっていく大量の警告ウィンドウ。そしてついに空間にアラートが響き渡る。それに気づいたオペレーターが慌ただしく処理を始める中、依然として放心状態で響生に縋りつく美玲。
強張った響生の顔がアイに向けられる。
「わーっ、これは違っ! これには訳が!」
閉鎖領域に響き渡った必死の響生の声。それに何人かの女性オペレーターから、
「最低……」
と低い声が漏れる。それに重なる様にしてアイが深い溜息を吐いた。宙に浮きあがるかの如く舞っていたシルバーブルーの髪が静かに背中へと流れ落ちる。それに応えるようにして消えていく警告ウィンドウ。
アイが静かに口を開く。だが、それは響生に対してではなかった。
「ザイール、後を宜しくお願いします。私は少し疲れました。他の仕事も大分溜まっていますし、一度艦長室にもどります。艦長室のタイムレートを一時的に上げますので入室時は注意を。ブリーフィングには間に合せます」
そしてザイールの返事を待たずにアイが光の粒子を纏い始める。
「はっ」
そのアイに向かって見事なまでの敬礼姿勢を取ったザイールを残し、光の粒子が四散した。
僅かな静寂の後、オペレーター達が勝手にヒソヒソと何かを話し始め、閉鎖領域の秩序はかつてない程に崩壊してしまう。
その中に響き渡ったザイールの咳払いは、場の空気を一転させるのに十分すぎる威圧感があった。
「さて……」
響生と美玲を見下ろしたザイールに息を飲むオペレーター達。
「予期しない事件に巻き込まれたようね?」
その言葉に響生が情けない程に救われたかの様な表情をする。再びざわつくオペレーター達。
「君達が召喚された時のチグハグな状態を冷静に分析すれば、直ぐにでも分かる事だ。だから安心してくれて構わん。君達の名誉は汚されてはいない。
此処、特別閉鎖領域は状況分析のエキスパートが集う領域。あのような分かり易い状況を分析するなど他愛もない。で、あるな? 諸君」
ザイールの言葉に数人のオペレーターが視線を泳がせる。
「何があったのかは後で報告すること。だが、間もなくブリーフィングの時間になる。君達はブリーフィングルームに急ぎなさい。美玲は軍服を着用の事」
ザイールが最後に放った言葉に、美玲が耳までをも赤く染め、開けた着物を慌てて締めなおす。そして、慌ただしい仕草で敬礼姿勢を取った。
「はっ! 直ちに!」
その美玲に釣られる様にして、響生もまた敬礼姿勢を取る。そして直ぐ様光の粒子が彼等を包み始めた。
閉鎖領域に混乱をもたらした元凶が消え去った後の空間を異様な静寂が支配する。
「報告を」
そんな中に再び響き渡ったザイールの声に、戸惑いを隠せないオペレーター達。
「先の警告アラートについてに決まっているであろう」
不機嫌極まりないザイールの声に慌てて、オペレーター達がログに目を走らせる。
「一時的に動力炉の圧力が、超電磁加速粒子砲斉射レベルにまで上昇しました」
「原因は?」
「艦長の意思によるシステム関渉です」
その報告にザイールが瞳を閉じる。
「あの事件以来、艦長と船とのリンク深度は常に55%以上をキープしています。この状態で理論エリア内に自我を保てているのが思議なくらいですよ。戦闘行動中のトランス状態のような深度を四六時中行っているのですから。
それにこのところの艦長、なんか人格が変わってきていると言うか…… 変じゃないですか? 艦長らしさが出てきていると言えばそれまでなのですが……」
「良い事では無いか。何を懸念している?」
ザイールの瞳が威圧感を伴って細められた。それはこの後の『発言を許さない』とでも言うほどに強いものだ。
それを見たオペレーターの殆どが視線をそらしてしまう。その中で砲雷長『ドルトレイ・アルギス』だけは、ザイールから視線をそらさずにいた。
ザイールもそれに気づき、彼を見据える。多くのオペレーター達が見守る中、砲雷長は静かに立ち上がった。
「もちろんです。ただ、そのような振る舞いが、このような短期間で身に付くものでしょうか? 彼女はいつの間にか我々に匹敵する程の軍事専門知識を身に着けています。それだけじゃなくて経験までも手に入れているように感じられるのです。
もちろんそんな事が有り得ないのは分かっています。ですが、艦長と話しているとそう感じずにはいられないのです」
砲雷長を見据えたまま、思案気に細い指先を顎に当てたザイール。
「貴方の心配は分かった。この件は私が預かる。だが、他言無用だ。クルー達の無用な心配を煽りかねない。他の者も、分かったな?」
その語気は思いの他荒く、これ以上のこの件についての問答が一切許されない事を示唆していた。