Chapter 66 響生
思考レートは通常であるにも関わらず無限にも感じる時間。確実に好ましくない方向に進行しているであろう状況に対して成す術がない。
施設を襲う振動が止まった。と同時に全身に感じた独特の違和感。空間を支配する重力が瞬間的に増したかの様な感覚。
――馬鹿な!?――
此処は物理空間だ。理論空間ではないのだ。そんな事が起きる訳がない。そんな技術が地上に在って良いはずがないのだ。
――だとすればまさか…… 施設その物が移動を開始した!?――
けど、そんな事が有り得るのか。
――うん、当たりだよ。その通り。この施設は海面に向け上昇している――
自身の思考に割り込むが如く、頭に響き渡る声。
――驚いてるね? 良い反応だよ。うん、本当に良い反応だ。でも、大した事じゃないんだ。うん、大したことじゃない。
僕はこの施設に元からあった装置を起動しただけだ。君は何故ここにAmaterasu:01が存在していると思う?――
――……――
――分からないかね? うん、分からないようだね。うん、分からないって顔してるよ。馬鹿だね――
そこで言葉を止め、口元の卑屈な笑みをより強調した荒木。
――君も気付いていると思うけど、この施設はもともと旧時代の政府が死霊との戦争に備えて、海底のさらに地下深く作られた施設だよ。Amaterasuはいざと言う時、死霊達の動きを一時的に止めるための、『ものじち』とでも呼ぶべきものだ。要人の脱出する時間を稼ぐためのね。
死霊達にとって利用価値など無いはずのこの旧式サーバーだけどね。それでも死霊達はこれを見つけてしまったら、決して捨て置く事など出来ない、決してね。うん、間違いない。それほどこのサーバーは死霊達にとって重要なものだ、心理的にね。
面白いだろう? 面白いと思うよね? 彼等は君達を『人』では無いと決めつけておきながら、極めて『心理』に訴えるような手段をこの施設に盛り込んだのだからね。
まぁ、もっともこの施設を使用する間もなく、君等はこの地上を破壊しつくしてしまったのだけどね――
――施設が浮上する……――
それが何を意味するのか。
――顔色が優れないね? と言っても既にそこまでボロボロになってしまった生体部に、血が正常に循環しているとはとても思えないけどね。
施設の浮上は君にとって喜ばしい事だと思うんだけどね? 僕はわざわざこの施設を見つけやすいように晒してあげようとしているんだよ?――
荒木の言っている事は確かだ。施設が浮上するなら、メリットがあるのは荒木ではなくむしろ自分達の方だ。それが故により不気味に感じる。荒木が何を考えているのか分からない。
――荒木は何を考えてる!?――
めぐる思考。だが答えに辿り着けない。
――僕が何を考えているのか…… 僕は言ったよね? あれ? 言ったのは君ではなかったかな? うん、違う気がする。どっちだっていい。
僕は実験がしたいだけだ。僕の子供たちの性能が知りたい。君達が子供たちの『身体』を沢山連れて来てくれるからね。こんなチャンスめったにないだろ?
この量子干渉で、僕も地上でなければ打つ手が無くなったからね。後残された手段はレーザー光による通信だけだ――
荒木の言葉に、全身に走り抜けた悪寒。そんな事の為に、荒木はこの施設と人員の全てを使い捨てる気だ。
『自身の子の命』すら道具の様に使い捨てる荒木。その荒木が言った言葉。『僕は人と死霊を区別していない』。その意味が此処に来て、悍ましい程に分かった気がする。
荒木が持つ『大量の子』をネメシスにロードしたら何が起きるのか。想像すらしたくない程に悍ましい事態になる事は明白だ。
――そんな事!――
――させないかね? ならどうする? Amaterasuもろとも君の妹を犠牲に僕を止めるかね?――
瞼の無い巨大な瞳の奥でレンズを拡張させた荒木。口元に浮かんだ下劣な笑みがより不気味さを帯びる。
――出来ないね。うん、君には出来ない。出来るはずがないんだ。まぁ、もっとも装置は既に起動してしまってて、この施設は単純に浮力によって浮上してるだけだ。つまり、もう止める手段は無い。うん、無いんだ――
全身が震える。これだけの事が分かっていて成す術がない。
――それより君は地上に出てからの事を考えた方が良いんじゃないかい? 僕が言ったこの事実を君の仲間に伝えないと、大変な事になるよね? この施設が浮上していられるのは三〇分が良いとろだ。そうなるように設計されてるんだよ。絶妙だろ? そう思うよね――
――なっ!?――
――事の重大さに気付いたようだね? うん、本当に君は良い表情をしてくれる。それだけ生体部を失って尚わかるんだからね。うん、間違いない。
Amaterasuを海水漬けにしたくなければ、君は地上に出たら仲間とレーザー光による通信を行うしかない。
さて、どのチャネルを君は使うのかな? 楽しみだ。うん、本当に楽しみだ。
それと、これだけの質量の施設を再沈降させないために、どれくらいのネメシスが必要かな? 沢山必要だよね? 戦闘どころじゃなくなるのではないかな?――
ついに声を上げ、笑い出した荒木。そのあまりの悍ましさに全身を冷たい感覚が走り抜け、身体を震わす。
何とかしなければならない。打開策を見つけなければ大変な事になる。
――けど、どうすればいい!?――
脳が焼き切れる程に思考を巡らす。
――無理だよ無理。考えても、君が取れる行動は限られてる。それに君は一つ重要な事を見落としてるね? 僕と話していて気付かなかったのかな?――
集中を掻き乱すが如く、荒木の声が思考に割り込む。
――君の思考は僕に筒抜けなんだよ――
その言葉だけで全ての思考が停止したかの如く、真っ白になった。
――なん…… だと?――
荒木が事のほか楽し気に喉を鳴らす。
――アンフェアだと思うかな? うん、思うよね。なら、僕も思考を解放しようか? けど、常人に受け入れられるとは思えないけどね――
荒木が言った瞬間、頭に流れ込んで来た大量の声。それは数百人、もしくは数千人が別の事を一斉に話し出したかの如きものだ。しかも、その一つ一つが鮮明に聞こえすぎ、無意識にその全てを処理しようとした脳が悲鳴を上げる。強烈な頭痛。思考の全てを一瞬にして食い尽くし、精神すらも貪りつくされるような感覚に襲われる。
「クッ!」
たまらず漏れた悲鳴、思わず両手で頭を押さえる。
――この辺にしとくかね? 僕も自分の頭の中が煩くて、イライラする時があるくらいだよ。思考の一部は常に口から漏れるような状態だ――
頭の中から大量の声が去って尚、耳の奥に幻聴の如く残る残留感。頭痛が治まらない。ありもしない肺が、大量の空気を欲して肩で荒い息をする。
――それにしても君の思考は面白いね。守るべきものが多すぎて一貫性がない。君の立場からすれば当然見捨てるべき存在すらも、気に留める対象になっているようだ。けど、それは正義感や『人』としての価値観に由来するものじゃない。君の中にあるのは強すぎる自責の念だね。うん、間違いない――
荒木の言葉に肩がビクリと震えた。自分の中の『大切な何か』を鷲掴みにされた感覚に襲われる。
「お前には分からない……」
低く掠れた声が口から漏れた。
――そうだね。僕と君とでは価値観が違うからね。だけど、少し憐れみを感じてくるよ。君は『死霊達』に利用されているに過ぎない――
――そんな事は分かっている――
――なら、君は脳の全てがニューロデバイスに侵食された者がどうなるのか知っているかい?――
――当然だ――
自分はその『リスクの全て』を受け入れて感染者となったのだから。
――いや、分かってないよ。うん、分かってない。君はニューロデバイスが脳の全てを侵食しようと実質何も変わらないと勘違いしている。違うかな?――
――……――
――感染者が使用するニューロデバイスは『葛城 智也』が生み出したオリジナルとは別物だよ。
僕は『それ』を調べて直感したよ。ゾクゾクするくらいにね。これを作った者と僕はきっと相性が良い。『極めて僕に近い考え方の者が、これを作った』と確信したんだよ。うん、間違いない――