Chapter 81 サミア
1 サミア
――負けた。動けない。だが、それは私のせいではない。あんなものに勝てる訳がない。性能差があり過ぎる――
事実だけを、荒木に思考伝達で伝える。
酷い有様だった。身体の左半分が抉られるようにして失われ、火花を上げていた。流れ出た大量の流体液が足元を真紅に染め上げながら広がって行く。こんな状態だというのに生きているのは、失われた部分の全てが、思考維持とエネルギー供給に関係のない部分であったが故だ。それは幸運などではない。つまり自分は完璧に負けた上に生かされたのだ。
目があった瞬間に、既に全てが決まっていた。身体のコントロールは奪われ、浮遊ユニット群の全てが奪われてしまった。
そして次の瞬間、天から突き刺さった光の柱に半身が焼かれ消失。全てが一瞬だった。
自身の目の前に広がる大穴を忌々し気に睨む。それは赤々とした溶融面を晒し、奈落の底へと続いていた。
構造体を突き破り、天から光の柱が突き刺さるほんの僅か前、ターゲットは一瞬だけ天を仰いだ。今思えばそれが予兆だったのだろう。
あの光の柱自体、軌道上に待機している艦隊を動かし、ターゲット自身が召喚したとしか考えられなかった。でなければ、ああも完璧なタイミングでのピンポイント射撃などあり得ない。いわば軌道上の艦隊を、自身のオプション装備の如く使用したのだ。
しかもその応答速度が異常だった。あれだけの巨砲、チャージラグが発生しないはずがない。あり得るとすれば馬鹿みたいに正確な未来予測演算をしているとしか思えなかった。
――女王の正当な後継者であるあの少女――
彼女がそれを可能にしたのだろうか。
いずれにせよ、そんな事が可能になってしまえば『嘗て、地上を完膚なきまでに葬り去った火力』が、そのままターゲットの装備として加わったようなものだ。勝てるはずがない。
――本当の化け物だ――
まったく自由の効かない身体がバランスを崩し、あおむけに倒れた。それによって根こそぎ消失した構造体の先に広がる空が視界に入り込む。ターゲットそはこから外へと飛び去ってしまった。
彼にはこちらの事など眼中には無かったように思える。それほどに、全てが一瞬で終わり、彼はこちらを見ることすらせずにこの場を後にしたのだ。
白一色に染まる空から、容赦なく雪が降り注ぐ。それはあっと言う間に半壊した身体を白く染め上げ降り積もって行く。
彼はあえて此方を生かしたのだろうが、それでも自分はここで死ぬだろう。こんな状態で生かされたところで、このまま放置されるか、良くて処分されるのがオチだ。
だが、それは『個体』の死であって『存在』の死ではない。
――私は無数にいる――
怨念の如き憎悪を体現する存在として、荒木によって新たな個体が生成され続けるのだ。あの男が私との約束を守る限り、あの男にとってこの存在が目的遂行に必要な限りそれは続くだろう。
その内のいずれかが、世界を憎悪で焼き尽くし、自身もろとも真っ白に書き換えてしまえばいい。何もかも焼き尽くされ、勝者などいない世界。
その中でやがて、ヒトは互いを牽制し合うパワーバランスの取れた正常なコロニー群を立ち上げるだろう。それはきっと幾らか今よりはマシな世界に違いない。
争いしか生まない世の中なら、その規模は小さい方が良いに決まっている。大きな力などない方が良い。
願わくばその新しい世界が、妹が笑って過ごせるようなものである事を願う。そこに自分は必要ない。
残った左腕に力を込め、空に向かって手を伸ばそうと試みたが微動すらしなかった。
無駄に頑丈になってしまった身体は、身動きが取れないにも関わらず、未だ意識を正常に保ち続けている。
視界が徐々に雪に侵され、ぼやけて行く。埋もれて行く。やがて光は届かなくなり、全ては闇に沈むだろう。
「やれやれ、それを作るのにはそこそこ苦労したのだけどね。こんなにもあっさりと壊されてしまうと、悔しいを通り越して、いっそ清々しさすら感じてくるね」
不意に声がした。視界を埋める雪が足で雑に払われる。
光に飲まれ一度は消失したはずの荒木が自分を見下ろしていた。卑屈に歪んだ笑みを口元に浮かべ、此方を見下ろす瞳に宿る感情は、いつもながらに得体がしれないものだった。
助けに来た訳ではないのだろう。そもそもこの男がそんな面倒な事をするとは思えない。大方、無線による戦闘データログが取れなかったか何かで、直接に取りに来たとか、その程度の理由に違いなかった。
「ふむ、義体の能力が向上したわけではない。うん、それは間違いないんだ。では何が、ここまでの差を生んだのか。単純に力負けしただけではなく、浮遊ユニット群まで根こそぎ奪われてしまうとはね。
供給情報量と情報処理速度の違いと言う事になるのだろうね。
感情を持たない超思考体ネットワークシステムとの完全融合、絶対支配。それが齎すものは素晴らしいね。それは僕の疑問の全てをあっという間に解いてしまうに違いない。羨ましい。本当に羨ましい能力だよ。何故僕にはそれが出来ないのか、と悔いるばかりでしかない。
だからサミア、僕等はあれを奪いに行こう。彼等にあれを使わせておくのはもったいないよ。そう思うだろう? 思うよね?」
言いながら、荒木はこちらに手を伸ばし、頭部を鷲掴みにした。そしてそのまま強引に力任せに捩じ上げられる。
首のあたりから、ブチブチと色々なものが捩じ切れる嫌な音がする。景色が何週もまわされ、ついに胴から首が離れたのだろう、視界が上がった。だがそれは不安定にグラグラと揺れる。
どうやら髪を掴まれ、吊るされているらしい。
「意外、負けた私はここで処分されるのかと思っていた」
そう言った瞬間、更に視界が持ち上がり、荒木の顔が自分の視界へと入った。
そこに浮かべられた満面の笑みはあまりに陰湿であり、薄気味悪い。
「まさか、僕にとって君は貴重だ。うん、本当に貴重なんだよ。それに君の意識はここにある。ならバックアップから呼び出す必要は無いだろう? うん、ないはずだ。それに先の彼と戦った経験と言う名のデータは君の中にしか存在しない。リアルタイムバックアップがとれなかったからね。うん、取れなかったんだ。それは本当に残念な事だよ。だから僕はオリジナルを確保すると決めた。本当に君が無事でよかったよ。うん、心からそう思う。
それとも先の戦闘で、彼等と戦う事が怖くなったのかい? 怖くなってもう戦えないと言うのなら、やはり僕の選択は君を処分してバックアップから呼び出すしかなくるのだけどね」
「恐怖など感じない。喜びも怒りも無い。私の中に有るのはただ、どうしようもない程の憎しみ、憎悪だけ」
「それは良かった、本当によかったよ。さぁ、まずは見に行こうじゃないか。彼等と僕の子供たちの戦闘をね。きっと良いデータが取れる。うん、取れるはずだ。君も良く見ておくと良い。うん、見るべきだ。なにせ彼女が手にしている力は、そのままいずれ君が手にする力なのだからね。だって、そうだろう? うん、間違いない。君はそのために居るんだよ」
荒木の顔に浮かぶ陰湿な笑みが、より強いものになる。それは見る者を震え上がらせるには十分すぎる程に、得体の知れない何かを感じさせた。
2 美玲 数分前
視界を覆う直視すら困難な程に眩しい光。稲光のような帯電光をまき散らし、敵浮遊ユニット群の間に、膨大なエネルギーが蓄積されて行く。
逃げなければならない。避けなければならない。あれだけは直撃すれば即死なのだ。
チャージ時間がかかる上に、放射される方向まで解っている。だが……
自身の移動方向に現れる大量の集積光の柱。更に敵機本体が行く手を塞ぐ。大量の触手が此方に伸ばされ、その先端から射出された糸状の物体が此方を羽交い絞めにせんと迫る。ナイトメアが片腕を失った先と全く同じだ。
数に物を言わせた集積光砲による牽制。さらに物理的な進路妨害と拘束をもって、此方を超電磁加速粒子砲の射線域に留めようとする。しかも敵は味方ごと平然と打ち抜くのだ。
こうしている間にも、敵浮遊ユニット群に蓄積されているエネルギー量は増し、急激にその光量が増して行く。
左足に絡みついてしまった糸状物体を叩き切り、さらに追撃してこようとする新たな触手群を躱すために全力で後方にさがる。
その瞬間、機体を僅かな衝撃が襲った。
――なっ!? 回り込まれた!?――
いや、違う。
――これは……――
後方から伸びあがった触手の周りの空間が不鮮明に歪んでいる。今更ながらにその触手に敵を示すマーキングが浮びあがる。
まるでそこに敵が居たことに、ナイトメアのセンサーが今になって気づいたと言った感じだった。
――全周波数域ステルス…… だと!?――
ナイトメアに備わる機構と同様の装備だ。こんな乱戦の中それを使うなど正気の沙汰ではない。センサーの一切から消えてしまうために、同士討ちのリスクが高いのだ。
機体に大量の触手が絡みつき、それが手足を引き千切らんばかりに圧力をかけてくる。耐えがたい苦痛が全身を駆け抜け、抗い切れなかった痛みが悲鳴となって口から洩れる。
身動きが全くとれない。視界が警告表示に埋め尽くされて行く。
目の前では臨界状態に達した高エネルギー粒子が、浮遊ユニット群から放たれようとしていた。
それに震えるほどの恐怖を感じる。強い拒否感が全身を支配した。嘗ての自分だったらここで一機でも多くの敵を巻き込む事だけを考え、盛大に自爆して見せただろう。
例えそれが、根本的に状況を変えることに繋がらなくても、ただの意地だとしても、死を選んで見せることが軍人としての誉れだと思っていた。
だが今は強く感じる、こんな所で死にたくは無いと。こんな無意味な死を迎えたくないと。
自身が何も出来ないこの状況においても、僅かな可能性に賭けても生き残りたいと願った。助けを願ったのだ。
そしてその可能性はゼロではない。艦長自らが現状を打開するべく行動しているのだ。だから尚の事、ここで諦める訳にはいかない。例え、残された僅かな間を、ただ待つことしか出来なかったとしても。
――響生!!――
無意識に思考伝達に乗った叫び。
次の瞬間、空を覆う雲を円盤状に四散させ、目も眩むような光が『今まさに放たれようとしていた超電磁加速粒子砲』を飲み込み、大地に突き刺さった。凄まじいまでの衝撃波が空間を駆け抜け、降り積もった雪を巻き上げて行く。何が起きたのか全く分からない。
何もかもが光に飲み込まれた視界で、此方へと異常な速度で接近する小さな影、飛行体があった。そこに浮かび上がるマーキング。
――友軍機……?――
だが、それはあまりに小さい。急速に近付いたそれが、ナイトメアの後方をすり抜けた次の瞬間、自身を羽交い絞めにしていた敵機が、真っ二つになり爆散する。
更に極小の影が移動する先々で、大量の敵浮遊ユニットとその本体が爆散していく。無意識にその影を目で追った。システムがそれに反応し、影を直ちにクローズアップする。
そこには漆黒の浮遊ユニットを自身の周りに展開させ、異常な速度で空間を飛翔する人型義体があった。
――響生…… なのか?――
あまりに荒々しい戦闘。見る間に敵機が数を減らしていく。ある機体は大剣により真っ二つに引き裂かれ、ある機体は稲光を放ち連続投射されたレールガンにより動きを止めた所を、漆黒の浮遊ユニットが放った集積光に串刺しされ、四散する。
更に再び雲を突き抜け、地上に突き刺さった巨大な光の柱に、大量の敵機が巻き込まれて消失した。
まさに鬼神の如き戦いっぷりだ。
――美玲、まだ動けるか?――
不意に脳内に響き渡った思考伝達。その良く知る声に、安堵から脱力するような感覚が襲う。だが、それを意識して押し殺し、
――無論だ――
と思考伝達に乗せた。
――そうか、良かった。これで三分の一は片付けたと思う。けど、俺はもう戦闘を継続できそうにない。サミアから奪った浮遊ユニットのエネルギー消費が、思ったより激しい。これ以上、飛行を継続出来ない。てか、元々こういう事やる義体じゃねぇんだろうなぁ俺のは…… だから美玲、後は任せた。俺はサラを回収しに行く。凍えてるんだろうからな――
絶望的な内容をあまりに軽い口調で言った響生に一瞬、困惑する。だが、言っている事は至極真面だった。活路は見出してくれたのだ、ならば後は自身の仕事をするまでだ。
状況は依然としてまだ悪い。だが、泣き事は言っていられない。
覚悟を決め、強気の思考伝達を乗せようとした刹那だった。唐突に視界に新たなウィンドウが開いた。そこに現れる『Starting Direct All Collective Consciousness System』の文字。
――大丈夫。勝てるよ、美玲――
――艦長殿!?――
――先に貴方にお礼を言わせて。貴方が私をここまで連れて来てくれた。貴方は私の背中を押してくれた。おかげで、私は先に進むことが出来た。有難う…… だから、私はそれに全力で応える。やるよ、美玲――
ウィンドウに大量のコードが流れ始める。その瞬間、何かが自分の中で激的に変わった。頭の中が異様にクリアになり、感覚の全てが研ぎ澄まされていく。それは思考レート加速とは明らかに違う『何か』だった。
全ての敵の動きが手に取る様にわかる。それぞれが展開している大量の浮遊ユニットの動きまでもが、鮮明に分かる。さらに、それらが取るであろう数秒後の位置までもが感覚的に分かるのだ。
異様な感覚だった。
視界内では敵機と言う敵機がロックされて行く。通常ロックできる最大数を遥かに超えて片っ端からロックされ続ける。
だが、それがシステムの異常などでは無い事が分かる。ナイトメアが出来ることが圧倒的に拡張された事を感覚的に感じるのだ。
そうすることが当然のように、失われたはずの浮遊ユニット群へと意識を集中すると、エクスガーデンを覆っていた一部の黒色シールドが剥がれ、自身の元へと直ちに集合し展開された。
攻撃機構は持っていないが、敵の集積光防御にはこれ以上ない程に効力を発揮してくれるだろう。しかもほぼ無制限に再補充が可能だ。
――行けるな? 美玲――
まるで念を押すかのような響生の思考伝達に、何故先ほどああも軽く無茶な要求を言ってのけたかを理解する。
――誰にものを言っている? 先はみっともない姿を見せた、救援に感謝する。だが、もう大丈夫だ――
瞳を一度閉じ、大きく息を吸い込む。肺など存在するはずもない身体、だがそれでも冷たい空気が自身の中に取り込まれるのを強く感じた。意識して瞳を開く。
――これより殲滅行動に移る! 悪いが全力で暴れさせてもらうぞ、貴様は巻き込まれないうちにさっさと離脱しろ!――
――了解――
3 響生
エクスガーデンから更に大量の敵機が飛び立ち、美玲がいる戦闘領域へと飛んで行く。
出来る事なら、少しでも数を減らしてやりたいが、最早自分に出来ることは無かった。強引に戦闘を行えば、義体放棄をしなければならない状況に陥るのは目に見えている。
行動可能時間は通常戦闘で残り10分も無い。臨戦態勢を解除して、エネルギー消費を抑えた状態で1時間がタイムリミットであった。
エクスガーデンから新たに飛び立ったあれが合流すれば、恐らく自分が減らした数は完全に帳消しになってしまう。
だが、今の美玲であれば大丈夫だろう。それは直感では無く予測された未来だ。
上空を埋め尽くす分厚い雪雲に異常な量の幕放電が迸る。それが空を真っ白に染め上げ、激しい雷鳴が空間を揺るがした。
空間にノイズのような揺らぎが走り抜け、それが波紋のように空に広がって行く。強烈に嫌な予感がした。
――まさか美玲の奴……――
空中に走り抜けた波紋の中心から、外側に向けて巨大な何かが空を覆い隠していく。大地がその陰に飲み込まれ、唐突に夜が訪れたが如く闇に沈んで行く。
記憶に焼き付いたこの現象を忘れるはずがない。これは『あの日』見た悪夢そのものの再来である。
上空を埋め尽くした巨大な塊から、地上へ向けて伸ばされる数億はあるのではないかと思われる触手の束。その先端が僅かに赤い光を帯びた。
次の瞬間、桁違いの出力を誇る集積光が一斉に放たれる。空中で数百にも及んでいた敵浮遊ユニット群が一つ残らず爆散し、目標を突き抜けた光が大地を蹂躙した。
集積光が地を舐めるように通過した後、僅かに遅れて大地が裏返るが如きに捲れ上がり、巨大な火柱が壁状に吹き上がる。
地割れが起きたかのような轟音が響き渡り、爆発によって舞い上がった大量の雪煙に集積光自体の光と火柱の炎が乱反射し、空間そのものを真っ赤に染め上げた。
まるで地獄絵図である。
――美玲の奴、殲滅艦を呼び寄せやがった……――
しかも出現と同時の『メデューサ』の使用。まったく加減というものを知らないと言うか、容赦がない。
いや、最も短時間で敵を殲滅するなら、あれが適切な選択なのかもしれない。だが、自分はその存在を無意識に排除していた。何故なら、あの兵器は『あの日』自分たちの街を焦土に変え、何もかもを灰にしてしまった『それ』そのものなのだ。
複雑な気分でそれを眺めていると、遅れて広がった衝撃波が大量の雪を巻き上げながら、津波の如く此方に迫ってくるのが見えた。
「うぉっ! やっべぇ!」
慌てて、サミアから奪った浮遊ユニットを自身の前に展開し、衝撃波をやり過ごす。何もしなかったとしてもダメージは負わなかっただろうが、何処かに吹っ飛ばされた挙句に生き埋めになっていたのは間違いない。
「たくっ、相変わらず無茶苦茶だっての!」
思わず口に出して言う。
――まぁ、でもどうやら、これで、ほぼほぼ終わったか……――
マップ上の敵は残り数機となっていた。しかもその殆どが浮遊ユニットを完全に失ったようである。恐らく生き残ったそれらは、自身の浮遊ユニットの全てを防御に割り当てたのだろう。
だが、敵の悪あがきも今の美玲が相手では、風前の灯と言ってよかった。
マップでサラの居場所を確認する。情報では、ナイトメアから切り離されたポッドの生命時装置のタイムリミットを超え強制排出されたものの、そこから完全に身動きが取れなくなってしまったらしい。
サラは何も言っていなかったが、わざわざ回収を要請したという事は、それなりに危険な状態なのかも知れなかった。