Chapter 55 『Nightmare_悪夢』 響生
1
「やれやれ、逃げられてしまったね。不愉快だよ。うん、非常に不愉快だ。『葛城 智也』が残した研究とやらも非常に気になる。うん、気になるね。残念だよ。うん、本当に残念だ」
言葉とは裏腹に、口元に笑みを浮かべる荒木。その矛盾は得体の知れない余裕を感じさせるものであり、ことさら不気味に見える。
継接ぎだらけの顔の上で瞼のない瞳がギョロリと動きまわり、こちらを見据えた。
「で、どうするのかね? そこの彼を残して君も帰るかい? それでも僕は構わないよ。ただし、その場合はそこの彼と彼の妹には、逃げてしまった君達の分まで私を楽しませてもらう事になるがね。うん、そうなるね」
言いながら口元の不気味な笑みをさらに強調した荒木。
――美玲も早くディズィールへ! 奴の言葉を聞くな!――
思考伝達での呼びかけに、美玲は強い光の宿った深紅の瞳をこちらに向けた。
――早くした方が良いのは貴様の方だ。私はこの場で奴を繋ぎとめる――
――なっ!?――
――奴の言うとり、私がこの場を離れれば、奴は貴様達に何をするか分からん。それにあの余裕ぶり、引っかからないか? 艦長のディズィールへの帰還が何を意味するのかを解らない奴ではあるまい。
私のネメシスに精神干渉を行ったのは、恐らく貴様の親友ではない、奴だ。ネメシスは暗号コードを変えていたにも関わらずだ。そして、貴様の妹はアマテラスから余りに簡単に攫われた。何故だ?
あの少女の能力。嫌な予感がする。ディズィールの到着前に、奴だけは封じないとならない――
――なら、俺も!――
――貴様は現実世界から、奴の本体を叩け! ――
――けど!――
美玲の操作によって視界に浮かんだログアウトメッセージ。それを咄嗟にキャンセルしようとした瞬間、伸びてきた美玲の手。胸倉を捕まれ、そのまま一気に引き寄せられる。それによって遮られてしまったキャンセル処理。
呆然と見開いた視界の5センチ先にまで迫った美玲の顔。彼女が漏らした溜息が、そのまま感じられるほどの距離だ。妖艶なまでの輝きを宿した深紅の瞳が細められる。
――案ずるな、私はこのような所で死にはしない。絶対にな――
更に引き寄せられる。急激に光に飲み込まれようとする視界の中で、額と鼻が彼女に接触する感覚。彼女の唇が動くのがわかる。伝わる息遣い。
「――だから貴様も妹を助け必ず生きて戻れ。必ずだ」
言葉が出ない。視界が更に光に飲み込まれる。その中で途中で途切れてしまった声。
――私は……――
2 美玲。
視界一杯に光が弾けるのと同時に、消失するその手に伝わる感触。自ら送り出したにも関わらず、それに僅かな心細さを感じずにはいられない。
自分はいつからこんなにも弱くなってしまったのだろうか。
そんな事を考えてしまった自分に気づきさらに苦笑する。
視線を上げた先には、僅かな時間見ているだけでも、吐き気すら覚える醜悪な容姿。それが満足そうに触手をゆらしている。
「そうだね。賢い選択だ。そうするしか君に選択肢は無い。うん無いんだ。それとも僕の事が気に入ってくれたのかな? だとしたらうれしいね。子供は何人生みたい? 10人かい? 20人かい? いっその事100人くらい生んでみるかね?」
その言葉に全身に走る悪寒。生理的な嫌悪と悍ましさに反応して身体が意思に反して震えてしまう。
――黙れ!――
喉元まで出かけた言葉をかろうじて飲み込む。
「随分と余裕なのだな。事態は貴様にとって不利な方向に確実に動いていると言うのに」
「不利? ああ、そうだね。うん、そうかもしれない。この空間はOSが再起動するまで、僕の物ではないからね。けど、それは些細な問題なんだ。うん、大した問題ではない。それより僕は喜んでいるんだよ。僕の子供達にようやく身体を与えてあげられるかもしれないだろ?」
――やはりこいつは――
ディズィールのネメシスを自分の物にしようとしている。
「フロンティアの電子戦部隊をあまり甘く見ない方がいい。それに仮にディズィールの艦載機の全てを手にしたところで、出来ることはたかが知れている」
分かり切った事実を伝える。荒木の目的が分からない。
「艦載機の全て?」
荒木の口元に浮かんだ嘲笑。
「――馬鹿だね君は。うん、本当に馬鹿だ。半分で良いんだよ。そうじゃないとネメシス同士の戦闘にならないだろ? 僕は自分の子供達が現実世界で動けるのかを見たいだけだ。動けたなら、予定通りの性能が出てるのか確認できればそれでいい」
「な!?」
返って来た答えに絶句する。彼の目的は全く意味を成さない、自身の子とフロンティア部隊の殺戮だ。
「まさか、君はこの僕が政治的に動いているとでも思ったのかい? だとしたら光栄だね。うん、光栄だ。
けど、僕はこの施設がどうなろうとあまり興味がない。このサーバーを失うのは残念だけどね。
さらに言えば僕はこの戦争の行方にも興味が無いんだよ。肉体を持つ者がどう足掻こうと君達には勝てないからね。彼等は進化の過程に置いて行かれている。
むしろ僕にとっては今の状態が好みだ。秩序だった世界は、実験を行うのに色々と手続きが面倒だからね」
吐き気すら覚える言動に握りしめた拳が震えだす。
「貴様!」
「科学者は自身の興味に従順であるべきだ。そうだろ? うん、そのはずだ」
「だが、やっていいことと悪いことがある!」
思わず上がった叫び声。荒木がそれに対し気だるそうに触手を振り回し始める。
「また、この議論をするのかい? 君も好きだね?
悪い事ね。それは誰が決めたのかな? 僕はね科学の可能性を、倫理だの何だのって人が作った勝手な規則で縛るのは馬鹿げてると思う。全ては現象に過ぎない。うん、過ぎないんだ。
自然に発生する現象はもっと無秩序で残酷だよ。言い換えれば神々が行う実験は僕が行う実験より遥かに残酷な訳だ。そう思うよね? うん、思うはずだ」
「狂っている」
吐き捨てるかの如く出た言葉。荒木がそれに躊躇いもなく頷いてみせた。
「確かにそうかもしれないね。うん、そうかもしれない。僕は君達の基準では普通じゃない。
けど、嘗ての『葛城 智也』もそう思われていたんだよ。いや、今も『肉体持ち』の殆どはそう思ってるんじゃないかな? うん、間違いない」
「我等の創始者は決して貴様とは違う!」
振り回していた触手が動きを止めた。瞼の無い巨大な瞳の奥でレンズが拡張する。さらに何かを思案するかの様に触手を顎に当てた荒木。
「やけに食いついて来るね? 君は時間稼ぎをしているのだろう? うん、そうだね。そのはずだ。君は現実世界に行った『彼』が僕の肉体を滅ぼすのを待っている。違うかな?
一つ、良いことを教えてあげるよ。僕はここ数年自分の身体には戻っていない。うん、戻っていないんだ。つまり、現実世界で『アレ』を殺したところで、僕には何の影響もない」
「なっ!?」
絶句すると同時に強張る身体。
「良い表情だ。それが唯一の希望だったって顔だね? うん、本当に良い表情だよ」
口元に下劣な笑みを浮かべ再び触手を振り回し始める荒木。
「あれは君達の義体のようなものだ。けど、完全な機械ではない。この、施設の人達は頭が固いからね。ニューロデバイスを導入した者を無差別に敵とみなすんだ。うん、困ったものだよ。
だからあれは生身の人間なんだよ。色々後からつけてはいるけどね。
結構苦労したんだ。あれは力作だよ。うん、力作なんだ。神経系の全てを脳から切り離すだけで、上手く行くと思ったんだけどね。そんな単純じゃなかったよ。脳は外からの刺激が無くなると弱ってしまうからね。脳が弱れば身体も死んでしまう。だから彼には夢を見続けてもらっているんだ覚めない夢をね」
平然と語られる言葉のあまりの悍ましさについに限界をこえてしまう。
「黙れ、下衆! 貴様の言動を聞いているだけで吐き気がする」
「やれやれ、なんて事だ。結局君の言動はそこに行き着くんだね。もう少しボキャブラリーを増やしてみたらどうだね? うん、その方がいい」
「黙れと言っている」
湧き上がる激しい怒りに、我を忘れ飛び掛かりたい衝動に駆られるが、それを辛うじて抑え込む。それでも小刻みに震える身体。
「なら、そろそろ始めるかい? けど君も勝ち目がないのは分かっているだろう? この世界はまだ僕の物ではないとは言え、君一人で僕の子達を相手にするのは無理だからね。
覚えているよね? 一体に対して二人がかりで要約対処出来た事実を。4体ではAmaterasuが居なければ手も足でなかった。うん、間違いない」
言葉を区切り、こちらの表情を伺がうかの様に視線を走らせた荒木。
「――僕は自分の子達に順にナンバーを振っている。その意味が分かるかな? 僕は2000体以上保有してるんだよ。最も最初の方は使い物になるレベルではないけどね。
ああ、この空間の容量の少なさに期待してもだめだよ? 全員は無理でもざっと40体は呼べる。十分絶望的な数字だよね? うん、そのはずだ。試しに40体呼んでみるかな?」
荒木が言うのと同時に、ありえない量の光の粒子が空間を舞う。そのあまりの範囲と密度のために霧が発生したかの如く遮られた視界。
やがてそれは吹雪のように激しく荒れ狂い、あちらこちらで醜悪なオブジェクトを形作り始めた。
自身の視界に開いたウィンドウ。ディズィールとの通信が回復したことにより、荒木に取り上げられていたネメシスを呼び出すことが可能になっている。それをした所で、大した時間稼ぎにもならないであろうことは分かり切っていた。
けど、それでもやる事は決まっている。
――すまない。響生――
無意識にしてしまった届くはずの無い思考伝達。
――『私はこのような所で死にはしない』……か。あの時も君は俺にそう言った――
届くはずの無いそれに応えるかの如く頭に響き渡った声。それに激しい混乱を覚える。
――!?――
聞こえたのは紛れもない響生の声だった。が、何かが違う。普段の響生は自分の事を決して『君』などとは呼ばない。響生が自分をそう呼ぶのは『意識融合』状態にある時だけだ。
――で、どうする気だ?――
自身の混乱を無視してさらに頭に響き渡る声。思考が別方向に働いているせいで、その問いに答えることが出来ない。結果的に自身が導き出した答えと疑問が、そのまま思考伝達に乗せられる。
――貴様は響生の!? 何故貴様がここに残っている!?――
――君が此処にいるからだ――
この思わせぶりで意味不明の言動。間違いない。彼は響生の思考融合相手だ。
――貴様がここにいたら響生はどうなる!?――
響生は現実世界で施設内部の兵士は元より、下手をすれば穂乃果の操るネメシスと戦闘になるはずだ。彼が此処にいて良い訳がないのだ。
――俺はあっちにいては行けないんだ。相手が穂乃果やヒロであるのならなおさらな。俺が干渉したら相手が誰であれ『破壊せざるを得ない』との判断を下す可能性がある。俺はそれが怖い――
低く掠れた声が頭に響き渡る。それと同時に蘇る『意識融合状態』の彼が見せる鬼神の如き戦闘。
――納得したか? なら俺の質問に答えてくれ。どうする気だ? まさかこのまま自身を犠牲に奴の手に落ちるなどと言わないだろうな?――
――馬鹿を言うな。あのような下種のものになるくらいなら、死んだ方が遥かにマシだ。私は私にできることをやるだけだ――
――なら『出来ること』の中にこれも含まれるな?――
視界に展開されるウィンドウ。それが次々に自動的にたどられていく。
――貴様、私のメニューリストに勝手に干渉を!?――
――心外だな。その権限は君自身から前にもらったんだ――
ウィンドウ内ではいつの間にかディズィールの兵器保有リストが開かれ、階層を掘り下げていく。その光景にたまらず血の気が引くような感覚に襲われた。
――何をやっているんだ貴様は!? 貴様がやっている事は完全に軍規に反しているぞ!――
――大丈夫だ。俺は権限を持っているんだ。普通に生活する権限はないけどな――
ウィンドウ操作が止まった。そこに表示された一つの機体。『RS-21 Nightmare』。それにただでさえ大きく開いた目をさらに見開く。
――これは……!? この機体はまだ現実には存在しない機体だ! 仮想世界にしか存在しないテスト機だ! そんな物を!? それに私はこの機体が好きではない――
皮肉を込めて『悪夢』と名付けられた機体。この機体はフロンティアの者にとっては正しく『悪夢』そのものなのだ。それが故にまだ現実世界に産み落とされていない。
――現実に存在しないことに何か問題があるのか? 好みを言ってる場合ではないだろ? 君は出来ることをやると言った。君はこの機体を操れる――
何故彼はそれを知っているのか。
――貴様は何者だ!? 私の何を知っている――
――俺は亡霊、オブジェクトを持たない意識だけの存在。けど、それでも君だけは守って見せる。今度こそ――
言葉と共に伝わる強い憂いと張り裂けそうな何か。
――その機体をロードしろ。それを纏った君は俺より遥かに強い。もしもあの時、この機体が使えていたのなら……――
途切れてしまった言葉。胸を引き裂かれるような、強い痛みを伴った感情だけが残留思念の様に取り残された。それが何なのか分からない。
瞳を閉じる。答えなど初めから決まっているのだ。
――私は私の出来ることをやる――
自分は軍人なのだ。行える事があるのならするべきだ。そして何より自分は響生に誓ったのだから。『私はこのような所で死にはしない』と。
――Load RS-21 Nightmare――
3
空間に迸る衝撃波。と同時に美玲を中心に形成された闇が、空中に漂う光の粒子を飲み込ながら急激に肥大化する。
先に召喚されようしていたオブジェクトのリソースを食い荒らし、『彼等』より遥かに複雑な機構を持った機体が召喚されようとしていた。
形成しつつあるオブジェクトを中心に闇色の帯電光が荒れ狂い、それが更に光の粒子を飲み込んで行く。
やがて現れる漆黒の機体。だがそれは、あまりに細く華奢なデザインだ。まるで美玲の身体そのものを、兵器化したかの如く女性らしさを持つ機体。それが音もなく宙に浮きあがった。
機体の至る所に、血管が脈動するかの如く迸るエネルギーラインの光。機体を中心に渦を巻く闇が、さらに光の粒子を取り込み、大量の浮遊ユニットを形成していく。
「私は、この機体だけは好きになれない。自身と一体化し操縦感の全くない『人型兵器』は自分が何者なのかを解らなくさせる。潜在的に押し殺してきた疑問を抱かせてしまうんだ。
だが、それを使ってでも貴様は……」
響き渡るエフェクトの掛かった電子音声。まるでその意思を瞳に宿すかの如く、バイザーの奥に光が迸る。
「――貴様だけは、この空間に封じる!」
高速旋回していた夥しい数の浮遊ユニットが一斉に動きを変えた。そして機体の背で巨大な6枚の翼を広げるかの如く配列する。
全身をめぐるエネルギーラインの輝きが更に光量を増し、握られた拳の甲を突き破るようにして、高エネルギー粒子の反応光が伸びあった。