Chapter 41 アイ
1
予備電力によって維持された拡張現実と自身の思考。その持続可能時間を示したウィンドウの数字が刻一刻と減っていく。
僅か2メートル四方の行動可能エリアの向こう側に、暗視野によって浮かび上がるのは、見渡す限りの瓦礫の山だ。
それでも、所々に僅かな光が燈る。その光が不規則に揺らぐのは、それが電灯等の類ではなく、何かを燃やす事によって発生した光であるからだろう。
四輪駆動式の旧式貨車の荷台で、膝を抱えるようにして蹲るサラ。その濡れた身体を軍服の男達が好色そうに見つめる。中には目に見えて生唾を飲み込む者までいた。
その悍ましさに感じた憤り。同じ女性としてサラをこのような状況下に置きたくはない。けど、今の自分には現実世界に干渉する術が無いのだ。どうしようもない無力感に襲われる。
――いいの、慣れてるから。むしろこの中の誰かが、独占欲のような感情を抱けば占めたもの。少しはマシな生活にありつけるかもしれない――
まるで思考を読んだかの如く頭に響き渡ったサラの声。それに思わず目を見開く。
――サラ…… 何時から思考伝達を?――
――最初からよ。問いかけられる度に、視界にウィンドウが開く。これで使い方に気付かない方が、どうかしてる――
顔を伏せたままのサラ。
――なら、どうして今まで……――
――貴方達のコミュニケーション手段に応えたら、私の中で何かが壊れてしまいそうな気がしたのよ――
その言葉が持つ重さに次の言葉が出てこない。結果的に
――そう……――
と言う短い返事だけが紡ぎ出される。途切れる会話。
2
荷台を襲った強い揺れ。瞬間的に体勢を崩した男達が慌てて自動小銃を構え直した。
余程の悪路なのか、下から突き上げるような衝撃が時折襲う。だが、今回の揺れは一際大きかった。そして、同時に聞こえたグシャリと何かが潰れた様な異音。
途端にサラが顔を上げた。
――後ろを見て! 車両が乗り上げた物が何かを確認して! 早く!
激しい口調の声が頭に響き渡る。
それに促され、車両の後方を確認したアイは大きく目を見開いた。こみ上げる吐き気に溜まらず目をそらす。
途端に響き渡る罵声。
――もっとよく見て!――
その迫力に負けて再び、遠ざかる『何か』を確認する。意識を集中したことにより、鮮明に浮かび上がる輪郭。
無意識にそれが『生きているのか』を知りたい欲求に駆られた事により、自動的に視界に熱情報が付加された。
緑色の光線で描かれた輪郭だけを残して、路上と同じ黒一色に染まる身体。
――何が見えた?――
言葉が出てこない。
――答えて!――
――人……だった。たぶん大分前に亡くなってる……――
何とか紡ぎ出した言葉を思考伝達に乗せる。だが、返って来たのは、「そう」と言うあまりにそっけなく、無関心な返事。その反応に対する憤りを思考伝達に乗せようとした刹那、さらに次の質問が頭の中に響き渡った。
――なら、この臭い、貴方には分かる?――
――臭い?――
――そう、臭いよ! 分かるの!? 分からないの!? どっちよ!――
質問の意図が分からずに混乱する思考。それでも彼女の語気の荒さに押され、答えを思考伝達に乗せる。
――分からない。ディオシスには大気解析を行う機能がついてないから……――
言った瞬間、激しい落胆が混じった溜息をついたサラ。だが、直ぐに何かを思いついたかのように次の質問が返ってくる。
――ねぇ、なら私の五感と一部を共有出来たりする?――
――やったことない、でも、多分できると思う…… サラ、急にどうしたの?――
――いいから早く! ――
メニューウィンドウを呼び出し、思考伝達の範囲を嗅覚情報まで拡張する。その瞬間、凄まじい悪臭に襲われ、溜まらず口元を押さえた。内臓の全てが裏返るような激しい嘔吐感に襲われる。言葉を発することすらできない。
――感じてくれた様ね。これが、死臭よ…… さぁ、立って、景色の全てを目に焼き付けて!
旧都市部は何処も大抵こんな感じ。衛生状態が悪いせいで、伝染病が蔓延してて、路上には死体が小石のようにそこら中に転がってるの。それでも、大多数の人は都市部から離れられない。行く場所がないから……
ここに来れば、少しは変わると信じてた。
けど、結局何処も同じ。街の状態を見ればわかる。ここのレジスタンスも彼等を守る活動をしてない。規模が大きいだけ。きっと街と一緒に『彼等』も壊れてしまったのよ。
もう、何を信じていいのか分からない……――
――サラ……――
涙の溜まった瞳が自分へと向けられる。
――少しでもこれを見て何かを感じてくれたなら、貴方が自分を『人』だと言い切るのなら約束して。
目的を果たして艦に帰還を果たしたなら、『必ずここで見た事、起きた事の全てを理解して行動する』と。
貴方、艦長なんでしょう? 偉い『人』なんでしょう? 壊したんだったら、せめて作り直してよ! 貴方達好みでいいから!――
――私は……――
艦長とは名ばかりの存在だ。誰かの希望になんてなれる存在じゃない。以前それを言った瞬間にザイールが見せた表情が鮮明に蘇る。そして、彼女が言った言葉。
『どうしても間に立つと言うのであれば、双方とも救って見せて欲しいものです』
そんな大層な事は到底今の自分には出来ない。
けど……
それでも……
サラが言ったように行動する事は自分にだって出来るはずだ。
精一杯の気持ちを込めて頷く。
そのためには目的の全てを達成して、生きて帰らなければならない。何か一つが欠けても自分の気持ちは折れてしまうと感じる。だから……