Chapter20 響生
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月明りに照らされた雲海の上、必要以上に高度を落とさないように注意しながら、移動を続ける目標を追う。
『ディオシス』などと大層な名前がついていても、自分が跨るこの機体は『ネメシス』の性能とは程遠い。
反動推進を使用したスカイモービル。そのコンセプトはフロンティア統治以前の地球で使用されていたものと殆ど変わらない。自分に付属するアイテムの全ては潜入用であり、フロンティアの技術の象徴たるデザインが反映されないように設計されている。一部においては、大剣のように『見かけからは想像し難い性能を誇る部分』も、もちろんあるにはあるのだが。おかげで対象の移動速度の方が早い。
せめてもの救いは『ネメシス』の識別信号が未だ発信され続けていることだ。それも、何処かに降り立ち機体を弄られてしまえば、消えてしまうだろう。
焦る気持ち。そして不安。
――絶対助けるよ。二人で――
唐突に頭の中で響いた声。それと同時に背中から抱きしめられた様な感覚が全身を包む。
「あ、アイ!?」
思わず上がった声。
――どうせ「何故来た!?」って言うんでしょ? 心配だからきたの――
混乱する思考を先読みしたかのような言葉。それがさらに混乱を誘う。頭の中に唐突にめぐる幾つもの疑問が勝手に口から出た。
「どうやって此処に!? てか、船は大丈夫なのかよ!? それに――」
言い終わる前にアイの声が頭に響く。
――『ディオシス』の片隅に容量を少し借りたの。船は大丈夫だよ? 副長の許可はちゃんともらった。それに、もともとあまり役に立ってないし。ちなみに「帰れ!」って言われても帰らないから――
その決意に満ちた声に、思わずため息がでる。
アイの態度によって取り戻した冷静さ。思考伝達に肉声で答えていた自分に気づく。そして感じた僅かな安らぎ。
――そうか......――
諦めたように呟く。
――怒らないの?――
驚いたような声。
――怒っても帰らないんだろう? まぁ、ヤバくなったら強制転送するけど――
――そんな――
上がった抗議を遮り、自分の意志を思考伝達に乗せる。
――もし、それでアイに何かあったら、今度こそ俺は自分を許せなくなる! だから――
――それは私も一緒だよ――
アイがそれをさらに遮り、言葉を重ねた。
その言葉に思わず目を見開く。途切れる会話。月明りを浴びて青白い光を放つ雲海の上、自身が大気を切り裂く音だけが妙に強く聞こえる。
先に言葉を発したのは自分だった。
――その、有難う...... アイにあんなひどい事言ったのに――
――ううん――
アイの腕にこもる力が僅かに増した。自分の背へと預けられる愛の額を感じる。ニューロデバイスへの干渉によって再現される抗い難い温もり。
――なんか、昔みたいだね――
アイの言葉によってフィードバックする昔の記憶。
泣き叫ぶ幼いアイ。困り果てる自分。
『僕が君の友達になるから。ずっと一緒にいる。約束するよ。だから......』
それ以来、あの日まで肌身離さず身に着けていたウェアブル端末。
自分の隣には常にアイがいた。それこそ寝る時ですら一緒だったのだ。当然、色々な事を話したし、喧嘩もした。
――あのころ、私にとっては響生が唯一の友達だったし、兄弟でもあった。親代わりもあったのかな? 全部だよね。私にとって他人は響生だけだったんだから......
あの時に比べれば、今の方が遥かに良い暮らしをしてるのかもしれない。自分が本来いるべき世界に来て、普通の人間らしい暮らしをして。
けどね、たまに昔が懐かしく思う。響生と二人だけの世界だったあの頃が――
どう答えていいのか分からない。
――確かに最近はお互い忙しくて、あまり話す時間とかもなったからな......
最近の事実のみが口から出る。
――ねぇ、無事にこの任務が終わって、穂乃果も助たら私ね......え!? 嘘!?――
言葉の途中で裏返ったアイの声。唐突に視界に現れた警告表示によって途切れた会話。
頭部の量子チップのベースクロック自動的に引き上げられる。それによって引き延ばされる体感時間。
――ロックされた!?
強制展開されたウィンドウには、小型自走車両式の地対空ミサイルの簡易図が浮かび上がる。
――クソッ!
さらに強制的に開くウィンドウ。複数の同型兵器にロックされた事を知る。
いかに旧型の兵器とはいえ、こんなものを真面に食らったら唯では済まない。この機体自体も旧時代のものと大して変わりはないのだ。
ついに警告表示の下に弾頭到達までのカウントダウンが表示される。時間にして僅か数秒。百倍に引き延ばされた意識の中で、数値が刻一刻と減っていく。
極度の緊張状態。偽りの鼓動が速さを増す。
――アイ,今ならまだ間に合うぞ?――
眼下に広がる雲海に出現するカーソル群。それが徐々に数を増す。その脇を掠めるように光線で示された回避ルート。上に逃れることは不可能だと言うことだ。
回避するにはルートに従い、重力を味方につけ加速、弾頭の旋回性能の限界を突くしかない。
――私はここにいる-――
確固たる意志のこもったアイの声。瞳を閉じる。
――分かった。一気に低空に抜けるぞ!――
そして響生は瞳を開けると、スロットルを力いっぱい捩じり上げた。