Chapter 82 『-Incomplete- 失われたものと得たもの』 響生
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エネルギー消費を抑えつつ、雪表面を滑走するように移動し、目標ポイントであるエクスガーデン正門に到達する。
すると直ぐに状況が飲み込めた。
見るからに深そうな大穴が、雪原にぽっかりと空いていたのだ。穴は垂直方向に15メーターと言ったところだろうか。確かにこれでは普通の人間に自力での脱出は不可能であろう。
どうやら美玲は相当な高度から、ポッドを投下したらしい。
不幸と言えば不幸であるが、逆に良かったのかもしれないと感じる。雪に埋もれていたからこそ、敵に発見されずに済んだ可能性があった。
「今降りる。着地スペースが欲しい。ギリギリまで端によってくれ」
「これでいい?」
「十分だ」
それを受けて縦穴に飛び込む。
ナイトメアの装甲と同じ素材と思われるポッドの装甲面に着地したために、金属同士が衝突する激しい衝撃音が狭い空間にこれでもかと言うほどに響き渡った。見ればサラが両手で抱え込むようにして耳を抑えている。
「ちょっと貴方、体重何キロ?」
「え? 体重? この義体は、70キロくらいだったと思うけど…… あ、背中の剣が200キロ近くあるから…… 全装備合わせたら300近いか……」
「どうりで…… 足場が崩れなくてよかった」
サラが深いため息を吐いた。
「間に合わせとは言え、ナイトメアの装備品だろ? そんなヤワな訳がないさ」
「確かにそうなのかも知れないけど…… で、私を回収しに来たって事はそっちは終わったの?」
「ああ、大方な。そっちは?」
「貴方の連れ達は、予定のポイントに到着したわ。エクスガーデン本サーバーに対する本格的な電子戦も始まったみたいだし、理論領域の掌握が終わるのも時間の問題でしょうね。あとは、荒木がどう出るか……」
ヒロとアーシャが無事にポイントに着いたことは、マップで此方も確認済みだった。電子戦については、自分には直接関係ないためか此方には一切の情報が無い。だが、そちらも順調に進行しているらしい。
そして荒木は……
「奴の気配は消えたよ」
「気配?」
サラが訝し気に表情を歪める。
「ああ、アイがディズィールとの接続を回復してから感じてたんだ。恐らくアイが荒木を追跡してたんだと思う。多分その結果が俺に感覚的に伝わってたんだ」
「って事は、アイは荒木を見失ったってことね」
「そう言う事だ。だが、もう恐らくこの場は仕掛けてこない」
「何故、そう思うの?」
「今のアイに奴が勝てると思えない。奴は考え無しに動いているように見えて、かなり周到に動いている。勝ち目の無い戦闘を仕掛けるほど馬鹿じゃない。逆に言えば奴が此処でさらに仕掛けてくるならば、それは奴にとって勝算があるという事だ」
「あまり考えたくない展開ね。そうならない事を祈るわ」
そう言ったサラの声は僅かに強張っていた。
「大丈夫だろう。これはただの俺の勘なんだけど、奴はここでの目的の大半を既に果たしている気がするんだ」
「どういう事?」
「奴と最後に立ち合った時、サミアを無力化した後の俺を奴は妙にあっさり行かせた。だから、何となくな」
軌道上からの攻撃により跡形もなく消失した荒木。だがその気配は健在だった。にもかかわらず、奴はあの場で追撃をして来なかったのだ。それは不気味な感覚となって自分の中に残っている。
「貴方の勘が正しいなら、確かに荒木はこの場ではもう仕掛けてこないのかもしれない。けど、逆に言えば期間を置いて必ず次も仕掛けてくる。そしてその時は、より周到に、更に規模の大きな襲撃をしてくる」
「ああ…… 間違いないだろう」
自分でそう言ってしまって身体が強張るのを感じた。
「どちらにしても、此処でこのまま議論してても答えが出そうな問題では無いわね。だからそろそろ、此処を出ない?」
「ああ、悪い」
「で、どうやって出るの?」
「跳ぶ。俺にしっかり捕まっててくれ」
サラが此方の首に腕を回すようにしてしがみ付く。装甲ジャケット表面になまじ感覚神経に相当する機構を備えているために、密着した身体の感触をリアルに感じる。そして本能を刺激するような甘い香りが鼻をくすぐった。たまらず感じた後ろめたさ。
「その…… 腰に手を回しても良いか?」
「その必要があるんでしょ? 気にしないわ」
それを受けてサラの細く引き締まった腰に手を回す。それによってより密着度が増す身体。その心地よい暖かさと柔らかさに、脳が痺れるような感覚に襲われた。
それに首を大きくブルブルと振る事で思考を正常に保とうと試みる。
「行くぞ」
生身であるサラになるべく負担を掛けないようにするべく、腰を深く沈ませる。
それでも十数メータを跳躍するための加速を、身体のバネだけで行うのだ。加速距離は精々数十センチしかない。瞬間的にかかるGは相当なものだろう。
負担が掛かりやすい首を固定するために左手でサラの頭を抱え込むようにして、自身の胸に押し付ける。
そして跳躍、その瞬間サラの身体が強張るのが分かった。
「大丈夫か?」
無事着地を終えて声をかけると、サラは片手を額に当てた。
「立ち眩みがしてるみたい。だからもう少しこのままでいさせて。前に貴方が集積光から私を庇ってくれたこと覚えてる? あれに比べれば今回のは大分マシ」
その言葉によって、レジスタンスの地下施設での出来事を鮮明に思い出す。あの時はサラの生身の身体に配慮する余裕が全くと言って良い程無かったのだ。その後直ぐに彼女は意識を失ってしまったのだから、身体に掛かった負担は相当なものだったのだろう。
「あれは本当に悪かった」
「ううん、あの後、全身むち打ちで大変だったけど、感謝はしてるのよ。おかげで今もこうして生きてるんだから。まぁ、でも元はと言えば貴方が黙って自分から集積光を浴びようとして、それを私がとっさに庇おうとしたのだけど。今思えば、何故あんな私らしくない無茶をしたのか……」
「でも、おかげでこうして俺も生きていられるんだ。あの時サラが飛び出さなかったら俺は死んでただろう。俺はあの時、死ぬ気でいた」
「でしょうね。あの時、私は貴方が抱えているものの大きさを知った気がした」
返す言葉が見つからない。
サラはこちらに体重を預けたまま、何かを思い出すように空を見上げた。
「にしても、今思い出しても本当に散々な数日だったわ。森で引き殺されかけた挙句に攫われて、大雨の中、空に放りだされて…… アイには寒い中、連れ回されるし、荒木に宙吊りにされるわで……
でも、おかげで貴方達に出会えて、今の私がある。あれだけ死霊を憎んでた私が、今はこうして貴方達と行動を共にしてるんだからね。ホント笑っちゃう」
言いながら、静かに腕をほどき此方から一歩下がったサラ。そして大きく伸びをした。それによって、野性味溢れる魅力的な身体のラインが余すところなく強調される。
そして気付いてしまった、薄暗い穴の中では気づかなかった事実に。たまらず目が泳ぎ始める。
「どうしたの?」
「あ、いや、その…… 格好が……」
身体に張り付くようなデザインの衣服。しかもそれはアーシャが着る装甲ジャケットのように、身体のラインに合わせて成型されたものとは根本的に異なっていた。
何故これで透けないのか、と思えるほどにあまりにも薄い生地で作られたそれは、身体の僅かな凹凸までもくっきりと浮かびあがらせてしまっている。更にポッドを満たしていた緩衝液によって濡れたそれは、悩ましい程に魅力的な光沢を放っていた。
「ああ、これ? だっさいデザインよね。まぁ、外に出るのは心配だったけど、思ったより寒くないみたい。流石はフロンティアの技術ってところね」
言いながら、身体を捻ってみせた彼女に、たまらず目を逸らしてしまう。
「いや、そうじゃなくて!」
「そうじゃないなら、何よ」
「その、身体のラインが……」
「太ってるって言いたいの?」
僅かに語気を強めたサラに慌てて釈明する。
「違くて!」
「じゃあ何?」
「その…… 胸の頂上とか、色んな所が…… その……」
言った瞬間、サラの瞳がスッと細められた。怒らせたに違いないと感じ、思わず身体が強張る。
「ふーん…… そういう事」
言いながら、此方へと近づいてきたサラ。視線を逸らした先に強引に回り込み、此方を見上げるようにして、顔が近づけられる。そこには悪魔的な笑みが浮かべられていた。
「……貴方、ひょっとして童貞?」
「!?」
思いもよらない質問を浴びせられ、完全にストップしてしまう思考。気付いた時には、
「わ、悪いかよ!」
と返してしまっていた。サラの瞳がまるで物珍しい何かを見るような眼差しに変わる。それに傷つくほどに心外な気持ちになるが、言い返せる言葉が無い。
「へぇ…… 初めて見た。居る所にはいるのね。私のいた所じゃ、男は力ずくで女を食い荒らすのが普通だったし、そのために連れて来られてるような子も沢山いたしで…… やめた、こんな話しをするべきじゃないわね。それより……」
言葉の最後で再び意地の悪い笑顔を浮かべたサラ。次の瞬間、腕を取られ、べったりと身体を擦り寄せられる。
「ちょっ!?」
思わず上がった悲鳴。
「何よ。こうしてないと寒いのよ。ダメなの?」
「さっき寒くないって言ってただろ!?」
そう言った声は後半で完全に裏返っていた。
「やっぱり寒いの。それとも私が凍え死んでも良いってわけ?」
「あ、いや……」
サラの瞳が細められる。それによって笑顔に込められた悪意がより強調された気がして、思わず身体が震えた。
「それにしても童貞って。それでうまくアイを喜ばせて上げれるの?」
腕に伝わる温かい弾力とあり得ない状況による極度の緊張、それに意味の分からない質問が合わさって、さらに乱れる思考。その結果、
「……そ、そう言うのは上手い下手じゃなくて、気持ちの方が重要だろ……」
と真面目に答えてしまって激しく後悔する。自分が言ったセリフに対する羞恥心により更に混乱の極みへと達する思考。
「そんな事言ったって、上手くいかなかったら、お互い気まずいもんよ?」
「そ、そうなのか?」
「当たり前でしょう? 想像してみなさいよ」
「……」
サラの誘導に、これ以上ない程に見事にハマり、アイの隣でショボくれるあまりに情けない自分を想像して、思わず両手で頭を抱えた。さらにアワアワと言葉にならない声が漏れる。
そんな自分を見てか、サラが声を上げて笑い出した。
「でもある意味、響生は一生童貞なのかぁ。アイに決めたって事は、リアルの方の肉体を使う機会が一生無いって事でしょう?」
更に意地の悪い笑顔を浮かべたサラ。
「良いんだよ別に! そんな事は!」
たまらずそう叫ぶ。
「なら、良いんだけど。まぁ、でも現実世界でも体験したくなったら私に声をかけなさい。相手になってもいいわ。そう言えば無事に帰ってきたら抱かれてあげるって約束もしたしね」
突然、真顔になり此方を見つめてから、恥らうように目を逸らしたサラに、不覚にもドキリとしてしまう。その事実がより自身を混乱のカオスへ叩き落す。
「ななななな、何を言い出すんだ!?」
もはや声は完全に裏返り、自分が何の会話をしているのか分からない。
「冗談よ、ホント分かりやすいったら」
――ちょっとサラ!? それ以上私の響生を虐めないでもらえると嬉しいんだけど?――
唐突に、割り込んだ思考伝達に全身の毛が逆立つような感覚に襲われた。のぼせ上がった血が、一気に引いて行くのが分かる。
そんな自分をよそに、サラは柔らかい笑顔を浮かべただけだった。
「あら? 筒抜けだったみたいね。でも安心していいわ。聞いてて分かったと思うけど貴方の響生は貴方にしか興味が無いみたい。まぁ、だからこそ揶揄い甲斐があるのだけどね。
それにしても『私の響生』、か…… ようやく吹っ切れたって言うか。これで私も貴方達を見てイライラしなくて済むと言うか」
わざとらしい溜め息と共にそう言ったサラ。
――うん、有難う。感謝してる。サラにもいっぱい心配かけたよね――
それに対するアイの思考伝達はとても穏やかなものだった。
「別に良いわ。友達なんだし。まぁ、でもこの鈍感男はしっかり捕まえときなさい。じゃないと、この男は無意識に色んな女の気を引くわよ?」
――そうかもね。でも、それが響生の良いところだし。誰にでも一生懸命で優しい響生が私は好き――
アイの言葉に嬉しい反面、妙なくすぐったさを感じ、一度は下がったありもしない血液が、再び頭に上って行くのを感じる。
「あーあ、のろけちゃった。やっぱり暫くはイライラしそうね。これは……」
――でも、確かに響生とはこうやってずっと繋がってようかな…… 四六時中ずっと。そうすれば響生が何処で何やってるか常に分かる事だし、響生も私と繋がってたいよね?――
理不尽な方向に唐突に落ちた会話に、混乱した思考では全くついて行けない。結果的に漏れたのは、
「え? えええええ!? えええええ!!?」
何とも情けない悲鳴にも似た抗議だった。
――束縛しても良いって言ったよね?――
そのあまりに低く、凄みのある思考伝達に再び一気に血の気が引ける。これ以上は心臓が持たない。心臓などこの身体には無いのだが、それほどに血圧の急激な変化を感じずにはいられない。
「あ…… ハイ……」
――冗談だよ? 期待した?――
「……」
サラが再び声を上げて笑った。
「どうやら、どっちが尻に引くかも決まったみたいで何より。良かったわね、響生。貴方はそっちの方が似合ってるし、きっと貴方にとっても良いわ」
「どういう意味だよ!?」
「さぁ?」
2 エクスガーデン所有・輸送船 格納庫 拡張現実
あれ程に吹きすさんでいたブリザードは嘘のように止んでいた。青白い輝きを放ちながら何処までも続く雪原は生命観の一切が無く憂いを感じる程に、ただ静かに美しく幻想的であった。
雪原を照らし出しているのは月明かりではない。降下を開始した艦隊所属のネメシスの群れだ。
夜の闇を切り裂くが如き強い光の尾を従えた彼等が天空を埋め尽くす様は、流星雨そのものであり、史上まれに見る天体ショーと同等の風景を作り出していた。
時折、地の彼方では激しい光が迸り、かなりの時間差を置いて落雷の如き衝撃音がとどろく。
先に降下を開始した先発隊が、軌道上からの無減速着地を行ったがために起きた現象だろう。
エクスガーデンの処理は、軌道上のラグ・ランジュ防衛艦隊に引き継がれた。自分たちの役目はようやく終わりを迎えたのだ。
ディズィールへの帰還の手段については、艦隊が『肉体持ちが搭乗可能な船』を編成に入れていなかったため、エクスガーデン所有の輸送船を使う事となった。
ベルイードが「無い」と言っていた輸送船は、そこにある事が当然のように格納スペースに何機も収められていたらしい。
酷い話ではあるが、今となっては怒りも込み上げてこない。あるのは復讐の一つを果たしたことによる言いようの無い虚しさだけだ。自身の意識共有者が成した復讐。『失われた自分自身』とでも言うべき彼が持つ記憶の大半が、今は自分の中にもある。
それは美玲に向けた複雑な感情を伴って自身の中に存在していた。胸を締め付けられるような切なさを伴った強い後悔、自責の念。その記憶の中にある自分が見た事もない彼女の表情、仕草、その全てが最終的に暗く深い後悔へと向かうのだ。
正直、自分にはその記憶をどう処理してよいか分からない。どこか自分とは別の人間が体験した記憶を垣間見ているような印象すら自分にはあった。
美玲は半壊したナイトメアを、どうにも早く修理したいらしくディズィールへの帰還を一人急いだ。
別れ際、彼女の口数が不自然に少なかったように感じられたが、その理由は分からない。ただ、彼女が一瞬だけ見せた寂し気な表情が脳裏に焼き付いて離れなかった。
拡張現実を使い、船外の風景が360度全面にわたって再現された貨物室は、座席などの対人設備は無いものの、それなりに快適だった。
視界の先には輸送船と平行に飛行する30機にも及ぶネメシスが見える。この輸送船の警護である彼等は、艦隊に属するネメシスランナーの中でも、特に腕利きの者が担っているらしい。
だが実際、彼等が守っているのは輸送船ではなくアイなのであろう。何故、こんな騒動になっているのかと言えば、アイが情報通信によるディズィールへの帰還を頑なに拒んだためだ。
そしてディズィールは、艦隊が所有する護衛艦7隻と合流を果たしたらしい。護衛艦はそのままディズール護衛の任に就くと言う。
輸送艦の警護に就いたランナー達が拡張現実にオブジェクト化し、アイの前に恭しく片膝をついた時の異様な光景が忘れられない。
彼等はアイを『陛下』と呼んだ。
それが何を意味するのかは、何となく想像が付く。その真相がアイの口から自分に何時語られるのか、そればかりが気になっていた。
輸送船の貨物室に再現された外界の風景を見つめながら、サラと他愛も無い話しに耽るアイ。自分には彼女があえてそうしているように見えた。その真意が何処にあるのかは分からない。自分に出来るのはアイが自ら話し始めるまで待つことだけだ。
決して広くは無いフロアーを見渡すと、伊織とヒロ、そこに何故か飯島が加わり、そちらも他愛もない話を繰り広げていた。
何故ヒロ達と飯島が打ち解けたのかは分からない。だが、時折ヒロが声を上げて笑う様を見ていると、何となく此方まで満たされるような気がした。
アーシャはと言うと、自身が乗っていたと言う大型のスカイモービルに凭れ掛かるように座り、エクスガーデンのあった後方を無言で見つめ続けている。
不意に目が合うと、アーシャは一度此方を睨みつけるように視線を鋭くしたが、それは直ぐに憂いを帯びて逸らされてしまった。
そして僅かな間を置き立ち上がると、何を思ったか此方へと歩いてくる。
「隣に座っても良くて?」
「あ、あぁ……」
アーシャは隣に腰を下ろすも、口を開くことは無かった。
無言の時間が過ぎる。正直気まずい。
「その、有難う」
暫くの後、唐突に掠れた声でそう言った彼女。その意図が分からない。
「え?」
「姉のこと」
「ああ、でも納得いってないんじゃないのか?」
「納得は行ってない。でも貴方は最大限やってくれたと思う。正直、どうすれば自分が納得するのか分からない。恐らく今の姉を貴方が殺しても、納得は行かなかったと思う。それどころか、自分で頼んでおいて貴方を深層心理の奥で憎んでいた可能性すらある」
何と言い返して良いか分からない。
「だから、有難う。これで、良かったのだと思う…… 今は」
「そうか」
「いずれこの問題は、私自身が姉と対峙して決着を付けなければならないもの。今は無理だけど…… でも、もしその決意が私の中についたなら、その時はまた手伝ってもらっても良くて? 今の私にはもう、姉を追う手段がないから……」
「分かった。約束する」
少し驚いたように目を見開き此方を見つめたアーシャ。だが、目が合うと慌てたように視線を逸らしてしまった。
「有難う……」
途切れた会話。ただ、無言で外界の風景を眺める。
高度を上げた輸送船の外には、月詠の光に照らし出されて青白く輝く雲海が、何処までも広がっていた。
どれぐらいの時間そうしていただろうか。
「響生ッちがまた女の子といちゃついてる! 俺っちも混ぜろ! てか、なんでいつも響生ッちばっかり!」
不意に大声でそんな事を言い出した飯島。
「こいつ、こう見えて昔は女となんか口がきけるタイプの人間じゃなかったんだぜ? 内気って言うかさ」
言いながらヒロが伊織と共に此方へと歩いてくる。
「え? 昔の響生がどうしたの? それ、私も興味あるわ」
更にサラがそれに反応し、アイを連れて近づいてきた。
「うんじゃ、あれだ。こいつが廃ビルの穴に落ちた時の話でもすっか?」
「勘弁してくれ」
「あれは、元はと言えばヒロが悪いんやで? でも、なんて言うか。笑っちゃあれやけど、あの時は確かに……」
「ちょっ! 伊織までっ」
「そんなに面白い話なの?」
「あの時かぁ。私はあたふたして響生の周りをぐるぐる回ってただけだからなぁ。本当に困っちゃったよ。響生は泣いちゃってるしで」
「そういやお前ぇも居たんだよな、俺等と一緒にずっと。見えねぇだけで。じゃあその時こいつが泣きながら、何て言ったかも知ってんのか」
「もちろん覚えてるよ。ちょっと衝撃だった……」
「もう、その話は良いから!」
「それで? 何て言ってたのよ?」
「俺っちも聞きたい!」
「それがよぉ、傑作だぞ、マジで!」
「止めぇ! 止めぇぇぇぇ!!!」
周囲が急に騒がしくなる。唐突な状況の変化に、最初は戸惑っていたアーシャであったが、気付けば何かを懐かしむような笑顔を浮かべ、ヒロ達の話を聞いていた。自身の幼少期にも似たような経験があるのかもしれない。
他愛もない話。過ぎ去った日々の記憶。二度と戻る事が叶わないと思っていたあの日々と似た光景がそこにはあった。