Chapter 34 アイ 数分前
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激しい雨が機体を打ち付ける。唯でさえ薄暗く靄がかかった景色が、日が沈み始めたことによってさらに重たいものへとなっていく。
眼下に広がる廃墟と化した都市に、点々と僅かな灯りが灯っていく様を、アイは茫然と眺めていた。
こんな状態ですでに十数分経過している。
目の前で起きた現実を受け入れられないばかりか、思考する事そのものへの拒否感に襲われる。何をするべきか分からない。
「嘘…… 嘘だよね?……」
幾度となく発した言葉。力なく掠れた合成音が強い風と雨の音に浚われていく。
「寒い……」
それに追い打ちを掛けるかのように、サラがうめき声を上げた。片手をハンドルから離し、自身を抱え込むように蹲るサラ。びしょ濡れの身体が小刻みに震えている。けど、それが『どうするべきか』に繋がらない。
「……え?」
結局、言葉になったのは意味を成さない問い返しだった。
顔を上げ、自分を睨み付けたサラ。
「どうするつもり?」
言葉が出てこない。
「これから、どうするつもりなのよ? ここにずっといるつもり?」
苛立ちを宿した声が突き刺さる。混乱して何も導きだせそうにない思考。それでも、答えを求められたことで、何とかたどり着いた『それ』らしき物が、そのまま口から紡ぎだされる。
「探さなきゃ……」
やっとたどり着いた答え。けどサラは、明らかに苛立ちを増し、溜息をついた。
「探すって何を? あの化け物の残骸を探すつもりなら、私をここで降ろして。そこまで付き合う義理はない」
ついに声を荒らげたサラ。
「そんな事」
目頭が熱い。堪えていた何かが一気に溢れてしまいそうな感覚。それに、逆らって何とかサラの瞳を見つめ返す。
「何よ…… 泣きたいのはこっちよ。ひき殺されかけて、その挙くに攫われて。空に放り投げられて、そしてびしょ濡れ。貴方と違って、身体がある私は寒いの! だいたい貴方は私を安全な所に連れて行くんじゃなかったの!?」
サラの言葉に目を見開く。言い返せる言葉がなかった。自分は確かに響生にそう頼まれていたのだから。
「そう…… だよね。ごめん」
僅かに回り始めた思考。この場所を離れたくない。けど、サラの言う事は尤もだと感じた。自分にはやらなければ成らない事がある。
瞳を閉じる。そして震える唇を、感情に逆らい動かした。
「貴方をディズィールに連れ帰ります。私に思いつく場所はそこぐらいしかないから」
「ディズィール?」
「フロンティアの戦艦。大丈夫、ちゃんと客人として迎えるから。捕虜とかじゃなく」
それを言った瞬間サラが血相を変えた。寒さによって血の気が引けた顔がさらに青くなるのが分かる。
「嫌…… そんなところ行きたくない。此処がいい。此処で降ろして」
「貴方がそこに行きたくないのは分かる。けど、こんな所で降ろす訳にはいかない」
「お願い! 他の何処でもなくていい! 此処! 此処で降ろして!」
悲鳴にも似た声が響いた。それを無視して機首をマップが指し示すディージールの方向へ向ける。そして瞳を閉じた。
ディズィールへ思考伝達を行うべく意識を集中する。シグナルのロストはディズィールも確認しているかもしれない。それでも状況を報告し、帰還する旨を伝えなくてはならない。護衛を差し向けてもらう必要もあるだろう。
集中しようとする意志に反して揺らぐ感情。開始されるディズィールへのアクセス。
――お願い! 響生を――
胸を引き裂くような思いが開いた回線を伝達した。その瞬間、唐突に視界が揺らぐ。開かれた回線を通して膨大な情報が頭に流れ込んでくる。
唐突に広がった超高空の景色。遥か下方に広がる雲海は月明りを浴びて青白く輝く。
ディズィールが見ている光景だと直感した。船との直接リンクが成された時に起こる特有の感覚が全身を支配する。ディズィールのセンサー群を通して拡大していく感覚。
けど、どんなに耳を澄ましても、目を凝らしても欲しい情報は入ってこない。
――これじゃ、駄目! もっと!
流入するデータ量が増していく。視界に金色の光線が大量に重なった。自身を中心に四方八方に伸びる光線。その数は数千、あるいは数万本に及ぶかもしれない。
その一際太い束が、漆黒の空に浮かぶ月に向かって一直線に伸びている。
欠けた月。その本来陰である部分は都市部の夜景の如き光が包み込んでいた。フロンティアの首都『月詠』だ。
――ネットワーク網……
そう悟った瞬間、意識がまるで誘われるかのように、光線の一本へと向かう。月とは違う方向の空に伸びた一本の線。それに集中した瞬間、意識が跳ばされるような感覚に襲われた。まるで光線を流れる情報の濁流に飲み込まれるかの如く、一直線に空へと昇っていく意識。
視界が一変した。ディジールから見た風景よりも遥かに高空の景色。
いや、もはや、それは高空と言うよりは軌道上にいたディジールから見た地球の景色に近い。違うのは記憶のそれよりもさらに大陸等の大きさが小さく見える事だ。
あの時よりもさらに高軌道の衛星から見た光景。
それが今度は物凄い勢いで、地上に向けてクローズアップされはじめる。だが、それは分厚い雲によってすぐに阻まれてしまった。
――お願い!
心の叫びに呼応するように流れ込んでくる情報量がさらに増す。視界上に緑色の光線で合成された地形データ。それが拡大されていく。
やがて表れる一つの光点。
――これは、私…… ディオシス
高拡張された感覚によってそれを悟る。その周辺で、僅かに何かが光った気がした。そこに向けてさらに意識を集中する。
浮かび上がる僅かな光。それが何であるかが分からない。データ密度が極端に希薄かつ微弱だ。
――あと、もうちょっと……
ノイズに塗れたそれを凝視する。極限の集中状態。
それによって鮮明さを増す光。次の瞬間、頭の中で何かが一致した気がした。すぐにそれは確信に変わる。
――いた! 深度、地上から30メートル!
興奮した瞬間、ブラックアウトする視界。大量に流れ込んでいたデータが突然、途切れた。そのショックで弾き飛ばされそうになる意識を、渾身の精神力で維持する。
回復した視界では、サラが怪訝そうな瞳を自分に向けていた。
「どうしたのよ…… 突然」
不安げに口を開いたサラに
「お願い! あと少しだけ付き合って!」
そう言うや否や、ディオシスの機首を目的の場所に向ける。視界上に開かれたマップ。そこには『先の場所』がしっかりとマーキングされていた。