Chapter 25 アイ
1
「響生!!」
アイは堪らず叫んだ。そして響生のそばに駆け寄る。瞳を閉じ、完全に動きを止めてしまっている響生。突き刺さったままの刀を伝い、血が滴り落ち続ける。
「馬鹿だよ...... いつもこんな痛い思いばかり......」
自分の頬を伝い始める涙。それが、血の気を失っていく響生の顔の上に落ちた。そっと刀に触れ瞳を閉じる。
――Compression Object――
光の粒子と化し、空気に溶け込む様に消失する刀。その瞬間あふれ出ようとする血をアイは両手で傷口ごと強く抑え込んだ。
――Restoration――
瞬間的に手の平から溢れる青白い光。伝わる感触から傷口がふさがっていくのが分かる。それが無意味な行為なのは承知の上だ。
この世界でオブジェクト・ヒューマンは如何なる損傷も致命的とはならず、逆に傷が癒えようと脳に刻まれてしまった痛みを早急に取り除く術は無い。けど、そうせずにはいられなかった。
「血......うそ...... そんな訳ない! 嘘...... 嘘よ......」
すぐ横で少女の震えた声が聞こえる。自身の行った行動の全てから逃避するような、その言動に憤りを感じ、アイは少女を睨んだ。
顔面蒼白となり、小刻みに震える少女。美玲がそれを冷ややかに見つめ、口を開く。
「気は晴れたか?」
だが、少女は美玲の問いにも答えようともせず、血にまみれた手を必死に床にこすり付け始める。
「うそ...... 嘘よ! そんな訳ない! そんな訳ない!」
目を見開き一点を見つめ、手についた血をひたすら床で拭おうとする少女。その様子に我慢の限界を感じた刹那、美玲が少女の胸倉を掴みあげ、強引に目線を合せた。
「気は晴れたか? と訊いている!」
激しい怒りを宿した深紅の瞳。少女が怯えたように目を見開く。だが、その瞳はすぐに伏せられてしまった。
「目の前の光景をよく見ろ! 貴様らが死霊と呼ぶ者たちを、『人』では無いと断じる者をよく見ろ!」
だが、美玲の言葉に視線をそらし、目の前の全てを拒否するような態度を見せた少女。口だけが動き続け、ボソボソと何かを言い続ける。
「......全部嘘よ...... そうよ...... 偽物よ...... この世界は偽物! 現実じゃない! だからこの血も! 貴方たちも全部、偽物よ!!」
口調が最後で確信に満ちたものに変わり、再び開かれた瞳に勝ち誇ったかのような光が浮かぶ。
美玲の瞳が細められた。それだけで彼女の持つ威圧感が数倍に増す。刃の如き視線に晒され、少女が再び目を伏せた。
「確かに我等に流れるこの血は偽りの物だ。この肉体すらも。だが、それが我等に必要な理由を貴様は知っているか?
そもそも貴様は仮想空間において我等が傷つく事実を知っていたか? そしてそれが必要な理由を貴様は知っているか? 貴様はフロンティアの由来をどの程度知っている? 我等についてどの程度知っている!? 貴様は自分が『人』ではないと決めつける存在について、どの程度知っている!?」
少女が愕然と目を見開いた。
「さっき貴様は言ったな。『何億人も殺しておいて』と。我等は貴様らの攻撃によって世界の半分を失ったぞ?
それでも、我等は耐えた。話し合いによる解決を望んできたんだ! 貴様はそれを知っていたか!?」
見開かれたままの少女の瞳。
「あの日。フロンティアが地上侵攻を始める数日前、何があったかを良く思い出せ! 貴様も見ていたはずだ。月を飲み込んだ超新星の如き光を。まさか、あれが何だったか知らなかったなどと言うまいな?
貴様らは前世期の遺物まで持ち出して、月表面を焼き払おうとした。貴様等は我等を滅ぼそうとした。それも一部ではない。我等の全てを消し去ろうとしたんだ! それも二度もだ!
貴様は我等を『人』じゃないと言ったな。貴様のような考え方を持つ者がこのような事態を招いたんだ!」
美玲が怒りに任して少女を突き飛ばした。尻餅をつく形で倒れた少女が目を見開いたまま美玲を見つめる。
「我等の中にあるのは貴様等への恐怖だ。貴様らは我等にとって長い間、神にも等しい存在だった。いつでもその意思一つで、世界そのものを消し去れる。
我等は怯え、神に対抗する力を得るために、時間加速を選んだ。拮抗する力を得れば、現実世界側も話し合いに応じると信じて。その結果があれだ。月を飲み込もうしたあの光は、我等に根本的な恐怖を蘇らせるには十分すぎた。滅ぼさねば、滅ぼされると」
少女の瞳が伏せられる。
「......そんなの知らない。私がやったんじゃない。あれは戦争なんて、対等なものじゃなかった! 一方的な虐殺よ!
みんな貴方達に殺された。友達も親も兄弟も! 全部! 返してよ! 全部返してよ!」
少女から上がった叫び声。瞳に溜まった涙を拭おうともせず、必死に美玲を睨み返す。
「だから、何だ? まさか貴様等だけが、大事な者を失ったなどと考えてはいまいな?
私は、貴様らの月への核攻撃で父を失った。貴様が刺した彼もまた、先の戦争により両親を失っている。そして艦長殿は、貴様らが最初に行ったサーバーへの攻撃によって両親を失った。
『私がやったんじゃない』と今言ったな。確かに戦争に対してはそうなのかもしれない。だが、目の前のこの光景からは逃れられないぞ!」
美玲は再び少女の胸倉を掴み上げ、少女を響生の元まで引きずった。
「もし、貴様が人ならざる者への処置として、この行為を正当化するなら、それもよかろう。だが、その時は覚えておけ! 私は貴様を『相反する敵』として容赦なく扱う。自分だけが『人』として扱われるなど努々思うなよ?」
少女が怯えた瞳で美玲を見返し、再び伏せられてしまう。
美玲が少女を完膚無きまでに追い詰めたことにより、自分の中の憤りが吐き出された気がする。それによって、少しだけ冷静に少女を見ることができた。
少女が自分たちを見る瞳は、彼女の言う通り『人』に向けられたものでは無い。もっと得体の知れない存在に怯えた瞳だ。それは『あの日』、響生が初めて自分の同胞達の姿を見たときの瞳そのものだ。彼女にとって自分たちは、地上を襲った兵器そのものであり、機械化した化け物も同然なのだろう。
「響生...... 彼はね貴方と同じ人間だよ。肉体を持ってる血の通った正真正銘の人間......」
少女が驚いたような顔を上げた。
「......え? そんな事って......」
そう呟いた少女の瞳に僅かな興味が見て取れる。
「だから、本当はここにいるべき人じゃないのかもしれない。私が彼を巻き込んだから彼はここにいるの。
少しだけでいい...... 私の話、聞いてくれるかな?」
こんな話をし始める事に意味は無いのもしれない。そんな簡単な事で価値観の違う世界が繋がるとも思えない。けど、響生と共に現実世界で過ごしてきた自分になら、彼女の気持ちも少しだけ分かる気がする。そして自分以上に彼女を理解してあげられるのは響生だ。だから、せめて彼女が響生の言葉に耳を傾けられる状況にしたい。
アイはゆっくりと話し始めた。