エピローグ -Location of the Spirit- 魂の在処(後編)
1 20時間後、響生 ディズィール・理論エリア・プライベート領域
ダイブすると同時に目に飛び込む空を覆いつくす幾億の星。そこに幻想的な光を灯したオーロラが静かに揺れる。大地に根付く植物はそれ自体が様々な色に発光し、遠くに臨む湖面はそれらの光の全てを映して、穏やかに波打っていた。
現実世界では決して有り得ない光景。それは超自然的であり、明らかに不自然でもある。まるで、おとぎ話の中に迷い込んだかの様な感覚に襲われる。
長らくこの光景を当たり前に見ていた為に、このような感覚に襲われるのは余りに久しぶりだった。
その懐かしさに目を細める。すでに自分にとって帰る場所は現実世界では無く、この『領域』になっているのかもしれない。
「3か月振り、いやお前にとっては2か月ぶりか」
「あぁ……」
ドグの言葉に頷く。
「まぁ、あれだけの無茶のしっぺ返しが、この程度で済んだんだ。運が良かったと俺は思うぜ?
一連の事件での度重なる思考レートの加速。そして意識融合を重ねるたびにお前ぇに流れ込んだ記憶で生体脳にフィードバック出来る容量を遥かに超えちまったんだからな。
俺はフロンティアがまた『強制同期』とか言い出さねぇか冷や冷やしたぜ。だから『減速空間処置』は妥当だったと言えるな」
「お陰で肉体の方まで一度月詠に戻されたけどな。やっと地球に来れたと思ったのに。やっぱり月は遠いよ」
肉体がディズィールに到着してようやく『隔離空間』から解放された意識、それがレーザー光に乗り月詠からディズィールへと帰還したのは、24時間前のことだ。
それでやっと自由になれるのかと思えば、意識は肉体の方に閉じ込められ、ニューロデバイスに干渉を起こす行動の全てが禁止されてしまった。
その状態で始まったドグによる精密検査。おかげで意識が肉体に在る状態で24時間、『箱』の中で過ごす羽目となる。
そしてアマテラスへのダイブが許されたのはつい先ほどだ。
「まぁ、でも、こうしてまた戻ってこれたじゃねぇか。それにこの二ヵ月はゆっくり出来たんじゃねぇのか?」
地獄の24時間に対する労いも無く、顔に不敵な笑みを浮かべるドグ。だが、この表情すらも懐かしく感じる。
「ゆっくり? まさか。一連の事件の報告に数日。さらに新型義体開発のデータ取りに付き合わされた挙句、軍事訓練も受けさせられた」
「まぁ、休暇じゃねぇんだからそうなるか。そりゃお疲れだな」
そう言ってドグは大げさな笑い声をあげる。それに思わず出るため息。
「にしても、あいつら良く、仕事とは言え減速空間に頻繁に出入りするよな? 俺と同じ空間で過ごせば、同じ時間差が外界と生じてしまうと言うのに」
「『外界と時間差がどんなに生じようと、個人が一生に経験出来る時間は変わねぇ』だから、『何も気にすることはねぇ』とフロンティア生まれの奴は大抵そう考えてるからな」
「信じらんねぇ。俺にとっては『思考レートの加速は、そのまま寿命を縮める行為』だし、逆は俺だけが世界から置いて行かれるような感じがした」
その言葉にドグが歩みを止めた。そして自分の顔を真っすぐに見つめ口を開く。
「そう思うんなら、もうその『寿命を縮める行為』を止めろ」
「それは多分無理」
「何故だ? 軍を辞めちまえばいい」
そう言うドグの瞳は真剣そのものだった。けど、あえて『それ』から視線を逸らし再び歩き始める。
「それも無理。と言うより、『嫌』だな。俺には俺のやりたい事がある。そのためには軍にいないと駄目だ。まぁ、って言っても艦長になったアイ次第か……」
「何だそりゃ?」
2
懐かしさと共にログハウスの玄関を開ける。
その瞬間、目が合った幼い少女に目を見開く。けど、少女は自分以上に驚いたように、特徴的な緑色の瞳を大きく開いていた。
そして僅かに後ずさりしたかと思うと、一目散に廊下を奥に向かって走っていく。結い上げられた金色の長い髪が宙を舞いドアの向こうに消えていく姿を呆然と見送った。
「あれって……」
「ああ、メルだ。俺が引き取る事にしたんだ。お前達の時と同じようにな」
「そう……」
記憶の中に蘇る荒木が連れていた少女。車椅子に座り、感情の宿らない虚ろな視線を虚空に投げかけていた。
けど、今見た彼女はその時の印象とは全く異なる。彼女は間違いなく瞳に『驚き』を宿し、更に走っていたのだから。
「驚いてるな。無理もねぇ。だが、一番驚いてるのは俺だ。俺は彼女に何もしてねぇ」
「え? どういう事」
「彼女を治療したのは彼女自身なんだ。それもとんでもねぇ方法でな」
ドグの言葉に更に意味が解らず混乱する。
「彼女の脳は生まれながらに『普通の人間』とは僅かだが違っていた。その事実が引き起こす病は、標準コードによる僅かな補正で改善傾向に向かう事が多い。
けどな、彼女の場合は無理だった。その範囲が『人が持つ共通コード』以外の部分にまで達していたんだ。こうなってしまえばコードを組み直すなんて常人には無理だ。大体にしろコードのどの部分が何に由来するのかすらも、殆ど分かってねぇんだからな」
「まさか……」
ドグの言葉によって、彼女が量子キュービットコードの羅列を組み替える様が脳裏に蘇る。
「あぁ、そのまさかだ。彼女は自分のコードを見た瞬間、それを組み直して自身に上書きしちまった」
「それって……」
自身から震える声が漏れた。ドグが言っている事の恐ろしさに背筋を冷たい物が駆け上がる。
「正直、俺には正しく組み変えられてるのか分からねぇ。彼女の記憶はどうなったのか、人格はどうなったのかすら分からねぇ。言えるとしたら『人として正常な範囲のコード』ぐらいしかねぇんだ。
ただ、『人として正常な範囲のコード』になったのなら、その『能力』もまた失われたはずだ。それが、彼女にとっての代償なのかもしれねぇな」
言葉が出ない。ドグはそんな自分の表情を暫く見つめた後、メルが消えた方向へと視線を移しさらに続けた。
「――だが、彼女の表情を見てると『彼女はそうすることを遥か前から望んでた』ような気がすんだ。
あの子は軍人の子に良くなついてる。それに、恐らくお前ぇにもな」
「え?」
ドグの言った最後の言葉の意味が解らず聞き返す。
が、ドグは意味深な笑みを浮かべただけで答えなかった。
改めて彼女が消えた廊下を見る。そして違和感に気付いた。メルを見た衝撃で気づくのが遅れたのだ。
現実世界では決して起こり得ない現象が起きている。建物の外観が全く変わっていないにも関わらず廊下が伸びているのだ。そして、自分の記憶には無い二つの扉が廊下の壁面に二つ。
「内装変えたのか?」
「あぁ、人が増えたからな。て言うか一人はおめぇが連れ込んだのだろうが!」
「はぁ!? 誰だそれ!」
勢いが急に増したドグの言葉に、思い当たる人物が全く出てこず思わず怒鳴り返す。
「上条 紗良って子に心当たりは無いか? 強引にフロンティアに連れ込まれて、此処しか来る場所が無いって言ってたぞ? 何でもするから此処に置いてくれって」
「上条……? 紗良…… サラ!? あぁ、あああああああああ!!」
思わず上がった叫び声。
「ほら、あんじゃねぇか! そしてもう一つの扉は、偉い美人な軍人の子のプライベートエリアに直結してる。その子も大分訳ありみたいだぜ? お前ぇには親として色々と訊かねぇとならねぇ事が出来たな」
醜悪な顔に浮かんだ満面の笑みに、思わず身体が震える。
「ちょっ!誤解だ!」
「誤解だって言うなら、あいつ等の前に行ってそれを晴らして来い! ウッドデッキにみんな集まってんぜ?」
3
恐る恐るウッドデッキへと向かう。何やらバーべーキューの準備が進んでいるようで、盛り上がっているようだ。
中々外に出る勇気が出せず、様子を伺っていると美玲がツカツカと歩いて来て、勢いよくドアをあけ放った。
「何をやっている? みんな貴様の帰りを待っていたのだぞ? 貴様が今日の主役だ」
「あぁ、あぁ…… ありがと。あ、いや、部屋の内装が大分変っててちょっと混乱して」
その言葉にすかさずサラが声を上げる。
「仕方ないでしょう? 他に行くところ無いんだから。私をこの世界に連れて来たのは貴方なんだから、当面の住む場所くらい保証してもらっても良いと思うんだけど?」
「そ、そうか。いや、ちょっと待て! 美玲の扉があるのはなんでだよ!?」
「わ、私はサラの監視役だ。フロンティアの勅令である」
深い溜息。
――成程そう言う事か――
「本当にそれだけ? 私の監視役だったら響生や、アイでも良いと思うんだけど? それに今日は軍服じゃないのね」
挑発的な笑みを美玲へと投げかけたサラ。美玲が深紅の瞳に威圧感を宿し細める。
「貴様は何が言いたい?」
早くも何かが起きてしまいそうな、この空気。思わず後ずさりし部屋の中に戻ろうと試みる。が、それは服の裾を誰かに引っ張られた事によって、阻止されてしまった。
見ればメルが、大きな瞳を見開き自分を見上げている。その不思議な眼差しのせいか、全く動くどころか、目を逸らす事すら出来ない。
「えっと……」
自分から声が漏れた瞬間、彼女が屈託のない笑みを浮かべた。そして、
「パパ――!」
彼女が上げた大声に、その場にいた全員が凍り付く。
――!?――
「いっ!?」
思わず上がった悲鳴。
「こ、こらっ!」
いち早く反応した美玲がメルを抱き上げた。
「ママー」
「ふーん」
サラの顔に勝ち誇ったかの様な笑みが浮かぶ。
「これは違う! 断じて違うぞ!」
耳までをも真っ赤に染めた美玲が悲鳴のような叫び声を上げた。
「パパ、パパ、パパ」
空間を指さしそう連呼するメル。その度にメルの指先でウィンドウが開いていく。そこに映り込んだ画像に絶句してしまう。
叫び声を上げながら、それらの全てを片手でかき消すように慌てふためく美玲の腕の上で、メルが此方を指さした。
「パパ―!」
もはや何が何だか分からない。救いを求めて泳がせた視線の先に飛び込んだ穂乃果。それに縋るかの如く、そそくさと彼女に近づく。
「お帰り」
目の前の惨状に一切の突っ込みを入れる事無く柔らかな笑みを浮かべ、そう言った穂乃果に何もかもが救われたような感覚に包まれる。それによって、取り戻した平静。
家に帰って真っ先に抱き着いて来るとしたら穂乃果だろうと予測していた。それを彼女がしなかった事に成長を感じると共に、僅かな寂しさを感じる。
「ただいま…… えっと、アイは?」
「お姉ちゃんは仕事が忙しいみたいで、少し遅れるって」
「そうか……」
自分の声に交じってしまった僅かな落胆。
「ふーん。なんかこの辺の事情が少しわかって来た気がするわ」
いつの間にか自分の背後に立っていたサラの声に、背筋を再び冷たい物が駆け上がる。
「気にしないで良いわよ。情報収集は生き抜くための鉄則と言うか、私の癖のようなものだし。彼女ならもう直ぐ来るんじゃない? 『絶対間に合わせる』って言ってたし。私の勘が正しければ、この瞬間にでも――」
サラの言葉を具現化するかのように、視界一杯に広がる光。
――響生!――
頭の中に響いた声と共に、自分に纏わりつくように光の粒子が密度を増していく。通常の転移とは明らかに違うと感じた。
何が起きようとしているのか分からないうちに、粒子が質量を帯び始め、身体に掛かる荷重が急激に増えていく。それにたまらず上げた悲鳴。
通常ではありえない至近距離にアイが転移しようとしている事実に気づいた時には既に遅く、膨れ上がった圧力に耐えかねて転倒してしまう。
光の粒子を纏いながら、流れ落ちるシルバーブルーの長い髪。自分に覆い被さるかの様な体勢で出現したアイに、思わず抗議しようとした瞬間、何かが自分の顔に零れ落ち濡らした。
それに驚きと共にアイの顔を見つめる。ゆっくりと開かれた大粒の涙が溜まった青い瞳。たまらずこみ上げる感情。それに突き動かされる様にして、そっと細い身体を受け止めた。
様々な感情を宿したアイの瞳が、無理に笑顔を作ろうとして細められる。
「お帰り……」
嗚咽の混じる震えた声で絞り出された言葉。
「ただいま……」
それに精一杯の感情をこめて返す。広がる表現の術を持たない感情。
が、その瞬間、明後日の方向から放たれた殺気を感じて無意識に身体を震わせた。
「ほう……」
余りに低い美玲の声。
「あ、いやこれはその、感動の再会と言うやつで……」
「そんな事は、分かっている! だが、貴様にとってはこの場にいる全員がそうではないのか!?」
「あ、いや……」
余りに的を射た美玲の言葉に、それ以上言葉が続かず、口が意味も無くパクパクと動く。
「響生、これはどう言う事か! それに度重なる思わせぶりな言動の数々。そして何より貴様は私に『私と私のプライドを一生守る』と誓ってくれた。貴様の返答次第では私のプライドは著しく傷つくのだが……」
「ちょっ! 何その約束! 私、聞いてないよ!」
「お兄ちゃん!? それホント!?」
「違っ! あれはその、意識融合状態で、それを言ったのは俺であって俺でないと言うか……」
美玲の拳がワナワナと震えだす。
「うわー! 勘弁!」
思わず頭を抱え防御姿勢を取った自分の顔を、アイが見下ろす。
「ひーびーきー。これはどう言う事かな? 私にも説明してくれる?」
満面の笑みを浮かべたアイからいやに柔らかい声が発せられた。それに思わず鳥肌がたつ。
何が何だか全く分からないが、間違いなく嘗てない程の危険が自分に迫っているのは確かだと直感する。
――よし、逃げよう――
「あ、俺リハビリしなきゃいけないの思いだした」
言うや否やアイの下から抜け出し、視界にウィンドウを開く。その瞬間、
「物理エリアに出るんでしょう? なら私も行くわ」
サラが静かに発した予期せぬ言葉に自分どころか、アイと美玲までもが固まる。
「何よ。私だって身体を動かす必要があるのは一緒でしょう? それに運動するなら二人の方が良いじゃない。ストレッチとか特にね。リハビリ、必要なんでしょう?」
言いながら、自分へと張り付いた様な笑みを向けたサラ。
「あ、いや…… まぁ……」
その、曖昧な返事が更に混乱を呼んでしまう。
「貴様!」
「響生!?」
「お兄ちゃん!?」
サラが勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「ほらね。と、言う事で。肉体を持つ者どうし仲良くしましょう?」
「ちょっ!?」
叫び声を上げたアイとは対照的に、抱いていたメルを無言で下に降ろした美玲。次の瞬間、その右足がしなやかに動く。舞い上がる漆黒のドレスの裾。
その奥に見えた『見ては行けない何か』。悲しいかな、それに本能的に目を奪われ、回避可能時間の全てを奪われてしまう。結果、見事なまでの回し蹴りが急所を捉え、毎度の如く酩酊していく意識。その中で美玲が「フン!」と鼻を鳴らす。
――何故、こうなった……?――
決して答えに辿り着くことの無い疑問が、深層意識の闇に消えた。
4 響生 8時間後。
騒がしくも楽しかった時間は直ぐに過ぎ去り、それぞれが自分の部屋に戻って就寝して数時間は経つだろう。
けど、自分は寝付けなかった。疲れてはいる。そしてこの空間こそが自分にとっては一番安らげるはずなのに。
一人ウッドデッキに出て、発光植物が織りなす幻想郷の様な景色を眺める。深夜の冷たい風が心地よくもあり、寂しくも感じる。
「何だかんだ言って楽しかったね」
背後から不意に聞こえたアイの声。
「まぁ、ごたごただったけどな」
振り返る事無くそう答えた瞬間、アイに耳を強く引っ張られ情けない悲鳴を上げる。
「もう!」
頬を膨らませたアイ。けど、その瞳は直ぐに憂いを帯びて、ウッドデッキの先に臨む湖面へと向けられた。その瞳を追うようにして自分も湖面へと視線を戻す。
「伊織さん、そろそろ直轄エリアにつく頃だね」
「そうだな……」
伊織はフロンティアを去った。
月詠の『減速空間』をわざわざ訪れ、旅立ちの挨拶をしに来てくれた伊織。
自分の意識は目覚める事の無いまま月詠へと送られたとは言え、本来だったら自分が彼女の元に訪れ、話さなければならなかった事が沢山あったはずなのに。
――私は、この世界では生きていけへん――
そう言った彼女の表情が今でも忘れられない。
彼女に与えられた義体は、自分が使用するバトルユニットをベースに、可能な限り生体部の寿命を延ばすように改善が図られたものだと言う。それでも、生体部の寿命は半年が限界なのだそうだ。それは丁度、戦闘を行わなかった場合の義体の行動可能時間と一致する。
彼女はそれを知った上でフロンティアを離れる決意をしたのだ。自分には、それを止める術も資格もなかった。
「なぁ、俺の意識がヒロのデバイスを経由して、月詠に送られたって話、聞いてるか?」
震える唇から漏れる掠れた声。
「うん……」
「幼いころと一緒だ。俺は最後の最後で、いつもあいつに助けられてた。そして今回も…… なのに俺は……」
納まり切らなかった感情が身体を震わせ始める。食い縛られる奥歯。
その瞬間、感じた温もり。いつの間にか自分の背へと回された細い腕に抱き寄せられる。全身に伝わるその温かさに、支えられるようにして纏まらない思考を言葉として必死に紡ぎ出す。
「――俺はきっと許されたんじゃない。行動するために生かされたんだ。あいつは俺に、一生かけて悔いろと言った。
だから地上に降りる任務が欲しい。俺はこの目でこの世界をもっと見たい。見なきゃ行けないんだ。アイは俺の見た物、聞いたものの全てを共有してほしい。それを自治区にフィードバックしてほしいんだ。俺は…… アイの目になる」
5 フロンティア直轄エリア、捕虜収容施設
「面会だ、出ろ」
目に映る全ての構造物が、金属によって作られた冷たい部屋に、響き渡った無機質な声。
その声の発生源は、フロアーの天井を宙吊り状態で移動する見た目にも悍ましい機械だ。到底返事をする気にもなれない。
無視を決め込んだ途端、その機械が従えた幾つもの触手の先端が悍ましい放電音を立てはじめる。
警告状態。これで更に無視を続ければ激しい苦痛を伴う処置が自分に課せられる。
「……タクっ」
悪態をつき身体を起こす。
こんな所で一生過ごすのだとしたら、死んだ方が遥かにマシだ。
――何故、俺は生きているのか――
幾度となく繰り返した疑問。それに対し、いくつかの可能性に行き当たるが、どれも確証を得られない。
荒木が脳に埋め込んだ機械はその機能を停止したようだ。頭痛から解放された代わりに、何度呼び出そうとしても、視界にウィンドウすら開かない。
「わぁったよ! 出りゃいいんだろ!? クソッ」
全く飾り気のない扉へと近づく。それが開いた先に続くのは、やはり床も壁も構造物の全てが金属で作られた長い廊下だ。
そして構造物の至る所に埋め込まれたセンサーとも武器とも見分けの付かない機械が、移動する自分を追うように向きを変える様は、生き物の目玉の様でもあり気味が悪い。
その光景は自分から『逃走の可能性を検討する気力』を奪うのには十分すぎた。そしてたどり付いた一際大型の扉。取調室の扉ではない。初めて見る扉だった。
それが重々しい機械音と共に開いていく。そこから漏れだした光の眩しさに、思わず顔を片手で覆う。
光の中に佇む人影。だが逆光になり、その姿が全く見えない。
「久しぶりやね……」
聞きなれた懐かしい声がした。目が慣れるにつれて徐々に浮かび上がる華奢な容姿。
その姿に目を見開く。
――こんな……――
心の奥底から湧き上がる激しい感情が全身を震わせた。
「こんな事……こんな事をしてまで俺の心を嬲るのか!? お前たちは!?」
自分から上がった叫び声。それだけでは到底納まりの付かない激しい怒りと、悔しさにも似た感情に目頭が熱くなる。
伊織の容姿を模した『何か』が、ことさら悲し気に瞳を細める。それが余計に自分の心を抉り、行き場の無い感情を増幅させた。
「貴方に見てほしい物が有るんや……」
彼女の片手が持ち上がる。そして空中で何かを描くように動く指先。それが、彼女にしか見えないウィンドウを操作するものだと気づく。
本来『人』が持たない能力を、目の前で彼女が行使している事実から目を背けるべく、視線を逸らす。
壁を僅かな振動が伝った。スライドを開始した壁面から流れ出る白い煙。冷気を伴ったそれがフロアの床を伝うように広がる。
壁からせり出して来た箱状の何か。それは余程の低温らしく周囲の空気を白く染め上げ続ける。
それに、ゆっくりと伊織を模した『何か』が近づいて行く。そして、箱の中を見つめ悲し気に瞳を細めた。
彼女が眺めている物が何なのか。それを本能的に悟る。激しい拒否感が全身を襲った。けど、その箱の中に伊織が眠っているのであれば、自分は見なければならい。
恐る恐る『それ』に近づく。そしてついに視界に入る永久の眠りに就いた伊織の姿。
「本当に…… 眠ってるみたいやね。起こしたら直ぐにでも動き出しそう…… けど、もうこの身体には戻れへん……」
こみ上げる感情。到底抑える術の無いそれが、身体を激しく震わせ、止めどなく溢れ出た涙が、透明な箱の表面を濡らした。
氷点下の箱に縋りつくようにして、どれぐらいの時間肩を揺らし続けただろうか。静寂が支配する空間に、情けなくすすり泣く自分の声だけが響き続ける。
やがて、自分の背へと躊躇うように置かれた手。箱の冷たさとは対照的に、そこから伝わる『人の体温と酷似する温もり』が残酷なまでに心を抉る。
「ヒロ…… 頼みがあるんや……」
静かな言葉と共に、自分の目の前に差し出された小さな端末。
「これは……?」
「私を永久に停止させるための端末や……
私には、この中で眠る私と。今こうして話してる私、それが一緒なのか分からへん。
だからヒロ、貴方に決めてほしいんや、貴方が出した答えなら、私は何であれ受け入れられる……」
小さな端末が、彼女によって手の上に乗せられる。
「俺は……」
6
「勘違いするんじゃねぇぞ。俺はお前を伊織と認めたわけじゃねぇ」
「分かってる……」
「端末をお前に返した瞬間釈放だ。死霊どもの汚ねぇやり口が手に取るようにわかる。俺を泳がせて、お前は俺の監視役ってことだ。お前の意思に関係なくな。お前の見たもの聞いたものの全てが死霊どもに筒抜けだ。馬鹿にしやがって」
目の前で開く巨大な扉。その瞬間、射すように浴びた陽光の眩しさに目を細める。だが、そこに出たとしても自由とは程遠い。
「そうやないと思う」
「あ?」
「ヒロが釈放される様に動いてくれたのは響生や。響生は言ってた『俺はヒロに助けられた』って」
「何で俺があいつを!? 意味が解らねぇ」
「でも、それが事実や。響生の意識は貴方の脳に埋め込まれた装置を経由して、月に送られた。だから最後の最後で響生の意識を救ったのは貴方なんや」
その言葉に歩みを止める。フィードバックする記憶。冷たい闇の中で聞こえた声。
「なぁ、一つだけ聞いてくれるか?」
「うん……」
「夢を見たんだ。暗くて冷たい闇の中を延々と歩く夢を。けど、その中で、あいつが俺を呼ぶ声が聞こえたんだ。
あの時と同じような泣きそうな声でよ…… 助けてほしいのはこっちだって言うのに。気づいたら、声が聞こえる方に向かって走ってたよ。そしたらあいつ、また穴の中に落ちててよ…… 笑っちゃうだろ?」
「うん、そやね……」
まるで何かを懐かしむかのように彼女が目を細める。
「思わずあいつの手を掴んだよ。そしたら夢はそこで終わっちまった。で、目覚めたら、またこのクソみてぇな現実だ……」
「貴方もまた響生に助けられたのかも知れへん……」
自分の表情の変化を探りなら、ゆっくと口を開いた彼女。
「――暁さんが言ってたんよ。貴方に死のフィードバックがされなかったのは、いくつかの要因があるって。
その一つは貴方が脳に埋め込まれてたのがニューロデバイスじゃなくて、本来そんな使い方をしないようなデバイスだったからみたいやけど…… けど、それでも精神と自我が壊れてしまってもおかしくはない状況やったって。奇跡としか思えないって……」
彼女の言葉に感じた僅かな戸惑い。それを悟られまいとして視線をそらす。
「そんな話を聞かせて、俺にどうしろって言うんだ?」
「そう…… やね……」
重々しい沈黙。暫くして再び彼女が口を開いた。
「ねぇ、これからどうするん?」
彼女の問いに途方に暮れる。全く考えていなかった。
――けど……
見上げた遥か彼方の空。急速に嘗ての姿を取り戻しつつあると言う高層建築群の影が見える。
その上空に待機する巨大な純白の戦艦。朝の強い日差しを浴びて眩いばかりの光を放つそれを、目を細め見つめる。
「分からねぇ。とりあえず。お前の言う管理自治区とやらに行ってみるさ。あいつが何をしようとしているのかをこの目で見る。全ては、それからだ」
そう言いきってしまえば後は簡単だった。自然と足がその方向に向かって歩き出す。その隣に当たり前のように並んだ彼女。嘗て地上を彷徨っていた時と全く同じ光景に、複雑な感情がこみ上げる。
近い将来、自分は彼女に対する答えを出さなければならない。それは死霊達に対する答えそのものだ。
――なぁ、響生、お前は俺に何を見せてくれる?――
機能を停止したデバイスに乗せた思いが静かに空間を伝って行く。
考えて見れば、自分が『死霊達が創る施設』に足を向けるなど、今までには考えられなかったことだ。それでも今はそこに向かって歩くしかない。延々と続く先の見えない闇の中に、僅かに見え始めた光。それが自分の価値観の全てを変えてしまう程のものだと信じて。
End
色々ありましたが、無事一部完結です。(///ω///)♪
いかがでしたでしょうか?(///ω///)♪
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では、2部も引き続き宜しくお願いします(///ω///)♪




