Chapter 37 アイ
1
「分かった…… その提案に乗る」
口から出たのは自分でも驚くほどに冷静な声だった。それに反して、目を見開いたサラ。
「貴方、正気なの!?」
明らかな困惑が声に乗っている。
「正気。それに、それを提案したのはサラでしょう?」
「そうだけど…… 貴方はバカだわ。心の底からそう思う」
呟くとも吐き捨てるとも取れる声が発せられると同時に伏せられたサラの瞳。
「そうだね…… 確かにそうかもしれない。でも、それでいい」
「そんなに、あの彼が大事? 彼はフロンティアに出入りしているとは言っても、肉体を持つ『人』なんでしょう? このままの関係が続けられるって本気で思ってるの?」
伏せられていた彼女の瞳が、言葉の最後で再び自分を見つめてくる。
「続けられないかも知れない。けど、それは重要じゃないの。先の事は分からないけど、今ここで諦めたら、それを選択する機会すら失っちゃうから。
それにね、私はここにどうしても行かなければ、ならない理由がもう一つある」
――Amaterasu:01。それが此処にあるなら、私には確かめなければならないことがある――
行かなくてはならないのだ。
――だから
「私は自分が最良だと思うのが『それ』なら、『それ』に従う。だから、サラが気にする必要はない。
提案してくれて有難う。私はこれで先に進める。例えどんな結果が待っていたとしても」
「別に気にしてなんか、いないわよ。ただ……」
再び伏せられてしまったサラの瞳。
「――貴方を見ていると私の中の常識が狂ってくる。自分ばかりが悪者みたいで無性に腹が立つのよ。なんか惨めじゃない……」
「そんな事ない。貴方が私達の事を憎むのは当然だし、そんな簡単に無くなる蟠りじゃない。一生かけたって無理かもしれない。理解してほしいとは思うけど、それは私達目線の我儘だから。それは分かってるつもり……
たぶん私のほうがサラより生きてきた環境が恵まれていた。頼れる人達がいたから。たぶんそれだけ……」
返事は無かった。
瞳を閉じる。そして再び決意を込めて開くと宣言した。
「行くよ!」
サラが示した光点へと機首を向ける。そして機体を加速させようとした。
その瞬間だった。
強制的に開く警告ウィンドウ。その内容を把握しようとした刹那、赤く輝く光が自分の視界を掠めた気がした。無意識にウィンドウよりもその光を目で追ってしまう。
クレーターの壁面の至る所から放たれた赤い光。それが雨に乱反射し、『四方から自分へと一直線に伸びる細い光路』を浮かび上がらせていた。
その内の幾つかは実体のない自分の身体を透過し、ディオシスの胴体で赤い光点を形作っている。さらに幾つかの光点はサラの身体の上を這いまわっていた。
――照準照射!?――
「そこで何をしている!?」
ウィンドウの表示内容を理解すると同時に、遠くから聞こえた怒鳴り声。
――捕まって!――
咄嗟に思考伝達でサラに呼びかけ、一気にスロットルを全開に引き上げる。瞬間的なパルス衝撃を発し、急上昇を開始したディオシス。サラの身体が置いていかれ、激しく仰け反る。
跳ね上がる思考レート。降り注ぐ雨の粒子形状までがハッキリと視認出来るまでに、引き伸ばされた体感時間。その視界の中に現れる大気密度の揺らぎ。衝撃波を纏った小さな何かが、多量に自身に向け迫る。
次の瞬間、多量のカーソルが視界を埋め尽くした。
システムが『複数個所から放たれた自動小銃の弾丸全て』にマーキングを付けたのだ。同時に示される弾道予測。
マーキングの殆どが、先まで自分がいた地点で交差する。そこから僅か数十センチしか離れていない機体。複数の弾丸が回避できないまま、機体後部に着弾する。
加速された意識に反して、機体自体は止まってしまったかのような時間の流れに飲み込まれ、思う様に動かない。一向に上昇しない機体。
――お願い昇って!!――
が、その心の叫びをあざ笑うかの如く、警告ウィンドウがさらに追加される。同時に示された『最大の驚異が迫る方向』。
視界に浮かんだ矢印に誘導されるかのように意識をそちらに移し、目を見開く。
――何…… あれ!?
一人の歩兵が持つ、明らかに自動小銃と異なる何か。肩に背負う様にして構えた筒状の『それ』から、前面パネルを粉砕し、鋭くとがった槍のような物体が飛び出してくる。弾丸と呼ぶにはあまりに巨大な何か。
そして次の瞬間、『弾丸その物』の後方に燈った推進排気の光。それが激しい光と煙をまき散らしながら後方に伸びあがる。
――追尾弾頭!?――
明らかに加速しながら、近づいて来るそれに抗うようにスロットルを上げようと試みる。だが、すでに限界まで上がっていた出力は、それに応えてはくれなかった。
本能的に機体を急旋回させてしまう。サラの身体が発進時とは比較にならないほど大きく仰け反った。
『人』の握力の限界を超える動きをしてしまったために、ハンドルから離された手。宙に浮きあがる身体。
意識の全てが彼女へと奪われる。驚異から逸れてしまった意識。それによって中途半端な状態で止めてしまった旋回。
次の瞬間、背中に体当たりでもされたかのような痛みと衝撃が走り抜けた。機体後方を包み込んだ火球。激しいノイズと共に、大量の警告表示が視界を埋め尽くしていく。
制御を失う機体。成す術などなかった。機体はあまりにあっけなく地面に叩きつけられ、重々しい衝突音を上げた。
通常感覚まで落とされてしまった思考レート。その中で機体が煙を上げ、激しくスパークする。
周りの状況確認が困難な程に視界を埋め尽くす警告表示。その中で、『推進システム損傷 行動不能』と自分にも分かる単純かつ絶望的なメッセージが、ことさら鮮明に点滅していた。
別ウィンドウを流れて行く緊急時のオートロジック。機体の放棄と『意識の強制転送』が開始されようとしている。
――ダメ!――
まだ此処を離れる訳には行かない。
思考コマンド入力によって強制転送を遮る。それによってさらに大量の警告表示が視界を埋め尽くした。
その全てを無視して自身の意思を実行する。
警告表示の殆どを視界の隅に追いやり、サラの姿を探す。
数メートル離れた地面に俯せて倒れているサラ。その身体を複数個所から放たれたサーチライトが照らし出していた。
とっさに彼女に駆け寄ろうと試みる。が、それは直ぐに不可視の壁に弾かれるかの如く、先へと進めなくなった。
ディオシスを中心に形づくられた僅か2メートル四方の拡張現実。それが自分に許された行動範囲の全てだ。機体が動かなければ、彼女にこれ以上近づくことすら出来ない。
――サラ!
思考伝達で呼びかける。彼女は応答こそ出来ないが、聞こえているのは確かだ。
サラの指先が僅かに動いた。それによって感じた安堵。
が、それもつかの間、複数の男たちが自動小銃を構えながら、クレーターの壁面を滑り降りてくる。そして、ディオシスとサラを取り囲んだ。
「こいつは!?」
破損したディオシスの装甲。その内側で激しくスパークする内部機構。それを照らした一人の男が大声を上げた。
「それに触らないで!」
途端に声を上げたサラ。
男達の視線がさらに集中した。
「それを壊してしまったら、きっと後悔する」
ディオシスを眺めていた男の内、一人が思案気に顎に手を当てた。他の男達がその様子を見守る。やがてサラの方へと移動を開始した男。サラを取り囲んでいた男達の輪が、それを受け入れるかように開かれる。
男はサラの頭の付近で腰を落とすと髪を引っ張り上げた。それによって強引に状態を起こされたサラ。
「流血に、痣…… お前は『人』だな?」
「見ての通りよ」
このような状況にあって尚、男を睨むかのように見上げたサラ。だが、その表情に一切の感情が宿っていない。
自分達にあれほどの敵意を叩き付け、嫌味を言い、時には泣いて見せた彼女から一切の表情が消えているのだ。
それは、彼女がこの『秩序を失い荒れ果てた地上』で、どのように生きてきたかを垣間見た瞬間だった。
「アレは何だ? 一見、全盛期のスカイモービルに見えるが中身は別物だ。そうだな?」
男の質問にサラの視線が男から逸らされた。その視線が何かを問う様に真っすぐに自分に向けられる。
それに感じた驚き。あんなにも自分達に対して敵意を剥き出しにしていたサラが、このような状況下で自分に意識の確認をしてきたのだ。
一度、瞳を閉じる。そして大きく頷いた。きっとそれがサラと自分、双方にとって一番いい。『あの提案』はこの状況下でも乗れる。サラの視線が男へと戻された。
「そうよ」
「あれを何処で手に入れた? お前は何者だ?」
男の手がさらに髪を引き上げた。それでもサラの表情は変わらない。
「サージ。貴方達の仲間でそう呼ばれてる人がいるでしょう?」
その言葉に意表を食らったように、他の男達が顔を見合わせる。サラの髪を握る男の表情がイラ立ったものになった。
「知らないな。それに質問をしているのは私だ」
「そう…… あいつは小物だったてことね。けど、私はその人を頼ってここまで来た。それこそ死に物狂いでね。あれは貴方達への手土産。なのに酷い歓迎のされ方だわ」
「逃げようとするからだ」
「機体の暴走よ。まだあれの操作になれて無くて。死霊達のシステムは思考に反応するから。あんな怖い声で怒鳴られたら驚くのは当然だと思わない?」
サラの言葉に男の表情が激しく歪められた。忌むべき対象、もしくは汚物でも見るかのようなものになる。
「思考…… お前、頭にニューロデバイスを」
「そうよ…… 生きるために必要だった」
その言葉に男の表情は更に歪んだ。剥き出しの感情を伴った視線がサラに叩き付けられる。
「生きるために必要だっただと? その成れの果てが死霊共だ!!」
激昂し怒鳴り声をあげた男。
そのあまりの激しさにサラの瞳が伏せられてしまう。
「何よ…… あいつ。『ここに来れば私のような人が沢山働いてる』って言ったのに。何処に行っても結局一緒じゃない……」
彼女の口から洩れた力ない呟き。それに満足したかのように男に下劣な笑みが宿った。
「まぁ、いい。望み通り連れて行ってやる。我々は確かに集めていたのだからな。『人』でも『死霊』でもない『それら』には利用価値がある。
胸を張って喜べ! お前達は我々『人間』の切り札だ。死霊共に対抗するためのな」