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Chapter 67 『désir -希望- (前編)』 響生


1



 まるで、此方の表情の全てを読み取るが如く、巨大な人工の目の奥でレンズを拡張させた荒木。


――流石に気になるようだね? うん、間違いない。気になるって顔をしているよ――


 荒木の言葉を聞いてはならないと感じる。


 全ての思考が荒木に筒抜けだと知って尚、勝手にめぐり始めてしまう思考。『それが面白くて堪らない』とでも言うように荒木の口元に下劣な笑みが宿る。


 だが、その思考すらも施設を再び襲った大きな振動によって強制停止させられた。


 混乱しきった施設要員達が、再び一斉に悲鳴を上げ、その場に蹲る。


――どうやら浮上したね――


 荒木の言葉と同時に、ドーム状の巨大な天井がまるで花弁を開くが如く、展開していく。響き渡る錆びた金属同士が擦れ合うけたたましい音。生理的に受け付けない音が、空間を振動させるが如き音量で響き渡る。


 外から流れ込んだ冷気によって急激に変化する施設内の温度が、空間そのものの属性を変えてしまったような錯覚を呼び起こした。


 空を覆いつくす漆黒の闇に迸る稲光。打ち付ける激しい雨が、開き始めた天井から容赦なく施設内に降り注ぐ。


 垂直になるまで持ち上がった天井が、崩壊するかの如く一気に外側に向かって倒れだした。


 巨大な構造物が漆黒の海面に叩き付けられた事により発生した水柱が、崩壊すると同時に濁流となって施設内になだれ込む。


 人を押し流すほどの流れには遠く及ばない。それでも既にパニックなっていた人員たちが、さらに至る所で悲鳴を上げる。


 施設の照明は完全に落ち、闇の中にAmaterasuを駆け上がる信号ラインだけが浮かび上がった。その光を求めて、人員たちがAmaterasuに群がり始める。


――全く見ていて滑稽だね。もし、Amaterasuが海水に浸った場合、あの辺りが一番危険だと彼等は分からない。Amaterasuに一体どれぐらいの電力が流れ込んでいるか、想像するのは難しくないはずなんだけどね。うん、間違いない――


 稲光によって浮かび上がる荒木の笑みを宿した顔。それは自分が今まで見た物の何よりも悍ましい。


 抑え切れない感情によって握りしめた拳が震えだす。


――やはり、君の思考は面白い。彼等は君にとっては敵では無かったかな? 君は一体どっちの味方なんだろうね? それほどに自分が許せないかい? けど、君は『あの日』の決断を悔いていない。矛盾するね。うん、矛盾する。なら君は一体何を後悔している?――


 頭に流れ込んでくる荒木の声によって掻き乱される思考。荒木に対する憎悪だけが膨れ上がっていく。


 上空に現れ始める無数のオレンジ色の光。赤熱したネメシスの装甲が放つ独特の光だ。遅れて、特有の飛行音までもが空間に響き渡り始める。本来なら待ち望んでいた状況に希望が見出せない。


――先行隊のお出ましだね。条件が整ったよ。うん、間違いない。


 まぁ、僕はどっちでも構わないのだけどね。君が彼らまで守りたいと言うなら、尚更君の取れる行動は限られているよ? そうだろう? この施設が沈んだら、何人死ぬかな?――


 そんな事は分かっている。上空のネメシスに事実を伝えなければならない。


――けど、どうやって!?――

――どうやって? 光学通信以外の何があるのかい? 無いよね。うん、無いはずだ。間違いない――


 読まれてしまう思考によって、先回りするかの如き荒木の声が頭に響き渡る。それが更に自分を追い詰めていく。


――ほらほら、時間がないよ? 彼等の一体でも此処に無減速着地をすれば大変な事になるよね?――


 荒木が勝ち誇るかの如く触手を、無意味にうねらせ始める。何も行動できずに時間ばかりが過ぎていく。




2



 上空で何かが激しく輝いた。同時に天空から施設に突き刺さった赤く細い光。目の前では、頭部から胴体までを光に貫かれた荒木の触手が、脱力したかの如く一斉に地面に落ちる。そして、余りにあっけなく後ろへと倒れた荒木の身体。


 あまりに一瞬の事で何が起きたのか分からない。


――響生!――


 頭に響き渡る美玲の声。それと同時に上空から装甲を赤熱させた一体のネメシスが猛烈な勢いで、降下してくる。着地の寸前で行われた急減速によって、発生した凄まじい風圧が施設を走り抜けた。


――先行するネメシスのランナーに機体を譲ってもらったんだ。間に合って……良かった――


 視界上に光の粒子を纏いながら合成される美玲の姿。出現時の演出によって舞い上がった長い銀髪が多量の光を反射しながら背中へと流れ落ちる。


 燃えるような光を湛えた深紅の瞳が自分を見つめ細められた。その表情は、自身が美玲に抱いていた印象の全てを一変させてしまうほどに、女性らしく美しい。


 予期しなかった仲間の到着によって、自身の中に言いようの無い安堵感が広がる。


――美玲……――


 それによって無意識に紡がれようとした言葉。だがそれは唐突に思考に割り込んだ声によって遮られてしまう。


――それが君の答えかい? 残念だよ。うん、非常に残念だ。それにしてもなんて事をしてくれたんだい? あれは君達の義体と違って、僕の手作りなんだよ。一体作るのにどれだけの手間がかかってるか分かってるのかい?――


 二度と聞きたくはなかったその声に、背筋を再び冷たい感覚が駆け上がる。


――何故!?――


 視界上で床に伏していたネメシスが不気味な駆動音を上げながら巨体を起こしていく。


――何故? そんな事も分からないのかい? 馬鹿だね。と言うより頭が固すぎだよ。何故あの状況で、『僕の意識の本体』が『華奢な方の肉体』にあると考えたのかい? 本当に言葉も出ないくらい呆れる。うん、間違いない――


 美玲の姿が光の粒子を残して消失した。同時に彼女の操る機体の触手の先端に蓄えられる赤い輝き。それが瞬間的に光を爆発させるかの如く膨れ上がる。


――やれやれ此処で暴れる気かい? 僕は構わないけどね。うん、僕は構わない。だけど、Amaterasuが壊れてしまうかもしれないね――


 その一言によって停止させられてしまった美玲の機体。生じてしまった僅かな隙を突き、対峙するネメシスの触手の先端から多量の糸状物体が放出される。それによって、あまりにあっけなく捕らえられてしまう美玲の機体。


 次の瞬間、断末魔の如き美玲の悲鳴が脳内に響き渡った。


――予定とは違うけど、まず一体目だね。これには何番の『子』を入れよう?――


 美玲の悲鳴に重なり、荒木の子供の如く無邪気な声が思考伝達に乗る。


 湧き上がる激しい怒りが偽りの身体を小刻みに震わせる。収まり切らなかった感情が食い縛られた剥き出しの奥歯から叫び声となってあふれ出した。


「荒木ぃぃぃぃ!!」


 それに呼応するかの如く、呼び起こされる『意識』。


 視界上の新たに開いたウィンドウを大量の記号の羅列が流れて行く。そして浮かび上がる『――Release Memory――(記憶開放)』のシステム名。




 3 美玲




 頭に雪崩れ込んでくる余りに悍ましい感覚。自身の自我の全てを食い尽くすかの如き苦痛に身を捩る。


 ネメシスとの理論神経接続がズタズタに引き裂かれていく。遠のいて行く意識。


 が、それは空間に響き渡った獰猛極まりない咆哮によって強制的に引き戻された。呪いを込めるかの如き凄まじい咆哮が、空間どころか自身の精神までもを震わせる。


――響生……――


 不鮮明な視界の中で、響生の姿が揺らぐ。次の瞬間、視界上に現れた複雑極まりない光の軌跡。響生のあまりの移動速度のために、赤熱した自立駆動骨の光が残像の如き軌跡を作り出している。


 青い光を従えた大剣が振られる度に、自身の意識がクリアになっていくのを感じる。


 彼を貫こうとする無数の触手を獣の如き動作で躱しながら、この機体に絡みついた繊毛を切り払っているのだ。その有り得ない動きに、唖然としてしまう。が、直後に思考伝達によって浴びせられた叫び声によって、我に返る。


――飛べ! 美玲!―― 


 完全には復帰しきれない意識の中、脳内に響き渡った声に応えるべく、全身全霊の意志力を持って機体を上昇させる。絡みつく残った繊毛を引き千切り上昇を始める機体。それに響生が飛び乗る。


 先まで自身がいた空間を、さらに多量の繊毛が走り抜ける。ぞっとする光景だ。


――このまま、雲海の上まで離脱。衛星への光学通信可能エリアまで抜けろ――

――な!? 貴様はAmaterasuを放棄する気か!?――

――Amaterasuは奴にとって保険の様な物だ。奴自身もそう簡単には放棄できない。恐らく奴は俺達を追ってくる――


 響生が言った瞬間、視界に現れる警告表示。咄嗟に機体を急旋回させる。直後、地上から上空へと抜けていく集積光。漆黒の闇を切り裂き、天空へと伸びる『それ』が自動追尾によって旋回する自身の機体を追いかけ倒れかかってくる。


 既の所で途切れる集積光。が、空かさず襲われる2射目。


――クッ! 振り落とされるでないぞ!――


 叫ぶや否や、先ほどとは逆の方向に機体を旋回させる。


――先の暴走の時よりは遥かにマシだ。まだ余裕がある――


 思考伝達に乗る響生の声は、驚くほどに冷静だった。それによって自分の心にも僅かに生じる余裕。


――その言葉、信じさせてもらう――


 視界上の『自身を中心としたマップ』に表示される敵影。荒木は響生の言う通り、この機体を追ってきている。


 背後からこうも集積光に狙われては、思うように速度が出せない。このままでは間違いなく追いつかれる。接近戦になれば、繊毛を攻撃に駆使する奴の方が遥かに有利だ。


 こちらからも集積光を放ちたいが、その射線上に常にAmaterasuが来るように飛行しているため手が出せない。何処までも卑怯で利用できるものは何でも利用する奴だ。


――美玲様、加勢いたします!――


 思考に唐突に割り込んだ声。


 それと同時に荒木の機体に向け、集積光を放ちながら猛烈に突進する友軍機の姿が視界に映し出される。強烈に嫌な予感がした。


――馬鹿者! それに近づくな!――


 友軍機を止めるべく思考伝達に乗せた叫び声。


 が、その直後、荒木の機体が明らかに標的を変えた。マップ上で重なり有ってしまう二つの光点。


――何だ!? この動きは!? こ、こんな事が!?――


 脳内にランナーの愕然とした声が響き渡る。そして次の瞬間、思考伝達に乗った壮絶極まりない悲鳴。


 やりきれない感情が身体を駆け上がった。本能的に湧き上がる衝動に耐えるべく歯を食い縛る。


 再びマップ上で分裂する二つの光点。が、その動きは明らかに以前と異なる。そして、友軍機であったはずの機体から放たれる集積光。間違いなくこの機体を狙ったものだ。荒木にあの機体は乗っ取られたと見て間違いない。


 敵が倍化してしまった。それによって放たれる集積光の数も倍化し、何よりその発射点が複雑になってしまう。


――このままでは――


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