Chapter4 響生 理論エリア 一般商業領域
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「なんか場違いじゃないか? これ......」
響生は言いながら辺りを見回した。床に敷き詰められた大理石。そこに並ぶテーブルも椅子も一目で高級品と分かるデザインだ。
いかにデーターと言えど、手の込んだ作りのものは高い。しかも作りが細かいと言うことは、それだけでデーター容量を食うのだ。つまり維持費も高くつく。
窓の外には都市部を見下ろし、遥か地平線までを望む絶景が広がる。しかもドーム状の天井までもがガラスで出来ている。
「これってこの船で一番高級なレストランじゃ......」
穂乃果が半ば裏返った声で呟く。
「一番かどうかは分からないけど、営業したら高い方には入ると思う。ここを推薦してくれたのは副長だから。
でも、やっぱり副長クラスの推薦のお店って凄い」
ここに招待したアイまでもが、あたりをキョロキョロと見回している。
「てか、アイは艦長だろ。案外、こういうところで日常的にディナーなんて日も近いんじゃね?」
「私は、あそこに居るだけだし。殆ど仕事になってないから、とてもじゃないけど艦長としての収入なんて貰えない。一般クルーよりも少ないよ。そうしてくれって私が頼んだんだけど」
「それって勿体なくね? だってアイ、仕事で精神的に大分参ってるだろ?」
「高額な報酬なんてもらったら、よけい参っちゃうと思わない?」
アイは言いながら自嘲気味に笑った。
「それもそっか。でも高いんじゃね? ここ...... 大丈夫か? てか、まさか勝手にここに入ったんじゃ......」
照明の一つも灯っていない店内。どう見ても営業前だ。
そもそも一般商業エリアと呼ばれる乗員共通領域に人は殆ど存在しない。おかげで広大な都市はゴーストタウン状態だ。
現時点でこの船の乗員は八〇名ほど。艦の運航に必要な最低限のクルーと、肉体を持つが故に、データー通信による乗艦が出来ない者によって構成される。中には穂乃果のように、本人の希望によって早期乗艦している者もいるが、ごく少数だ。
この船に乗る予定の者の九割以上はまだ月にいる。ここが人々で溢れかえるのは艦が大気圏に突入し、無事地上に降りてからだ。艦の大気圏突入と言う物理的にもっともリスクが高い時を避け、彼等はレーザー光に乗ってこの船へと転送されてくる予定だ。
「まさか。この空間へのアクセスキーは正式にここのオーナーからもらってる。営業前で従業員もいないから、破格でスペースだけ借りれたの。交渉は副長がしてくれたんだけどね。
確かにここなら、眺めは一番かもしれない」
アイは周りの景色を確認すると、頷いた。
「......なんか料理が雰囲気に負けちゃいそう」
ボソボソと呟く穂乃果。
「ごめんね、穂乃果。けど、私がここに皆を連れてきたのは、豪華な気分で食事をしてほしいからじゃないの。どうしても見せたい景色があって」
「なんか珍しいもんでも見えんのか?」
ドグが言いながら、窓のそばまで歩みよる。
「見せたいものが現れるのはこれから」
アイは一度、意味深な表情をしてから、ウィンドウに視線を走らせた。
「ほら、始まるよ」
アイは言いながら、視線を真上へと移す。その視線の先を追って広がった光景に言葉を失った。
ガラス製の天井の向こうで、空の色が急激に変化していく。青く澄んだ空が藍色に変わり、それは直ぐに漆黒の闇となって広がった。無限の広がりを感じさせる闇の向こうに輝く数億の星々。明らかに地上から見る星空とは異なる。
「すごい数の星...... こんな星空見たことない」
穂乃果が呟く。
「違うな。これは星空じゃねぇ。星が瞬いてないってことは、空気の揺らぎがないってことだ」
ドグが空を見上げながら言った。その言葉にアイが頷く。
「流石ドグ。空に映し出されてるのは、この船が見ている景色」
光を歪める大気の無い世界で、圧倒的にクリアに輝く星々。天の川銀河の連なりまでもが、くっきりと浮かびあがる。
だが、それは地平線から現れた強い光によって急激に遮られていく。圧倒的なまでの青い光。それが空の大半を埋め尽くしながら登っていく。
自分は五年もの間、この光から遠く離れた地で生きてきたのだ。無意識に身体が震えるのを感じた。
深く青い海は太陽の光を筋状に反射し、雲はそれ自体が白く輝く。美しい海岸線を描く大陸に寄り添う小さな島国。
長いことそこに帰ることを夢見てきた。けど、もうあの頃には戻れない。
フロンティアは圧倒的な科学技術力と軍事力をもって地上を制圧した。自分達の育った街はすでに存在しない。
そして自分は故郷を滅ぼした側の人間だ。
故郷の者は自分達をどう見ているのだろうか。
『死霊』と言う言葉がそれを象徴しているのだろう。死して尚、生に執着した人々の末路。自分を人と信じるマシン。
嘗ての自分は彼等に恐怖し、絶対悪だと信じていた。人類を一方的に襲う『自我を持った機械』だと教わったのだ。
けどそれは違う。
戦争は起こるべくして起き、その結果もまた必然だったのだ。歩み寄る機会はいくらでもあったのに。
――何故、こんなにも捻じれてしまったのか......
いかつい顔に何時になく複雑な表情を浮かべ、外を見つめるドグ。彼も年齢を考えれば地球出身のはずだ。フロンティアの首都が月に移ってからまだ一五年しかたっていない。
「......うまく行っていた時期もあったんだ。見かけはな......」
ドグが絞り出すような声で呟いた。その言葉に皆が一斉にドグを見つめる。
ドグは戦争の一部始終を知っているはずだ。『人』でありながらフロンティア側につき、フロンティア側からその一部始終を見届けた。
だが彼はそれを話したがらない。開戦当初からフロンティア側についた人の殆どが、フロンティア内に肉親を持つ者だ。今の自分のように。
そして彼等の殆どは、その肉親と運命を共にしている。自ら肉体を捨てフロンティア内で寿命を全うしたのだ。だから、当時のフロンティアに何が起きたのかを知る者は少ない。
「......パパは、何を知ってるの?」
穂乃果がドグのそばまで歩み寄る。
「パパがそれを話したがらないのは気づいてるよ。けど私は知りたい。あの日、何故私たちの街が戦場になったのか。私は何故この世界に来なければならなかったのか。
もちろん、私が今日、言ったことは嘘じゃないよ。私は自分を悲観してないし、パパも恨んでない。......でも......」
「ああ、わかってるよ」
ドグは言いながらゴツゴツした大きな手を穂乃果の頭の上に置いた。
「おめぇら、フロンティアの歴史は学んだか?」
「ああ、学校で教わるからな」
けど、自分が知っているのは概要に過ぎない。
フロンティアと現実世界間には時間軸のずれがある。フロンティアの歴史は三五四年。だがこの世に『多重理論分枝型 生体思考維持システム』と呼ばれる装置が誕生してから、五四年しかたっていない。
彼等は戦時中の三年間を、現実世界の一五〇倍という時間の速さで歴史を刻んだ。それは断続的な時間加速だったが、結果的に三〇〇年もの差を生む。
彼等の兵器が僅か三年で驚異的な進化を遂げたのはそのためだ。
開戦のきっかけは、当時ビッグサイエンス社に置かれていたフロンティア中央サーバーを現実世界の人々が一方的に落したことに始まったとされる。それによってフロンティアは当時の人口の約半数を失ったと言う。
現実世界の人々はこの世界を文字通り消し去ろうとしたのだ。
けど、それはフロンティア側から見た歴史だ。自分たちが彼等を『死霊』と呼んでいたように、そこには歪みが存在しているのかもしれない。
まして彼等にとって戦争は三〇〇年も続いたのだ。彼等にしてみれば現実世界は、はるか昔から戦い続けてきた宿敵だ。
「俺には、フロンティアが時間加速中に起きた事は分からねぇ。資料はあっても、実際に見てねぇからな。
俺はフロンティア側に付きながら、それを外側から見ていた卑怯な人間だ。妻も子供も加速された時間の中で寿命を全うした。なのに俺は生きてる」
ドグはそこまで言うと、何かに耐えるように瞳を閉じた。
「多重理論分枝型 生体思考維持システム。これを作り上げた人を俺はよく知ってる。俺の師だった人だ」
その言葉にアイが目を見開いた。だがそれは直ぐに伏せられてしまう。それを見たドグが言葉を詰まらせた。
「いいの。続けて」
アイが俯いたまま言う。
「俺は言葉を選んで説明するなんて繊細なことは出来ねぇ。それに、この話で一番辛いのはアイかも知んねぇ。それでも聞くか?」
アイは頷いた。そして、青い瞳に強い意志を宿して真っすぐとドグを見つめる。
「私も聞きたい」
ドグが頷く。
「その人の名は葛城 智也。アイの実の父親だ......。 すげぇ人だった本当に。
元々は脳の委縮を伴う難病の治療から始まった研究だ。死に行く脳細胞に変わり、それと全く同じ機能を果たすニューロチップの開発。これに成功したのが全ての始まりだ。
こいつの普及によって、当初の目的だった難病は根絶されたに等しい。
だが、それは哲学的な問題を同時に生んだ。脳の全てがこのチップに置き換わった者が出る可能性だ。そいつを人間と呼べるのか? ってな。
バカバカしい。このチップが量子回路によって動作するものではなく、脳神経細胞のクローンだったら、こんな議論は出なかっただろうよ。ニューロチップの動作は脳神経細胞の動作と全く変わらねぇ。脳内ホルモンの分泌だって再現してんだ!」
ドグは最後の言葉を荒らげ拳を握りしめた。そして自身を制するように瞳を閉じる。
「多くの批判もあったが、この技術は俺の師が率いるチームによってさらに発展した。
肉体と意識の分離。魂の抽出。
身体に大きな損傷を負って生存困難な者。今の医療技術では生存が困難な者への適応を目指して開発された装置。
脳の全てをニューロチップへと置き換え、その情報を元に仮想世界に生体脳が持つ神経ネットワークを、寸分の狂いもなくオブジェクト化するシステム。それが『多重理論分枝型 生体思考維持システム』だ。
フロンティアは純粋な医療システムとして開発されたんだ。
師はよく言っていた。『現在の医学で生きることが困難な者にとっての希望であってほしい。別の世界で寿命が尽きる日まで前向きに生きるためのシステムであってほしい』と。
俺も同感だ。
だが、このシステムの存在は、先の問題をより具体的にする。肉体を失い、思考の全てを量子回路内で行う。もはや生物的な要素は残されていない。これを生命と呼べるのか? と。
答えが出せないまま、徐々に被験者は増えていった。死は誰にとっても恐ろしいもんだ。まして愛しい者の死は受け入れがたい。そこから逃れる術に縋り付く人はいくらでもいた。
フロンティアの人口は少しずつ増え続け、やがて社会を形成し始める。フロンティアに送られてくる者は何も大人だけじゃねぇ。この世に生を受けることができなかった乳児までもが、母親の強い希望によってフロンティアに送られるようになった。
現実世界もそれに徐々に対応していく。人型ユニットの登場だ。無人作業ユニットとも呼ばれていたな。
フロンティアの住人が、フル神経接続によって遠隔操作するロボットだ。こいつの活躍は世の中を変えた。
二次災害の恐れがある場所での救出作業から、国際宇宙ステーションの補修作業まで、彼等の活躍は多岐に及ぶ。
場合によっては意識を完全に作業ユニットに移した状態での作業なんてケースもあった。地球から遠く離れた場所での作業だ。彼等の意識はレーザー光に乗って、光速で移動できる。宇宙事業は格段に進んだ。
外見が全く人と変わらないヒューマノイド型と呼ばれるユニットの開発も盛んになった。
一時期はうまく行っていたんだ......」
瞳を閉じたドグ。眉間に深い皺が刻まれる。
「--だが、それによってフロンティアの者が起こす事故が度々起こるようになった。当然だ。ヒューマンエラーは必ず起きる。それこそ思考の全てを量子回路の中で行なっていても、人であることの証明と言ってもいい。
だが、メディアは過剰に反応した。そんな時だ。フロンティアの者による現実世界での犯罪が起きたのは。それも作業ユニットで自らの雇用主を握りつぶすと言うあまりに凄惨な事件だった。
犯罪自体は決して許されるものじゃねぇ。けどな、この手の事件は以前から現実世界にも在った。普段大人しい人間が追い詰められて、常軌を逸した事件を起こす。何も特殊な例じゃねぇ。メカじゃねぇんだ。現実世界の人が起こす事件はフロンティアの者によってだって当然起きる。
メディアの過剰反応は加速する。それは潜在的な恐怖を呼び起こした。『生体から電子化される過程で何かのエラーが起きているのではないか? だとしたら、それはもはや人ではなく、生命ですら無く、自我を持つ鋼鉄の機械ではないのか?』」
瞳を閉じ、耐えるように語るドグ。徐々にすれ違って行くフロンティアと現実世界を目の当たりにしながら、彼がどんな思いで生きて来たのかを初めて知った気がする。
ドグがゆっくりと瞳を開いた。やり切れない感情を宿した瞳が、自分達から天上を埋め尽くす巨大な青い光へと向けられる。
「--激しい逆風の中、フロンティア内に画期的な技術が誕生する。それはこの世界に示された『希望』と言ってもいい技術だ。
『乳児達のオブジェクト化された脳』が持つ共通コードを利用しての、新たな思考体の創造。
この世界で子を得る方法が確立したんだ。
だが、それは同時にフロンティアと現実世界との間に『命に対する考え方』に大きな乖離がある事を明確化してしまう。
フロンティアを運営するビッグサイエンスは『その技術によって誕生した思考体』を『人』と認めなかった。純粋にコンピュータ内で誕生したAIとして処理した。結果、悲劇を生む。
初めてフロンティア内で純粋に生まれたその子は大量に複製され、二時間と言う寿命を課せられた上で、世の中に大々的に発表された。完璧な感情模倣プログラムを搭載したAIの体験版として......」
アイが瞳を閉じる。まるで何かに耐えるかのように。
ドグの話はさらに続いた。
「彼女に対しての価値観は現実世界とフロンティアで全く別物だった。フロンティアにとって仮想世界内で子を持つことは、長年の夢だった。
当然だ。フロンティアで生きているのは大人だけじゃねぇ。それこそ乳児の時にフロンティアへ渡るものもいる。幼少期の者もいる。彼等は仮想世界で成長し、出会い、結ばれる。だが子は成せねぇ。
彼等は現実世界で生きる俺たちと何も変わらねぇ。限りある命を必死で燃やしてんだ。なら次の世代へと繋げたいと言うのは当然の欲求だ。生命としての権利だ。
フロンティアの人々にとって『彼女』は当然『人』だった。発生の由来の一部が人工的だったとしても、元となるのは自分たちの思考構造なんだから当然だ。彼等にとっては『人工授精によって誕生した子は人か?』と問われるのと大して変わらねぇ。
だが、現実世界の者にとっては『彼女』は、オブジェクト化した脳の解析によって、人為的に生み出された存在だ。純粋にコンピューターの中で人為的に誕生した人工意識体。それを人と認めることができなかった。
フロンティアはビッグサイエンスの行為を是とした司法に抗議してデモを起こした。当然だ。ビッグサイエンスが行った事は、彼等自身の存在を否定したに等しい。
デモに参加した人数は数千人に及ぶ。作業ユニットやヒューマノイドが列を成して、現実世界の街を練り歩いた。
現実世界の人々にとって、それがどれほどの恐怖を生んだか。
人の数倍はある重機の様な巨体。油圧ポンプによって駆動する鋼鉄の腕を持ち、数トンの瓦礫を片手で持ち上げるような存在が列を成して街を練り歩く。響き渡る電子音声の怒号。鎮圧にかかった治安隊を玩具のように蹴散らし、列は進行していく。
政府が本来なら戦争に使うべき重兵器の使用を決定するのに時間はかからなかった。
そしてデモ隊は鎮圧される。
彼等の行動は一定の成果を生んだ。フロンティアに誕生した新たな命に対する議論だ。
そして『彼女』は人として認められる。フロンティアは大きな勝ちを得たかに見えた。
だが、現実世界は『彼女』を生んだ技術を倫理的に問題があるとして、国際的に使用を禁じた。同時に、生体脳電子化技術の使用禁止へと世界は向かう。理由はやはり『倫理的な問題』だ。
実質的なフロンティア運用停止だった。新たな流入がなければ、仮想世界から人が消える。そして最後の一人が寿命を全うするのと同時にフロンティアの運用は終了する。
それらの決定が異様な速度で出された。結局、デモによって現実世界の人々に焼き付いたのは『彼等の思い』では無く、恐怖だったんだ」
ドグは一度言葉を止め深呼吸をし、瞳を閉じた。
「フロンティアはこれを不服とし、独立を宣言する。一国家として、世界の決定を拒否するために。
そしてあの事件が起きるんだ。フロンティアが、グラウンドゼロと呼ぶ事件。恐怖に怯えた現実世界は、フロンティア主要サーバーの電源を落とす。具体的にはサーバーが置かれている施設へと続く送電線を物理的に遮断したんだ。
フロンティアは、バックアップ電源によって残された時間の全てを、世界と人の転送に費やした。当時開発中だった月面基地に設けられた大容量量子コンピューターへの転送。
だが、その全てが終了する前に終焉は訪れた。結果、フロンティアは世界と人口の半分を失ったんだ。
そして思い知る。自分達がいかに脆い存在かを。現実世界の人々は、自分達にとって神にも等しい力を持ち、何時でも躊躇なく自分達の世界そのものを消し去る事が出来るのだと」