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Chapter 53 響生

1



「私は……」


 伏せられていたアイの瞳がまっすぐとAmaterasuに向けられた。


「――このままでいい……」


 紡がれたアイの言葉に広がる言いようの無い安堵。それに応えるようにアイの瞳がこちらに向けられた。そして『大丈夫』とでも言うようにぎこちない笑みが自分へと投げられる。


「私は今の自分を失いたくない。今の私にだって大事な物は沢山ある。それに……」


 言葉を区切り、瞳をAmaterasuへと戻したアイ。


「……少しだけ見た『葛城 愛』の記憶で十分わかったの。きっと『彼女』の記憶は今まで私がイメージしていたものとは全く違う。


 智也…… 父と母の目を見て分かった。父と母はこの先ずっと『彼女』を見るたびに『私達』を思い出す。きっとそれは『彼女』にとっても辛い記憶の連続だったはず。彼女は彼女で苦しんだ。もしかしたら私なんかよりもずっと…… だから……」


 瞳を閉じ、頷いたAmaterasu。


「そうですか…… やはりと言うべきですかね。『葛城 愛』、彼女は貴方がそれを受け取らないであろうと予想していましたよ」


 その言葉にアイが目を見開いた。


「……なら、何故……」

「私には人の心が読めてもその真意までは理解できません。

 ただ言えるのは貴方の予測通り、この記憶から後の彼女もまた、幸福とは程遠い人生を歩みます。フロンティアと現実世界の関係が大きく変わっていく中で、『彼女』は問題提起のきっかけであり、否応なく中心に立たされた人物です。フロンティア内で純粋に生まれた最初の命、または人類初の人工意識体として注目を浴びていくのです。その葛藤もまた、今の貴方に劣らず激しい物だったと言えます」


 言葉を区切り、自分達全員を見渡すように視線を走らせたAmaterasu。


「私はこのサーバーに記録された『葛城 愛』しか知りません。ですが、貴方達の記憶の中に『後の彼女の情報』がありますね。


 彼女は貴方達の世界の英雄となりましたか……」


 その事実を喜ぶかの様に、僅かな笑みを浮かべたAmaterasu。


「英雄とは時代に要求されて担ぎ上げられる存在です。その時代に生きた人でなければ決してなる事は出来ない。そう言う意味で貴方が『葛城 愛』の記憶を受け取っていれば、その芽は此処で摘まれていた事になります。


 貴方と『葛城 愛』は良く似ています。コードが同一なのですから当然と言えば当然なのですが、積み上げて来た経験が違って尚、似ているのです。雰囲気、考え方その言動までもが」


「それは……」


 アイへと向けられたAmaterasuの瞳が細められる。


「少なくとも私が持つログの中では、『彼女』は特別な存在では無いと言うことです。今の貴方のように、脆くそして悩み、傷つき、幾度も折れかけた。それでも周りの人達に支えられながら少しずつ前へ向かって歩もうとする。そんな少女です。私の知っている時点での彼女は貴方と何も変わりません。


 だから貴方は今その心に抱く理想を大切にし、必要だと思う事をすればいい。その先にきっと答えは訪れます」


「私が抱く理想……」


 噛みしめるように発せられたアイの声。それにAmaterasuは大きく頷いた。


「貴方はフロンティアと現実世界、どちらにとっての『希望』でありたいと願いますか?」


 その質問にアイの目が大きく見開かれる。


「――貴方は嘗てこう答えています。『私は誰かの希望になんてなれる存在じゃない』と、


 けどその答えは貴方の中で変わり始めている。違いますか? そして此処にたどり着くまでにした経験を通して、漠然とした『世界のあるべき姿』がその心の中に出来始めている。そして行動しようとも思っている。その思いを大切にしてほしいのです」


 アイを見つめるAmaterasuの表情は強い慈愛に満ちたものだった。それに感じた違和感。此処に来て以来、殆ど表情の変化を見せなかった『彼』。それがまるで、アイと話すことで、急激に『彼』が人に近づいているかの如く、表情が豊かになっている気がした。


「――これは貴方が思い描く理想を実現するための大きな力となるでしょう。これを貴方にお渡しすることが創造主によって私に課せられた二つ目の命令です」


 言葉と同時に空中に飛散する光の粒子。それがアイの目の前に集まり、『電子ファイルデータを示すオブジェクト』にイメージ化される。


 金色のカードを模したそのイメージオブジェクトを手に取るアイ。


「これは……?」

「『葛城 智也』が残した研究の全てです。これには貴方達がいずれ現実世界へと帰還する術が記されているはずです」


 その言葉に思わず目を見開く。美玲がたまらず声を上げた。


「そんな事が!?」


 Amaterasuの瞳が静かに美玲へと移される。


「可能かどうかは貴方達次第です。現実世界との関係が今のままでは不可能だと言っても過言ではありません。もしくはこの研究がもたらす終着点こそが、現実世界と貴方達の関係を変えるものになるかもしれません」

「どういう事だそれは!?」


 立ち上り身を乗り出した美玲。


「お渡ししたファイルを、しかるべき有識者に引き渡せば分かる事だと思います。


 そしてそれを知れば『葛城 智也』が目指した世界がどのようなものであったのかおのずと分かるはずです」


 謎かけの様な言葉に頭の中に多量の疑問が散乱した。それを整理しようとした瞬間、まるで思考を掻き乱すかの如き不快な声が空間に響き渡る。


――しかるべき有識者とはこの僕だよ。僕以外に適任なんて居ないだろう? そう思うよね? うん、思うはずだ。だからそのファイルを僕に渡したまえ。さぁ、直ぐに。今直ぐにだよ――


 生理的に受け付けない独特の口調。思い出したくもないそれに、全身の毛が逆立ち背中を冷たい何かが駆け上がっていく。本能的に身構えて尚、硬直してしまう身体。


 まるで、その隙をつくかの如く、突如として空間を突き破り出現した触手がイメージオブジェクトへと伸びる。


 Amaterasuが僅かに動いた。その瞬間、不可視の壁に追突すかの如く、激しい衝撃音と共にイメージファイルの直前で停止した触手。


「これは決して、お前の様な者が触れて良いファイルではない!」


 激変したAmaterasuの表情。その言葉と同時にイメージオブジェクトが崩れるかの如く光の粒子を飛散させて実体を消失する。そしてその粒子の全てがアイへと流れ込んだ。


――嫌だね。うん、本当に嫌だよ。自分の思い通りにならない世界は、これだから嫌いなんだ。うん、本当にイライラするよ。だからおいで『メル』。――


 Amaterasuに激しいノイズが走り抜けた。と、同時にオブジェクトの表面に浮かび上がる多量の記号の羅列、それがまるで組み替えられるかの如く動き回る。


「ガガッ ギギギッ」


 Amaterasuから漏れるノイズに塗れた不自然な声。


――まさか、苦しんでいるのかい? そんなはずは無い。いや、あり得るのか。うん、有り得るのかもしれないね。『それ』に限っては――


 記号の羅列がAmaterasuからさらに周りの空間へと伝わっていく。空間そのものを侵食するかの如く、蠢きながら範囲を広げる記号の羅列に感じた言いようの無い恐怖。空間に漂う『何か』が変質して行く。まるで澄み渡った水が急速に淀んで行くような感覚。


 唐突に出現する多量の粒子。それによって形作られていく醜悪な容姿。決して人の姿などではない。人であった何か。身体の至る所に植え付けられたかの如く蠢く触手。


 ついにオブジェクト化を果たした継ぎはぎだらけの顔の上で、瞼の無い巨大な瞳がギョロリと動き、Amaterasuへと向けられた。


「やぁ、久しぶりだね。何年振りかな? 亡霊君と会うのは…… 2年、いや3年ぶりだったかな? 分からないな。うん、分からない。どうでも良いね。うん、どうでも良い情報だ」


 言いながら、さらに片方の瞳だけが不自然に動き、アイの方向へと向けられる。途端に目を見開き身体を硬直させたアイから僅かな悲鳴が漏れた。


「これはこれは、まさか死霊共が『女王の器』と呼ぶ存在が此処に来ていたのか。どおりで。亡霊君が今さらながらに動いたはのそのせいか。うん、理解できたよ。


 僕も昔は幼少期の君を沢山持っていたのだけどね。全て捨ててしまったんだ。まさかこんなに重要なコードになるとは思わなかったからね。うん、思わなかったんだ。


 それも含めて、良いタイミングだ。また、収集できるチャンスをこうして手に入れたんだからね。


 うん、今日はやっぱりついてるよ。うん、とてもいい日だ……。此処にある全てが僕の物だよ。よく集まってくれたね。うん、本当によく集まってくれた。どれも珍しくて価値があるものばかりで嬉しいよ。うん、本当に嬉しい」


 口元に不気味な笑みを浮かべる荒木。その隣に新たなオブジェクトが光の粒子と共に出現する。


 それは荒木とはあまりに不釣り合いな容姿をもつ幼い少女だった。ウェーブの掛かった長い金色の髪と緑色の瞳を持った美しい少女だ。けど、そこからは生気の一切が感じられない。その彼女が車椅子に座る姿は、整い過ぎた容姿と合わさって人形を思わせる。


 少女の感情の宿らない瞳の見つめる先で、空間が崩壊していく。


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