Chapter 42 響生
1
金属製のフレームが剥き出しになったエレベーター。それは旧時代を知る自分から見ても、あまりに巨大であり違和感のある代物だ。内壁などが崩れ落ちてフレームだけが残されたのではないと感じる。
巨大な荷物、それも重機などの搬入をも想定に入れた設備なのは明らかだった。
「すげぇーだろ? 電気が使えんだぜ?」
ヒロがまるで自分の玩具を見せびらかすかのような無邪気な笑みを浮かべる。
それにどう答えてよいか分からない。結果的に頷くのみとなってしまう。
巨大な縦穴の内壁が、永遠と下から上と流れていく。すでに視界に表示されたマップのエリアを遥かに超え、自身が通った軌跡だけがウィンドウに残される状態だ。すでに深度200メーターを超えている。
――驚いたな。いつの間にこんな施設を。これは見過ごせるレベルではないぞ――
頭に響き渡る美玲の声。
――違う。これは恐らく旧時代からここに存在していたんだ。多分な――
言いながら状況を確認する。背に押し付けられた自動小銃。こちらは左程の脅威ではない。問題は中央に鎮座するネメシスだ。しかもそれには穂乃果の意識が宿っている。
穂乃果の意識を解放するには、ヒロの説得が必要だ。でも、それは不可能だと感じてしまう。ヒロの精神状態が酷く不安定だ。恐らく頭に埋め込んだ装置が相当な悪影響を与えている。
――違う……
仮に正常だったとして、彼は自分の話を聞いてはくれなかっただろう。むしろ正常でなかったからこそ、自分は彼に受け入れられているのだ。
自分は親友や親ですらも裏切り、世界を裏切ったのだ。滅ぼした側の人間だ。
ネメシスへの思考接続を行った瞬間、自分へと流れ込んできた悍ましいイメージ。それは無念の中に散った幾く億もの人々の怨念そのものだった。
――けど……
それを背負うのは自分だったはずだ。穂乃果は『あの日』なんの決断も出来なかったのだから。
――それが何故……
湧き上がる感情に自然と食いしばれる奥歯。それがギリギリと音を立てる。
途端に背に当てられた銃口が圧力を増した。表情の変化に気づいたのであろう『義手の男』が、鋭い視線をこちらに向けている。
「なぁ、逃げ出そうなんて考えてねぇだろ? やっと遭えたんだ。そうだろ?」
ヒロまでもが血走った目を見開き、こちらを見つめていた。
「あぁ、誓ってそんなことは考えいない」
「そうか」
満足そうに微笑むヒロ。
穂乃果は助ける。絶対に。
――なぁヒロ、お前は代わりに何がほしい?
報いを受ける必要があるというのなら、自分が受ける。自分が裏切った者達によってもたらされる死。それは軍に入隊した時からあったイメージなのだから。
2
――こ、これは!?――
唐突に開ける視界。美玲が目を見開き一歩前に歩み出た。ドーム状のあまりに巨大な空間。天井までの高さは100メートルを超えているように見える。広さに至っては、直径数百メートルはあるのではなかろうか。
床部は複雑に区画され、様々な施設が犇めく。
だが、美玲の視線は空間そのものというより、その中心部に柱の如くそびえる巨大な構造物に注がれていた。
その表面全てに刻まれた幾何学的な信号伝達ラインを、眩いばかりの光が駆け上がっていく。
――量子コンピューター!?――
それもディーズィールのアマテラスに匹敵する規模だ。
――これは、とんでもない物を見つけたかもしれないぞ。何故あれが此処に……――
目を見開いたままの美玲。思考伝達に乗る声は、酷く掠れていた。
「ジオフロントってほどじゃないけどな。でもスゲェーだろ? 痺れんだろ? 死霊共に勝てるかもって思えてくるだろ?」
まるで幼い子供のように、はしゃいだヒロの声が場違いな声量で響き渡る。他の男達が目に見えて顔に苛立ちを浮かべた。それでもヒロは止まらない。
「なぁ、下に着いたら一杯やろうぜ? 機械洗浄用のしかねぇけど、結構いけんだぜ?」
ついに、男達の一人が舌打ちをした。
「いや……」
「なんだよ。まさか、未成年だからとか、湿気たこと言わねぇよな? もう法律なんてこの世界にありゃしねぇよ。なぁ、いいだろ?」
男達の一人が、『我慢の限界だ』とでも言いたげな表情に変わった。が、その瞬間『義手の男』が鋭い視線を男に向ける。そして僅かに首を横に振った。頷く男。
――何かが妙だ
彼等は本当にヒロの従者なのであろうか。
めぐり始める思考。が、それは美玲の思考伝達によって遮られてしまう。
――私は『あれ』をもっと近くで見たい。状況は好転的だ。貴様の友人に頼んでみてはくれないか――
依然として美玲の瞳は、空間中央の量子コンピューターに注がれている。
状況は好転的。確かにそうなのかもしれない。けど、ヒロの精神状態はちょっとしたことで簡単に変わってしまうのだ。今の彼に何かを提案することはリスクでしかない。
――あの量子コンピューター。確かに気にはなる。けど……――
やんわりと否定的な返事をしようとした瞬間、美玲が言葉を遮った。
――あれは、ただの量子コンピューターではない!――
美玲の語気に感じた戸惑い。
――……え?――
――いいか、『我等が世界』を内包した量子コンピューターは作られた時期によって、外壁の信号伝達ラインの構造に特徴がある。
そして、あの信号伝達ラインの構造はあまりに有名だ。フロンティアに生きる者なら誰もが知っている。何故、貴様は気づかない?――
美玲が何を言っているのかが分からない。
再び空間中央の量子コンピューターを凝視する。決して新しい物ではない。恐らく旧時代に作られた代物だ。しかも、その外壁は継ぎはぎ状に色が違う部分があり、大規模な補修を受けた跡が見て取れる。
旧時代の量子コンピューター。確かにそれは珍しいのかもしれない。しかもそれが荒廃したこの地にまだ現存する事実は驚愕と言っていい。
けど……
――すまない美玲。俺には――
言った瞬間、美玲が強い落胆の混じった溜息をつく。
――不勉強な奴だ。
あれは、あの信号伝達ラインの模様は……――
そこで言葉を区切った美玲。そして、再び何かを確認するかのように目を細め、空間中央の構造物を見つめる。
――やはり間違いない…… あれは『Amaterasu:01』――
――アマテラス…… 01って……。旧時代にビックサイエンス社にあったはずの『あれ』か!?――
そこまで言って、自身も気付く。自分が見ている『それ』がフロンティアにとってどれほど重要な物なのかを。
大きく頷いた美玲。そして、何かを決意するかの如き視線を『それ』へと向けた。
――あれは、我等が発祥の地だ――