Chapter4 響生 あまりにドタバタと崩壊していく日常(その4)
「やぁ、響生か。何だい?」
やけに涼しい顔を作り、『本日のキャラ』を演じ切ろうとする飯島に、沸騰しかけていた感情は一気に突沸してしまう。
実体の無いホログラムに思わず掴みかかろうとして、手が空しく虚空を掴んだ。それが更に怒りを助長する。
「何が『何だい?』だ! お前、なんてものを美玲に渡してくれたんだ!」
「え? なんのこと? すまない、僕には君が何を言ってるのか分からない」
「とぼけんな! お前が美玲に渡したシュミレーターソフトウェアだ! 敵が異常再生してるぞ!」
その言葉に目を見開いた飯島。
「あ、あれのこと? いやだって、『気が済むまで触手を攻略したい』って姫っちが…… ていうか、お前が姫ッチとプレイ中なのか!? 何故だ!? ええぇ!? 何故!? 姫ッチが一緒にプレイするなら俺ッチだろう!? だって俺っちが作ったゲームーー」
余程、この空間に美玲と共にいる事がショックだったのか、飯島は作っていたキャラを一瞬にして崩壊させ、何時もの口調に戻った。
「うんなことはどうだっていい! とにかくこいつを倒す術はないのか!?」
「倒す!? 何故!? それより、何故お前が姫っちと!? あぁっ! クソッ 何処で誤算が!?」
顔をくしゃくしゃに歪め、頭を両手で掻きむしる飯島。針鼠型の髪型が、今度こそ寝ぐせ頭の様になっていく。
「それがクリア条件じゃないのか!?」
「違う違う、それは敵じゃないよ! 分かってないな!」
飯島の予想外の言葉に混乱しきる思考。
「こ、これが敵じゃない……!? じゃあ、クリア条件なんだ!?」
「クリア条件と言うか、終了条件は、プレイヤーが心身ともに満足するというか…… 昇り詰めるというか……」
「はぁぁぁぁぁっ!?」
絶句して次の言葉出てこない。
「だって姫っちは『私が満足する物作れ』って」
「アホか! それ以外の終了条件は!?」
「無い無い! だってそれは俺っちが、姫っちの望むリラクゼーションを妄想し、それを叶えるための術をさらに妄想し、それに満足する姫っちの姿をさらにさらに妄想して、苦心の末に最終的にお気に入りのゲーム達の中から、選りすぐりの部分を移植した、いわば良いとこ取りの究極の傑作! だからそれに身を委ねれば必ず昇天――」
「……」
会話の途中で外部連絡を一方的に閉じる。
――最悪だ…… あの馬鹿、戻ったらとっちめてやる!――
そう硬く心に誓う。
飯島の名前が出た時点で嫌な予感はしていたが、こうも結果が想定しうる『最悪』であった事に途方にくれそうになる。
しかも、貴重な外部連絡を使って、全く持って有用な情報が引き出せなかったことに落胆を感じずにはいられない。
ウィンドウに表示された『シミュレーターの停止残時間』が、一分を切っている。
「美玲、ネメシスの召喚は出来るか?」
「無理だ。私に許された武器はこの一振りの日本刀のみ」
トラブルのきっかけはあまりに下らなくあるが、それに反して状況は絶望的だ。まさに美玲が予測した様に、勝ち負けの判定など無い状態だったのだから。
飯島が用意した終了条件がアホ過ぎるために、それに乗る事が出来ない。
「飯島は妙な謎かけをしていたな。私が心身ともに満足すれば、ゲームは終了すると。しかし登り詰めるとは、いったい何処に登ればいい? 私は貴様を巻き込んでしまった。私がクリア条件のキーになっているなら、私は何でもするぞ」
思いつめた表情でそう言った美玲。『何でもする』との言葉に思わず飯島の示したクリア条件に従う美玲を想像してしまい、ブルブルブルと首を振る。同時に急激に身体中がほてる感覚に襲われ美玲から慌てて視線を逸らした。
「いや、よく分からないけど楽しめば良いんじゃないのか? ゲームなんだし」
曖昧な返事をしつつ脳が沸騰する程に思考を巡らす。ゲーム終了条件に乗れないのなら、後は強制終了しかない。
強制終了を行う方法は二つ、プレイヤーによる強制終了措置、もしくはシミュレーターの演算過負荷によってシステム的な強制終了を呼び起こすかだ。
前者の項目はメニューリストに用意されていない。よって選択できるのは後者のみだ。
――演算過負荷を呼び起こすにはどうしたらいい!?――
答えが導き出せないまま尽きてしまう『停止残時間』。四方八方から尋常では無い数の触手が迫る。
加速される思考レート。超音速で起動する死霊化した身体。大剣『ラーグルフ - ヒルディブランド』が吹き出す高エネルギー粒子の反応光が爆発的に光を増す。
次から次へと迫りくる触手を無我夢中で切り払う事しかできない。だが、切ったそばから新たな触手が伸びあがり、ちぎれ飛んだ先端はそれ自体が新たな個体となって触手を形成する。キリが無い。
こんな状態で美玲が十三時間も耐えていた事に感服する。
美玲は『それ』が無限に再生すると言っていた。
視界の至る所で気持ちの悪い触手の再生工程が行われる。多量の粘液と共に切断面が膨れ上がり、色の薄い新たな触手が伸びあがる。とんでもなく悪趣味でありながら凝った演出だ。システム負荷を度外視し飯島の拘りを感じずにはいられない。それだけに寒気がする。
――けど……――
『これ』だと感じた。『これ』はシステム的過負荷を呼ぶのに利用できる。一つの破片の再生にこれだけのリアリティーを演出しているのだ。演算処理の限界を超える再生をさせるのは不可能じゃないかもしれない。
――そうと決まれば!――
「美玲! 可能な限り奴を切り刻め! なるべく細かくだ!」
叫ぶや否や、全ての思考を全力で触手を粉砕する事に当てる。視界を埋め尽くす大量のカーソル。それらが意志に従い最も効率的に大量の敵を射抜ける射撃ポイントを弾き出す。オート制御によって射撃体勢に入る左腕。ガーンディーヴァから眩いばかりの帯電光が迸る。
既に自身の管理下に無い左腕を意識の外に追いやり、大剣を振るう右手のみに意識を集中する。
極限の集中状態と破壊意思が口から咆哮となって溢れ出し、右肩関節が稼働限界速度を超える動きに悲鳴を上げる。肩部の破裂を予感した刹那、急激に視界の動きが鈍り始めた。ついに処理落ちが始まったのだ。
――行ける!――
動きが遅くなったことで、著しく捉えやすくなった敵をさらに粉砕する。それによって急減速する時間の流れ。
そして次の瞬間、視界の全てのカーソルが唐突に消失した。
「……やったのか!?」
耳に届く憔悴しきった美玲の声。それに応えることが出来ない。異常なほどの静けさ。
空間中央の奇怪な物体をそのままに、全ての触手が消失したと言っていい状態。強制終了では無いのは確かだった。
空間中央で不気味な脈動を続けていた物体が、まるで朽ちるかのように崩壊していく。予期していた事では無いとは言え、これは一つの『終わり』なのかもしれない。飯島はちゃんと『別の終了条件』を用意していたのだろう。
そう考えた瞬間だった。殆ど原型を留めていない中央の物体から、何の前触れも無く伸ばされた触手。しかもその速さが尋常では無い。
限界まで跳ね上がる思考レート。それでも尚、視覚情報の処理が追いつかない。触手が不鮮明な残像を伴い猛烈な速度で迫る。
--なっ!?--
無茶苦茶な速さだと感じた。質量を持ったオブジェクトに与えられる限界速度を優に超えているのは明かだ。こんなものを回避できる術など無い。
殆ど身動きが取れないまま、胸の中心へと食い込んだ触手。走り抜ける衝撃。
が、身体を貫く刹那、『それ』はまるで伸びきった紐の様に、唐突に動きを止めた。皮膚を切り裂き、身体に僅かに食い込んだ先端。
そして今度こそ、その全てが朽ち果て地に落ちる。
それも尚、強張り硬直したままの身体。命のリスクなど無いはずシミュレーターで感じた死の恐怖。その余韻が身体に張り付き離れない。
「響生!」
美玲の叫び声に我に返る。
確かに胸に食い込んだはずの触手。なのに流血も無ければ痛みすらも無い。
「大丈夫だ。何ともない。美玲の言う通りダーメジ判定が無いみたいだ……」
言った瞬間、全身を突然襲った疲労に抗う事が出来ずにその場に座り込む。今度こそ終わったのだと感じた。
このシュミレーターを作ったのが飯島なら、この後に無駄に長いエンドローグを見せつけられる可能性はあるが、先に感じた緊張に比べれば、それは可愛いものだ。
美玲がふらふらと歩いて来て、隣に崩れるように腰を落とした。
「良かった…… その、すまなかった……」
力の無い笑みを宿した深紅の瞳が細められる。
「いやぁ、マジで一時はどうなる事かと思ったけどな。そもそもこれを作ったのが飯島ってのが……
てかさ、今ふと思ったんだけどさ、最初の外部連絡で、アイに連絡とって艦長権限で強制召喚してもらえば良かったんじゃね?」
「……」
美玲の瞳が大きく見開かれる。だが、それは恥じらう様に逸らされてしまった。
「終わってみれば笑いごとってのは、こう言うのかもな。まぁ、案外楽しかったよ」
「それは、本当か!?」
「ああ……」
「そう言って貰えると、少し救われた気がするが…… ひ、響生?」
言葉の最後で声を上ずらせた美玲。同時に美玲の体重が自身に預けられた感覚が襲う。それに感じた戸惑い。
「……え?」
「貴様、一体何を……」
美玲の言葉に瞬間的な混乱が襲う。
「何って…… 俺は何も――」
――!?――
美玲の細い肩へと回された自身の右腕。気づけば美玲をかなりの力で抱き寄せている。ますます混乱する思考。そして気付く、右半身の自由が全くきかない事に。
――オブジェクトのオート制御!?――
意思に反して美玲の肩に置かれた手が白く細い首筋をなでるようにして昇っていく。人差し指が顎のラインを通過し、血の様に赤い唇に触れ、さらに長い銀色の髪に隠れた耳を撫で上げた。
その瞬間身体をビクリと震わせ小さな悲鳴を上げた美玲。
――なんだこれ!?――
完全に身体の自由を奪われ声すらも出せない。そして次の瞬間、有り得ないものを見る。
美玲の頬に当てられた手の平。その先で『人差し指の先』が別の生き物の様に脈打ちながら伸びあがって行く。普通では無い動きで美玲の耳の周りを這いまわり、その先端がスルスルと奥に入り込んだ。
――ゲッ! 待て待て待て! 何だコレ!――
「や、やめっ……」
さらに身体を強く震わせた美玲。僅かに抵抗を見せた細い腕が脱力した様に落ちると、今度は一転して身動きが取れない身体にしがみ付かれてしまう。
「ひ、響生……」
まるで子犬の様な視線で縋る様に此方を見上げた美玲は、何時もの勝気な印象と程遠く見えた。
小刻みに震え続ける細い身体。何より時折上がる細い悲鳴に似た声が、只でさえ混乱した思考をさらにかき乱す。
一切の抵抗やめてしまった美玲。憔悴しきった彼女の体力では逃れる事すら出来ないのかもしれない。
何かがまずい。非常にまずい。自分に何が起きているのかは分からないが、このままこの状況を放置すれば、取り返しのつかない事態が起きてしまう気がする。
心なしか体温を上げた美玲の身体。荒くなり始めた息遣いは苦しそうにすら感じられた。
全身の血が頭に上ってしまったかのような感覚と強い混乱が襲う中、限界を超えて思考を整理しようとするが、まるで壊れてしまったかの如く、空回りするばかりで纏まらない。頭から湯気が上がってしまいそうだ。
途方に暮れて、僅かに上げた視線の先には『先まで存在しなかったはずのオブジェクト』が静かに立っていた。
それは門の外にいた金の髪飾りを付けた巫女だ。
――『神の依り代の交代』は無事に終えたようですね――
――依り代の交代!?――
頭に響き渡った言葉を自身で繰り返し、事態の深刻さを理解する。
――待て待て待て待て!――
焦りがそのまま思考伝達に乗るが、少女は一切表情を変えない。
――新たな主の誕生を祝福すると共に、我等の忠誠をここに――
片膝を尽き、深く頭を下げた少女。そして恭しく差し出された両手の平から光の粒子が流れ出て、此方に流れ込こむ。
視界に新たに開くウィンドウ。
『クリア特典(男性プレイヤー用):次回ログイン時、神権限乱用モード追加』
――……――
それを見た瞬間、これが飯島が作ったシュミレーターである事を思い出すと共に、強烈な頭痛と脱力感に襲われる。
――それでは、私はこれで。今宵は姫様と二人、ごゆるりとお過ごしくださいませ――
空間に溶け込むように消えてしまう少女。少女がいなくなった空間を縋るように見つめて思う。
――何故…… こうなった……?――
思考伝達に乗った疑問は誰にも届くことなく、ただ静かにプライベート領域内の特殊空間へと消えた。