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Chapter1 響生 あまりにドタバタと崩壊していく日常(その1)

1



「そう、このエリアにも行って見たいって考えてる。ライフラインの復旧だけではまだまだ不十分。食料の配給だって、全然足りてないって感じるし、もちろん最終的な目標は小規模でも経済基盤の復旧と彼等自身の自立だけど、それにはまだほど遠い」


 北欧の森林地帯をモチーフにデザインされたプライベート領域。針葉樹に囲まれた湖を臨むように建てられたバンガローハウスのウッドデッキに心地よい風が吹き抜ける。


 木製のテーブルの上には穂乃果が焼いたクッキーにレーズンパイが並び、入れたてのジャスミンティーが僅かな香りを漂わせていた。一見すると休日の昼下がりの光景のようでもある。


 けど、その雰囲気を一転させているのは空間に開かれた巨大なウィンドウだ。そこに映し出された複雑に色分けされた管理自治区のマップ。さらに所狭しと様々な指標を示した図形や、メモが重なっているのだから、雰囲気はさながら戦略会議の様な状況だ。


 すっかり定例となったミーティング。参加するのはアイと美玲とサラ。そして不定期でドグ。一度きりではあったが副長ザイールが顔を見せた事すらあった。


 けど、今日にいたっては自分とサラしかいない。


 アイは仕事量が急激に増加し、美玲には新たな任務が与えられた。そして自分に届いた中央からの伝令。


 それは新たに始まった平穏な日常が早くも終わりを告げたことを意味していた。


 空中に展開された管理自治区のマップを真剣な表情で見つめ、熱心に思いを語るサラ。そこには嘗て、地上で出会った頃の磨れた印象とは程遠い彼女がいる。


 赤味がかった黒髪をきっちりと後ろで結い上げ、白を基調とした軍服に近いデザインの衣服に身を包む。それは商業的もしくは政治的な交渉の場で纏う、フロンティアにおける正装だった。


 それが不思議と良く似合っている。


 けど、プライベート領域でまでそのような恰好をしているのは彼女の多忙さを象徴しているのだろう。まして彼女にとってフロンティアを象徴するようなデザインの衣服に身を包むのは大きな苦痛を伴うはずだ。


 彼女は彼女で信念の為に多くを犠牲にしている、と感じずにはいられなかった。


 サラの言葉が途切れるのを待って、重い口を開く。


「なぁ、サラ、次の視察だけど、多分俺は一緒に行けない」

「そう……」


 ウィンドウに向けた視線を此方に向けようともせず短い答えを返したサラ。


「中央から新しい任務が届いた。多分暫く戻ってこれない」

「……任務?」

「ああ、地上への『潜入任務』と言うか『お尋ね者探し』と言うか。まぁ、これが本業のはずだからな、俺は」

「そう……」

「どちらにしろ管理自治区以外のエリアも、じっくりこの目で見たいと思ってたところだ。いい機会になる」


 ここでようやくサラがこちらに目を向ける。


「何でそんなにヘラヘラしてられるのよ? 確かに私は貴方達には外の世界を知る義務があると思う。でも……


 じゃあ次の視察、私の護衛は!?」


「『感染者』や『アクセス者』は俺だけじゃないだろう? だからサラの護衛は新たに派遣されるはずだ」

「それはそうだろうけど…… 別に私は『自身の安全を保障してほしい』訳じゃない。私は『貴方達に心を許した』だけであって『フロンティアに心を許した』訳じゃない。護衛は貴方じゃなきゃ意味が無いし、自治区構想だって貴方達とやらなきゃ意味が無い。

 だいたいアイはそれを知ってるの!?」


「知ってる…… だろうな……」


 溜息と共に出た言葉。それにサラが黒い瞳を大きく開く。


「だろうって……」

「立場的に知らないはずは無いんだけどな……」

「話してないの?」


 それに頷くことしかできない。アイとの会話はこのところ妙にぎこちない。互いに『その話題』を避けているが故だろう。まして、アイと自分では任務の全容について知ってる範囲が異なるのだ。


 めぐり始める思考。が、リビングとウッドデッキを繋ぐ窓が勢いよく開けられた事によって途切れてしまう。


「お? 取り込み中か? 折り入って話があって来たんだが…… 別の機会にするか……」

「何だよ、気持ち悪りぃ。別に今話せばいいだろう」

「いや、ちょっとな」


 サラに視線を走らせるドグ。


「あからさまに私に聞いて欲しくない話のようね?」


 サラが立ち上がる。


「いや、別にそう言う訳じゃねぇんだが……」


 ドグは大げさに頭を掻きむしり、らしくない溜息をついた。サラの瞳が細められる。


「ふーん、席をはずそうかと思ったけど、『そう言う訳じゃない』なら私がここに居ても良いはずよね?」

「まぁ、そうなんだが、若い女の前でする話じゃねぇと言うか」

「まさか下ネタ混じりのしょうも無い話を始めるつもりじゃねぇーだろうな?」

「馬鹿やろう! そんな話をわざわざ改まってしに来る奴がいるか!」

「じゃぁ、何だよ」

「率直言うぞ? 後悔しねぇな!?」

「だから何だよ!」

「そのなんだ…… お前ぇの『精子』が欲しい」


 思いもよらない言葉に、口に含みかけたジャスミンティーを盛大に吹き出す。さらに咽返り、息をすることすらままならない。


 それに比べサラは僅かに目を細めただけだった。


「ふーん、そう言う趣味だったのね……」

「違げぇわ!」


 その言葉にドグが手を振り回しながら大声を上げる。


「冗談よ。研究用とかそんな所でしょう? 大方アイが持ち帰った『葛城 智也』が残した研究に関係が有るんじゃなくて?」

「お、勘がするどいな! まさか響生より話が分かるとはな

 『フロンティアと現実世界の間に出来た子を現実世界側に産み落とす』それには現実世界には存在しない遺伝子を宿す器が必要不可欠だ。具体的には『配偶子の細胞膜』が欲しい。それもなるべく若い個体から採取したサンプルが望ましい。つまり俺の思いつく限りお前ぇしかいねぇ」


 言葉の最後で、ドグの指がピタリと此方を指した。それにブルブルと首を横に振る。


「嫌だ!」

「そこを何とか。お前ぇには俺に色々と恩があるだろう?」

「今このタイミングでそれを言うか!? たくっ、どんな親だ! 大体、何で狭い知り合いの中から探すんだよ! そんなもん、募集しろよ! 感染者やアクセス者は俺だけじゃねぇんだから!」


 思わず感情に任せて喚きちらす。


「ところがだ、そうも行かねぇ この研究についてはまだ極秘扱いでよ。『現実世界側に子を成す』って事自体が、希望でもあるが、逆に今のフロンティアに混乱を招く可能性があるんだと。だからよ」


 ドグの厳つい顔に浮かんだ縋るような視線に感じた寒気。


「絶対に嫌だ! 絶対にだからな!」


 ドグの言葉を遮るようにして、変えようのない結論を無我夢中で口にする。


「それで? そっちは響生で良いとしても、女性側の被験者は見つかったの?」

「ちょっと待て! なんで俺の方向で話が進んでんだ!」


 思わず上げてしまった叫び声だったが、それは余りにあっさりと無視されてしまう。


「いや…… そっちはもっと難しいだろう」

「そう……」


 サラが悪ふざけを始めたのかと思い彼女を見ると、想像もしなかったほどに真剣に何かを考える表情をしている。それに感じた戸惑い。


「ねぇ、それって当然、被験者はそれ相応の待遇を受けられるのよね?」

「そりゃもちらん、すげぇー待遇になると思うぜ?」

「それって私でもなれる?」


――!?――


 その言葉に絶句してしまう。


「そりゃもちろん申し分のねぇ…… ってちょっと待て!」


 流石のドグも醜悪な顔に不似合いな驚きを有り有りと浮かべた。途切れてしまう会話。妙な間が、より独特の緊張感を誘う。


 が、サラは唐突に表情を崩し、顔に子供じみた笑みを浮かべた。


「冗談よ」


 その言葉に胸をなでおろす。それと同時に深い溜息をついた。


 再び訪れる沈黙。ドグがそれに耐えきれなくなった様に頭を掻きむしり、口を開きかける。


 が、それはドグの目の前に唐突に開いたウィンドウによって、遮られてしまった。そして、そこに映し出された人物に、無意識に身体が強張るのを感じる。


 ドグに至っては面食らった様に顔をひきつらせ、硬直していた。


「ザ、ザイール!」

「『ザイール』ではありませんよ。本日のブリーフィングには貴方にも出席を依頼していたと思いますが? 既に開始時刻から30分が過ぎています」

「あ? そうだったっけか?」


 言いながらさらに激しく髪の無い頭を掻きむしるドグに、ザイールはウィンドウの向こう側で大げさに溜息を吐き、鋭い視線を向けた。


「このブリーフィングが定例ミーティングとは違い、どれほど重要な物なのかは、散々に伝えたはず。

月詠より軍幹部の方が見えられているのです」

「まぁ、そうなんだろうが、今取り込み中でよ……」

「こうなる可能性については、数週間前には伝えたと思いますが?」


 ザイールの声が更に冷たさを帯びる。


「いや、だけどよ」


 さらにゴネようとするドグに、ザイールは口元を引きつらせた。


「問答は無駄のようですね。ならば強制召喚をかけるまでです!」


 一方的に閉じられてしまうウィンドウ。と、同時にドグの身体を光の粒子が包み始める。


「おいっ、ちょっと待っ――」


 無残に途中で途切れた言葉と共に消失してしまったドグ。


 彼がいなくなった空間を忌々し気にみつめ、思わず出た深い溜息。


「たくっ、何なんだよ!」


 そして、自分がドグと同じように頭を掻きむしっている事実に気づき、さらに大きな溜息を付く。


「わりぃーな。とんだ横やりがはいっちまった」


 サラに視線を移しながら、重い口を開く。彼女は何かを思案するような表情で此方を見つめていた。そして目が合った瞬間、慌てた様に視線を逸らす。


「え? うん、そうね……」


 曖昧な返事を残し、再び思案し始めるサラ。おかげで空間の雰囲気が更に妙なものになってしまう。


 暫くして、ようやく彼女は顔を上げた。その瞳には、何かを決心したような強い意志が宿る。ゆっくりと開き始める彼女の唇。


「ねぇ、さっきの話だけど――」


 が、そのサラの言葉を待たずに、今度は自身の前に唐突にウィンドウが開いた。そのウィンドウの表示内容に目を見開く。それによって完全にサラの言葉は途切れてしまった。


――空間転移の受託要求!?――

――まずい事になった。響生、お願いだ。私を助けてくれ。貴様にしかたのめん――

――美玲!?――

――何があった!?――

――説明している時間がない! とにかくだ、ああっ!――


 言葉の最後で悲鳴の如く裏返り途切れてしまった思考伝達。ただ事ではないと判断する。


 直ちに空間転移受託処理をすると共に、目を見開きこちらを見つめるサラに、


「悪い、問題発生だ。話の続きはまた後日」


 と最低限の言葉だけで伝える。


「ちょっ――」


 間髪入れずに返って来た抗議の言葉の最後まで聞き取ることが出来ないまま、始まった空間転移。次の瞬間視界の全てを光が包み込み、瞬間的に身体が浮き上がるような感覚が支配した。


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