Chapter 46 響生 Amaterasu:01 改変領域
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響き渡る雷鳴。空間そのものを揺るがすようなその音に、強制的に再復帰される意識。その瞬間、最優先に確認するべき事を思い出す。
――美玲!――
咄嗟に上体を起こし、辺りを見渡す。自身のすぐ隣で仰向けに倒れていた美玲。その肩に手を置き強く揺する。
「美玲!」
途端に、彼女は身体を激しく震わせた。感じた安堵。が、次の瞬間、凄まじい勢いで手を振り払われる。そして、就寝中を襲われた獣の如き動作で飛び起き、身構えた美玲。
激しい敵意を宿した深紅の瞳に睨み付けられ、無意識に身体が委縮してしまう。
「悪い…… その」
出かかった言い訳。が、彼女の表情は『それ』を言い切る前にさらに激変した。極限の緊張状態から解放されたかの様な安堵が宿ったかと思うと、それを通り越し今にも泣きだしそうな表情へと変わる。けど、その顔は直ぐに伏せられてしまった。
そして、強い寒気を感じたかの様に自身を両手で抱え込む。
「すまない。柄にもなく狼狽した。あの悍ましい感覚が身体中にまだ残っている――」
それでも、言葉の途中で完全に平静を取り戻した美玲。瞳に何時もの強い輝きを宿し、顔が上げられる。
「――奴は……?」
「分からない」
辺りを見渡す。異様な空間だった。『雲』と言う表現が正しいのかも分からない紫がかった闇色の流体が空間を覆いつくし、至る所で渦を巻く。迸る雷光。
虚無をも思わせるその空間に、重力の方向すら無視して様々な角度で『島』としか表現できない『何か』が点在していた。自分達がいるのはその一つであることを認識する。
何よりも目を引くのは、一際大きな『島』の中心に配置された異様な外観を持つ巨大な建築物だ。
決して近い訳では無い距離にも関わらず『それ』を装飾する巨大なオブジェの数々がハッキリと視認できる。そのどれもが、神話の怪物を具現化したかのような悪趣味な装飾だ。
「下らん。魔王でも気取っているつもりなのか。作った者の精神レベルが窺い知れる」
鼻を鳴らし、吐き捨てるように言った美玲。
『君は酷いことを言うね。うん、本当に酷いことを言う――』
方向性の無い声が唐突に空間に響き渡った。特徴的な言葉使い、忘れるはずがない。
空間に溜まり始める光の粒子。それが、醜悪な容姿を形作っていく。
「――作ったのは僕じゃないけどね。気に入ってはいるんだよ。うん、確かに気に入ってる。色々と都合が良いからね。
この空間をデザインしたゲームクリエーターは有名だったんだよ? 誰だったかな。思い出せないな。いや、思い出す必要がない。うん、いらない情報だ」
本能的に腰を落とす。無意識に背の大剣へと伸びた右腕。その瞬間、視界に展開されたウィンドウ。
『戦闘意思を確認。支援システム起動』
メッセージと共にターゲットスコープを初めとした様々な情報が一斉に視界に展開される。
――な!?――
感じた戸惑い。支援システムの全ては、美玲を助けた時に失われたはずだ。
「気に入ってくれたかな? うん、気に入ったはずだ。ネメシスの戦闘支援システムをベースに移植したんだけどね。問題は無いはずだ。うん、無いはずなんだ。そうだ、ここの地形データも入れておいた。うん、そうしないと駄目だからね」
――いったい何故!?――
「――驚いてるね。うん、良い表情だ。頭の悪そうな表情だよ。うん、悪いに違いない。
僕は言ったよね? 僕の子供達の子守をしてほしいって。うん、言ったはずだ。
ああ、そうだ。そっちの君。君にも相手して欲しいんだよ。君の記憶見させて貰ったよ。うん、見たんだ。
君はネメシスのランナーとしては、相当に優秀なんだね? だから、僕に見せて。君の能力を。子作りはその後で、ゆっくりと。楽しみながら。君も自分がどんな子を産むのか少しは興味があるだろ? あるよね? うん、あるって顔してる。だから今呼ぶ」
瞼の無い巨大な眼球の下で、下劣な笑みを浮かべた唇。
「残念だが、興味は無い」
美玲がそう言い放った瞬間、突如として彼女の背後に浮かび上がった金属光沢を放つ触手。それが凄まじい勢いで荒木へと伸びる。が、それは転移前と同じく不可視の壁に炸裂し、轟音を轟かせるのみとなってしまう。
荒木の口元の笑みがさらに強いものになる。
「うん、悪くない判断だ。けど、学習能力が無いようだね。うん、無いみたいだ。僕はこの世界のマスターだと言ったよね? うん、確かに言った。
だからね、君は僕の子を産むしかない。うん、無いんだ。でも、素晴らしい子が産める。うん、生めるに違いない。きっとこの子より優秀な子が。
――おいでNo.2122」
次の瞬間、空間に出現する大量の光の粒子。それが途轍もなく巨大な物体を形作っていく。やがて光を失うのと共に現れる『何か』。
その悍ましさに声が出ない。脈打つ巨大な触手。それは決してネメシスが持つ金属光沢を放つ物ではない。大量の粘液に覆われた身体。八つの巨大な眼球は『人』の眼球そのものだ。いや、違う。『人』の物だけではない。縦一直線に伸びた瞳孔を持つ瞳。さらに鳥類特有のものまである。
頭部には昆虫を連想される触覚を幾つも持ち、長くのばされた触手の至る所に、得体の知れない感覚器が備わる。
「この子ね。特に元気だから僕のお気に入りなんだよ。うん、気に入ってる。生まれる時、身体が大きいのと、突起物が多いせいで産道通れなかったらしくてね。母体を食い破って出てきちゃったんだよ。
でも、安心だよね。この世界、基本死ねない設定になってるから。生みの苦しみは大きい方が何とやらってあったよね? いや、違うな。うん、違う気がする。
身体はね機能的な生物のを集めてみたんだ。これだけの生物の情報を集めるのは苦労したんだよ。うん、本当に苦労した。
脳はもちろん『人』のを使ってる。それが一番優秀だからね。なんたって僕の子供だ。優秀そうだろ? うん、優秀に決まってる。
問題はね、この子喋れないんだ。声帯が人と違うから。けど思考伝達はちゃんと出来る。だから、問題ない。うん、問題ないんだ」
「なんてことを……」
美玲から掠れた声が漏れた。
こんな事が許されていいはずがない。良いはずがないのだ。
「違うよ違う。僕にこれをさせる切っ掛けは、君たちのネメシスだよ。うん、そうだ。ネメシスだった。
『あれ』を可能にしたのは、乳児期から幼少期に掛ける度重なる非人型オブジェクトに対する理論神経接続の経験だね? 本来『人』にはない構造体を操作するための、神経ネットワークが見事に脳内に構築されてる。
凄いと思ったよ。うん、本当に感動的だ。けどね、何故君達はその先に一歩進まない? 気付いていただろう? その可能性を。うん、気づいてるはずだ」
最初から、オブジェクト化した脳に与える身体を『こうした方が良い』に決まってる。その方がシンクロ率も高いし、神経系の発達も全然違う。うん、これは実証済みだ。この世界は本当にいい。科学の不可能を可能にする。うん、本当に感動的だ」
――イカれてる
理解の範囲を遥かに超えた言動。その全てが悍ましく感じる。湧き上がる激しい憤りと憎悪。それが強すぎて思考が混乱するような錯覚を覚える。
「何が科学だ…… こんな事、こんな物が!」
掠れた声と共に絞り出された言葉。けど、それ以上出てこない。
「倫理に反しているとでも言うのかな? うん、言いた気な顔してる。でもそれはおかしい。うん、おかしいんだ。
何故って顔してるね? 君たちはバカだね。うん、本当にバカだ。最初にその倫理の壁を破ったのは君たちの創始者じゃなかったかな? うん、違う訳がない」
「バカな。フロンティアは『現在の医学で生きることが困難な者にとっての希望であってほしい。別の世界で寿命が尽きる日まで前向きに生きるためのシステムであってほしい』この理念のもとに生み出された世界だ! 貴様のこれとは違う!」
怒りをぶちまけるかのように美玲から発せられた罵声。荒木はそれを、滑稽だと言いたげに笑った。
「なら、私にも理念があると言ったら受け入れてもらえるかな? うん、そう言う意味だ。
これは進化だよ。そして、我等はその方向を自分で決定する術を手に入れた。凄いと思わないかい? 思うよね? うん、思うべきだ。これこそ、人が未来永劫に渡って反映する術だと思うよ。うん、間違いない。
人の容姿なんて捨ててしまえばいい。せっかく肉体を捨てたんだからね。うん、捨てるべきだ。
僕を否定するかい? けど、それは『理解できない者達』が『君たちの世界』を否定するのと何が違う? うん、一緒だ。そうに決まっている」
――パパ、この人たちが僕と遊んでくれるの?――
痺れを切らしたかのように会話に割り込まれた思考伝達。頭に響き渡った声のあまりの幼さに愕然とする。
心の全てを支配する表現する術の無い感情。
――うん、その通りだ。呑み込みが早いな、流石僕の子だ。沢山遊ぶといい。うん、そうしなさい――
「No.2122、が痺れを切らしちゃったね。うん、時間切れだ。お話は御終い。うん、終わりにしなければならない。
さぁ、楽しんで。うん、楽しむと良い。そうだ気を付けたほうがいいね。子供は残酷だよ。うん残酷だ。特にこれ位の年頃はね」




