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Prologue

挿絵(By みてみん)



 1


 

 廃墟と化した夜の市街地に大量の灰を含んだ雨が降り注ぐ。そこには嘗ての繁栄の痕跡など微塵も感じさせない無残な光景が延々と広がっていた。

 

 そこかしこで人であった者の躯が転がり、凄まじいまでの死臭を放つ。


 ライフラインが途絶え、夜ともなれば完全に闇に沈むはずの空間でそれが認識できるのは、複数のサーチライトが獲物を探すかの様に蠢くが故だ。


 激しい雨音に交じり、大人達が走り回る音が聞こえる。それは『高い志を持つ者達』が失った戦力の補充をするために街を彷徨う光景に酷似していた。


 彼等は幼い命を求め、攫い、それを守ろうとする者の命を容赦なく奪う。


 だがこの日の彼等の目的はいつもと違う事を『少女』は理解していた。


 彼等の目的は脱走した者を捉えることだ。そして捕まったなら、仲間の前で見せしめのためにこの上なく残虐な方法で命を奪われるだろう。


 少女は荒い息を強引に沈めると、雨音に交じる足音に耳を澄ませた。


――近づいてる……


 自動小銃に固定されたサーチライトが闇の中で獲物を探すように蠢く様を、拡張された視野で物陰から注意深く観察する。それが此方へと向けられる前に決断しなければならない。


――こっち――


 思考伝達で意思を伝えるのと同時に、決して離さぬように握った妹の手を引き、狭い路地と駆け込む。そしてすぐさま手近な廃ビルへ入ると、構造物を背に身をかがめた。


 僅かな状況の変化すらも見逃さないために、五感の大幅な拡張を行う。その瞬間強さを増した死臭の凄まじさに、胃が裏返るような感覚が襲う。雨の日は特に強烈だ。


――お姉ちゃん足!――


 頭に響きわたった悲鳴のような声に、自分の足を確認すると、左太ももに刻まれた真新しい弾痕から、決して少なくは無い量の血が足を伝っている事に気付た。


――大丈夫。撃たれたのは義足の方――

――でも――


 不安気な妹の声に、無理に笑顔を作りながら、服の一部を乱暴に引きちぎり太ももを強く縛り上げる。


 不正なロジックによって戦闘時に遮断されてしまう痛覚。妹がいなかったら失血で気を失うまで気づかなかったかもしれない。


 奴等は自分達を道具の様に使い捨てる事しか考えていない。自分達を『人』等と思っていなかった事を今更ながらに痛感させられる。


 志も死霊共に対する敵対心も奴等と同じである自信があった。共に戦ってきたつもりでいた。けど、全てはまやかしだったのだ。脳の全てがニューロデバイスに侵食されている。ただそれだけなのに。


 このままあそこにいたら、自分か妹のどちらかが、人間爆弾にされたあげく、死霊共の直轄エリアに送り返さるのがオチだっただろう。


 何も知らなかった『あの日』の自分の選択を悔いるしか出来ない。


 建物の入り口からこの場所へと続く転々とした血痕が目に留まる。直ぐに別の建物に移った方が良いと直感した。何処で撃たれたかすら分からないが、建物の外の血痕は雨が洗い流してくれるだろう。


――行くよ!――


 妹の手を引き立ち上がる。目指すは入って来た入口とは別の出入り口。


 が、その瞬間、


「いたぞ!」


 自分達が正に目指そうとしていた出入り口の方向から当てられたサーチライト。咄嗟に踵を返し、入って来た方の出入り口へ向かおうと試みる。その直後に乱射された自動小銃。妹を庇うのだけで精いっぱいだった。


 背に浴びた複数の銃弾。自身が倒れる刹那に手にしたハンドガンで相手の眉間を打ち抜く。


 受け身も取らずに反撃したために身体を激しく地に打ち付ける。痛みは無い。そして広がり始める夥しい量の血。それを無視して立ち上がろうと試みるがうまく行かない。


 致命傷だと悟る。身体の至る所を義体化していたために即死は免れた。けど、それだけだ。


――私はまた選択を誤った


 サーチライトに照らされた時、自分が取るべきだった行動は、相手を先に撃ち殺すべきだったのだ。


 雨音に交じり多くの足音が聞こえる。先ほどとは違い、明確に此方へと走り込んでくる足音だ。


――逃げて……――


 到底間に合う訳もない無責任な言葉が思考伝達に乗った。その言葉に妹が激しく首を横に振る。


 直後に四方八方から当てられたサーチライトの光。


 妹の悲鳴が聞こえた。それを認識して尚、身体が動かない。


 うつ伏せに倒れた身体が無造作に足で仰向けにさせられた。それによって開けた視界の先で、激しく喚く妹を男が何度も殴打し、引きずっていく。


 そして額へと押し付けられた銃口。『もはや使い物にならない』と判断されたのだろう。不思議と恐怖は無かった。自分にとって死ぬのはこれで2度目だ。


 それよりも、『ここで死ぬ自分』と『生きてこいつ等に捉えられてしまった妹』と、どちらがより不幸なのか。何故かそんな事を考えていた。


――結局私は何も成せない……――


 誰も守れない。今まで何をやって来たのだろうか。最初の人生も。『今度こそ守る』と誓った2度目の人生も。激しい後悔の念が全身を襲う。


 焦点の合わない程の至近距離で引き金が引き絞られて行くのが分かる。


――ゴメンね……――


 何もしてあげられなくて。


 覚悟した死。瞳を閉じる。


 が、その引き金が引かれる事は無かった。余りに違和感がある『間』に再び瞳を開く。


 額に押し当てられていたはずの銃口はいつの間にか外されている。それどころか、男は何かに怯えるかのように顔を引きつらせ、呆然と立ち尽くしていた。


 その視線の先を無意識に追うが、何もない。


 だが他の男たちまでもが、暴れる妹を放棄し、まるで得体の知れない敵を探るようにサーチライトを闇雲に振り回す。皆が一様に何かに怯えていた。


 そして気付く。空間を伝う異音に。


 それは心の奥深くに刻み込まれた『恐怖その物が持つ音』。『死霊の心音』。


 次の瞬間、空間を切り裂くようにして横切った強烈な光。轟音と共に建物の壁が崩壊する。発生した衝撃波によって、一部の男達が紙切れの様に吹き飛び壁に身体を打ち付ける。


 舞い上がった粉塵の向こう側で、10を超えるセンサー群の赤い光が怪しく蠢いていた。


 壁に空いた大穴に向かって、一斉に自動小銃の乱射が始まる。恐怖が先走ったが故に起きた一斉射撃。そんなものが何の役にも立たない事は誰もが分かっているはずなのだから。


 放たれた弾丸の全てを弾き返し、ついにそれが粉塵の中から姿を現す。


 黒光りする装甲。深海魚にも似た醜悪なフォルムの胴体の至る所で、赤い光を放つセンサー群が生物の眼球の如く獲物を追って動き回る。下方に突き出た複数の脚部は昆虫のそれに似て鋭い先端を持ち、後方には死霊共の兵器に共通する特徴である長い触手を不気味にうねらせていた。


――デメニギス……――


 先に感じた絶望よりも遥かに強い闇が自身を引きずり込んで行くのが分かる。こんな物に見つかってしまっては、自分どころか誰も生き残れない。


 ネメシスよりは小型だ。戦闘能力もネメシスに劣る。それでも遭遇するならネメシスの方が遥かにマシだったかもしれない。『それ』とネメシスでは決定的に違っている点があるのだ。


 『それ』には感情等ない。地上をただ只管に徘徊し、膨大なリストと一致する者を片っ端から処分するようにプログラムされた殺戮マシーンなのだから。


 戦闘行動に一切加わっていない妹が、デメニギスのリストに無い事を祈るしか出来ない。


 あまりに一方的な虐殺は直ぐに始まった。


 迸る閃光。薙ぎ払われる触手。そこら中で血飛沫が弾け飛び、男達の絶叫が建物内に響き渡る。


 まだ生きていた者が奇声を発しながら、既に弾の切れた銃の引き金を何度も引き直す。


 その無様なまでの生への執着は、微塵の躊躇も無く突き出された触手によって途絶えた。


――逃げて!――


 呆然と目を見開き立ち尽くす妹へと思考伝達を送る。


 が、その直後、目に飛び込んできたのは、身体を深々と突き刺され宙吊りになる妹の姿だった。


―――そんな……


 串刺し状態の妹の身体を、まるでゴミを払いのけるかの如く触手を乱暴に振り、投げ飛ばしたデメニギス。


 妹の身体が背中から壁に叩き付けられ、血の跡を引きずりながら地に転がる。広がり始める血溜まり。


――何故……――


 心を満たしていく深い絶望。自分が今までしてきたことは何だったのか。自分の全てを犠牲にしても彼女だけは守ろうと心に決めた。


――それなのに……――


 自由にならない身体。意識が保てている事が奇跡の様な状態だった。それでも、収まり切らなかった感情が限界を超えて身体を動かす。


 震える右手が持ち上がり、握りしめたハンドガンがデメニギスに向けられる。それがどんなに無意味な行為だと分かっていても、それをせずにはいられなかった。


 そして放たれた一発の銃弾が、デメニギスの装甲で乾いた音と共に火花を散らす。その瞬間、赤い光を放つ全てのセンサー群が一斉に此方に向けられた。


 高々と振り上げられた触手。


 もう、生きる望みなど無い。目的も無い。唯一の拠り所を失ったのだ。


 『あの日』以来何もかもが変わってしまった。日常は一瞬にして消え去り、世界は焦土となった。同時に自分達は居場所を失ったのだ。死霊共の世界にも現実にも自分達を受け入れてくれる場所は無かったのだから。


 死を目前にして湧き上がるのは、深い絶望と呪いにも似た強い怒りと憎しみ。


――私は、この世界の全てを呪う……――


 触手が振り下ろされる刹那、宛ての無い思考伝達に乗った言葉。


――怒ってるね。それに絶望と憎しみ。うん、良い感じだ。とてもいいよ。その感情は強い原動力になる――


 返答など無いはずの思考伝達に応える声が、頭に響き渡った。次の瞬間、世界の全てが停止する。


――思考レートの強制同調……?


 でも、一体誰が。


――僕が誰であるか探るより、君にはもっとやりたい事が有るんじゃないのかい? 世界を壊してみるとか、作り替えて見るとかね――

――そんな事……――


 大それた事だと感じた。そんな事が出来る方法があるのなら、自分ではない誰かがとうの昔にやっている。


――出来るよ。出来るんだ。うん、間違いない。君は女王になりたくは無いかね? フロンティアと現実世界の両方を統べる女王に。なれば、世界を壊すも、作り直すも君の思いのままだ――


 何を言っているのか分からない。


――『女王の魂』だけは手に入れたんだけどね。けど、残念ながら僕は依り代を持っていない。うん、持っていないんだ。でも君はそれにぴったりだ。レアサンプルだよ――


 こちらの理解等全くのお構いなしに、脳内で喋りまくる声に感じた苛立ち。


 話していても無駄だと判断する。


――なら、このまま死ぬかね? 返答次第では君の妹の方も助けてやっても良いんだけどね――


 その言葉に目を見開く。


――簡単な事だ。うん、非常に簡単だよ。君のパーツを妹の方に移植すればいい。ああ、パーツって言っても生態部のほうだね。君達は見た所、一卵性の双子だね? なら全てのパーツが一緒のはずだよね? うん、間違いない。


 君の方は…… 後一つや二つ機械部が増えても構わないよね? うん、構わないはずだ。寿命は縮むはずだけどね。その時は肉体なんて放棄してしまえばいい。うん、間違いない――


 声が語る事は一部で正しく、一部で滅茶苦茶だと感じた。


――でも……


 目の前に広がる状況。今まさに振り下ろされようとしている触手。そして血まみれで地に横たわる妹の姿。


 意味不明な提案に乗っても何も変わらないかもしれない。けど、乗らなければ確実に二人は此処で死ぬ。


――分かった…… その提案に乗る。本当に妹を助けてくれるのね?――

――うん、うん、約束するよ。人の身体を弄るのは大好きなんだ。でも、代わりに君の身体と魂は僕の物だよ――


 言葉の最後で低く成った声。それが自分に課せられる代償と言う事なのか。


 言葉が示す意味は身の毛もよだつ程に不気味だった。だが、同時に声が語る言葉が真実味を増した気がする。


――なんだっていい。どうせ私は既に2度も死んでる身――

――うん、良い答えだ。今日はついてる。うん、本当についてるよ――


 それを最後に唐突に途切れてしまった声。


 と同時に強制同調によって加速されていた思考レートが通常に戻る。圧縮された時間が弾けるように動き出した。


 振り上げられた触手の先端が、真直ぐに此方に向けられる。それが衝撃波を伴い猛烈な勢いで振り下ろされる。


――結局何も変わらない――


 そう思った次の瞬間、明後日の方向から空間を切り裂いた強烈な光。それがデメニギスを突き刺し、更に薙ぎ払われた。


 凄まじい轟音と共に発生した衝撃波が、フロアー内に荒れ狂るう。先にデメニギスが放った集積光を遥かに超える出力だったのは間違いない。


 再び舞い上がった粉塵の向こう側に見えた八つの赤い光。その奥で蠢く触手はデメニギスのそれに比べ明らかに太い。


 それが、何であるか分かると同時に、湧き上がる激しい憎悪。


――ネメシス…… お前は!?――


「違うよ。僕はフロンティアとは関係ない。うん、関係ないんだ。興味はあるけどね」


 唐突に聞こえた肉声。ネメシスの前に浮かび上がる人型の陰影。それが、ゆっくりと近づいて来る。


 粉塵の中から姿を現したのは、西洋人の若い男だ。このご時世に破れ解れが全くない衣服をまとっている。そして何よりも特徴的なのは羽織られた白衣。こんな格好をしている者は、『あの日』以来見ていない。


 男は自分の頭の位置まで歩いて来ると、しゃがみ込み此方を覗き込んだ。


 端正な顔立ちをしている。けど、それは出来過ぎていて人形のようでもあり、瞳には一切の感情が宿っていない。


 『死霊』に近い存在だと直感した。


「じゃあ、早速行くとするかね? 自動人形を壊してしまった。早くしないと、彼等が集まってきてしまう。うん、間違いない」


 男は再び立ち上がると、従えたネメシスに視線を移す。それを合図に伸びて来た触手。その先端から放出された糸状の物体が、自分と妹を包み込む。


 感じた僅かな安堵。それによって急速に途切れる意識。


 その中で男の言った言葉がよみがえる。


――世界を壊すも、作り直すも君の思いのままだ――


 もし、そんな力が本当に手に入れられたのなら。


――その時私は……――


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