Chapter 47 響生
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多量の粘液で覆われた身体を、金属光沢を放つ装甲が包み込んでいく。それによってネメシスと殆ど同外観となったNo.2122。
「見ての通り、その子のスペックはネメシスと一緒だよ。残念ながら僕達には、ネメシスの様な兵器を大量に生産する技術もプラントも無いからね。君たちの兵器をそのまま流用出来るように作ったんだ。でも、これは不本意だ。うん、本当に不本意だ。もっと色々な形状を試したい。でも現実世界で与えられる身体が無いんじゃね、可哀そうだろ?」
八つの瞳に燈る赤い輝き。次の瞬間、No.2122からエフェクトの掛かった異質な『音』が、空間を揺るがすような音量で発せられる。
それは紛れもない咆哮だった。闘争本能そのものを具現化したかのような獣の如き咆哮。しかも現存する如何なる動物の物とも違う。その凄まじさに大気はビリビリと震え、全身の毛が逆立つような錯覚に襲われる。
振り上げられる多量の触手。それが振り下ろされる刹那、先端に燈った赤い光。次の瞬間、無限の彼方に向け、無数の『光の刃』が伸びあがる。
――なっ!?
視界を埋め尽くす警告表示と共に跳ね上がる思考レート。あまりの高エネルギーの通過によって直線状にプラズマ化した大気。上空で複雑に交差した『それ』が間隔を狭めながら地上へと叩き付けられる。
大地を引き裂くかの如く響き渡る轟音。舞い上がった土煙によって殆ど何も見えない視界の中で、網目状に溶融した大地だけが赤々と浮かび上がる。
ギリギリだった。仮想世界であるが故に可能だった『生体部放棄』に等しい動き。それによって辛うじて集積光の隙間に、身体を滑り込ませる事が出来たのだ。
無茶苦茶だと感じた。未だかつて集積光をこのような放ち方をするネメシスを見たことがない。
――美玲!――
無意識に行った思考伝達。
彼女は無事なのか。仮想空間の仕様が分からない。この空間に『死』が定義されている可能性は十分にあり得るのだ。
土煙の中、自分から僅かに離れた所に浮かび上がった人型の光。長い髪を激しく波打たせる細いホルムが急激に肥大化する。伸びあがる無数の触手。美玲がネメシスを召喚したのだと悟る。僅かに感じた安堵。
が、途端に頭に罵声が響き渡った。
――よそ見をするな!――
視界上の無数のカーソルが急激に巨大化する。猛烈な勢いで迫る触手群。咄嗟にハンドガンを構え、身体のオート制御による射撃を行おうとする。が、その刹那、触手の先端から糸状の何かが大量に吹き出した。
それが、ハンドガンを握った左腕に絡みつく。その瞬間、凄まじい力で腕を引上げられ、宙に浮く身体。回転する視界。腕が引きちぎられんばかりの力で空中を振り回され、そのまま背中から地面に叩き付けられる。
ありもしない肺が潰れ、一瞬にして中の空気が消失したかの如き衝撃。悲鳴すらも上がらない。
瞬間的に硬直してしまった身体。視界には別の触手が衝撃波の渦を纏い、眼前に迫る。
――響生!――
頭に響いた叫び声と共に、視界を横切る集積光。眼前に迫っていた触手が、それを避けたために軌道が変わり、自身の直ぐ脇で大地へと突き刺さった。
――あれを避けるのか!?――
さらに視界の隅で燈った赤い輝き。美玲が二射目を放とうとしている。
No.2122が大きく跳躍した。空間を抜けていく美玲の2射目。
2 美玲
――バカな!?――
三射目を放とうとしていた触手に、2122の繊毛が絡みつく。それによって強制的に射撃方向を変えられた集積光。
集積光を持たない触手に格納された『それ』は武器ではない。本来、戦闘とは無縁の繊細な作業をするための物なのだ。扱うためにはそれだけの集中力を必要とする。
それを戦闘中に、しかもこんな使い方をするなど有り得ない。
驚愕のあまり僅かに途切れた集中力。途端に身体の一部を焼かれるような凄まじい苦痛に襲われる。繊毛に絡めとられ、伸びきった触手の上を通過する集積光。一部が溶融した『それ』が力任せに引き千切られる。切断面から吹き出す血の色をした流体液。フィードバックされた苦痛の凄まじさに、溜まらず身を捩じる。
――ねぇ、本気出してる? このままじゃすぐ終わっちゃうよ?――
頭に響き渡った幼い声。それに満足するかのような下劣な笑い声が重なる。
「驚いてるのかな? うん、驚いてるね。間違いない。
先も言ったように彼の戦闘スペックはネメシスと一緒だよ。うん、一緒なんだ。
違うのは君達が、感覚処理しきれないセンサー情報を、視界に表示するのと同時に、いくつかの自動化された行動パターンによって処理するけど、その子は『その全て』を感覚で行う。
それと、生まれながらに触手を持つ彼は、全ての触手に神経が通っている。一部の触手を、プログラムによる同調処理と、イメージ操作する君達とは、根本的に違う。うん、違うんだ。
つまり、君達では勝てない。うん、勝てないんだ。凄いだろ? うん、凄いよね」
――パパの話は長いし、何を言ってるか分からないから嫌いだよ。そんな事よりさ、パパ。これ、弟達のように全部むしっていい?――
ゾっとする様な言葉が悪びれも無く無邪気に発せられた。荒木が自分の子供達に何をさせていたかが容易に想像がつく。イメージされてしまったあまりに悍ましい光景。
――貴様!――
自身でも驚くほどの低い声が思考伝達に乗った。嘗て感じたことも無いような感情が、渦を巻いて湧き上がる。
――そんな事をしては彼女の精神が壊れてしまう。うん、壊れちゃうな。壊れ物は嫌いなんだよ。うん、嫌いだ。
彼女には僕の子供を産んでもらわなければならないからね。うん、ならないんだ。だから壊れる前にバックアップを取らないとね。その後は好きにして構わないよ。うん、構わないな――
――ええ? けど、ママ達みんな壊れてるじゃん――
――だから興味が無いんだ。うん、興味がない。デリートするのすら面倒なほどにね。うん、本当に面倒だ――
自身を無視して進行する悍ましい会話。
――ふざけやがって――
そこに唐突に割り込んだ低く掠れた声。その強い威圧感を伴なった声に止まる会話。
――響生!――
警告ウィンドウの向こう側で、地に伏していた響生が、揺らめきながらゆっくりと立ち上がる。右手に握られた大剣に燈る高エネルギー粒子の反応光。
静かに上げられた瞳には禍々しいまでの光が宿る。だが、そこからは一切の感情が読み取れない。
――おや? いつの間にか、凍結されていたはずの3っつ目の人格ソフトウェアが起動しているね? 君達はオブジェクトを共有しているのかい? これは驚いた。うん、本当に驚いた――
――黙れ――
――まさか、勝てるつもりでいるのかい? 君は本当に頭が悪いんだね。うん、これほどとは思わなかった――
――黙れと言った――
響生が腰を低く落とした。それに呼応するかの如く、大剣が放つ光量が増す。犬歯をむき出しにして食いしばれた奥歯の間から漏れ出す低い唸り声。空間を伝う何かが変わっていく。
瞬間的に肥大化する装甲ジャケット。そして、ついに発せられた呪いを込めるかの如き咆哮が、大地を震わせた。