Chapter23 響生 仮想時間軸 ニ時間後(現実時間 一分一二秒後)
「......無理だ......」
響生は呻いた。
――私の身体を妊娠するまで好きにしていいと言っているのだぞ?――
不幸にも脳内にフィードバックされ続ける美玲の発言。一瞬だけ見せた彼女の恥じらう様な表情が、過剰にデフォルムされて再生される。
壁を背に座った体勢で仮眠する事を決めたが一向に眠れそうにない。
閉じていた瞳を僅かに開ける。その瞬間、目に飛び込んでくるのは、あまりに無防備な体勢で眠る美玲の姿。
彼女は自分の対角側の壁を背に、腕を組んだ状態で仮眠していたはずだ。それがいつの間にか横に倒れてしまったのだろう。
自分の位置からだと否応にも目に入る彼女の白く細い脚。それが見事な曲線を描きながら開けた(はだけた)浴衣へと吸い込まれていく。
薄布が作り出す影の神秘性が本能を直撃する感覚に襲われ、思わずフルフルと大きく首を横に振り、再び固く瞼を閉じる。
だが、焼き付いてしまった光景はくっきりと闇に浮かび上がり、たちの悪いことに、見えないはずの部分を脳が勝手に妄想を重ねて補おうとする。
そして再びフィードバックされる美玲の発言。永遠と繰り返されるこの地獄のようなループから、抜け出すために発狂してしまいたい衝動に駆られる。
どうにか気持ちを落ち着けたい。
が、今度は唐突に腕が引っ張られる。
「......んんっ......」
続いて聞こえてきた細いうめき声。反射的に声がした方を見たとたん、目に飛び込んできた光景に思わず身体が仰け反り、派手に頭を壁に打ち付けた。
「痛っ......」
出てしまった自分の声に驚き、自由な片手を慌てて口元に当てる。
肩が完全に見える程に肌蹴たアイの浴衣から覗く白く美しい鎖骨のライン。長いシルバーブルーの髪が、その先に続く柔らかな膨らみに誘うかの様に、白い身体の上を伝う。
しかもアイの腕に自分のそれが絡み取られているせいで、手の甲が今にも露わになりそうな膨らみに触れる寸前の位置に存在するのだ。
「無理だ...... 絶対仮眠なんかできない......」
そもそも何故浴衣なのか。いや、彼女達は風呂上がりなのだから、これでいいのかもしれない。けど、風呂に入る必要が果たしてあったのか。
美玲の提案の意図が全く持ってわからない。
これでは、仮眠と言うのは名ばかりの雑魚寝状態での熟睡である。布団をかけていないだけにたちが悪い。
単なる疑似再現信号に過ぎないはずの偽りの鼓動は、睡眠とは程遠いほどに跳ね上がり、体中から得体のしれない汗が滲み出る。
アイの身体に触れないように維持している右手は不自然に力が入り、小刻みに震えだした。その瞬間、僅かに表情を変えたアイ。
そして絡まった腕がさらに強く引かれた。それによって、ついに手がアイの身体に触れてしまう。思わず洩れた情けない悲鳴。
白い素肌がから伝わったあまりに心地よい温もりと感触。脳が痺れ、思考の全てが奪われる。放心状態。
アイの唇が僅かに動いた。
「......大丈夫だよ...... 響生は私が守るから......」
聞こえた声にビクリと身体が震える。けど、彼女の瞳は依然として閉じられたままだ。
――寝言......?
「――私が、守るから......」
繰り返された言葉。それによって取り戻される思考。先ほどまでの緊張が嘘のように引いていく。代わりに溢れる様に心に湧き上がってきたのは、愛おしさだった。
――アイ......
自分はヒロと伊織の件で取り乱し、彼女を追い詰めてしまったのだろう。そうならないように、自分は『決して感情を外に出さない』と決めて生きてきたにも関わらず。
フロンティアが大規模な地上侵攻を始めた『あの日』。自分と穂乃果はアイに救われた。今の自分があるのは彼女のおかげなのだ。彼女が居なければ、自分は穂乃果を失っていただけではなく、自身も命を落としていたかもしれない。
だから自分は決めたのだ。決して感情を表にださないと。自分が悩めばアイが責任を感じるに違いない。自分が不安になれば穂乃果も不安になるに違いないと。
けどアイが自分を抱きしめてくれたあの日、アイと話す事で、それは間違いだった気づいた。自分はそうする事で周りの者により不安を与えていたのだ。
アイの腕から自分のそれをそっと引き抜く。その瞬間、心なしか寂し気なものに変わったアイの表情。
「馬鹿だな...... 俺。また同じ過ちを繰り返そうとしてた......」
小さな声で呟く。
――俺は、この領域を少し離れたら、単独でヒロの追跡を再開する。アイと彼女をたのむ――
自分がそう言った瞬間にアイが見せた表情が蘇る。アイに何かあったら、自分は今度こそ自身を許せなくなるだろう。けど、アイは言ったのだ。
――それは私も一緒だよ――
と。少し遠回りしてでも、アイと一緒に行動するべきだ。
そもそも、あんな目立つ機体に跨りヒロを単独で追跡したところで、目的を果たす前に、義体を放棄せざるを得ない事態に陥る可能性が高い。そうなったら、穂乃果を救出し、ヒロを説得するなど不可能だ。焦りから、冷静さを欠いていた。
美玲はそれを見抜いていたからこそ、『休息が必要だ』等と言い出したのだろう。あの場で諫められたところで、ムキになって反論をするだけだった。
――全くつくづく俺は......
守るつもりが、いつも守られている。
口元から僅かに洩れる笑み。アイの額にそっと手を伸ばそうとして辞める。代わりにその手でウィンドウを呼び出した。
美玲がマスターであるこの空間で、ゲストの自分が使えるコマンド一覧を呼び出す。
――なんだ、意外と何でも出来るじゃん-――
――DIR Tenement
思考コマンド入力によって頭の中に展開されるさまざま『物』。それらは全て、この空間における美玲の所有物だ。
ゲストである自分がアクセスできるとすれば、ゲスト用のリストのはずである。
が、次々に展開されるイメージが大量の服に変わり、さらに下着までが登場し始めた。思わず悲鳴を上げ、慌ててクローズする。再び無駄に跳ね上がる偽りの鼓動。
――全くディレクトリぐらい整理しとけよな!
完全な逆切れ状態。
――きっちりしてるようで、こう言うところズボラなのか......
もうこうなったら、リストを見ずに、有るかどうかも分からない物を呼び出すしかない。
――Agrep_ DeFreeze blanket,2 / Tenement――
思考コマンド入力で『毛布の類の物があれば二枚、解凍しろ』と念じてみる。次の瞬間、自分の膝の上に出現した2枚の毛布。最初からこうすれば良かったのだ。自分の馬鹿さ加減に思わず出る溜息。
それをアイと美玲にそっと被せ、ほっと胸を撫で下ろした。これで、ようやく自分も安眠できるはずだ。
再び壁を背に座り、目を閉じる。
1もしくは2時間後、目覚めたら最初からやり直しだ。プラン変更を話し合おう。