Chapter 49 『葛城 愛』 響生 Amaterasu:01 特別閉鎖領域
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もうろうとした意識の中、ぼやけた視界が急速に像を結び始める。頭痛の残る頭を大きく振り、少しでも早い意識の再起動を促す。地に手を付き、顔を上げる。
その瞬間目に入って来たのは、無邪気な声を上げながらこちらに走り込んでくる子供の足だ。それが見る間に大きくなり、ついには膝しか見えなくなってしまう。全く止まる気配の無いそれに
「うぉっ」
とたまらず悲鳴を上げ顔を庇うが、視界ではさらに有り得ない現象が起きる。顔の前に上げられた腕を透過するかの如く、突き抜けた子供の足。
――なっ!?――
衝突に備え、畏縮すると共に閉じられた瞳。が、襲ってくるはずの衝撃が無い。子供の笑い声が自分の頭上から後ろへと抜けていく。
慌てて目を見開き後ろを振り返る。そこに在ったのは何事もなかったように走り続ける子供の後ろ姿。
――な、何が起きた!?――
状況を確認しようとした自分の耳に、さらに別の子供達の声が入り込む。咄嗟に視線を戻した自分の目に先の子供を追うように走る子供達の姿が映り込んだ。それがやはり自分に向かって一直線に向かってくる。
だが、子供たちは自分を見ていない。自分を通り越してさらに遠くを見ているような視線に感じた戸惑い。
「おい!」
思わず叫ぶが、やはり全く止まる様子がない。そして今度はハッキリと知覚できる状態で、その現象が起きた。子供達を静止するべく突き出した片手を透過し、子供達が走り抜けていく。うち一人は確実に自分の胴体を貫通して後ろに抜けた。
混乱する思考。さらに見渡す景色の全てに違和感がある。至る所に設けられた子供用の遊具。敷地を囲むようにして植えられた木々の緑の向こう側には、高層建築群が見える。
――これは……――
旧時代の全盛期そのものの風景。
「不干渉オブジェクト。もしくは映像的なログの再生か。多分後者であろうな。オブジェクトのデザイン、服装全てが現在のフロンティアと異なってる」
不意に聞こえた美玲の声。それに感じた安堵。咄嗟に声のした方を見上げる。彼女はすぐ横に立ち自分を見下ろしていた。
「ただの記録映像って事か? て言うか、いつからそこに?」
「私は最初からここにいたぞ? けど、認識が遅れたのかもしれんな。仮想世界のベースソフトウェア―が偉く旧型だ。おかげで知覚情報処理の方式がかみ合っていない。私には貴様のオブジェクトがノイズだらけに見える」
目の前に開いたウィンドウに目を走らせながら答える美玲。が、やがてそれも閉じてしまう。
「――私の権限では、これ以上の情報は引き出せそうにないな。それより貴様の方が詳しいのではないのか? 私をここに連れてきたのは貴様であろう?」
「あ…… いや、確かにそんな気もするけど」
「また、行動の理由が分からぬか……」
諦めた様につぶやいた美玲。けど、その表情が僅かに緩む。
「けど、先の状況よりは大分増しではあるな。それに悪くない光景だ」
立ち上がり、美玲の視線の先を追う。無邪気に遊ぶ子供達に交じり、幼い子を連れた家族の姿がそこにはあった。彼等に宿る幸せそうな表情は、長らく忘れていた安らぎを自分の中に呼び起こす。
現在のフロンティアに比べ現実世界に極めて似せて作られた世界。自分が知る現実世界の全盛期よりも、さらに前の時代のログかもしれない。フロンティアと現実世界が戦争になる遥か以前の光景だと直感する。この光景がログに過ぎない可能性に湧き上がる感情。
が、その平穏な空間を切り裂き迸る電光。同時に現れる幾億の光の粒子。
本能的に身構える。先まで交戦状態にあったのだ。『奴が自分達を追ってきたのしれない』と警戒してしまう。
自分達から十メートルくらい離れた所に形成された光のサークル。その中で粒子密度が更に増し、瞬く間に人の形を作り出していく。
転移時の風圧によって長い髪が金色の光を纏いながら舞い上がる。それに感じた安堵。少なくとも『奴』ではない。
やがて光が消失すると、そこに見知らぬ自分と同年齢くらいの少女が取り残される。
美玲の瞳が見開かれた。その唇が僅かに震えている。
「あれは、あの方は…… これもログ…… なのか? いや、しかし」
明らかに動揺し、掠れた声を絞り出した美玲。が、少女が瞳を開くと突然『王の前にひれ伏す』かの如く片膝を突いた。驚愕と畏怖を浮かべた彼女の表情が、徐々に憧れの対象を見るかの如く変化していく。
美玲の行動の理由が分からない。自分が取るべき行動を完全に見失い、結果として再び転移してきた少女を観察するのみとなってしまう。
風に靡く長い漆黒の髪。切れの長い瞼の奥には、澄んだ光を称えた黒い瞳が覗く。日本人としての美しさの全てを余す事なく集積したかのような容姿。けど、それはあまりに整い過ぎていて、怪異の如き霊的な存在を連想させてしまう。
少女の瞳が大きく見開かれた。そして細められたかと思うと、その美貌を台無しにするほどに表情が歪められる。目じりに溢れ始める大粒の涙。
「……え?」
人外とすら感じた少女の顔に、これほどまでに人間らしい表情がめまぐるしく浮かんだ事に対する戸惑い。
咄嗟に『少女がこのような表情をした理由』が自分の後ろの光景にあるのではないかと疑い、確認する。が、原因になるような光景は見当たらない。
走り出した少女。そのあまりの勢いに『先の子供達の様に自身の身体を透過して後ろへ抜けるのではないか?』と考えてしまう。
が、次の瞬間、身体に感じた紛れもない衝撃。
「……へ?」
口から出た情けない悲鳴。突進するかの如き勢いで少女に抱き着かれ、たまらず転倒してしまう。けど、少女はそれでも離れようとしない。
混乱する思考。自分は彼女を知らず、このような行動を取らせる理由を持たない。
「響生! よかった…… 良かったよ…… 響生! もう逢えないんじゃないかって…… 思ったよ……」
嗚咽交じりの少女の掠れた声が聞こえた。
――彼女は俺を知っている……?
密着した身体から伝わる彼女の体温と鼓動。それに感じた違和感。そして何よりも話し方や仕草が自身の記憶を直撃する。
――まさか…… けど、そんな事が――
有り得るのか。
容姿も声すらも自分の知る人物とは異なる。それでも彼女から伝わる全てが、その有り得ない結論へと向かわせる。
――ア、アイ…… なのか?――
漏れてしまった思考に反応して、肩へと埋められた彼女の額が動く。間違いなく頷いたと感じた。その瞬間に心に広がっていく表現のしようの無い感情。
行き場を失い、宙に浮いていた両手が無意識に動き、彼女の背を受け止めた。
「随分心配させたな…… 悪かった」
自然と口から出た言葉。彼女の背に回した腕の力が増す。
が、途端に別方向から感じた殺意にも似た何か。視界ではいつの間にか立ち上がった美玲が自分を見下ろしていた。
その深紅の瞳が冷たい輝きを宿して僅かに細められる。何故か口元は引き攣っているように見えた。
「響生。これはいったいどういう事か。返答次第では、貴様が守ると約束した『私の誇り』とやらが著しく傷つくのだが?」
美玲の言葉の意味が全く分からない。けど、威圧感を増したその瞳に思わず背筋を冷たい物が駆け上がる。
「あ、いや…… これは感動の再会と言うやつで……」
美玲の片眉が僅かに上がった。
「ほう? 随分と色んな所に意外な知り合いがいるのだな貴様は」
『色んな所にいる意外な知り合い』と言う言葉に咄嗟に連想されたヒロと伊織。それによって紡ぎ出された言葉。
「そりゃぁ、前は地上で普通に過ごしてたし、それなりに知り合いが……」
深紅の瞳が更に細められる。そして彼女の拳がワナワナと震えだした。
「ちょっ! 待てっ! 怒ってるのか!?」
「何故怒る必要がある? 私は怒ってなどいない。決してな」
言葉に反して引き絞られて行く彼女の拳。
「うわぁっ! 待て、止め! 話せば分かる! 話せば分かるからっ!」
アイが覆いかぶさってるせいで自由にならない身体。彼女の背の向こう側で両腕が、あまりに空しくバタバタと動く。
「最後の質問だ。彼女は貴様の何だ?」
質問の意味が分からない。けど、『答えない』と言う選択肢は既にないのは明白だ。
「なんだって…… その家族…… みたいな感じ?」
言った瞬間、美玲の表情が激しさの頂点に達した。
「ば、馬鹿者ぉぉぉ!」
叫び声と共に視界いっぱいに広がった美玲の拳。自分の上げた情けない悲鳴に、アイの可愛らしい悲鳴が重なる。
今回も見事に急所を捉えた一撃によって酩酊し始める意識。
――なんのデジャブだこれ…… 何故、こうなった……?――
今宵2度目の疑問も誰にも届くことなく潜在意識の闇の中へと消えるのだった。