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Chapter 30 響生

1



 視界を覆う夥しい量のウィンドウ。その向こう側に鈍い金属光沢を放つ空間が広がる。美玲が操るネメシスの触手によって形作られた球状空間。


 予告通り強制ログアウトさせられたらしい。すぐ隣でサラが小さな呻き声をあげた。そして痣だらけの細い腕が動き、頭に手を当てる。仮想空間から復帰後に起こる特有の目眩に、まだ慣れていないのだろう。


――どうなってるの!?――


 頭の中に響き渡る焦った声と同時に、光の粒子を纏いながら視界上に合成されるアイ。


――分からない。嫌な予感がする――


 一体何が起きているのか。が、巡らせようとした思考は、想像すらしていなかった事態に遮られてしまう。


 唐突にうねるように動いた床。それを形作る触手の間に光が漏れ始める。


――美玲!?――


 咄嗟に思考伝達で呼びかけるが、頭の中に反ってきたのは不快なノイズだけだ。


 床のうねりはさらに強さを増した。触手の一本一本が、まるで意識を取り戻した別の生き物のように脈動し、本来の姿を取り戻そうとする。崩壊し始めた球状空間。


 触手の間隔がついに外の景色が確認できるまでに広がる。吹き抜ける強烈な高空の風。サラの身体があまりにあっさり浮き上がる。


 恐怖に瞳を見開いたサラ。咄嗟に彼女に向かって手を伸ばす。が、その刹那、すべての触手が唐突に真横に向かって伸ばされた。通常の飛行形態をとったネメシス。それによって今まで維持されていた空間は完全に形を失った。


 サラの身体が空へと飲み込まれていく。ベースクロックの引き上げによって自動加速される思考レート。


 咄嗟にディオシスに目を走らせる。それは辛うじて、その身を触手に絡ませ留めていた。けど、視界に表示されたウィンドウには、『ディオシスが未だ起動シークエンスを終えていないこと』が示されている。


――間に合わない


 咄嗟にそう判断し、


――アイ、悪い! 少し耐えててくれ!――


 思考伝達でそう叫ぶや否や、ディオシスに体当たりした。


――え? ちょっ! 嘘!――


 それによって空へと投げ出される機体。不規則に回転しながら落下するそれにしがみつく。実体を持たないアイが、さらに自分へとしがみ付いてきた。


 頭の中に大音響で響き渡る彼女の悲鳴。


 それを無視して視界の高度計に目を走らせる。高度3219メートル。その数値がゆっくりと減っていく。


――アイ! 落ち着け! 周りをよく見ろ!――

――無理無理無理!――

 それを、遮るように反ってきた絶叫。


――この思考レートだ、体感の落下速度はそんなに速くないだろ。それに、今のアイはディオシスの起動シークエンスさえ終了すれば飛べる。そうだろ?――

――……あ――

――分かってくれたか。なら、聞いてくれ。サラを助けないとならない。けど、彼女の『あの落下姿勢』じゃ、ディオシスの起動を待ってからじゃ間に合わない。だから俺が彼女と合流する。アイは、ディオシスが起動し次第、俺を迎えに来てくれ――


 それだけ言いディオシスから手を放す。


――ちょっ!――


 あからさまに焦った表情をしたアイに向かって、意識して笑顔を作る。


――俺とサラの命、アイに預けたらな! 頼んだぞ? 俺を助けてくれるんだろ?――


 視界で遠ざかっていくアイが目を見開く。そして、何かを喜ぶかのように僅かに瞳を細めた。強く頷くアイ。


 それに自分も頷くことで応え、マーカーが示す下方に視線を移す。途端に悪天候のために白い靄に覆われた地上が視界一杯に広がった。


 遥か下方に浮かび上がる黄色いカーソル。その直ぐ横に示された対象との距離を確認し、直感する。


――よし、行ける!


 急降下姿勢をとる。四肢の全てを真っすぐと伸ばし、身体に密着させた最も空気抵抗が少ない姿勢だ。イメージは一本の槍。それを高空から地上に突き立てるかの如く、重力を最大限に味方につけ加速する。


 目標到達予測時間から最適化される思考レート。通常間隔に近い状態に戻った体感時間の中で、猛烈な勢いで高度計の数値が減っていく。


 目に見えて近づいた黄色いカーソル。それはさらにサラの身体がハッキリと視認できるまでになった。


 手足を激しくバタつかせているサラ。どうやら気は失っていないようだ。その彼女に死角から近づく。下手にしがみ付かれたら危険だ。


 そしてついに彼女に触れる。彼女の背後から彼女の両腕を掴み強引に広げさせた。感じた僅かな抵抗。それを無視して彼女の足首に爪先を引っ掛け、こちらも強引に広げる。義体の稼働力に常人が敵うはずがない。


 身体を大の字に開いた減速姿勢。安定落下状態に入る。


「大丈夫だ! 辛いだろうけど少し耐えててくれ!」


 密着状態で必然的に近くなったサラの耳に向かって叫ぶ。同時に同じことを思考伝達でも伝えるが返事がない。


 お陰でこちらの意思が届いたのかは分からなが、この状態ではどうにもならない。


 視界の高度計に再び目を走らせる。高度1200メートル。十分余裕がある。マップ上ではディオシスを示す光点が一直線に近づいて来る。


 感じた安堵。空気を殆ど必要としない義体において、思わず溜息が出る感覚を響生は感じた。




2    アイ




「何があってもハンドルから手を放すな! それと足はそこに引っ掛けて固定する! そう、それでいい! 操縦する必要は無いから、とにかく落ちないようにだけしててくれ!」


 響生の叫び声。激しい風の音に逆らい声を張り上げる響生。思考伝達が使えないと言うのはこうも不便なものか。


 ニューロデバイスを導入し、自分たちの世界へとダイブを果たした彼女なら、方法さえ知れば、それが可能なはずだ。もっとも、『彼女にそれを覚える意思があるか』は絶望的だが。


 響生はサラを前に座らせた。それは安全を考慮してのことなのだろう。


 響生の思考入力によって急上昇を開始するディオシス。視界の高度計が見る見るうちに上がっていく。


 サラは激しく打ち付ける雨の痛みに耐えるかのように顔を伏せていた。


 やがて視界に入る空間の歪み。ネメシスが作り出す光学迷彩が不安定に揺らいでる。


 それを追い抜きさらに上昇したディオシス。響生が座席の上に立ち上がった。そして不安定に揺らぐ空間を見下ろす。


――操縦、アイに戻す。俺が飛び降りたら、全力でこの場を離れてくれ。サラを安全な所に――

――え?――

 響生の言葉に底知れぬ不安を感じる。


 が、響生はそれには答えず身体を宙に躍らせた。


 響生の身体が、不安定に揺らぐ空間へと吸い込まれていく。


 次の瞬間、激しいノイズが空間を走り抜けた。


――行け! 早く!――


 響生の叫び声が頭の中に響き渡った。その語気の荒さに反応し、咄嗟にスロットルを最大限に引き上げる。


 瞬間的なパルス衝撃と共に加速を開始したディオシス。が、その直ぐ脇を猛烈な勢いで、光学迷彩を失ったネメシスが通過していく。そこにしがみ付く響生の姿。


――え?――


 遥か視界の先で、音速を突破した事を告げる衝撃波が筋状に広がった。遅れて届く衝撃音。ネメシスの装甲が赤熱し、独特の光を放ち始める。


――響生!――


 思考伝達で呼びかけるが返事がない。感じた強烈な不安。胸が押し潰されるような感覚に襲われる。


 視界上でデタラメな動きを繰り返す光点。


 無意識に到底追えるはずのないそれに、機体を向けようと試みる。


 が、その刹那、ネメシスが放つ輝きが唐突に増した。直視することが困難な程の光が、周囲の空間全てを巻き込むかの如く膨れ上がる。円盤状に広がる衝撃波の筋。上空の雲が弾き飛ばされていく。


 マップ上に示された響生とネメシスを示す光点が同時に消失した。


――そんな……


 直後、此処にまで到達した衝撃波によってバランスを大きく崩した機体。それを必死に立て直す。


――響生ぃぃぃ!――


 思考伝達に乗った叫び声が空間に飲み込まれていく。視界上には『対象に思考伝達が届かなかった事』を示すメッセージだけが、ことさら鮮明に浮かび上がっていた。


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