Chapter 79 美玲 エクスガーデン周辺域
1 美玲
自身の意識の中から艦長の気配が消えた。視界上のウィンドウに目を走らせ艦長が無事に転送された事を確認する。
もっとも転送先が此処よりも安全である保障はない。だが、艦長が行おうとしている事を実現するのであれば、それは此処よりも響生の傍の方が良いであろう事だけは確かだ。
――全く貴方も随分と御人好しになったものね――
思考伝達に乗ったサラの声は、まるで此方を揶揄うような響きがある。
――黙れ。生き残るためだ。艦長殿を乗せたままでは戦闘に集中できん。自身を犠牲にするつもりなど毛頭ない。ここで死んだら先を得られない――
――へぇ。必要があれば死を平気で選ぶような貴方が、生に執着してるって時点で――
――黙れと言っている――
――まぁ、良いわ。これ以上邪魔して、貴方が死んだら寝覚めが悪いものね。だから必ず生き残って。また喧嘩しましょう?――
サラの思考伝達が途切れた瞬間、無意識に出た溜め息。戦闘中であるというのに、妙な気分にさせられる。
――お人好し…… か。確かにな――
だが、自身の言葉に嘘はない。これは生き残るための選択だ。未来を得るための選択だ。こんな所で終わりはしない。
こんなにも強い生への執着を自身にもたらしたものは何か。
そこまで考えた瞬間、『自身の理想とはまるで真逆の男』の情けない笑顔が脳裏に浮かんだ。
――まったく…… 全て貴様のせいだ――
一発、拳をくれてやらなければ、気が収まりそうもない。それでも気持ちが収まらない時は、見栄もプライドもかなぐり捨てて、恥ずかしげも無く感情をぶちまけ、全力で想いを、あの鈍感男に叩きつけてくれよう。身の振り方を決めるのはそれからでも遅くはあるまい。
――だが、そのためには!――
美玲は意識して、瞼の無い瞳を見開く。視界に埋め尽くされたターゲットを睨みつけ、全力で駆ける。
右腕に固定された高エネルギー粒子の刃を振り上げ、魂が叫ぶが如き雄叫びを上げた。
2 ヒロ エクスガーデン物理エリア
目の前で唐突に光が弾けた。それと同時に時間の全てが停止する。ジリジリと這い寄ろうと屍達の動きが止まり、新たな個体を形成しようとする流体液の動きすらも不自然な形で停止していた。
自身の身体も移動途中のアンバランスな状態で固まり、微動すらしない。
強烈な頭痛を感じる。脳が焼けるように熱い。その中で思考だけがやたらとクリアになり、五感がやけに研ぎ澄まされる。
この感覚をよく知っていた。荒木によって脳に異物を埋め込まれて以来、自分に起きるようになった現象だ。響生達はこれを『思考レート加速』と呼んでいた。
視界内に大量の光の粒子が漂う。全てが停止した空間の中で、その光だけが自由を得ているかのように、漂い集まり始める。
それは地獄絵図を体現したかのような景色の中にあって、不釣り合いに美しい光だった。
やがて集合を果たした光が、急速に形を成して行く。あまりに細く華奢なラインをもつ身体が形成され、続いて細く長い手足が伸びあがる。
光が失われるにつれて、背中へと流れ落ちる長い髪は、決してヒトの『それ』が持つ色ではなかった。
複雑な偏光を宿した髪は全体的に青みがかってはいるが、単色を示す単語では表現できるような色ではない。
透き通るが如く異様に白い肌、ゆっくりと開いた瞳はこちらの心情の全てを飲み込むが如きに深く、清んだ青をしていた。
容姿の全てが人を遥かに超えて出来過ぎている。目の前に光を伴って少女が突然現れた事実より、少女の容姿そのものに、微動だにしないはずの身体が委縮した。
ヒトならざる者。
――あれは……――
忘れるはずがない。あれは、地下施設でウィンドウ越しに見た少女の形をした『何か』に違いなかった。
まるで重力が徐々に増して行くかのように、響生の前へとゆっくりと降り立った少女。
――響生……――
まるで鈴の音のような透き通った細い声が脳内に木霊した。愛しい者の頬に触れるかのような仕草で、細い両腕が響生へと伸ばされる。
響生はそれに、驚いたように見開いた目を少女に向けていた。
――アイ、まさかこんな所まで…… ディズィールが来ているのか?――
――違う、来たのは私とサラと美玲だけ。ディズィールは高位命令に縛られてて動けない――
――てことは、お前、また船を――
響生がそう思考伝達に乗せた瞬間、少女が頬を膨らませた。それは、完璧すぎる容姿を持つ少女のイメージからはあまりに不釣り合いに子供じみた表情であり、一気に少女の年齢が解らなくなってしまう。
――違うもん。これはザイールの提案。彼女が此処に私が必要だと判断した――
――それはどういう……?――
何かを言いかけた口を塞ぐように、少女の人差し指が響生の唇に触れた。
――もう響生との情報共有は済んでるよ。だからもう状況は把握してる。やっぱり来て良かった――
そこで言葉を区切った少女は、アーシャの方に視線を向けた。
――アーシャさん、貴方の『鍵』としての力を少し貸してください――
アーシャの表情が僅かに強張った。次の瞬間、少女を中心に光が広がり、それに取り込まれた屍達が、次々に形を失い赤い液体と化し崩れて行く。
手を出す事すら許されず、これほどまでに厄介だと感じた大量の屍達がまるで浄化でもされるかのように、消えて行く様を呆然と見つめる。
通常感覚へと戻される思考レート。突然自由を得た身体が、まるで紐が切れたかのように脱力し、転倒しそうになるのをどうにか堪える。
――彼等は?――
――精神支配を解いて、本サーバーの方へ送った。だから、また荒木による支配を受ける可能性はある。でも外部との通信が途絶えている今は、これが精一杯。
彼等は必ず助ける。あんなにも苦しくて悲痛な叫び…… このまま放っておけない――
まるで、決意を込めるように瞳を閉じた少女。僅かな間を置いて再び開いた瞳が響生へと向けられる。
――響生にも私との情報共有で、私が先までいた状況は伝わってるよね?――
――ああ、美玲達があぶないってんだろ? 先の振動の理由もわかった。荒木の奴まさか超電磁加速粒子砲まで……――
奥歯を噛み締めるように響生が表情を歪ませた。
どうやらこちらの加勢に来たはずの奴等が、目的も果たせず窮地に陥っているようだ。つまり、この女はタダでさえ厄介なこの状況に更に厄介事を持ち込んだと言う事だ。だが、不思議と怒りがない。自分にとっては蚊帳の外の出来事としての感覚の方が強かった。
――どうすればいい? 美玲に加勢したいが、こっちはここから出れるかも怪しい。アイから貰った情報だと、この施設自体がシールドで覆われてしまっている。
けど、アイには策がある…… そうなんだな?――
一度は歪んだ響生の表情だったが、それを言い終わるころには落ち着きを取り戻していた。
――うん、策はある。一番の問題になっているのは量子場干渉。これのせいで、ディズィールからの情報支援が得られない。だからまず、これを潰す。それには響生の力が必要。
アーシャさんとヒロさんは伊織さんを連れて、施設の端、このポイントへ向かって。そこで待っていてくれれば、必ず後で回収する――
空間に展開したマップを指し示し、説明を始めた少女。だが、その説明に信じられないような言葉が混じった。たまらずそれに声を張り上げる。
「ちょっと待て! その言い方だとお前等は付いてこないのか?」
「私達には他にやることがあります」
「そういう問題じゃねぇ! 俺もその女も、お前らの捕虜だぞ!? 捕虜だけで、行動させるつもりかよ!?」
「はい」
あまりにあっさりと肯定され絶句してしまう。瞬間的に飛んでしまった思考を建て直すと同時に、頭の中に溢れかえった疑問と感情が一気に溢れだした。
「何考えてるんだお前ぇ!? 俺等はこのまま、とんずらするかもしんねぇんだぞ!?」
「ならば、逃げてください。貴方は響生の大切な友人です。貴方が生きていてさえくれれば響生も私もそれで良い。ですが、伊織さんだけはこちらで回収させてください。でないと伊織さんが……」
「伊織が人質って訳か! クソっ」
「そんなつもりはありません」
まるでムッとしたような表情で、即答した少女。人形のように整い過ぎた顔に、その表情が浮かぶ様は滑稽極まりなく、自分よりかなり幼い人間と話しているような気がしてまう。会話の内容自体は相当に高等なはずなのに。
いや、言っている事も相当に無茶苦茶である。何せ捕虜だけで行動させようと言うのだ。ただ、その裏には計算しつくされた明確な意思が感じ取れる。
自分の唇が僅かに緩むのを感じた。こうなってしまうと、もう止まらなかった。喉を鳴らすかのような声が漏れだし、ついには声を上げて笑った。
「響生、お前ぇの周りにいる奴等はほとほと変わってやがる。その中でも、お前が選んだ恋人はとびきりイカれてるぜ!」
言った瞬間、響生と少女が顔を見合わせた。みるみる少女の顔が真っ赤に染まっていく。それを見て更に笑いがこみ上げた。
再び声を上げて笑い出しそうな自分を意識して抑え込み、真面目な顔を作り上げる。
「……だがよ、一つだけ、訊きてぇ…… もしお前らに付いて行ったら、俺等はどうなる? 伊織はどうなる!?」
「悪いようにはしません。約束します。ですがそれを信用するかは貴方次第です」
「分ぁった。信用してやる」
そう言った瞬間、少女の顔がホッとしたように緩んだ。が、それとは対照的に表情を険しくしたアーシャが一歩前に歩み出る。
ちょっとした波乱を想像させるが、先までの目が死んでる状態よりはよっぽどいい。
「ちょっと待って、貴方、何者? 突然現れて偉そうに」
言葉と共に、詰め寄るかの如く歩み出たアーシャを少女は真っすぐと見つめ返した。
「私は、フロンティア地球軌道統制監視機構、独立降下艦部隊所属、降下型潜行巡察艦ディズィール艦長、アイです。現状、ここに居る誰よりも事態を把握しています」
それを聞いた瞬間、アーシャの表情が激変した。拳を握りしめ身体がワナワナと小刻みに震え出す。
「ディズィール艦長ってまさか! あいつが、言っていた……」
強い憎悪が込められた瞳が、少女へと向けられた。
「はい、私は貴方の姉と同じ、『葛城 愛』の複製です」
「貴方が!? 貴方のような存在が居るから! 姉は!」
さらに詰め寄ろうとしたアーシャと少女の間に響生が割って入るように身体を動かす。
「アイが悪い訳じゃない。彼女は被害者の方だ」
それでも、響生の言葉がまるで届いていないかのように、アーシャの瞳は少女を睨み続けていた。
「いいの、響生。アーシャさん、その責めは幾らでも負います。だけど、今は時間がありません。だからどうか」
「貴方を幾ら責めたところで、姉はもう帰ってこない!」
剥き出しの感情が少女へと叩き付けられた。それでも、少女は僅かに憂いに沈んだ瞳を細めただけだった。
「私には、貴方の姉の事をどう表現して良いのか分かりません。決して起きてはならないことが起きてしまっています。テクノロジーが生み出した歪み。
それは私と言う存在もそうです。響生の中に有るもう一つの意識もそう。私は私自身を『葛城 愛』と別の人間と定義して生きると決めました。響生はもう一つの存在と一つになる事を決めました。命の定義。魂の定義をどう考えるのかは貴方次第です。
貴方にとって姉はすでに死した存在なのかもしれない。けど、あなたの姉にとっては自己が何であるか理解して尚、貴方は自身の妹であることに変わりはないでしょう。私が『私が何であるか』を知って尚、フロンティアの創始者『葛城 智也』を父と認識するのと同じように」
「そんな事は解っててよ! 解っているからこそ! 私は……」
激しい語気で始まった言葉は最後には掠れ、消え入りそうなものになっていた。まるで震える身体を抑え込むようにして、蹲ったアーシャ。
少女はそんなアーシャから無情にも視線を外し、告げた。
「さぁ、時間がありません。貴方達は退避を」
「私は! まだここを動く訳にはいかなくてよ!」
アーシャが蹲ったまま声を張り上げた。
「貴方の姉の事は私達に任せてもらえませんか? 貴方の望みが飽くまであの個体の消滅と言う事であれば、彼女が荒木の駒である限り、私たちは遅かれ早かれ排除しなければならなくなります」
「なら、私は猶更ここに居る! 『あれ』の最期を私は見届けなければならない!」
「貴方が居ては足手まといです」
アーシャの瞳が見開かれた。
「なっ!?」
「おい! それは……」
響生も驚いたように少女を見つめる。すかさず何かを言おうとした響生を、少女は片手をあげて制し、口を開いた。
「事実です。貴方の身体には、行動可能時間があまり残されてはいないのでしょう?」
アーシャの瞳が少女から逸らされる。
「それは…… それでも私は! 私はここで死んだとしても、それだけは見届けなければ――」
少女がアーシャの言葉を遮るように続けた。
「貴方がここに居れば、荒木は自分が不利になった時、躊躇なく貴方を人質として利用しようとするでしょう。それも私たちが想像するより遥かに下衆なやり方で。そうなれば貴方の目的は永遠に達成できなくなってしまうのではないのですか? まして、貴方と言う存在は荒木にとっては、サミアを意のままに操るための最終的なカードです。それを自由にしているのは、荒木の気紛れにすぎないと思いませんか?」
下を見つめ唇を噛み締めたアーシャ。
「すまない。俺のせいだ。けど、俺にはこの件がサミアを殺すことで解決できると思えない。荒木は…… あいつはヒトの複製を作ることを躊躇しない…… それは君も解っているんじゃないのか?」
響生の言葉は最後で酷く掠れていた。アーシャは反論するかのように口を開きかけたが、それは僅かな呼吸音を放つだけで止まってしまった。
重苦しい沈黙が空間を支配する。
やがて、うつむいたままのアーシャが口を開いた。
「――このまま、私達だけで逃げて、危険は無いの? またゾンビもどきみたいな奴等に襲われる可能性があるのではなくて?」
「無いとは言い切れません。いえ、むしろ可能性は高いでしょう」
「だったら!」
「貴方には、ヒロさんと伊織さんを守って尚、有り余るくらいに生き残るのに必要な力を持っています」
「それは、襲われたら、あいつらを殺して良いって事?」
アーシャが挑戦的な瞳を少女に向けた。
「違います。貴方の『鍵』としての能力です。サミアと幼少期を共に過ごし、彼女との強い絆と同じ記憶を持つ貴方は、サミアの支配の影響を受けません。そして例え低レベルでも貴方の意識共有下に置かれた者もまたサミアの支配から解放されます。それは貴方自身が身をもって体験しているはずです。ですから、これから出会う全ての者を貴方の意識共有下においてください」
「なっ!? そんな事!? 響生達数人でも、こっちは自我が飛ぶほどの思考汚染に耐えているっていうのに! 更に何人いるかも分からない出会うヒト全てを共有下におけですって? 貴方、私の脳を潰す気!?」
限界まで目を見開いたアーシャとは対照的に、少女は微笑むかのように僅かに瞳を細める。
「大丈夫、私と貴方が繋がっている間は、共有する意識の処理は私が請け負います。だからそんな事にはならない。貴方は既に、この空間にいた全ての者を共有下に置き、解放しました。それでも、貴方の思考汚染は私が此処に来る前より軽度になっているのではありませんか?」
「貴方さっき私の意識を…… 私にそんな事をさせたの!? 違う。それを決めたのは私…… けど何故私はそんな事を決めた……!?」
アーシャが嫌悪感と侮蔑を強く宿した目を見開き、少女を睨みつけた。
「絶対支配…… 化け物め!」
吐き捨てるように叩きつけられた掠れた声。少女が静かに瞳を閉じる。
「決して強要したわけではないのですが…… でも、そうですね…… 化け物じみた能力です。嘗て女王と呼ばれた者が持っていた能力ですから。
『葛城 愛』がもっていたこの能力のおかげで、彼女と同コードを持つ私は、『その能力を発現させ、それを利用しようとする者達』に使役されそうになった事もありました。私を利用しようとする者は今後も後を絶たないでしょう。また発現後の私は、『私が私である』という認識が、常に揺らいでいます。何故、葛城愛の複製としてこの世に誕生してしまったのかと、この能力を恨んだ事もありました。世の全てを呪うが如く、自分の身の回りの環境を恨むこともありました。
ですが、今はこの能力おかげで、私は今の立場にあり、私の大切な者達を守る事が出来るのだと、自負しています」
「そんなの…… 自己満足の単なる欺瞞よ……」
アーシャが少女から眼を逸らし、吐き捨てる。
「そうですね。ですが私には、これしかありませんから」
少女がどうにも表現しずらい憂いを宿した瞳で強引に笑顔を作った。
その悲し気な笑顔が、少女がどれほどのものを背負って、今まで生きてきたのかを物語っていた。
再び沈黙が空間を支配する。やがてアーシャは諦めたように少女に背を向け、歩き出す。それを見て、慌てて自身もアーシャを追いかける形で、歩を進めた。
その途中で一度振り返り、響生に寄り添うように立つ少女の姿を再び確認する。見れば見る程に人間離れした容姿を持つ女だった。
その指には響生と同じ指輪が嵌められている。少女の響生を見る表情、そしてなによりも響生が少女を見る表情が印象的だった。彼があんな表情をするところを見たのは何年ぶりだろうか。少なくとも再会を果たして以来、一度も見てはいない。
その事実に複雑な感情が自分の中に湧き上がるのを感じる。彼女は生まれながらに肉体を持たない存在だと響生は言った。自分はここへ来て、飯島という同じく生まれながらに肉体を持たない存在を知った。恐らくあのベルイードも純血派と自らを名乗るくらいなのだからそうなのであろう。
良くも悪くも彼等はヒトだと感じる、ベルイードに至ってはその醜さこそが人間らしいとすら感じた。
――結局、お前らは何なんだ……? あの戦争は何故起きた?――
――互いにヒトだからや――
思考に流れ込んだ伊織の声は掠れ、強い憂いに沈んでいた。