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Chapter 51 『管理者』 アイ

1



 頭の中に一方的に響き続ける方向感の無い声。それは声と言うより思念といった方が正しいかもしれない。少なくとも思考伝達とは全く別物だと感じる。


 その思念に引きずり出されるようにして蘇る『葛城 愛』としての僅かな記憶の数々。それを手繰るようにして住宅街の路地を曲がる。幼い自分が父に連れられ公園へと歩いた道のり。それをさかのぼる。


 そしてついに現れる記憶と寸分も変わらない嘗て生活していた家。これと言った特徴も無く、決して大きくはないそれにこみ上げる複雑な感情。


 そこで生活していた時の記憶が鮮明に蘇ってくる。玄関の僅かな段差に躓き転んで、頭を擦りむいた事。痛さと驚きのあまり泣き叫ぶ自分が母に抱き上げられた時感じた温もりと安堵。


 その全てがつい最近の事の様に感じられるのと同時に、自分の生きた長さを遥かに超えて昔の事のようにも思える。


「なんか意外にこぢんまりしてるんだな、普通っていうか。アイの父親ってフロンティア代表だった人だろ? すごいの想像してたんだけど……」


 自身のすぐ横で聞こえた響生の緊張感が無い声。


「馬鹿者。葛城氏がフロンティア代表に就任するのは『あの忌まわしき事件』の一年前だ。この時期のフロンティアは東京都の一施設に過ぎん。当然自治権もなく、法律も現実世界と変わらないものが適応され、住民は現実世界に税を納めていたんだ」


 美玲の溜息混じりの解説に、響生が頭を掻きむしる。慣れ親しんだその仕草に僅かに緊張が緩んだ気がした。


 瞳を閉じ深呼吸をする。そして一歩踏み出そうとした瞬間、聞こえた玄関のロックが解除される音。


 それに思わず肩がビクリと震える。跳ね上がる鼓動。極限の緊張状態の中、玄関のドアがゆっくりと開けられていく。 


 扉の内金具を掴む大きく力強い手。内側へと差し込んだ日の光によってその姿が照らし出されていく。


 遠い記憶の中にありつつも、一時も忘れた事ないその姿。押し寄せる感情の起伏に身体が震え、それでも収まり切らなかった衝動が自然と口を動かす。


「とも……」


 が、震えた声は、玄関の内側から響いた幼い子供特有の高い叫び声によって、かき消されてしまう。


「ともやぁー!」


 バタバタと廊下を走る足音。そして幼い少女が勢いよく父の太ももに抱き着いた。父が頭を軽くなでてから少女を抱き上げる。


「サキも早くぅー!」


 抱き上げられた少女が満面の笑みで更に叫んだ。


「なぁ、沙紀。すっかりこの子、俺達の事名前で呼ぶようになっちゃたぞ?」

「私達が名前で呼びあってるから仕方ないわ。名前で呼ばれる嫌?」


 玄関の奥から聞こえてきた、柔らかく懐かしい声。


「やっぱりパパって呼ばれたいな。娘には。息子だったら別に気にしないけどさ」

「そんなもの?」

「ねぇ、愛。パパーって言ってよ」

「パパー」


 父がことさら嬉しそうな表情をし、顔を少女の頬に摺り寄せる。


「ともや、おひげ痛い」


 両手で父の顔を押さえ、引き離そうとする少女。


「だから言ってるでしょう? そんな無意味なオブジェクトさっさと解除しちゃいなさいって。ロクに剃らないんだから」


 玄関の内側から響く声が徐々に近づいて来る。言葉とは裏腹に慈愛に満ちた温かい笑顔が陽光に照らし出される。


 零れ落ちる涙。震える唇から溢れ出た声は、もはや言葉を紡ぐことすら叶わない。自分の声に振り向くことをしない父と母。


 居た堪れない感情が心を侵食していく。


 決して自分に向けられることの無い深い愛情を宿した瞳が、幼い少女へと注がれていた。


 少女は自分であって自分ではない。幼き日の『葛城 愛』であって、自分ではないのだ。


 彼女にとっての父と母の記憶はこの先も続き、自分の記憶はこの付近でぷっつり途絶えるのだから。


 胸を引き裂かれるような痛み。


――何を期待していたのだろう私は……


 既に亡くなっているはずの父と母が、自分を抱きしめてくれるとでも思ったのだろうか。


 少女が唐突にこちらを指さした。それに釣られるようにして、父と母の視線がこちらに向けられる。


 ただのログの再生と言う事を痛いほど認識して尚、高鳴る鼓動。


「小鳥さん!」


 叫ぶと同時に足を激しくバタつかせ、父の腕から飛び降りる少女。そして一目散に走り出す。


「ほらほら、走るとまた転ぶわよ?」

「大丈夫だもん! 転んだらおまじない唱えるの!」


 少女のその言葉に僅かに顔を顰めた母。


「ちょっとまた変なコマンド教えたでしょ? 小さい内は現実世界と同じように育てたいって言ってるのに。便利すぎるのも考え物だわ。怖いとか、危ないとかが分からなくなっちゃいそうで……」

「愛に限ってそれは無いと思うけどなぁ、あの子は賢いよ。沙紀に似て」


 悪びれも無く口元に笑みを浮かべた父に母が溜息をつく。


「そうやって何時もはぐらかすんだから」


 父と母の会話から思い出される記憶。父は実際、幼い自分に色んなコマンドを教えてくれた。


 けど、そのどれもに本来無いはずの使用回数制限が設けられていた事を思い出す。今思えば、父なりに色々と考えていたのかもしれない。


 だけど、一つだけ制限がない物があった。『困った時のおまじない』何かあるたびに多用し、その度に自分はそれに救われた。


 それは、父への思考伝達を行うためのコマンド。しかも現在フロンティアで採用されている思考入力と違って『イマジネーション判定』がない。だから、コールするためには、接続先のIDを指定する必要があった。今でも父のIDはハッキリと覚えている。


 あの日、響生の家で目覚め、自身が複製だと知るその日まで、繰り返し唱えたのだから。父の声が聴けると信じて。


――Call SA21-68732――


 実行されるはずの無いコマンドが頭の中で詠唱される。


 視界に開いたウィンドウ。見慣れたエラーメッセージが表示されるはずだったそれに表れた全く予想外の文字。


『Neuron_NetworK Ccode ID: Ai Katsuragi


Authentication Code:Call SA21-68732


Execution condition match...』


――何これ……――


 それを理解しようとした刹那、視界上を埋め尽くす勢いで大量に開いたウィンドウ。その全てで数値と記号の羅列が凄まじい勢いで流れて行く。


 それに呼応するかのように時間の流れが加速する。思考加速状態と全くの逆現象。目の前では父と母と少女が異様な速さで動き回り、雲が尋常では無い速さで駆け抜けていく。


 さらに速度は増し続け、ついには昼と夜がライトの点滅の如き速さで入れ替わる。だがそれでも加速は止まらない。とうとう完全に認識できない速度になってしまう。


 身体を包み込む空間転移特有の感覚。時間どころか場所までも移動させられようとしている。


 視界に大量に展開されていたウィンドウが唐突に消えた。代わりに新しいウィンドウが一つ展開される。


『AD2065 25 Dec. 06:24:12 / AD2065 25 Dec. 06:36:42』


 同時に再構築された景色。それは全く記憶にない場所だった。


 かなりの高層階に設けられた異様に広い空間。壁面の全てが、ガラスの様な透明な素材で構築され、都市部を中心に地平線までを遥かに望む景色が広がる。


 けど、その景色が正常ではない。空間の至る所にまるで欠落したかのように存在する闇。いや、闇と言う表現すら正しいのか分からない。まるで認識を拒むかの様に何も存在しないのだ。空も地も、空間ですらも。しかもそれが異様な速度で、世界を飲み込むかの如く広がっていく。


 それに合わせるかの様に空間自体に展開された巨大なマップからエリアごと情報が消失する。


 その光景の悍ましさに身体を駆け抜ける悪寒。


「……これは…… この日は……」


 美玲から掠れた声が漏れた。


「AMATERASUに残されたログが尽きる日です」


 美玲の問いに答えるかのように空間に響き渡った男性の声。フロアー壁面中央に1台だけ設けられたデスクに腰を掛けていた人物が立ち上がった。そしてゆっくりと近づいて来る。


 けど、姿が逆光で見えない。


 静寂に包まれたフロアー内に規則正しい足音が響く。せすじが綺麗に伸びた威厳に満ちた歩き方だ。


 近づくにつれて徐々に浮き上がる容姿、それに思わず目を見開く。それはつい先まで母と共に幼き日の『葛城 愛』と戯れていた人物その者。


 けど、記憶の中の父とは雰囲気が全くの別人と言っていいほどに違う。眉間には深い皺が刻まれ、その瞳は外観年齢にあまりに不釣り合いな憂いを宿す。


 オブジェクトの年齢をそのままに、精神だけが年齢を重ねている。それが結果的にオブジェクトの外観にフィードバックされているのだ。自分の知らない父の姿、フロンティア代表としての父の姿がそこに在る。


 父の瞳が今度こそ真っすぐ自分へと向けられた。跳ね上がる鼓動。


「貴方を待っていました。管理するべきものも失い、ただ只管に繰り返される時間の中でずっと、貴方だけを待っていたのです。与えられた最後の命令を実行するために」


 父の言っている事の意味が分からない。それと同時に、自分を『貴方』と呼んだ事に対する激しい落胆と悲しみが溢れ出し、思考の一切を停止させてしまう。


「……とも ……や?」


 震える唇が辛うじて言葉を紡ぎ出した。父が瞳を閉じる。そしてゆっくりと首を横に振った。


「残念ながら私は貴方の父ではありません。私は『葛城 智也』ではないのです」


 その言葉にさらに混乱する思考。


「なら、貴様は誰だ!? 他人のオブジェクトを使用するのは重罪だ。それが故人で有ってもだ。まして創始者のオブジェクトを使用するなど!」


 フロアーに美玲の罵声が響き渡る。けど、『父ではない彼』はそれに眉すら動かす事は無なかった。瞳だけが静かに美玲へと向けられる。


「私はもともとオブジェクトを有していません。ですが私が再び目覚めた時、このオブジェクトが与えられていたのです。新たな一つの命令と共に。


 私の名はAmaterasu。この世界の法則の管理を補助し、全てのログを記億する為に作られました。ですが今は――」


 区切られる言葉。そして彼の瞳が再び自分へと向けられた。


「私は主から預かった物を貴方に渡さなければなりません。そして伝えるべきメッセージがあります。今の私はそのためだけに存在しているのです」


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― 新着の感想 ―
[良い点] アマテラスが伝えるものは…。 次回も楽しみにしています! [一言] 記憶は共有していても、別人扱い…。つれえ…。
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