Chapter24 響生
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保護した少女の表情の変化を、皆が一様に見守る。
美玲が少女の脳波から、目覚めの兆候を読み取り、彼女のオブジェクトを再召喚したのはつい先ほどの事だ。
再召喚前は静かな寝息を立てていた少女の顔が今は苦悶に歪む。そして漏れる呻き声。それは少女の見ている夢が決して幸福なものでは無いことを物語る。
赤茶けた長い髪は、長い間強い日差しに晒され、手入れすら出来なかったためだろうか。幼さの残る顔は痛々しいほどに窶れ、少女の年齢を分からなくさせる。そして、体中、至る所に存在する痣。
この少女が、今まで生きてきた環境の壮絶さを感じずにはいられない。しかもその痣の付き方は事故や偶然などでは無いと直感する。恐らくは人の暴力によって付けられたものだ。
――歪んでる
自然と握られた拳。
けど、全てはフロンティアが地上侵攻を行い、世界の秩序を壊してしまったせいだ。やりきれない思いが全身を満たしていく。
美玲が少女の額にそっと手を触れた。その瞬間、僅かに身体を震わせた少女。軽く閉じられた瞼に力が目に見えてこもる。そして僅かに開かれた瞳。虚ろな視線が辺りを探るように動いた。
だが、それはやがて怯えた感情を伴って見開かれる。そして身構えるように、突然身体を起こし、布団を抱え込んだ少女。
「ここ...... 何処?」
絞り出されるようにして発せられた声は、警戒と怯えが入り混じり震えていた。
「心配しなくていい。ここは、私が構築した仮想空間だ。フロンティアの環境を小領域ではあるがそのまま移植している」
美玲の言葉に、少女の瞳が驚愕を宿してさらに見開かれた。少女の顔から血の気が引けていく。
「死霊......」
震える唇から呻くに発せられた言葉。
その言葉に感じた胸騒ぎ。フロンティアに親しいものは、面と向かって彼らにその言葉を使用することは無い。
美玲が片方の眉を僅かに上げた。そして瞳に、いつも以上に侮蔑が混ざった冷たい光を浮かべ、少女を見下ろす。
「いかにも。我等は貴様等が『死霊』と呼ぶ存在だ。不本意な呼び方ではあるがな」
美玲が一歩踏み出す。
「来ないで!!」
その瞬間、叫び声を発し、座ったまま後ずさりをした少女。
「貴様は『アクセス者』であろう? 我等と共に生きる事を望んだのではないのか?」
美玲はさらに一歩踏み出した。少女もさらに後ずさりする。だが、その表情には明かな憎悪が浮かんだ。それは否応なくヒロが自分へ向けた視線を思いださせる。憎悪等と言う安易な言葉では、到底表現できない感情を宿した瞳。
「共に生きる? 誰が、死霊なんかと!」
叫ぶよう発せられた声と共に、それが自分達へと叩きつけらた。胸が抉られるような感覚が襲う。
が、美玲はそれに失笑するかの如く鼻を鳴らした。
「ならば、貴様は我等が保護する対象ではないな。
『アクセス者』であるにも関わらずその言いよう。明かな敵意。貴様は、ニューロデバイスを正当な使用目的以外で導入したな? 目的は何だ?」
自身の取った態度が自分を追い詰めてしまったことに気付いたのだろう、少女は顔を強張らせた。だが、その瞳には依然として色濃く憎悪が浮かび、固く口を噤んだまま美玲を睨んでいる。
美玲が瞳を閉じる。
「仕方がない。貴様を拘束し、直轄地域へ連行する」
再び、開かれた彼女の瞳には、反論の余地など無いほどの冷たい光が浮かでいた。
「おい、美玲!」
溜まらず出た声。美玲がそれを無視して少女に近づこうとする。
思わず美玲の腕を掴んだ。
その瞬間、自分へと向けられた冷たい視線。
「元はと言えば、貴様が持ち込んだ厄介事であろう? これ以上、事態を複雑にするな」
互いの注意が少女からそれたことによって生じた僅な隙。それは、少女に思いもよらない行動を許してしまう。
行き成り立ち上がった少女。そして、何かを目指して走り出す。その先にあるのは床の間に飾られた『戦国甲冑』だ。彼女の目的に気付いた時には既に、彼女の手は『それ』が従える刀の柄を握っていた。
そしてそれが強引に抜き放たれる。アイから短い悲鳴を上がった。
「なっ!?」
それに重なるように自分からも声が漏れる。
刀身に宿る重厚な輝き。少女の細い手がその重みに耐えかね、小刻みに震えている。だが、その瞳に宿るのは間違いなく殺意だ。
「美玲、まさかあれ......」
思わず漏れた疑問に
「レプリカは好かん」
とあっさりと返され、言葉を失う。
――勘弁してくれ
だが、美玲はこの状況において、尚少女に近づこうとする。
「近寄らないで!」
叫ぶように発せられた声は裏返り、もはや感情をコントロール出来ているとは思えない。
美玲が少女の行動を小馬鹿にするように鼻をならす。
「抜刀したからには、それ相応の覚悟が貴様にはあるのであろうな?」
「おい、美玲! それ以上挑発するな!」
この状況で挑発などすれば、何が起きるかは明白だ。
「あるに決まってる! 死霊は敵! 敵だもの!」
「よかろう。それで私を貫いてみろ。貴様等が『死霊』と呼ぶ存在が何たるかが分かるはずだ」
美玲から発せられた信じがたい言葉。
「おい!」
少女の瞳に宿る殺意が増す。
「やってやるわよ!」
震える切っ先。それが真っすぐに美玲に向けられた。美玲の瞳が細められる。
「言っておくが重いぞ? 人一人の命を奪うことで背負う代償は」
「よく...... よくも何億人も殺しておいて、そんな事が言えるわね!? それに『人』なんかじゃない!」
少女がついに走り出した。アクセス者が同領域いるために上がらない思考レート。刀の重みを少女が支え切れていないために切っ先がぶれ、正確な軌道が読み取れない。
それでも、美玲ほどの鍛錬を積んだ者なら、容易に躱せるはずだ。美玲の性格からして、この場で少女を完膚なきまでにねじ伏せるつもりなのだろう。
が、美玲は身構える様子がない。見れば瞳を閉じ、まるで少女を受け入れるかのような無防備な体勢をとっている。
――馬っ!
思うより先に身体が勝手に動いた。美玲の腕を強引に引っ張り、少女との間に割って入る。
背中に感じた鈍い衝撃。それが、熱を帯びたかのように身体を走り抜けた。貫通する刃。偽りの血が飛び散り、畳に飛沫根を作る。
続いて襲った耐えがたい激痛に溜まらず片膝を突いた。その瞬間、美玲が掴んだ手を振り払ったために、横向きに転倒してしまう。視界に入る少女の愕然した表情。
「血......うそ...... そんな訳ない!」
返り血を浴び、赤く染まった手を呆然と見つめ、その場に崩れ落ちた少女。
それを、美玲が冷ややかに見下ろす。
――そのまま、じっとしていろ。なかなか良い反応速度だった。この空間においての貴様の神経接続を断っておく。これで痛みからは逃れられよう。代わりに意識も途切れるがな――
――馬鹿、それじゃ......
――案ずるな。後は私が何とかする。悪いようにはしない。だから、安心して眠れ――
――なっ!?――
美玲の瞳が、ちらりと此方に向けられる。その深紅の瞳には、普段の彼女から想像すらできないほどの柔らかい光が浮かんでいた。
――私を庇ってくれたこと、感謝する......――