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Chapter 64 穂乃果


 1 穂乃果



 悲鳴が聞こえる。それは余りにも悲痛な叫びだ。


 暗い空間の中でそんな悲鳴ばかりを聞いた。そのどれもが激しい恐怖を伴い、深い絶望の中にある者の声だ。


 それと共に意識へと流れ込んでくる怨念の様な呻き声と感情。死者達は時折起きては廃墟と化した街を彷徨い。自分に償いを求める。


 それによって感じるのはただひたすらに強い自責の念と、自分という存在の罪深さだ。


 朽ち果てた自身の肉体。けど自分は尚、存在し続けている。自分はいったい何なのか。


――死霊…… 死して尚、その事実を受け入れられなかった人々の末路……――


 ただ無我夢中で許しを請い続けた。


 血に濡れた手で抱えた『あまりに幼い少女の頭部』。変わるはずのない彼女の表情が変わるまで、許しを請わなければならない。意識へと流れ込む声に耳を傾け、徘徊する死者達に許しを請わなければならない。


 自分に出来るのはそれだけなのだから。


 極限まで低下した思考。もう、どれぐらいの時間自分はそうしていたのかすら分からない。数時間、もしくは数日間、いや、数週間なのかもしれない。


 そしてまた悲鳴が聞こえる。あまりにも悲痛な叫び声だ。それと共に意識へと流れ込む怨念の如き感情。


――ごめんなさい、ごめんなさい、お願い、許して、償うから、償うから――


 けど、どんなに叫んでみても、流れ込む感情は収まる処か強さを増していく。


 やがて気付く。流れ込んでくる感情は死者達のものとは明らかに異なり、鮮明で異質なものである事に。


 あまりに深い悲しみ。けど、そこに憎悪が込められていない。そして自分の『それ』を遥かに超える強い『自責の念』


 その事実に僅かに動き出す思考。今の自分より遥かに強い感情を宿した『似たような境遇の者』が側にいる。


 その可能性に少しだけ救われた気がした。


 が、その感情に意識を集中した瞬間、耳に飛び込んできたのは悲痛極まりない絶叫。しかも、それは『人』のものではない。歪んだ合成音。ネメシスが発する音声に近い。


 反射的にそれが聞こえた方向に目を向け、視界に入ったあまりに異質な存在に目を見開く。


 それを、『人』と言って良いのかすら分からない。


 身体の至る所で、焼け爛れた皮膚が剥がれ落ち、骨が剥き出しになっていた。街を徘徊する死者達に近い容姿だ。


 けど、それでも明らかに死者達とは違う存在感が鮮明に感じられる。


 歪んだ電子音の叫び声を上げ続ける『それ』へと恐る恐る近づく。近づくにつれ、その異質さがより鮮明に見えてくる。


 剥き出しの骨格は一部で『人』ではありえない金属光沢を放ち、その奥では何かが機械的に発光していた。


――義体……


 それが何であるかを悟った瞬間、押し寄せた感情に身体が震える。この義体を扱う者を自分は一人しか知らない。


 そして見えた横顔。


 あまりにボロボロだった。


 それでも兄だと分かる。赤い光を称えた瞳の奥には確かに『人』の感情が宿っているのだ。


 直ぐにでも走り寄り、抱き着きたかった。今までの不安と心細さの全てが、一気に溢れ出しそうになる。


 けど、兄の赤い瞳に宿る憂いが強すぎるためにそれが出来ない。何より、自身の意識へと流れ込んでくる胸を引き裂く様な感情が『それをしてはならない』と強く訴え掛けてくる。


 そして知った。兄の心は自分より遥か以前から、この途方もなく暗い世界に在ったのだと。『あの日』以来兄の見せる笑顔に何かが欠けている様に見えるのはその為なのだと。


 自分を生かす為に兄が背負った代償の重さを今更ながらに知った気がした。


「……ごめん……なさい。私……」


 やっとのことで絞り出した声。けどそれ以上は出てこない。


「穂乃果が悪いんじゃない」

「でも……」

「全ては俺が決めた事だ。一人で俺が決めた事なんだ……」


 力の無い笑みを浮かべた人工の瞳を、僅かに此方へと向けた兄。だがそれは直ぐに落とされてしまう。


 その先には兄の親友であった者の亡骸があった。開かれたままの瞳があまりに強い憂いを宿して兄を見つめていた。


 その感情の全てを自身に焼き付けるかのように兄は彼を見つめる。


 やがて兄の手が静かに動いた。それによって閉じられる親友であった者の瞳。


 だが尚、兄の身体は小刻みに震え、握られた皮膚の無い片方の拳が、自身を粉砕するかの如く軋む音を発していた。


 その姿に湧き上がる居た堪れない感情。


 兄が背負っている物に比べれば、自分が背負う物など余りに些細な事だと感じた。


 フロンティアで目覚め、肉体を失った事に混乱し、悲観もした。兄にぶつけることが出来ない感情を姉にぶつけたりもした。


 それでも自分は最終的に決めたのだ。フロンティアで生きると。死霊として生きていく事を自分は選択したのだ。


 けど、それが『何を意味するのか』から目を逸らしていた。兄達がそれを考えなくて済む環境を用意していてくれる事に甘えすぎていたのだ。


 震える手を伸ばし兄の身体に触れる。冷たい硬質の身体に確かに感じる温もり。


「ありがとう……」


 自然と出た言葉。兄の肩がビクリと震えた。


「……え?」

「辛い事も沢山あったよ…… 此処に来て『死霊』である事が『何を』意味するのかも解った。自分が現実世界の人にとってどういう存在なのかも。

 でも…… それでも思う。私は生きてて良かった。心からそう思う。

 だから…… 有難う……」


 兄の肩が強さを増して震えだした。剥き出しの奥歯を食いしばり身体を震わすその姿に再認識する。兄は感情の殆どを内で塞き止めて来た。それが遂に抑えきれなくなっている。


 自分も兄が背負う物の一部でも背負って生きなければならない。フロンティアに生きる『人』として、『現実世界』を裏切り、それでも生きることを選択した者として。




  2 響生



 全身を襲う震えが止まらない。押し寄せる様々な感情が身体の制御を失わせているのではないかと感じる程に。


 穂乃果の言葉に救われた気がした。自分が行った全ての行動は、『穂乃果にただ生きていて欲しい』と言う、彼女の意思すらも無視したものだ。


 そんな言葉が聞けるなどと期待した事は一度も無かった。


 再びヒロへと視線を落とす。瞳を閉じて尚、彼が最期に見せた表情が頭から離れない。自分は繋がりの全てを裏切りここにいる。そして最終的に親友すらもこの手にかけてしまった。


――俺の命を背負え…… そして生きてる限り悔い続けろ――


 その言葉の重さを噛みしめる。気持ちの何処かで分かり合えると期待していた。けど、その機会は永遠に失われたのだ。


 現実世界で生きる者にとって、『死霊』が何であるのかを彼は自身の命を持って知らしめた。


 全ては自分の認識が甘かった故だ。このような結果を招いてしまった自分に深い絶望と怒りを感じる。そしてこれほどまでに開いてしまった二つの世界の溝に、居た堪れない感情が湧き上がる。


――それでも……


 肩へと伸ばされた穂乃果の手に自身のそれを重ねた。そして、意識して笑顔を作り彼女に顔を向ける。


「すまない…… 先に帰っててくれ……」

「……え?」


 穂乃果の顔に宿った強い不安。


「……俺にはまだ、こっちでやらないといけない事がある」


 自分はサラを連れ出すと約束した。そして何よりヒロの亡骸を連れて帰り、伊織に会わせなければならない。自分にはその責任がある。


 僅かな間。そして穂乃果は頷いた。不安が残る表情を、強引に笑顔に換えようとする仕草が切ない。


「すまない……」


 それだけを言い、穂乃果を強制転送させるために思考コマンド入力を行う。だが、返ってきてしまったエラーメッセージ。その内容に目を疑う。


――量子場関渉!?――


 再び閉じられてしまったディズィールとのコネクト。強烈に嫌な予感がした。高速で巡り始める思考。


 だが、それすらも許されないかの如く、空間そのものが地響きを上げ崩壊し始める。ネメシスの理論領域が書き換えられようとしているのだ。


「駄目だよ駄目だよ。まだ帰っちゃダメだ。せっかく準備が整ったんだよ。面白いのはこれからなんだ。ちゃんと見て行って欲しいね」


 突如として空間に響き渡った忘れることの出来ない声。独特の言い回し。それに背筋を冷たい物が駆け上がる。


 が、同時に激しい憎悪が、心の底から渦を巻いて湧き上がるのを感じた。噛みしめられた奥歯がギリギリと音を立てる。


「荒木!!」


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