Chapter16 響生 物理エリア 義体格納庫
1
起動するなり目に飛び込んでくるウィンドウだらけの世界。各種センサー情報と義体ステータス情報が視界を占領する。全て消してしまいたいが、起動シークエンスの終了まではどうにもならない。
そしてステータス・ウィンドウから知った事実に溜息を付く。義体は当然の様にフル装備状態で起動した。
おかげで、装甲ジャケットを初めとした装備品を脱ぎ捨てなければならない。こんな格好でヒロに会うわけにはいかないのだから。
唯でさえ、時間が惜しいのに大幅なロスを食らったことに感じる苛立ち。乱暴に装備品を脱ぎ捨てる。背に装備された大剣が、異常なほど重々しい音を立てながら床に転がった。
それを見た瞬間、感じた違和感。地上での戦闘の記憶。
思わず大剣を手に取る。伝わる重み、ウィンドウには二百キロ近い重量が腕に掛かっている事が示されていた。通常では考えられないほどの高密度物質で作られているらしい。
本能的な欲求に逆らえず軽く振ってみる。
「ぬおっ!?」
その瞬間、発生した凄まじい遠心力。身体ごと持って行かれ、危うく転倒しかけた。
やはりおかしい。こんなものを扱いきれる訳がないのだ。
自分には戦闘時、これを扱いきった確かな記憶がある。けどそれは、何処か遠くから自分を観察しているような、リアリティーに欠ける記憶だ。
一体あの時、何が起きたのか。めぐり始める思考。
――お前ぇ、何でそんな所にいるんだ!?――
脳内に響き渡ったドグの罵声に自分のやるべきことを思い出す。
――自分の肉体が使えなかったんだよ! けど義体の使用許可が出てた。問題ないだろ?――
義体は自分の肉体細胞から作られた分身のようなものだ。スペックこそ違っても外見はリアルの肉体となにも変わらない。
――問題大ありだ! お前ぇ、そこからどうやって処置室に向かうつもりだ!?
ドグの言葉に意表を突かれ喉を詰まらせる。
――どうやってって......
艦内マップをウィンドウに表示させる。それを見た瞬間、響生は呻いた。
兵器である義体が安置されている場所は、当然『降下兵投下モジュール』に隣接したエリアだ。艦の後方に位置する。
一方、ダイブルームを初めとした自分達『肉体持ち』が使用するエリアは艦の中心部、『量子コンピュータ=アマテラス』に隣接する僅かなスペースだ。そしてこの二つのエリアは完全に分断され、繋がった空間に無い。
『人』が運用するために作られた船ではないのだ。従って人が艦内を移動するためのスペースなど必要ない。全長1200メートルを誇るこの船は高密度の機械の塊だ。
――どうやったら処置室に行ける!? いや、ドグが処置室に行けないか?――
――俺は、サァリィーブラァル・オブジェクターのオペレート中だ、もう十四時間は動けねぇぞ!
早くした方がいい。リアルの彼女の姿を見て、冷静を失った彼が『彼女が使用する箱』を破壊する可能性がある――
――解ってる! ――
――ルートが分かった! 出すぞ?――
視界のマップにルートが重なる。露骨に艦の外に向かって伸びる線。
――マジか......――
処置室に行くためには艦外に一度出るしかないと言うことだ。
――けど......
――Promote Base_Clock to the Battle_Rate.――
思考コマンド入力によって強制的に思考速度を戦闘時並みに引き上げる。考える時間が欲しい。
超高空を亜音速で航行するディズィール。義体でなら確かに艦の外に出られるだろう。だが、装甲ジャケットを脱いでしまった今、果たして生体部が耐えられるのか。
響生は無意識に『箱』によく似た装置を横目で確認した。
そこに眠る『先の戦闘で使用した義体』。剥き出しになったセラミック骨格に辛うじて、グチャグチャになった生体部がこびり付いてる様な有様だ。
唯でさえ混乱しているかもしれないヒロに、このような状態になった自分を晒す訳にはいかないだろう。
仮に耐えられたとして、生体部を温存しながら、ディズィールの装甲をよじ登り、亜音速の風に逆らって中央ハッチにたどり着くのに、どれほどの時間が掛かるのか。
論外だと結論付けざるを得ない。
――何か、何かないのか!?
使えそうな物がないか、辺りを見渡す。否応なしに目に入る大量に安置されたネメシス。こいつなら、一瞬で中央ハッチに行けるはずだ。けど、自分にネメシスは扱えない。
そこまで考えた瞬間、ある人物の顔が頭に浮かんだ。白銀の長い髪を、規定通りにきっちりと着こなした制服の背へと流し、何処か人を蔑むかのような視線を自分に投げかける少女の顔。
――何とかなるかもしれない。
響生は心当たりに呼びかけるべく、思考加速状態のままコールコマンドを実行した。
2
――最悪だ。私の知る限り、最悪の任務だ。何故、私がお前の馬にならなければならないのだ!?――
頭の中に響き渡る露骨に不機嫌な声。けど言葉とは裏腹に、美玲が操るネメシスの触手によって作られた空間は、超高空にあって実に快適な空間だった。
――そう言うな美玲、上からのれっきとした命令だろう?――
――その発信源は貴様だろうが! 何故、貴様のような奴が艦長と深い仲になれるのだ!? 納得がいかぬ――
あまりにも酷い物言い。けど、思考加速を用いての圧縮伝達を行っている処を見ると、それなりに気は使ってくれているのだろう。
人を蔑むような発言さえしなければ、彼女はもっとモテるに違いない。そんな事を無意識に考え、逆に『彼女には熱狂的なまでの支持者がいる事』を思い出す。自ら進んで彼女の奴隷を名乗る男たちだ。
――まったく美人っていうのは、それだけで才能だな......――
そう思った瞬間、
――それは褒めているつもりなのか?――
と美玲に返され、自身の思考の一部が漏れてしまった事を知る。
――うん? あぁ、多分そうだ――
何の気なしに出た言葉。これに何故か彼女が激昂する。
――なんと適当な! 貴様の命は文字通り私の手の中にある事を忘れてはいまいな。ここから海へ突き落すなど雑作もない――
触手によって形作られた床が僅かに緩む。触手の間に藍色の空が見えた気がして、響生はたまらず叫んだ。
――うわっ! マジでカンベン! 後で何でも言うこと聞くから!
彼女なら本気でやりかねない。
再びきつく結ばれる触手。ほっと胸をなでおろす。
――今、何でもと言ったか?――
美玲の言葉に自分が大きな失態を犯したこと気づく。だが、もう遅い。そんな機能など、この擬態には無いのに、冷や汗をかいているような錯覚に襲われる。
――あ、いや一つな? あと俺、貧乏だぞ? 『死ね!』とか無しな――
とっさに後付け条件を加える。
――その条件を満たせば良いのだな? よもや男に二言はないであろうな?――
――う、うーん――
返す言葉を失い、自分から肯定とも否定とも取れる情けない声が思考伝達に乗る。
――よかろう、楽しみにしているが良い。我が一生のお願いをな――
悪意しか感じられない勝ち誇った様な美玲の声。
現実時間で数秒にも満たないこのやり取りが、今後多大な時間をかけて代償を支払う結果を招いたかもしれない事実に、響生はがっくりと肩を落とした。
3
――上手くやれ、此処まで付きやってやったんだ。私を失望させるな――
――ああ――
中央ハッチ。本来ならエレベーターで降りるべき垂直穴を自由落下で一気に降りる。目的エリアまで100メートルほど、制動開始ポイントは80メートル地点からだ。
凄まじい勢いで数値を減らすウィンドウの表示。制動ポイントを通過する刹那、思考加速が再実行される。
響生は持ち込んだ大剣の鞘と柄を両サイドの壁に強く押し当てた。その瞬間、飛び散る凄まじいまでの火花。不快な金切り音が筒状空間に反響する。
やがて宙づり状態で停止した身体。その目の前で目的フロアーの扉が自動で開く。体の反動を利用してそこに滑り込む。
が、その刹那、自身の体重を遥かに超える質量を持つ大剣が、付いて来ない事実を今さらながらに知る。響生はとっさに大剣から手を放した。
空間に滑り込む身体。遅れて、主に見捨てられた大剣が垂直穴の遥か下で、抗議するかの如く大音響の衝撃音を響かせた。
それを無視して脱兎の如く走る。たどり着いた処置質の扉。思考加速を断続的に用いたせいで、此処までかなりの時間を消費したような錯覚に襲われる。焦る気持ち。
――ドグ、着いた。開けてくれ――
――分かった。彼を間違っても刺激するなよ? 最悪の場合は気絶させてでも、この場は治めろ――
――ああ、分かってる――
開き始める扉。
その瞬間、中の想像すらしなかった光景に息をのむ。処置室の床一面を覆う黒い『何か』。それが、意思を持つかのように蠢いている。
「クソッ! 何だこれ! 離れろ!」
室内に響くヒロの絶叫。
多量の昆虫の群れとしか表現しようのない『それ』に身体の大半を纏わりつかれ、もがくヒロの姿。
それでも尚、伊織が使用する『箱』に向かって足を進めようとする。そして箱は、完全に『昆虫に似た何か』に覆われていた。
「ヒロ!」
無意識に上がった叫び声。
その瞬間、自分へと向けられた瞳。背筋に冷たい感覚が走りぬける。憎悪などという簡単な言葉では到底表せない感情。憎しみを遥かに通り越した何か。
それが嘗ての親友から自分へと向けられている。
「聞いてくれ!」
そう叫び、ヒロに向かって走り寄ろうとする。
が、その瞬間、床を覆う黒い群れが膨れ上がった。それが尋常では無い速度で腹部を直撃する。
弾き飛ばされた身体。数メートル以上も吹っ飛び、壁に背中から叩き付けられる。
その瞬間、フィードバックされた痛みの凄まじさに漏れる悲鳴。あるはずの無い肺から全ての空気が一瞬にして吐き出される感覚。
そのままズルズルと壁に凭れ掛かるように崩れ落ちる。口内に偽りの血が広がる感覚。それが激しく咽た事により、ぶちまけられる。
無意識に確認したステータス・ウィンドウ。義体へのダメージは皆無だ。なのに何故これほどの痛みがフィードバックされたのか。
とにかく直ぐに起き上がらなければならない。が、身体は微動だにしなかった。その事実に愕然とする。
視界に強制的に開いたウィンドウ。そこには『強制停止処置が成された事』を示す警告が点滅していた。
――いったい何故!?
言葉すら発する事のできなくなった身体。視界でヒロの身体が『黒い何か』に覆われていく。
――お兄ちゃん!!
唐突に聞こえた穂乃果の声。
空間に現れる光。実体のない穂乃果の姿が浮かび上がる。血の気が引けた顔で自分を見つめる穂乃果。
――俺は大丈夫だ。だからヒロを!――
――お兄ちゃん!!
だが、穂乃果は自分を呼び続ける。
――思考伝達すら許されないのか!
さらに視界に開くウィンドウ。自分の意識は間もなくフロンティアに強制的に戻される。
――クソッ 何故だ!
すでにヒロは『黒い何か』に殆ど飲み込まれてしまっている。
意識が現実世界から途切れる刹那、残された隙間から除くヒロの血走った瞳だけが、いつまでも意識に残り続けた。