エピローグ --New daily life-- 1/3
1 月軌道上 女王旗艦ディズィール 特別閉鎖領域 幕僚執務室
ザイールは手元の資料に顔を引きつらせていた。ウィンドウには十二人にも及ぶ人物データが列挙されている。その全てが年頃の若い男のものだ。
それも生粋の純血者、フロンティア創成期に葛城智也の側近として功績をあげて以来、政界や財界を動かすまでに成長した名家の者達だ。創成十二氏族。美玲の出身である姫城家も含め、その名を知らぬものは居ない。内八名は現当主が元老院のメンバーときている。
それ故に、目を通さねばならない書類には相応の圧力が掛かっていた。
この全てが陛下の花婿候補と言うのだからたちが悪い。
見れば見る程に溜息しか出てこなかった。こんなものを職務時間外に見なければならないのだから、飲まねばやっていられない。陛下がこれを見たら発狂しそうなものである。
「大分混乱しているみてぇだな」
太い嗄れ声と同時に、光の粒子を纏い転移して来たのは、体格の良い初老の男だった。暁である。
「確かに良くない方向で混乱している」
「何かいつもと口調が違げぇな?」
その、言葉にザイールは暁を睨むように一瞥した。
「これが本来の私だ。貴殿と艦長には敬意をもって敬語を使う事にしていたが、貴殿に敬語を使うのはもうやめた」
「そりゃまた、お友達に格上げか?」
「どう思ってもらっても構わない。反論する気にもならぬ」
そう言っていつになく荒々しく、グラスの中身を呷ったザイール。何時もの優雅な飲み方の欠片もない。
その様子に暁は深いため息を付いた。
「なんか、珍しく疲れてるみてぇだな。酒もいつもより回っているように見えるぜ? まぁ、それだけ混乱は大きいって事か。でも、そりゃそうだろう。あの『葛城 愛』以来300年近くの時を開けて、突然の女王復活だ。混乱しねぇ訳がねぇ。で、その男共が例のやつか…… こんなもんが送られてくるってこたぁ、響生の立場ってのは定まってねぇって事なのか?」
「陛下の婚約者については各方面から早くも批判が出ている。だが、その一方でアクセス者や感染者、流入者からは絶大な支持を受けていると言って良い。フロンティアの現権力者からすれば、よりそれが面白くないのであろうがな。
だが、陛下ご自身のたってのご指名だ。そして何よりこの婚約は陛下の最初の演説により発表されている。婚礼は揺るぎないだろう。本人はこれから相当に苦労するであろうがな。
実際、軍上層部では彼の階級をどうするかで、大いに揉めている。どうやら形式上の女王直属の別組織を編成して、そこに新たな階級を設ける形で落ち着きそうではあるが」
「まったく、あいつも凄いものに巻き込まれたもんだ。それも覚悟の上なんだろうけどよ。アイが演説の最中に響生の名前を出して惚気てみせた時には、思わず吹いちまった。
……で、その男共はどうするつもりだ?」
「どうもこうもない、数日後の祝賀パーティーで顔を合わせることになる」
言いながら、ザイールは手元のファイルの束を放り投げた。それによって空中に盛大にウィンドウが散乱する。
「そりゃ波乱しかねぇな。どうせ全員、返り討ちだ」
「そうも行かないかもしれん」
暁が手元に自分のグラスを召喚し、そうすることが当然の如くザイールの前にある見るからに高そうなボトルを引き寄せた。
ザイールは暁を睨むことはしたものの、それを咎めるまでには至らない。
「何故?」
「貴殿とて、このフロンティアの政治形態を知らぬはずはないであろう?」
「王無き立法君主制、立派な民主主義国家じゃねぇか」
その言葉に、ザイールは目に見えて表情を歪めた。
「本気で言っているのか?」
「もちろんだ」
「貴殿は、自らが創成に関わった国の事をもっと勉強すべきだ」
顔に浮かんだ侮蔑と呆れを隠そうともせずに、そう言ったザイールであったが、暁は悪びれる様子もなく笑って見せ、更には再び勝手に酒瓶の中身を自身のグラスに移し始める。
「悪りぃな。興味あるもんと無ぇもんは、わりかしはっきりしてる方でね」
「このフロンティアの政治は、そう、実態は確かに『王無き立法君主制』だ。甚だ不本意な呼び方ではあるがな。だが、それは嘗て現実世界に存在していた立法君主制とは根本的に異なる。
法律上の全権は女王にある。司法、立法、行政、軍事、全てにおいてな。故に、我等の王は機能しない象徴などでは無い。本来はな」
「つまり、これまでは女王が死者で有るが故に象徴としてしか機能してこなかったってことか。それが『王無き立法君主制』と揶揄される由縁ってことだな。って事は、うちのアイは名実共に、このフロンティアの実権を握ったわけか。なんてこった……
そもそも、亡き後の『葛城 愛』を女王として祭り上げたのが間違いだ。まして死者に実権を与える形で、それを法律に盛り込んじまうなんて正気の沙汰じゃねぇ。俺は彼女をよく知ってるが彼女はそんな事を望んじゃいなかったと思うぜ?」
手元のグラスに視線を落とし、表情を曇らせた暁。
「それは当時の民意だ。そしてこれはこのフロンティアにおける正当な歴史であり、彼女は我等にとって英雄だ。女王即位は相応と思うがな。このフロンティアにおいては多くの者がそう考えるはずだ」
ザイールは言いながら暁を睨み、すっかりホールドされてしまった酒瓶を奪い取る。
「まぁ、それはそうなんだろうけどよ。で、結局アイの権力に肖ろうとする者達が、男を送り込んでると?」
ザイールは空中にばらまいてしまったファイルを、再び手元に引き寄せ暁に突き出した。
「まぁ、それはそうなのだが、彼等の要求はこれら全てを夫として向かい入れろと言っている。しかも、そこに旧世界の帝政におけるハレムの序列まで指定して来た。言うまでも無く、響生は一番下だ。つまりだ、彼等の言い分はそうすることで現状のフロンティアの政界や財界のバランスが維持できると主張しているんだ」
ザイールから受け取ったファイルを呆れ果てた表情でめくっていた暁であったが、その言葉に咳込む。
「そりゃまたひでぇ話だな。結局今まで通り権力の座に居座りてぇだけじゃねぇか」
深いため息と共にザイールが口を開く。
「だが、実際彼等は、それぞれが世の中を動かす力を持っている。無下にするわけにも行かぬであろう。何をするにも何処かのタイミングで彼等の力は必ず必要になる」
「どこか適当なポジションにでも当てはめてやるしかねぇんじゃないのか?」
「最終的にはそうなるのであろうな。だがそれも一筋縄ではいかなそうだ。彼等の総意として、現実世界と関りが深い者が女王の夫となる事を望んでいない。もし、そのような者がどうしても夫になるのだとしたら、バランスをとるために自分達もそこに加えろと言って引かないのだ。しかもそこに圧力までかけて来ている」
グラスの中味を再び一気に飲み干したザイールは、忌々しげに空になってしまった酒瓶を見つめた。
「無茶苦茶だ。だいたい響生がどうとか以前にアイ自身が、現実世界育ちじゃねぇか」
暁が、新たな酒瓶を手元に召喚する。先ほどまで飲んでいた物に比べ、明らかに高級感を損なったそれは、酩酊成分のパラメーターが異常に高い事で有名なものだ。
それを自身のグラスに注ぎ入れると、挑発的な視線をザイールに向ける。
ザイールはそれを受け、半ば奪い取るように瓶を引き寄せた。
「だから、余計になのであろう。陛下のプライベートも含めて周りを純血者で固めてしまいたいのだ。彼等は純血派に有利な今の政治状況が覆るのを恐れている」
「だがよ、ディズィールにアイを引っ張ってきて、女王として覚醒させようとしていたのは、お前だけじゃなく元老院も一緒だろ? だからお前等はつるんでたんじゃねぇのか?」
言いながら、身体を僅かに乗り出した暁。
「確かにそうだ。だが、私と元老院ではその先に望むものが違う。私はただ単に強いリーダーを望んだだけだ。だから、嘗ての女王陛下が私の前に現れた時、私の願いは叶ったと思ったのだ。結果的にお怒りを買ってしまったがな。
元老院が欲しがったのは『陛下の能力』そのものだ。管理自治区構想に莫大な費用を投じたのは、そこで『絶対支配』の能力を計るためだった。元老院にとって現実世界の完全支配、つまり地球への完全な帰還は悲願だからな。だが、管理自治区での『絶対支配』は成されていない。確かに陛下は、ディズィールのシステムを通じて、住人を無意識に集めることはしていたがな。
今になって思う。嘗ての女王陛下が持っていた能力と、アイ陛下が持っている能力は異なっていると。恐らく嘗ての女王陛下に近い能力を持っているのは、むしろサミアの方だと感じる。女王陛下はおっしゃっていたからな『私の能力はヒトの意識を一方的に飲み込むもの』だと」
「なら、アイは元老院が望む女王ではないと?」
「そうであろうな。何より陛下はお強くなられた。元老院の意のままには動かないであろう。それはあの最初の演説が物語っている。無論この私の意のままにもな」
「だから、そんな無茶な要求をしてまで、アイに言う事を聞かせようってか?」
「まぁ、そんな所だろう。そうしやすい環境を作ろうとしている…… と言った方が正しいかもしれんが」
暁は考え込むように、手元のグラスに視線を落とす。それによって止まってしまう会話。しばしの静寂の後、暁が再び口を開いた。
「なぁ、いっその事アイが単なる象徴としての王に成り下がる訳にはいかねぇのか?」
「世論はそれを望んではいない。時代が再び女王を必要としているんだ。この私も含めてな。
まして陛下は、嘗てビックサイエンスが生み出した女王陛下の複製、誰もが知る歴史的な悲劇のヒロインだ。それだけで国民支持は得やすい土台が有った。陛下にとっては不本意であろうがな。
そして、全国民に向けて思考伝達を送ると言う前代未聞のあの演説だ。その後の数千人規模のメディアに対しての同時質疑応答。そんな芸当が出来るのは陛下を除けば嘗ての女王陛下しかいない。国民達は英雄『葛城 愛』そのものの復活を感じたはずだ」
「なる程な…… まぁ、アイが自分で『前に立つ』と決めたんだ。さっきの俺の発言は良くなかった。
それにしても常人を遥かに超えるシステム接続能力。それがアイの力、か…… それを使ってアイは『葛城 愛』が嘗て持っていた能力を再現した。お前が横流してくれた、報告書は読んだ。俄かには信じられなかったが、あの演説を見ちまったら信じるしかねぇな」
再び考え込むように、持ち上げたグラスを見つめる暁。
「美玲が言っていた。まるで艦隊の火力をそのまま自分が装備したようであったと。百を超える浮遊ユニットを含む敵の位置と動きを完全に把握し、さらにその数秒後の配置が分かったと。それはまるで神にでもなったかのような感覚だったそうだ。
あの時、陛下は、ラグ・ランジュ防衛艦隊の官制ネットワークとディズィールを介して繋がり、そこに流れる膨大な情報を一人で処理してのけただけでは無く、6000名以上になる艦隊乗員の意識を共有下に置き、火力支援の指揮を執った。
その完璧なタイミングと精度は、支援を受けた響生や美玲が、その火力を自身の装備のように感じられたほどだ。
更にシステム高深度接続時の自己の超感覚をダイレクトに美玲や響生と共有することで、本来なら常人に処理不可能な莫大な情報を感覚的に与え、彼等の状況分析力を神域と呼べるレベルまでに引き上げた」
「確かにとんでもねぇ能力だ。だが、それだけに俺は心配でならねぇ。アイにこの前みてぇな異変は起きてねぇんだな?」
溜め息と共に頭を掻きむしった暁は、まるでザイールの表情を観察するかのように見つめた。
「今のところはな。陛下自身も何も問題ないと言っていた」
暁の瞳はザイールのその言葉を受けて尚、逸らされない。
「強がってるんじゃなきゃ良いんだがな…… まぁ、でもアイが無理しすぎないように見張るのはお前ぇの役目か…… なんたってご指名なんだろ? 補佐官殿」
今度はザイールが深いため息を付く。
「私の役職の正式名所については決まっていない。まして補佐官などと」
「アイの補佐なら補佐官でいいじゃねぇか」
「私が陛下の補佐を務め続けられるかどうかすら決まってないのだ。いまのポジションは暫定に過ぎない。ただでさえ、私が傍にいることで、『軍部ばかりが取り計られている』と抗議を受ける原因となっている。
即位するつもりがあるのであれば、もっと早くに相談が欲しかった。であれば、私もその前にあらゆる方面の人脈を作って差し上げる方向で、陛下に尽力出来たであろうに……」
言いながらザイールは、頭痛がしたかのように片手を額に当てた。
「まぁ何事もタイミングだ、泣き言っても始まらねぇ。アイに人脈がねぇんなら、お前ぇの人脈を駆使するしかねぇな。その辺も考慮してアイはお前ぇを選んだのだろうさ。
ぼやいてはいるが実際の所、お前ぇは喜んでだろ? お前ぇの事だ、それらの悪だくみを一掃する術ももう思いついてるんじゃねぇのか?」
「もちろんだ。だが、相当に荒いやり方になる。陛下は許して下さらないだろう」
「けど、どうせアイに黙ってやるんだろうが」
「それが我等がフロンティアの為となるのであれば、ためらう必要などない」
鋭い視線を上げたザイールに、暁が呆れたように笑った。
「なら、それで良いじゃねぇか。どうせなら、逆に女王派の人間で回りを固めてやれ。元老院も総とっかえしてな。その方があいつ等も心地良いだろう。勿論俺のようなアクセス者もな」
「貴殿はまた此方の気も知らずに、そういう事を易々と言う」
ザイールはうんざりしたかのように、今日で一番の大きな溜め息を吐く。
「女王派だって純血派に匹敵する一大派閥じゃねぇか。まぁ、元老院のメンツは創成十二氏族から選ぶのが通例になっているから難しいだろうけどよ」
「だが、それも覆す術が無い訳ではない……」
そう言って僅かに視線を上げたザイールに、暁が大げさでは無いかと言うほどに身体を仰け反らせた。
「今のお前ぇ、相当に悪い顔をしているぜ?」
「黙れ。そのように誘導したのは貴殿であろう」
「まぁ、上手くやってくれや。あいつらがなるべく、やりたい事を実行できる方向でな」
「……」
暫く暁を見つめていたザイールであったがやがて諦めたように首を横に振った。
そして新たなファイルのを手元に召喚して、暁へと差し出す。
「ところでだ。私の所にもこんなものが来ているのだが……」
暁はそれを自身の前に並べて、片眉を上げた。
「これまた豪華な面々じゃねぇか。お前ぇの新しい部下の候補か?」
「違う。婿の候補だ」
ザイールが言った瞬間、暁は呷っていた酒を盛大に吹き出し咽る。
「なんだぁ? 今頃になって寂しくなったのか?」
「違う。暫定とは言え、陛下の補佐を務める私自身も、このような事に巻き込まれている」
「で、どうするつもりなんだ?」
「貴殿はどう思う?」
「何故、俺が…… 良い大人なんだ、自分で決める事だろうが」
困り果てたように頭を掻きむしった暁であったが、ザイールの表情は思いの外、真剣であった。
「前にも聞いたと思うが、貴殿は再婚する気はないのか? 私は思う、貴殿はそろそろ自分を許しても良いころだ」
暁がザイールから視線を逸らし、無意味にグラスの中の氷を転がし始める。
「……けじめだ。俺は妻と子をフロンティアの時間加速の中で失った。俺自身は外側にいて時間加速の影響を受けずにこうしてまだ生きてる。そこまでしなきゃ、ならなかったのは師に『鍵』を預けられたからだ。だから、俺は公平にこの世界を見なきゃならねぇ。妻なんか娶ったらその瞬間、俺は公平でなくなっちまう」
「では、貴殿は響生や陛下に対しても公平でいられると?」
ザイールが言った瞬間、暁の手が止まった。
「それは……」
「既に『鍵』は機能していない。そうは思わないか? 貴殿にはこのフロンティアがどのような方向に進もうとも、世界を閉じる事など出来ない。貴殿はそんな事が出来る程、強くは無い」
半ば前に乗り出すように、そう言ったザイールを僅かに視線を上げ見据えた暁。
「……認める訳にはいかねぇな。それを認めちまったら、俺は妻と子にあの世で合わす顔がねぇ」
ザイールが手元に再びファイルを呼び寄せ、視線を落とした。
「この件だがな、私は受けようと思う」
「そ…… うか」
と、やや掠れた声で暁は短く答える。するとザイールは唐突に立ち上がった。
「だが、貴殿がどうしてもと言うのなら考えないでもない。貴殿が望むなら、『鍵』の発動と共に貴殿がその命を閉じると決めた時、蟀谷に当てた銃の引き金はこの私が引いてやる。
これが最後だ。このまま私を行かせれば、私は二度と貴殿と仕事以外で関わる事は無い。返事を聞かせてもらおう」
暁は髪の毛の無い頭を、これでもかと言うほどに掻きむしった。