エピローグ -Location of the Spirit- 魂の在処(前編)
1 3ヶ月後 アイ 独立潜航艦ディズィール 理論エリア 艦長室。
何重にも折り重なる大量のウィンドウ。長い時間見ていたそれから、僅かな溜息と共に視線を逸らす。
プライベート領域の空間データの一部をそのまま移植した艦長室。それは戦艦のイメージとはあまりにかけ離れた空間だ。
空間をつかさどる全ての構造物が、荒削りの丸太によって組まれた6畳ほどの室内。それは狭いながらも、木材が持つ温かさと柔らかさに包まれた空間だった。
開け放たれたままの窓からは、小鳥たちの囀りと共に柔らかな風が流れ込む。
壁際に設けられた質素な机と椅子は、『艦長』という言葉が持つイメージとは程遠い。ここに腰を掛け、大量のウィンドウと格闘する自分は艦長と言うより、テスト期間中の士官候補生を連想させるだろう。
ザイールからこの領域を引き継いだ時の室内。それは正しく自分がイメージする艦長室そのものだった。威厳と貫禄が支配する空間。
その室内に一人取り残された時の感覚が未だに残る。重厚過ぎるデザインの椅子を見つめ、しばらく座る事すらできなかったのだ。ここでは到底仕事など出来ない気がした。空間と自身の器のギャップを痛いほどに感じてしまう。
空間を自由にデザインする権利を得たとはいえ、本来ならザイールから引き継いだ空間をベースにするべきだったのだろう。
けど、何をどう弄って行けば良いのかすら解らず、結局プライベート領域の自室をそのまま移植したのだ。そして、そこから不必要なオブジェクトを可能な限り全て消し去り今にいたる。
模様替えの後、ザイールが初めてこの空間を訪れた時の、引き攣った顔が今でも忘れられない。
無意識に見つめた窓の外では柔らかい陽光の元、2匹の小鳥が仲睦まじげに寄り添い此方を見つめていた。その光景に感じた胸を締め付けるような痛み。
――響生……――
届くはずの無い思考伝達がシステムに拾われ、エラーメッセージが返された。そのウィンドウを静かに閉じる。
――分かってるよ。もっと頑張らなきゃね――
大量のウィンドウに視線を戻す。ようやく三分の二程を処理したところだ。
――あと、もうちょっと――
「よしっ! やるよ!」
あえて声に出し、背筋を伸ばす。その途端、視界上に開いた入室許可を求めるウィドウ。それに思わずビクリと肩を震わす。
承認処理を行った直後、空間の一部が不自然にスライドすると同時に別空間に接続された。その先の光景と自室のギャップに、否応なく此処が特別閉鎖領域の一部で有る事を再認識させられてしまう。
入口に立った人物の見事な敬礼姿勢に、慌てて立ち上がり自身も敬礼姿勢を取る。そして沈黙と共に訪れる異様な間。
その原因が自分に有る事に気づき、そそくさと手を下げる。自分が敬礼姿勢を先に解かなければ、相手が『それ』を解くことは決してないのだ。ましてその相手がザイールであるなら尚更。
「いい加減慣れてください。今やこの艦のトップは名実共に貴方なのです。艦長の振る舞いはそのまま士気に影響すると言う事を忘れないでください」
「はい、心がけます」
自分の言葉に大きく頷いたザイール。そして直ぐに切り出される本題。
「本日は定期連絡船による物資の搬入がありますので、それに関わる承認書です。こちらも連絡船到着までに処理をお願いします」
その言葉と同時に、自身のデスクの上で重なるウィンドウが凄まじい勢いで増えていく。その光景に思わず上げた悲鳴。その声にザイールが片眉を上げた。
「いつも言っていますが、既に全ての艦長としての権限が正式にアイ様に戻っているのです。ですので全ての最終承認がアイ様に集まるのは至極当然ですし、行って貰わなければそのウィンドウに纏わる全ての事項が、行われず滞ってしまいます。
それに一つ一つの案件は些細なことですが、それらに目を通す事で、ディズィール内で起きている事が、多少なりとも見えてきたりするものです」
泣き出したい気持ちを抑え、ザイールの瞳を真っすぐと見つめ返す。
「わかっています」
「ならば私からはこれ以上言う事はありません」
入室時と同様に見事な敬礼姿勢を取り、艦長室を後にするザイール。それと入れ替わるように、再び視界に入室許可を求めるウィンドウが開く。
――入るわよ? アイ――
今度は大量のウィンドウを自身の周りに従えたサラが入室してきた。そして指先を僅かに滑らせると、彼女の周りで回転していたウィンドウの全てが、勢いよく承認待ちウィンドウに合流して行く。
その光景に目眩と共に脱力感に襲われ、そのままヘナヘナと机に突っ伏していまう。
「仕方ないでしょう? 『管理自治区』のフロンティアへの窓口は、現状貴方と言う事になってるんだから。
まだ、物資が足りないのよ。自治区に人が集まり始めてる。だからライフラインをもっと広げたいし…… それ以外にも、要望が沢山届いてる。優先順位が高い物だけでもこんなに。ねぇ聞いてる?」
「うん……」
自分から出た弱々しい声に、溜息を付いたサラ。
「その書類達、副長さんが先に目を通して承認済みなんでしょう? 見ないで全部承認しちゃえば良いじゃない?」
「そんな訳には行かないよ。ザイールの言ってた事は正しいと思う」
「なら、私の方を先に全部承認しちゃえば? どっちにしても、全部承認してもらわないと困るし」
「もちろん承認は全部するつもり。でも、ちゃんと目を通さなきゃ。そうすることで、『管理自治区』の現状が見えてくることもあるし。本当はもっと、直に見る機会を増やさないと行けないんだけど」
「増やさなくていいわよ。貴方が下りてくると、あのタコみたいな機械も沢山降りてくるでしょう? みんなあれには良いイメージもってないから」
「そう……だよね…… どうしたら良いんだろう?」
自分の言葉に答えが見つからず途方に暮れる。
「相変わらず真面目と言うか、全部自分で溜め込むと言うか。まぁ、私もそんな貴方だからこそ信用する気になったんだけど。
感謝はしてるわよ。貴方は約束を守ってくれてる。それにこんなに早く、フロンティアが行動を起こすなんて思わなかったわ。そして着実に成果が出始めてる、正直、貴方には色々驚かされる。貴方、何者?」
瞳を興味で大きく見開き自分を見つめたサラ。
「私はアイ。それ以外の何者でもないよ」
「なにそれ」
自分の答えに不満気な表情をしたサラ。そして此方の表情を探る様に見つめていたが、やがて諦めた様に話題を変えた。
「ねぇ、連絡船の物資の中に使えそうなものとか無いの?」
「使えそうなものって?」
「貴方が下りてくるのに使えそうなものよ。ちょっと見せて」
言いながらサラがウィンドウの束を摘み上げた。
「ちょっ! 機密書類!」
「固いこと言わないの」
さらにそれを放り投げるかの如く、ウィンドウを空中にばらまく。空間中に散らばったウィンドウを暫く眺めていたサラが、一つのウィンドウを指さして口を開いた。
「あ、これ……」
「何か有ったとしても、勝手に使えないから」
「そうじゃなくて」
サラの指さすウィンドウに目を向ける。その途端、自身を襲った息の詰まるような感覚。思わず目を見開く。徐々に早さを増し始める鼓動。ウィンドウの内容に間違いが無いかを何度も確認する。
心の奥深くから湧きだす感情とは裏腹に、それを表現しようとする身体に力が入り過ぎて思うように動かない。
それどころか急激な血流量の増加のためか、頭の中がフワフワしたような感覚に包まれてしまう。働かない思考。半ば放心状態で次に自分が取るべき行動を決定する。
「みんなに知らせなきゃ……」
2 ザイール 理論エリア一般商業領域
「珍しく貴方が私を誘ったと思ったら、そう言う事ですか」
一般商業領域の一施設。現実世界の最全盛期が再現されたかのような時代錯誤のオブジェクトが埋め尽くす薄暗い店内。このような雰囲気の店を好むのは暁が現実世界で過ごしていた時間の長さ故だろう。
本音で語るのに酒を利用しようとするのは流入者やアクセス者に多く見られる傾向だ。逆に純粋にフロンティアで育ったものは直接意識を通わせる事を好む。
「俺がオメェを誘うのに他の理由なんかねぇよ」
悪びれる様子も無くそう言ってのけ、手にしたグラスの中身を乱暴に飲み干した暁。そして、悪態に対するザイールの答えを待たずして口を開く。
「何もかもが上手く行きすぎてると思ってな。気味悪りぃぐれぇだ」
バーカウンターに隣り合って座る者同士としては余りに険悪な会話。だが、ザイールの顔に浮ぶのはそれすらも楽しむかのような表情だ。そのためか、逆に二人の距離感が絶妙な雰囲気を醸し出す。
「例えば何がです?」
暁とは対照的に、トールグラスに注がれた妖艶な光を宿す液体を静かに口へと運ぶザイール。
「一つはサラの処遇だ。新参者の一アクセス者がフロンティアの一自治区立ち上げの重要なポジションに立った」
「それが艦長の御意向ですので」
ザイールのそっけなく短い答えに、暁は身を乗り出すようにして食いついた。
「そう、それもだ。一艦長、それも新米艦長の言う事が、こうもフロンティアにすんなり通っちまった。
アイが考案した『管理自治区構想』が異例の速さで元老院の承認を得た事も不自然だ。しかもそれに今までのフロンティアじゃ考えられない程の巨額の費用が注ぎ込まれてる」
「それだけ、元老院はアイが持ち帰った『創始者、葛城 智也が残した研究』を重要視してと言う事でしょう。現実世界への帰還は我らが悲願なのです。それには現実世界との関係の改善が必要不可欠だと証言したのは暁、貴方でしたよね?」
ザイールの問いにグラスへと視線を戻した暁。そして空のグラスをバーテンへと差し出すことで2杯目を注文する。
「あぁ、そうだ。それは俺の真意であり嘘偽りのない物だ。葛城先生はやはり天才だった。『フロンティアの者』と『現実世界の者』との間に出来た子を、現実世界側に産み落とすと言う発想に俺は身体が震えた」
熱の籠った声を上げた暁の言葉にザイールが表情を変えずに口を開く。
「私はそうは思えません。『現実世界への帰還の術』と聞いた時、私はてっきり自身が肉体を得て、帰還できる手段が『禁止されているクローン技術の応用』以外にあるのかと思いました。ですが、『その手法』では結局私達自身は仮想世界から出られない。
それに、現実世界に子が成せる条件が、『女性側が現実世界の者である場合』これでは世代を重ねようとも到底、現実世界への帰還など果たせるとは思いません。そして何より、我等を『死霊』と呼ぶ現実世界の者達が、我等の子をその身に宿したい等と思うでしょうか?」
言葉の最後でザイールの視線が暁へと向けられた。
「だから、現実世界との関係改善が絶対条件だと言ってんだ。
それにな、この一見不公平かつ当たり前の条件が、葛城先生が目指した世界が何だったのかを暗示してんだ。
女性側が肉体を持ってない場合は、今まで通り子はフロンティアに生まれる。つまり世代を重ねてもフロンティアから人が消えることはねぇ。だが、逆の場合は現実世界に子が生まれるんだ。
葛城先生が目指した世界、それはお互いの世界が存続しつつも、その垣根が無い世界だ。お互いが『人』として接し、自然な営みが行える世界。そしてフロンティアは『今の医療技術で生存困難な者』にとっての希望であり続ける」
「熱弁ですね。ならば、何が不満だと言うのです? 『管理自治区』構想はフロンティアと現実世界の関係改善の大きな一歩となるはずです」
「だから、全てが上手く行きすぎていると言ってんだ。人間の心はそんな単純じゃねぇ、今のおめぇが納得しねぇようにな。
何より不気味なのは、フロンティアが突然『旧市街地』人口密集エリアで始めた、自治区建設に現実世界側が妨害工作を行ってこねぇ。それどころか驚くほど協力的だ」
「やっている事がライフラインの復旧等、殆どが彼等のためとなる事業だからでしょう。それにこのプロジェクトの面々の殆どは現地民から選出されたと聞いています。だからではないですか?」
「それにしてもだ。ゲリラ連中が起こすテロの一つや二つあっても不思議じゃねぇだろ」
「ディズィールが自治区上空に待機している現状、そのような行動を取るゲリラもいないのではないですか?」
ザイールの答えに暁が大げさに首を横に振った。
「自爆するような連中が、フロンティアの戦艦に怯えると本気で思うか? 奴等にとっちゃ、自治区上空で身動きの取れねぇディズィールは格好の的のはずだ」
ザイールが持てあますかの様に転がしていたグラスをテーブルに置いた。そして身体ごと暁へと向き直る。
「暁、貴方は何を疑っているのです? 回りくどい話を永遠と続けるのであれば、私はこれで帰ります」
「なら、単刀直入に訊くぜ? ディズィールに積んでる『葛城 先生』が設計したとされる装置、フロンティアが『希望』と呼ぶあの装置は何だ? 何故、フロンティア元老院はアイを『女王の器』と呼ぶ?」
ザイールの表情から笑みが消えた。驚くほど冷たい輝きを宿した瞳が、威圧感を伴い細められる。
「残念ですが、私はそれを知る立場にありません」
「嘘だな」
そう言い切り、暁はザイールの瞳を至近距離から見つめ返した。
「――これは俺の推測だ。『葛城 愛』の功績あまりに有名だ。
『グラウンドゼロの直後、世界と人口の半分を失い、混乱しきった当時の25万を超えるフロンティア国民全ての意識と融合を果たし、自身の中に希望を示す事によって、フロンティアをまとめ上げ、急速な復興へと導いた』
俺はこれが信じられねぇ、万人に受け入れられる心なんて存在していいはずがねぇ。人にはそれぞれ個性ってもんがあるんだ。だから、そんな事が出来る奴はもはや人間じゃねぇ。
だが、これが受け入れたんじゃなくて、他人に自分の意識の一部を植え付ける事によって同調させたのだとしたら。これなら、とんでもねぇ話だが有り得なくもねぇ。そしてそれが『葛城 愛』の能力だったとしたら」
暁がザイールの表情の変化を探るように言葉を区切る。
「――この船に積まれた装置は、アイの意思をニューロデバイスを導入していない者に伝達するための装置じゃねぇのか? フロンティアはその作動の『キー』として『葛城 愛』と同コードを持つアイを据えた。違うか? フロンティアはアイの構想に協力してるんじゃなくて、『キー』としてのアイの能力を計っている」
「なかなか面白い推論ですね。それが当たっていたとして貴方はどうするのです?」
挑発するような言動とは裏腹に、ザイールの表情は笑みを宿していない。
「ふざけるな! あの装置の最大出力はどれくらいだ!?」
ついに抑えきれなくなった感情をぶちまけるように声を荒らげる暁。だがザイールの瞳は更に冷たさを帯びる。
「暁、我らが生き残るために選べる道は余りに少ないのです。現実世界を滅ぼすか。あるいはその全てを取り込むかです。前者は創始者『葛城 智也』がこの世界に不変の法則として残したロジックによって封じられています。だとするならば我らが取れる手段は後一つ」
暁はその言葉に愕然と目を見開き、首を大きく横に振った。
「バカな…… それが何を意味するのか分かっているのか!?」
狼狽する暁と対照的に柔らかい笑みを浮かべたザイール。
「ですが、他の道もこうして示されたじゃないですか? 彼女は『フロンティアと現実世界、双方の希望』となる道を選択しました。それが出来るかどうか。
全ては彼女次第。全ては彼女が何処まで出来るかに掛かっているのですよ」
「なっ!?」
「我等を責めますか? けど、私は思うのです。貴方もまた『葛城 智也』に『フロンティアの鍵』を与えられている。だからこそ貴方は、自身の愛する家族がフロンティアの時間加速の中で寿命を全うすることが分かっていても、肉体を捨てられなかった。貴方は生き続けなければならなかった。『答えを出す者』として。違いますか?」
暁の表情が目に見えて険しいものになる。
「まさか、フロンティアがそれに気づいていないとでも思っていたのですか?」
「『鍵』は誰にも奪えねぇぞ」
低く掠れた声がフロアーに響き渡る。
「分かっています。『鍵』の発動条件は恐らく貴方の命その物でしょう。それを知った上で私は断言しますよ。貴方は『鍵』を使えない」
「なんでそんな事が言えんだ?」
その問いに、口元に浮かんだ柔らかい笑みを更に強めたザイール。そして僅かに顔を暁へと近づけた。
「それは、私が貴方と言う人間を、貴方自身より良く知っているからです」
途端に面食らった様に暁が強張った表情を浮かべ動きを止めた。そして行き場を失った感情を、持て余すように髪の無い頭を掻きむしる。
「その頭を掻きむしる癖、貴方の負けです、暁」
「幸い、貴方も私も『彼女』と近い距離の人間です。だから、『彼女』を支えてあげることはできます。大人として、友人として、彼女が目指す未来に、私達自身の思いを重ねて、導く事は出来るはずです」
「おめぇ……」
「勘違いしないでください。私は私の理想の為に動いているのです。全ては、『我等がフロンティアの悲願』のために」