Chapter 45 アイ 3時間前
1
「このデータを、私を経由して読み込んで」
サラに言われるがままに読み込んだデータ。そしてウィンドウに表示された内容に愕然とする。
「何…… これ……?」
網目の如く広がる空間が至る所で遮断されることで、異様に複雑化し、迷宮と化した地下空間。それは自分が持っていたマップよりも遥かに地中深く続く。そして明らかに上の階層とは違う『何かの施設』。
フロンティアが把握していない巨大地下施設。それが何を意味しているのかは容易に想像がついた。
何故サラがこんな物を持っているのか。
「貴方はいったい……」
掠れた声が漏れる。
「安心して、私はまだ『彼等』の一部じゃない。
生きるために必要だったのよ。こう言うスキルが。散々ひどい目に遭ってきた。ニューロデバイスに侵食された脳を持つ。ただそれだけなのに」
言葉を区切り唇を噛みしめ視線を落としたサラ。
その先に広がる巨大なクレーター。辺りが暗くなった事でその中心部は闇に沈み、その深さがより強調される。
間違いなくこの下に広がる地下空間に響生がいる。けど、これでは彼に辿り着けない。
やがて何かを決意したかのように顔を上げたサラ。
「提案があるの……」
「……提案?」
思いもよらない言葉に自分の表情が引き攣るのが分かる。
「私に居場所があるとすれば、多分此処。どんなに貴方達の事を知っても、やっぱり私は貴方達が憎い。
だから、私は『彼等』と合流する。けど、何の手引きも無しに、ニューロデバイスを持つ私が真正面から行っても、きっと受け入れてはくれない。だから私はこの機体を手土産にしたい」
「そ、そんな事!?」
言っている事の無茶苦茶さに、思わず声量が増した。
「――出来る訳」
「けど、貴方はそれで中には入れるわ」
出かかった自分の言葉を遮るようにして重ねられたサラの言葉に、思わず目を見開く。
「これは取引よ。私はこの機体に、『貴方の意思が宿っている事』は、口が裂けても言わない。
チャンスはあるんじゃない? 意思が宿ってると思わなければ、『彼等』は勝手にこの機体が動き出すとは思わないだろうから。
それに、ワイヤレス回線さえあれば、貴方は施設内部のネットワークに容易く侵入出来る。違う?」
――確かにそれは可能かもしれない――
めぐり始める思考。
「――『彼等』のネットワークに侵入すれば、それを利用して『貴方の彼』を探すことも出来るんじゃない?」
サラの言う事は尤もだと感じる。けど、この提案に乗るためには一つ前提が必要だ。
サラが、現段階で本当に『彼等の一部』ではないと言う確証が必要なのだ。その為にはハッキリさせておかなければならない事がある。
「サラ、一つ教えて、貴方は施設マップをどうやって手に入れたの?」
彼女の表情が目に見えて陰った。
「今まで散々な目に遭って来た…… って言ったでしょう?
私をレジスタンスに誘った男。私だって最初からそれを信用するほど馬鹿じゃない。このデータはそいつからくすねたのよ。代償を支払ってね……」
まるで汚らわしい何かを思い出したかの様に自身の身体を抱え込み、視線を自分から逸らしたサラ。
「――皮肉な物ね。私にこんな運命を強いるニューロデバイスが、私にこんなスキルを与えたんだから…… でも、万能じゃないのよ。これは……」
顔を伏せたままの彼女から、あまりに弱弱しい声が漏れる。訊いてはいけない事を訊いてしまったのだと悟る。同時に彼女を信用できると感じた。
――違う――
自分はただ、後押しが欲しかっただけだ。答えなど決まっているのだから。響生達に近づく手段があるのなら、それに乗る以外の選択肢が自分にあるはずがない。
「ごめん……」
言った瞬間、顔を上げたサラ。
「やめてよ! 聞きたいのは、それじゃない!
どうするの!? 私はこの機体を操縦出来ないから、選択権は貴方にあるわ。けど、『貴方の彼』が、『彼等』に捕まるのは時間の問題だと思うけど?」
サラに真っすぐと視線を合わせる。そしてゆっくりと口を開いた。
「分かった…… その提案に乗る」
2 アイ 現在
視界に広がる薄暗い空間。暗視野によって浮かび上がるのは夥しい数の機械の残骸だ。中にはネメシスの一部と思われる物もある。恐らくこういった物を、一時的に保管する倉庫なのだろう。
6メートル程の高さの天井に設けられた照明は、自分を運んできた作業員が出ていくと消されてしまった。閉められた金属製の巨大な扉。最も開いていたとしても、動力を損傷し動けないこの機体では意味を成さない。
地上から、かなりの深度に潜ってしまったために、断たれたディズィールとのコネクト。視界の端に配置したウィンドウでは刻一刻と、予備電源の供給可能時間が減っていく。
内部に入ってしまえば、何処かのワイヤレスネットワークにアクセス出来る予定だった。
だが、ウィンドウに表示されたアクセスポイントは皆無だ。それどころか、時代錯誤もはなはだしいアナログ波しか飛び交っていない。『死霊』に対する対策である事は明白だった。
安易に考えすぎていた。何もかも。
響生と共に『あの日』まで過ごした地上では、まさにこのような対策が取られていたではないか。
何故、忘れていたのか。
有線に統一されたネットワーク網。しかも一定スペック以上のコンピューターをネットワークに繋ぐことが厳しく制限されていた。全ては『自分達のような存在』がネットワーク網に侵入するのを防ぐためだ。
自分のバカさ加減に打ちのめされる。
襲われる孤独感。
それに抗い、意識して瞳を開く。
――けど……
ここまで想定してなかったにしろ、リスクは承知だったはずだ。危険な取引に応じた。その自覚はある。
そして、まだチャンスはある。恐らく最後のチャンスが。
この機体が解体される瞬間、『彼等』は機体のシステムを調べるために、何かしらのコンピューターへ、ディオシスの制御ユニットを繋ぐはずだ。それに賭けるしかない。
視界のウィンドウに目を走らせる。予備電源の供給可能時間が一時間を切っている。温存しなければならない。
思考コマンド入力で別のウィンドウを呼び出す。自ら供給電源を断つためのウィンドウ。そこに再起動条件をプログラミングしていく。条件は『外部からのアクセスを受けた時』。
設定を終えると同時に視界に展開された『最終意思確認』。それにそっと指を伸ばす。
実行すれば自分の意識は途絶える。それは、肉体を持たない自分達にとって最も恐怖を強いる選択だ。
まして、今回それを行えば、自分は二度と目覚めないかもしれないのだから。
瞳を閉じる。
――響生……
届くはずの無い思考伝達に乗せた名前。長すぎる眠りに就いていた自分を起こしてくれた人の名前。
――もし、私が目覚めなかったら――
長い年月ここで眠る事になってしまったら……
――『あの日と同じ奇跡』を響生は私にもう一度くれる?――
瞳を開く。そして震える指先に力を込めた刹那。
――ちょっと! 何考えてるのよ! 貴方が『彼』を助けるんでしょう!?――
頭の中に悲鳴にも似た声が響き渡った。それに驚き、激しく震えた肩。ウィンドウに指が触れなかったのが奇跡だ。
――サ…… サラ?――
呆然とした声が思考伝達に乗る。その瞬間、脳内に響き渡る深い溜息。
――『彼』は私の目の前にいるわ。けど、とてもじゃないけど貴方を助けられる状況じゃないわよ? それと、確かに先まで『彼女』もいた。消えてしまったけど――
その言葉に感じたさらなる驚き。と同時に『彼等』が無事であった事実に湧き上がる感情と共に大量の疑問が押し寄せる。
あまりに色々な感情が頭の中にを支配したために言葉が出ない。結果的に
――え?――
とあまりに短い一言に集約されてしまう。
――『どうなってるの?』なんて聞かないでよ? 私にも分からないんだから。
とにかく私は貴方をAmaterasuに繋ぐわ。『そうしろ』ってうるさい奴がいるのよ。『そうすれば、みんな助かる』って言ってる奴が――
サラが何を言っているのか分からない。まず、彼女の状況を確認しなければ飲み込めないような気がした。
――サラ、貴方は平気なの? そっちは安全なの?――
――私は…… 平気よ。私の事なんか心配してる余裕なんかあるの!? それより約束は覚えてるわよね?――
突然のサラの問い。それに戸惑いつつ答える。
――約束……
忘れるはずがない。
――もし、目的を果たして、生きて帰還を果たしたなら、私は必ず此処で見た事、経験した事の全てを上に伝え、そして行動する――
――分かってるならいいわ……――
視界に現れる『Amaterasuへの転送受託要求』。
その瞬間、頭の中で微かな声が響いた様な気がした。懐かしい声だった。それは遥かな記憶の中に埋もれてしまった誰かの声。けど、決して忘れられない大切な存在が持つ声だと直感する。
それに誘われるようにしてウィンドウに手を伸ばす。このウィンドウの先に、確かにAmaterasu:01は存在するのだ。そして全ての解決の糸口がこの先にある。『声』がそう心に語り掛けてくる。
指先がウィンドウに触れる刹那、感じた戸惑い。
――サラ、そっちは本当に――
――うるさいわね! 平気って言ってるでしょう!? 大体、今の貴方に『それ』以外の何かが出来るの!? 早くしてよ! 私の気が変わらない内に! ――
頭の中に響き渡る怒鳴り声に湧き上がる感情。
――サラ……――
3 サラ
――有難う――
そう言い残し、途切れたアイとの思考伝達。ウィンドウに浮かび上がる『転送完了』の意を伝える文字。
――やめてよ、本当に。貴方のそう言うところ本当に大嫌い。自分が惨めになるって言ったじゃない……――
弱々しい自分の声が頭の中に響く。
『Thank you for your work.』
――止めてって言ってるでしょう! そんな事より早くここから降ろしてよ!――
『Do you wish for standardization of the thought rate?』
ウィンドウに現れたメッセージを肯定しかけ、自分の置かれた状況を思い出す。視界に広がる全ての光景が、このまま時間が動き出せば自分に何が起きるかを容易に想像させる。
――やっぱりいい…… ロクな事にならなさそう――
力なく答えた瞬間、次のメッセージが表示された。
『If it's so, I want you to help me one more.』
――手伝うって何を?――
『You have a high skill for computer programming』
――だから、何をやらせたいのよ!?――
『Part recovery of a quantum network to Outside』
――量子ネットワーク通信網の一部復帰…… いいわ、やるわよ。どうせ暇だし。動けないし。それに――
彼女には生きて帰って貰わないと困る。
――アイは私に――
『それ』を約束してくれたのだから。