Chapter 31 十数分後 響生 ハイウェイ跡、地下トンネル
1
緑色に輝く光線のみで構成された世界。水の滴り落ちる音だがやけに強く聞こえる。視界に常に付いて回ってくるウィンドウ群が、今は一切ない。
戦闘支援システム・ソフトウェア―群の全てを失ったのだ。この状況の中、コマンドによる強制立ち上げとはいえ、暗視野が使えた事は幸運と言えた。
光の差し込まない地下。おそらく旧時代のハイウェイだろう。あちらこちらに大破、もしくは長い間放置された車両の輪郭が浮かび上がっていた。
瞬間的に右肩に走る痛み。装甲ジャケットは引き裂け、稼働ワイヤー群がひしゃげて飛び出ている。その下の生態部は見るも無残な状況だ。
身体パラメーターが見られないために、ダメージの程は分からないが、痛みを感じると言うことは、義体の本体である自立駆動骨格が損傷した可能性が高い。
見れば装甲ジャケットの表面は至る所で、溶融したような跡が見て取れる。けど、こちらは大した事はなさそうだ。
――まったく、とんでもない無茶をする奴だ、貴様は――
頭に響く呆れた声。
と同時に、視界に合成される少女。出現時の演出によって、舞い上がった艶のある長い銀髪が、光の粒子を纏いながら背中へと流れ落ちる。
フルカラーで視界上に合成された美玲。緑一色の世界において、その姿は周りの景色から妙に浮いて見えると同時に、錯覚で身体全体が僅かに輝いて見える。おかげで、妖精じみた美貌がより際立っていた。
残念でならないのは、彼女がどこか呆れるとも蔑むともつかない感情を、深紅の瞳に浮かべている事だ。それさえ無ければ、彼女の好感度は上がるに違いないと、いつもながらに思ってしまう。
そして、この一言目。思わず出るため息。
「なんの躊躇も無しに自爆しようとしたくせに、よく言うぜ。どっちが無茶だ」
――私は、軍人だ。敵の手に落ちるぐらいなら、死を選ぶ――
ある意味で予想通りの答えが返って来たことに、さらに溜息をつく。
「あのな――」
――ありがと。感謝する。その…… 嬉しかった――
出かかった言葉を遮るようにして、重ねられた美玲の言葉。
恥じらう様に視線をそらした美玲の態度に、喉元まで出かかった文句は完全に出口を失った。
「これで、チャラだからな。貸しはゼロだ。いや、ネメシスで俺が美玲の代わりに刺されたから、俺の方が貸し一か?」
――あれは、勝手に貴様が! 大体あの空間で、私が刺される事に何の問題があった? 考えてもみろ。私はあの空間のマスターだった。その気になれば、彼女の行動の全てを阻止できたのだぞ? 私は、あえてあの場で、血を見せることを選んだんだ。それを貴様が――
「気付いてた。けど…… 嫌なんだよ。目の前で誰かが傷つくのを見るのは、もう……」
フラッシュバックする『あの日』の傷ついた穂乃果、そして伊織の姿。
――何だそれは…… 私が自爆しようとした理由と大差無いように聞こえるが。まぁ良い、それが貴様と言う人間だからな――
それに答えようとした刹那、感じた頭痛。傷ついた穂乃果と伊織の姿に引きずられるようにして、自分の記憶には無いはずの光景が、鮮明に浮かび上がる。
それは絶望的なまでに傷ついた美玲の姿。彼女には不必要なはずの装甲ジャケットがズタズタに引き裂かれ、夥しい量の血が流れていた。悲し気に細められる深紅の瞳。その横に膝をつき、叫び声を上げる自分。
――まただ…… 何だこれ!?
激しさを増した頭痛に、思わず頭を押さえる。
――どうした?――
美玲が怪訝そうに見つめ返してくる。
「いや……」
言葉を濁した自分を美玲はしばらく見つめ、口を開いた。
――そう言えば、あの時、貴様が私の意識をロードする寸前、奇妙なことを言っていたな?
『君の命も君の誇りも、すべて俺が守ってやる! そう俺は君に約束した。約束したんだ! だから』と――
美玲の口から出た言葉に、顔を覆いたくなるほど羞恥心を感じ、思わず彼女から視線を逸らす。
「いや、あれは、ああいう事態だったから咄嗟に……」
堪らず出る言い訳。美玲が深い溜息をつく。
――覚えてはいるようだな。だが、私が意図しているのはそう言う事ではない。確かに言葉自体、嬉しく…… いや気味悪くもあったが。
私は貴様の言っていた言葉に強い違和感を覚えた。私には『貴様とそのような約束をした事実』がない。考えてみれば、あの時交わした会話の全てに違和感がある。
そもそも、本当にあれは貴様だったのか? 私にはそれすらも疑問に感じる。
間近で見て分かった。あれは、『戦闘センス』なんて簡単な言葉で片づけられるものではないぞ? 多くの修羅場を掻い潜った者だけが持つ『判断力』だ。
だが、貴様に実戦経験は、先の地上戦を除いてなかったはずだ。貴様は一体何なのだ?――
美玲の言葉によって呼び出される記憶。
2 十数分前
まるで美玲の状況を反映するかのように不安定に揺らぐ光学迷彩。
光路干渉域に侵入した途端、空間に激しいノイズが走り抜け、ネメシスの巨体が視界に浮かび上がり始める。まるで苦しみもがくかの如く、のたうち回る長い触手。どう見ても普通の状態では無い。
比較的動きの少ない、一本に狙いを定め、付け根にしがみ付いた。その瞬間、触手がビクリと脈打つ。
――バカが! 私から離れろと言ったで―― あああぁぁぁっ!――
苦痛に満ちた美玲の罵声が頭の中に響き渡った。
――そんな事出来るか!――-
激しさを増してのたうつ触手を、必死でつかみながら叫び返す。
――離れろと言っている! この機体は間もなく自爆する! ――
――なっ!?――
美玲から返って来た言葉に絶句し、瞬間的に思考が停止するような感覚が襲った。
――私は軍人だ! その誇りだけは貫き通す! 何があっても敵の手には落ちない――
その言葉を引き金に感じた激しい頭痛。視界を唐突にノイズが走り抜ける。何処かで同じセリフを聞いた気がした。けど、それは一体、何時、何処でなのか。
――だったら、尚更、離れられるか!――
――これ以上、私を困らせるな! ああああぁぁぁっ!――
美玲の苦痛に満ちた絶叫が頭の中に響き渡る。それを最後に完全に途切れてしまった思考伝達。さらに、ネメシスが突然加速を開始する。その凄まじさに体中に感じた衝撃。赤熱し始める装甲ジャケット。
慣性力を無視したデタラメな動きするネメシス。そこから振り落とされないために、触手を握る握力値が急激に増した。
視界に現れ始める警告表示。こんな動きを繰り返されては、流石にもたない。
――暴走している!?
この場を離れるわけには行かない。けど、どうしたら良いか分からない。美玲に何が起きているかも分からないのだ。
激しさを増す頭痛。警告表示だらけの視界が不鮮明なノイズによって揺らぐ。
――クソっこんな時に!
そこに浮かんだ『Release memory(記憶開放)』の文字。途端に強烈なイメージが頭に流れ込んできた。
絶望的なまでに傷ついた美玲の姿。彼女には不必要なはずの装甲ジャケットがズタズタに引き裂かれ、夥しい量の血が流れていた。悲し気に細められる深紅の瞳。その横に膝をつき、叫び声を上げる自分。
――何だこれ!?
混乱する思考を無視して、さらに強制的に展開される多量のウィンドウ。そこをコードの羅列が凄まじい勢いで流れて行く。次の瞬間、視界が完全にブラックアウトした。
3 美玲
頭が割られるような苦痛。思考伝達すらままならない。『Collective Consciousness System』によって強制的に流れ込んでくる『他者の思考や感情、意思』に自身の思考が掻き乱され、自我を見失いそうになる。
その感覚に必死に抗い、個を維持することは困難を極めた。
正規ルートによるシステムの立ち上げでないのは明確だった。しかも発信者の装置が余程粗悪なのか、流れ込んでくる意識に何のフィルタリングもなされていない。それだけに、たちが悪い。
このままでは意識を乗っ取られるのは時間の問題だと感じた。すでに身体の感覚が殆どない。ネメシスがどのような行動をとっているのかすらも把握できないのだ。
義体を放棄し、ディジールへとデータ通信を用いて帰還することは可能だろう。けど、この状況では他者の意識をディジールに誘導しかねない。
自分に思いつく手段は一つしかなかった。すなわち、ネメシスの自爆装置を作動させ果てる事。
自身の意識もろともネメシスを敵の手中に落とすなど、あってはならないのだから。
自爆の解除コードはデタラメに仕込んでやった。コードは自分すらも把握していないのだ。これで、意識が敵の手に落ちようともネメシスが敵の手に落ちる事は無い。
視界上を埋め尽くす警告を示した多量のウィンドウ。それがさらに数を増していく。そして最後に開いたウィンドウで何かの数値が急激に増していた。
けど、それが何を示すウィンドウなのかを思考する集中力が、もはや残されていない。自身に出来るのは、頭の中に流れ込んでくる他者の思考に最期の瞬間まで抗い続ける事だけだ。
ウィンドウで増え続ける数値が赤色に変わった。何かの危険領域に達したのかもしれない。次の瞬間、頭の中を占領していた不快な意識が嘘のよう消えた。
――何が起きた!?
突然クリアになった思考。数値を上げ続けていたウィンドウに意識を集中する。
それは、思考加速レートを示したウィンドウだった。決して普段表示などさせることのないウィンドウ。その数値は1500倍に達していた。規定を遥かに超えた数値だ。
こんな速度では無線による他者との意識伝達など、時間当たり情報量が大きくなりすぎて出来ようはずがない。頭の中を占領していた意識が唐突に途切れたのはそのためだ。
だが、自分はそのような操作をしていない。
慌てて他のウィンドウにも目を通す。ネメシスのシステムに、有線接続によって外部から強制アクセスを受けた事を示す警告ウィンドウの数々。
――一体誰が!?――
――美玲!――
頭の中に響いた声。
――響生か!? 貴様、どうやってこの思考レートに――
そこまで言って、有線接続が行われていた事実を思い出す。
――まさか、全て貴様が!?――
混乱する思考。次々に展開された疑問がそのまま思考伝達に乗る。
――こんな思考速度を再現すれば、感染者である貴様の脳にかかる負担は…… それ以前に貴様はまだ、このネメシスに!?――
言った瞬間、視界にさらに開くウィンドウ。他者の操作によって意識が強制転送されようとしている事実を知る。
その直後、有無を言わさずブラックアウトする視界。転送先も分からない中で強烈な不安に襲われる。瞬間的に途切れる意識。その刹那、誰かの手が差し伸べられた気がした。
――心配しなくていい…… 君の命も君の誇りも、すべて俺が守ってやる! そう俺は君に約束した。約束したんだ! だから、俺はもう二度と……――
頭に響く声と共に、この上なく温かい感情が流れ込んでくる。底知れない深い愛情に包み込まれる感覚。先まで頭の中を占領していた不快な思念の残存感が消えていくのを感じた。
張り詰めていた緊張すらも和らいでいく。
――信じて…… 信じて良いのだな……?
4 響生 現在
「義体の戦闘支援システムの全てを消去して、『私の意識と、それを保つための最低限の仮想空間を構築するための容量を確保する』。その発想自体とんでもないと思うが、それ以上に、それを行うために、あのような短時間で厳重なネメシスのセキュリティーを突破し、私の意識へとアクセスして見せた。
貴様はそのような技術をいつ習得した?
その後はさらに凄まじかったぞ? 私の意識のロードを完了した貴様は、直ちにネメシスから離脱した。だが、直後、自爆したネメシスの衝撃波を真面にくらい、落下速度は尋常では無いまでに加速。
火球の中で溶融し始める貴様の装甲ジャケットと、あの思考レートの中、異様な速度で迫る地上を見た時、正直私は再び死を覚悟した。
だが、貴様はそれすらも、信じられない行動によって減速を果たし、地上に着地して見せた。まぁ、その直後に貴様の強引すぎるやり方のために、地面が崩落したおかげで、このような生き埋め状態ではあるが……
減速のために背の大剣を地上に向けて投げ放つ瞬間、貴様が上げた獰猛極まりない咆哮が今でもはっきり耳に焼き付いている。あれは普段、妙に冷めた態度をとる貴様とは全くの別人のように感じた。
繰り返すが、あれは決して『戦闘センス』なんて簡単な言葉で片づけられる代物ではない。あれは本当に貴様だったのか? 貴様は自分の行動の全てを覚えているか?」
「覚えてるよ全部。けど、あれが本当に俺だったのか? そう聞かれると自信がない……」
そう、記憶はあるのだ。鮮明すぎるほどに。
ネメシスの自爆。その凄まじい光に飲み込まれた瞬間の衝撃。音速を遥かに超える速度での落下。視界の全ては真っ赤に染まり。バイザーまでもが溶融し始める。
ディージールからの強制加速射出による降下よりも遥かに速い速度であることは明白だった。
確かに自分は背に従えた大剣を抜き放ち、自重を超えるそれを地上に向け、投げ放つことで減速を行った。
全身に残る大剣を振り下ろした瞬間の強烈な反動の感覚。あの時、自身が上げた咆哮が自分の耳にも残っている。装甲ジャケットの稼働限界を超える力で大剣を放ったために、破裂するかの如く裂ける肩部。その瞬間走り抜けた痛み。
真っ赤に赤熱した大剣が凄まじい衝撃波を纏いながら地上に吸い込まれていく。それが大地へと突き刺さった瞬間、運動エネルギーの熱転換によって、爆発したかのような衝撃波が地上に広がり、大地が波打った。
激しい土煙と共に形成されるクレーター。その中心に降りたった自分。そして直後に崩落した地面。
全て記憶はある。けど……
「大きな違和感があるんだ。まるで自分の記憶ではないみたいな。けど美玲に指摘されて、その理由が分かった。自分の記憶から『理由』と『感情』が欠落してるんだ。その時何を思い、何故そのような行動をとったのかが、まるで自分の記憶に残っていない。抱いていたはずの感情すらも。あるのは結果だけだ」
自分を見つめ、目を細めた美玲。
――何か前兆はあったか? そう、例えばウィンドウが開いて、何かのシステム名が表示されたとか――
美玲の言葉に目を見開く。
「あった。確か……『Release memory(記憶開放)』とウィンドウに」
――成程、そう言う事か、道理で……――
何かを思案するように顎に細い指をあてがった美玲。
「何か知ってるのか?」
――飽くまでもこれは私の予測だ。『Release memory』。そのロジックは『Collective Consciousness System』と同様の物なのかもしれない。それが、行われた後に起きる現象が酷似している――
『Collective Consciousness System』それはあの時、美玲が平静を失う直前にネメシスの仮想空間に浮かび上がったシステム名だ。
返事をすることが出来ない自分を見つめていた美玲が、さらに口を開く。
――そうか、貴様は知らぬのだな。まぁ、無理もない。このシステムは私のような大群の一部として動く末端の兵士に必要なシステムだからな――
「教えてもらってもいいか? もちろん軍規に反しないならでいい」
――問題ない。だが、何も知らぬとなると、その概念から説明しないとならないな。多少長い話になる。時間が惜しいのなら思考レートの加速を提案するがどうか?――
「ああ、そうさせてもらうよ」