Chapter 43 響生
1
重々しい音と共に停止したエレベーター。金属製の巨大な扉が上とスライドする。
その瞬間に視界に飛び込んでくる異様な容姿の作業員たち。ある者は身体に不釣り合いなほどの巨大な金属製の腕を持ち、またある者は首から顔の半分ほどまでを金属製のフレームに覆われていた。そんな者が目に付く範囲で十数人はいるのだ。
――身体の一部を機械化してる!?――
それにしてもこれは……
「なんて顔してやがる。みんな人間だぜ? ちょっと派手な義足や義手がついてるだけだ。見かけはあれだけどよ。無ぇよりマシだろ? それに、でかい方が使い勝手が良いらしいぜ? 作業するにはよ」
言いながら、自分に無邪気に笑って見せるヒロ。
――我等は一体何だ?――
唐突に脳内に響き渡る美玲の声。
――何故『あれ』が許されて、我等は受け入れられない? 脳が生身であることが、そこまで重要なのか!?――
思考伝達に乗る美玲の声が荒立だった。そしてさらに続く。
――貴様だったらどっちを望む? もし自身の身体が大きな損傷を負ったなら、あのような姿になってでも、現実世界で生きたいと望むか?――
――分からない……――
うめく様な声が思考伝達に乗った。
そう、分らないのだ。フロンティアを知り、自身の脳の一部をニューロデバイスに置き換えて尚。
もし、『あの日』傷ついたのが、穂乃果ではなく自分だったら、自分は『それ』を望んだだろうか……
そこまで考えて、大きく首を横に振る。
自分はその疑問を絶対に抱いてはいけないのだ。絶対に…… 自分だけは……
――けど、フロンティアに渡る以外に『生』を選択出来ないのなら、俺は躊躇わない――
そうだ。『あの日』自分に出来る選択はそれしかなかった。別の手段で『生き延びる』方法など無かったのだから。
他に手段が無いのであれば、自分は『それ』を選ぶ。それは『あの日』から今も変わらない。
「響生、こっちだ! 真っ先に見せてぇもんがあんだよ!」
ヒロの大声によって遮られる思考。
「あ、あぁ……」
「待ってください! まず彼を荒木氏に会わせなければ」
自分の返事に重ねるようにして、ヒロの後ろに付いた男が声を上げた。その瞬間、ヒロの表情が一転してしまう。
「荒木の所って、まさか響生をあの『やぶ医者』に引き渡すわけじゃねぇだろうな? そんな事してみろ、分かってんだろうな? あ?」
血走った眼を見開き、男を睨み付けたヒロ。男が言葉を詰まらせ、助けを求めるような視線を『義手の男』に向ける。
「外部の者が来た際には、一度『彼』に引き合わせるのが決まりですので……」
「決まり決まりって、いちいち面倒臭ぇな。大体いつ『そんな事』が決まったんだ? あ?」
「以前からそうでしたよ。貴方は理解していないかもしれませんが」
溜息をつき、まるで聞き分けの無い子供にでも話すような口調。それにヒロが血走った眼をさらに大きく開けた。
「あぁっ!?」
声を張り上げ、ヒロが『義手の男』に一歩近づく。が、それでも彼は一切表情を変えなかった。
「我々は貴方の御友人を信用していますよ。だからこそ、手続きは踏んで頂かないと。
でなければ、我々の意思の届かない所で、ご友人の命が危ない。それでは貴方も不本意でしょう?
それに御友人は肩を負傷しているご様子。『治してあげたい』とは思わないのです?」
嘘だと感じた。『義手の男』は自分を信用してなどいない。まして肩の治療など。
「ちっ、分かったよ。けど俺も行くぜ? あの『やぶ医者』には訊きてぇ事があるからな」
「ご自由に」
2
「離して!!」
ゲートが開いた瞬間に聞こえた悲痛な叫び声。その声は強い拒否感と恐怖で裏返っていた。
異様に散らかった部屋。旧型の電子機器の剥き出しの基盤や書類が山積みになり、一部は床に散乱している。
さらに異様な臭い。何かが腐敗したような強烈な臭いだ。直ぐにその理由に気付く。
散乱物の殆どに『血』と判断せざるを得ない物が大量に付着している。それだけではない。散乱物の中には明らかに『何か』の死骸が混じっているのだ。
身の毛もよだつような悍ましい空間だ。
「何だよ何だよ。また僕に用なのか。さっき良いサンプルが来たんだよ。だから邪魔しないで欲しいんだよ。うん、邪魔しないで欲しいんだ」
散乱物の中から声だけが聞こえる。そこから目を疑うような『もの』這うようにして姿を現した。金属光沢をもつ触手。
――ネメシス!?――
いや、違う。ネメシスの触手にしてはやけに細い。そのうちの一本が、気味の悪い動きで此方へと伸びてくる。
本能的に腰を落とそうとした瞬間、背に当てられた自動小銃の圧力が増す。
触手が目の前で停止した。それが顔の位置まで持ち上がる。それによって触手の先端についているものが兵器ではなく、光学受光素子のレンズだと知る。僅かな安堵。
「何だよ何だよ、男じゃないか。もう、『いらない』って言っただろ? うん、いらないんだ」
散乱物の奥から声だけが聞こえてくる。
「ですが」
「うるさいなぁ。うん、うるさい。持ってくるなら、こう言うのをもっと持ってきてくれる?」
散乱物の奥で、触手が大きく蠢いた。その瞬間、けたたましい悲鳴が再び上がる。
「もう、暴れないでくれるかなぁ。うん、暴れないで欲しい」
数本の触手が持ち上がった。それに捕えられ、引きずりあげられた人物に思考が混乱する。
――サラ!?――
何故彼女が此処にいるのか。彼女と共にいたはずのアイはどうなったのか。
「若くていいサンプルだよ。うん、本当に良いサンプルだ。沢山産めるよね、これなら。うん、良い子が沢山産まれる。君達もその方が嬉しいだろ? 死霊に勝つには沢山必要なんだ。うん、もっと必要だ。
けど、『それ』はいらないよ」
あまりに悍ましい意味を持つ言葉が、軽い口調で聞こえてくる。
サラが涙の溜まった瞳を、一瞬だけこちらに向けた。宙吊り状態で、小刻みに震える痣だらけの細い体。
血が沸騰するような感覚が全身を支配していく。
「ですが、こいつも脳にニューロデバイスを!」
『義手の男』がさらに食い下がった。
「お前!」
その言葉にヒロが血走った目を見開き、男の義手を掴んだ。瞬間、男が凄まじい勢いで、それを払いのける。たまらず転倒するヒロ。
「そこで、暴れないでくれるかなぁ、大事な物ばかりなんだよ。うん、凄く大事だ。
『それ』も後で適当にバラしておくから、何処かの部屋に突っ込んどいてよ。それでいいよねぇ? うん、いいはずだ」
「クソがっ!」
散乱物の中に転倒したヒロが、怒鳴り声を上げた。そして不気味に身体を揺らしながら立ち上がる。レンズ付きの触手が今度はヒロの方を向いた。
「誰かと思ったら君か。けど、僕はもう君には興味が無いんだよ。うん、無いんだ」
さらに血走った目を見開き、荒い息をし始めるヒロ。
「どいつもこいつも…… どいつもこいつも…… どいつもこいつも、どいつもこいつも! クソがっ!」
響き渡った叫び声。
それに呼応するかの様に、彼の背後でネメシスが触手を持ち上げる。
――まずいっ!――
こんな所で『それ』が暴れたらどうなるのか。
「一体手懐ける事に成功したんだね。でも、もう遅いよ。うん、遅いんだ。これが、成功しかけてるからね」
赤い光を灯し始めるネメシスの触手。ヒロの血走った目が、獰猛な輝きを宿して散乱物の先を見つめる。
が、次の瞬間、ヒロが唐突に両手で頭を押さえ叫び声をあげた。さらにその場に崩れ落ち、のたうち回る。
重々しい落下音と共に、地に落ちるネメシスの触手。
「僕にそんな物騒な物を向けるからだよ。君、大分壊れてきたねぇ。うん、随分壊れてる。もうだめかな?」
散乱物の奥から、ケラケラと笑う声が聞こえる。
自分の中で、黒くドロドロとした『何か』が渦巻いて湧き上がるのを感じる。握りしめられた拳の爪が手のひらに食い込んでいく。
「あぁ、もう聞いて無いね。気絶しちゃったね。『それ』片づけといて良いよ。もう、いらないから。うん、いらないんだ。
ああ、でも大きい方は倉庫にいれといて、『そっち』は貴重だよ。うん、とても貴重だ。
用が済んだのなら、もう、出てってくれないか? うん、出てほしい。やらなきゃ、行けない事があるんだよ。うん、このサンプルとやらなきゃならない事が」
散乱物の中から、這い上がって来た新たな触手が、身動きの出来ないサラの顔に触れる。
「攫わないで! 化け物! 貴方に比べたら、よっぽど『死霊達』の方が人間らしいわ!」
激しく顔を歪ませ、吐き捨てるかのように言い放ったサラ。その瞬間、彼女の顔に触れていた触手が首へと巻き付く。
「酷いこと言うね、君は。君には色々教えないと駄目だね。向こうで、長い時間二人っきりになるんだよ? 君と僕は」
――限界だ!――
身体を動かそうとした瞬間に感じた抵抗。世界の時間が止まる。思考加速状態。
――今回ばかりは、冷静になれと言われても無理だ!――
思考加速状態を起こした美玲に叫ぶ。
――ああ、同感だ。それに、止める理由がない。貴様の友人が意識を失っている今が最大の好機だ。思う存分暴れろ。
その間に、私が『自身と貴様の妹の意識』を入れ替える。それで私も暴れる事が出来るからな――
――ダメだよ、ダメ。そんな悪だくみはいけないよ。うん、行けない事だ――
――!?――
美玲との思考伝達に忽然と割り込まれた思考。それに愕然とする。この、思考伝達は百倍に加速された思考レートで行っているのだ。アクセス者ですら不可能な領域のはずだ。
――なのに、一体何故!?
――驚いてるね? うん、驚いてる。良い反応だよ。うん、本当に良い反応だ。でも、もっと驚くよ。僕を見たら――
散乱物の上に集まる光の粒子。そこに形成されたのはあまりに悍ましい『何か』だ。確かに人の形をしている。だが、その身体の至る所に、まるで植え付けられたかのように伸びる無数の触手。
そして何よりも悍ましいのは、その顔だ。瞼の無い瞳。そこに不釣り合いな大きさの光学受光素子が埋め込まれている。
――君はいらないって言ったけど、撤回する。いや、違う。君はいらない。うん、いらないんだ。僕が欲しいのは――
到底『人』とは思えない継ぎはぎだらけの顔の上で、巨大な光学素子が、美玲を嘗め回すように動いた。その、悍ましさに駆け上がる寒気。
――うん、僕が欲しいのはそっちの君だ。その容姿、君は純正だろ? うん、純正だね。間違いない。
ああ、それと、僕の知らない『その義体』も欲しい。まさか一体に二つの人格ソフトウェアを有してるとはね。うん? 3っつか。一つは凍結されてるね? それにしても興味深い。うん、本当に興味深いよ。
今日は良い日だ。こんなサンプルに巡り合える事はそうは無いよ。うん、本当にない――
美玲の瞳に明かな侮蔑が浮かんだ。それはいつもの彼女が見せる表情の比ではない。
――黙れゲス。貴様を見ているだけで吐き気がする――
今まで聞いたことの無い冷たい感情の宿った声が、吐き捨てられるかのように脳内に響く。
――酷な。うん、本当に酷い。身体の全てを機械化した君達に言われたくないよ。それにね、これでも、僕は『死霊』と『人』を区別していない。うん、してないんだ――
――黙れと言っている――
――良いね。反抗的な子は嫌いじゃない。うん、嫌いじゃないんだ。ゾクゾクするよ。でも――
口元に下劣な笑みを浮かべた荒木の姿が僅かに揺らいだ。次の瞬間、元いた位置に残像だけを残して、美玲の眼前で再形成される荒木の身体。
ニューロデバイスの干渉によって再現された凄まじい風圧が走り抜ける。
――なっ!?――
伸ばされる触手。それが美玲の身体に触れる刹那、彼女から放たれた拳が荒木の顔面を捉える。
が、それは不可視の障壁に阻まれるかの如く寸前で停止し、激しい炸裂音を響かせた。
――ダメだよ、ダメ。君たちは僕の声を聞いた時から、すでに『僕の世界』にいるんだ。僕はマスターだよ。この世界のね。 だから、動いちゃダメだ――
荒木が言った瞬間、美玲の身体が不自然な体勢で硬直した。
――僕はね、君達の世界の運営を手伝ってたんだよ、昔ね。うん、そう僕はビックサイエンスにいて、この世界を運営してた。だから、これが本来の主従関係と言うものだよ。うん、間違いない――
硬直した美玲の身体を触手が嘗め回すように這い上がっていく。苦痛に歪む美玲の表情。
湧き上がる激しい憎悪。だが、拡張現実に実体を持たない自分には成す術がない。
――僕の世界をもっと見たいだろ? 今の『Amaterasu』がどうなってるか知りたいよね? うん、知りたいって顔してる――
――お前っ!――
低く掠れ、激しい憎悪の籠った声が思考伝達に乗る。
――ああ、嫌だね。うん、本当に嫌だ。男の声は嫌いなんだよ。だから君は喋っちゃダメだ――
強制的にリコネクトされる思考伝達。
――時間加速って便利だよね。向こうはね一〇〇〇倍に指定してある。だから時間は沢山あるよ。君は……――
巨大な受光素子が、此方へと向けられた。
――いらないなぁ。ああ、けど連れて行くしかないのか。こっちで暴れられても面倒だ。うん、連れて行くしかない。
そうだ、僕の子供たちの子守をしてもらおう。凄いのが沢山産まれてるんだ。うん、みんな凄い子たちだ。見たら驚くよ? うん、驚くね、絶対。けどね……――
言葉を区切った荒木。顔面の受光素子が美玲へと戻される。身体を這い上がった触手が、そのまま彼女の顎をすくった。
――僕はもっと凄い奴が欲しいんだよ。だから君が生んでくれるかな? 君のコードは優秀そうだ――
下劣な笑みを浮かべた荒木の眼前に展開するウィンドウ。そのウィンドウの上を異様な速度で一本の触手が滑る。そのあまりの速さに視覚再現が追いつかず、残像ばかりが増えていく。それは荒木の思考レートが、遥かに自分たちを超える事を意味していた。
――そんな馬鹿な!?――
無数の残像を纏った触手が唐突に停止する。歪み始める視界。強制転移を受ける独特の感覚。次の瞬間、視界の全てがブラックアウトした。