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Chapter 78 ヒロ

1 ヒロ



 血の色をした流体液が膨らみ、それが一度は逃げ切ったはずの悪夢を再び作りだそうとしていた。そこかしこで響き始める悲痛極まりない呻き声。


 液溜まりから這い出るように形成された屍が、瞳の無い落ち窪んだ溝で此方を捕らえる。意思のない身体を、植え付けられた敵意によって這いつくばらせ、悲鳴のよう奇声を上げながら、まるで何かを求めるかの如く此方へと手を伸ばす。


 そんな光景が至る所で進行していた。


 こんなものが自分のイメージから構築されてるなどと言う話なのだから、反吐がでる。むしろこれは響生のイメージではないのか。


 響生がベルイードと対峙しラリってしまった時、飯島によって響生の意識の中を彷徨いあいつを探させられた。その中にあった世界観が正しくこのようなものだったのだ。


――いや、違げぇな――


 これは間違いなく自分自身の中にあるイメージだ。


 飯島の言葉が蘇る。『響生は意識共有者がもつ憎悪に飲まれそうになってしまってる。要は『本来の響生の記憶』より、『共有者が持つ記憶の感情』に強く支配されてる。どうやら彼の意識共有者とベルイードの間には、何かしらの因縁があるらしいね。俺っちには響生の意識共有者が誰だか分からないし、何故こんな非人道的な処置が響生に行われてるのかも分からないけど。


 とにかく響生を正常な状態に戻すなら、彼本来の記憶の中にある強烈な感情を誘発するような出来事に訴えかけて、共有者を超える感情を引き出すしかない。それは幼少期の彼と同じ時間を過ごした君が一番なんだよ。君なら同じ経験、同じ感情を共有してるだろう?』


 飯島の言っている事の殆どは理解できなかった。理解も出来ないまま響生の意識の中に放り込まれたのだ。けど分かった事がある。


 響生の中に有るのも自分の中に有るのも正しく、今見ているこの景色だった。結局、自分の時間も響生の時間もあの日を境に止まってしまっている。


 屍どもは自分の中にある死霊共に向けた憎悪の象徴。そして響生の中に有るのは、自分と同じく現実世界を破壊し尽くした死霊共に対する憤り。それにも関わらず響生自身が死霊側に立っているが故に、その憤りの全てが自責の念となって響生自身に向かっている。


 それは先の戦争で失われた命の全てを背負うかの如く、あまりに重いものだ。そんなものを背負い続ければ、いづれ響生は潰れるだろう。


――全く良いザマだ――


 頭の中で吐き捨てるように意識してそう言い、血の色の液溜まりから這い出しつつある屍共を睨む。


 瞳の無い空洞に宿るまがまがしいまでの敵意。


――今は俺も死霊側って事か?――


 それこそ反吐がでる。


 そこまで考えた瞬間、自身の肩に確かにかかる『重さ』が増した気がした。それは伊織の意識を宿したサソリ型オブジェクトの重さだ。死霊達の一部となってしまった伊織の重さ。


 それでも、自分は死霊の側には立てない。響生とは違う。ただもう、人類側に立つつもりもない。自分は伊織が守れればそれで良い。それだけで良い。


 状況は先よりも悪い。通路が狭い上に完全な行き止まりで此処には逃げ場がない。


「やべぇぞ響生……」


 言いながら銃を抜く。その瞬間、響生に銃口を手の平で覆うように、掴まれてしまった。


「止めろ。彼等を傷つけるな」


 それに驚きと共に強い拒否感を覚え、掴まれてしまった銃を強引に振り解こうと試みるがピクリともしない。


「んな事言ってる場合じゃねぇだろ!」


 思わずそう叫ぶが、響生から返って来たのは、


「駄目だ」


 と言う短い返事だけだった。


「いいかよく聞け! 俺は自分と伊織を守るためだったら、誰であっても殺す。例えそれがお前ぇであってもな。俺らはそうやって生きてきた。まして、死霊共を殺す事に一ミリも躊躇なんかねぇ!」


 言いながら、更に銃を振り解こうとしてグリップに力を込めた瞬間、銃が暴発してしまう。


 それに驚き、グリップを握る手が僅かに緩んだ隙に、響生に銃を奪われてしまった。


 一方の響生は、弾丸をほぼ密着状態で手の平に受けたはずだが、表情を変える事すらしてない。


 奪った銃を右手に持ち替え、左手から何事も無かったかのように、潰れた弾丸を地に落とした響生。それに彼が自分達よりも死霊に近い存在である事を思い出す。


 なまじ外見が以前のままであるために、幾度となく人の範疇を超える現象を見せられても慣れることが出来ない。


「弾丸、手に入れづらいし高いんだろ? 無駄に使うな」


 銃にセーフティーを施し、返して来た響生に舌打ちする。


「それに、その役目はヒロ、お前じゃない。どうにもならなかった時、彼等の命を背負うのは俺の役目だ」

「けどよっ!」


『ヒロ、響生の言う通りにして』


 肩に乗せた小さなサソリから、聞こえた歪んだ合成音声。それが今の伊織の声である事に耐えがたい程の痛みを感じる。


 この僅かな間にも状況は更に悪化した。ジリジリと詰め寄った屍共の手が、触れそうな位置にまで迫る。


「分かったよ! クソがっ! けど、せめてどうするつもりなのか教えろ!」

「後ろだ。全力で走る準備をしておいてくれ」




2 響生




――飯島、限界だ――

――後少し、0.5秒待って――


 長い。100倍に加速された思考レートの中で、50秒。手が届きそうな程に迫った屍達の中で、それはあまりに長く感じた。先のでヒロはギリギリまで踏みとどまってくれると信じたい。


 それよりもアーシャがどう動くか分からない。今は虚ろな視線を下方へ落とすのみではあるが、自衛本能から攻撃に転ずる可能性は否定できない。


 屍達は言わば荒木の人質だ。それらが操り人形と化し此方を襲ってくるという状況に、胃が裏返る程の荒木へと向けた憎悪を感じる。


――そっちの状況は?――

――自分の安全は最低限確保したよ。まぁ、でも『奴』が俺っちを本気で探せばすぐ見つかっちゃうと思うけど。

 仮サーバーの状況は酷いもんだ。正直見ているのも辛い。自分の無力さを見せつけられてるようで…… ヒトが凄い速度で消えてってる。恐らく現実世界側に――


 屍の姿で順次呼び出されていると言う事か。


――本サーバーは?――

――分からない。まだアクセスできてないんだよ。けど、順番から言えばそれよりも君が優先だね。エクスガーデンの行く末は君にかかってるんだから――

――済まない、有難う。後、エリアの外の様子は分かるか? 大きな爆発が起きたような振動がエリアを襲った――

――注文が多いな。把握してないけど、後で調べて見る。よし、処理完了。開くよ――


 倒壊し、道を塞いでいたビルが轟音と共に浮き上がっていく。それはあまりに現実離れした光景であり、滑稽に見えた。


 ビルの至る所にノイズが走り、本来の隔壁の姿が見え隠れする。


「ちっ、冷や冷やさせやがって」


 言うなり開いた通路に身を滑らしたヒロに安心しつつ、その場を動こうとしないアーシャの手を取り走る。


 が、隔壁の下へと滑り込んだ先にあった光景に目を疑った。


「なっ!?」


 愕然とした低い声が自身から漏れる。まるで先までの光景がループするかの如き光景。


 大量の屍達に埋め尽くされた、通路の先はやはり倒壊し横倒しになった建築物の壁面によって塞がっていた。


 そのあまりに絶望的な光景に、奥歯が砕けそうな程に噛み締める。


――やるしか、ないのか?――


 大剣を掴む腕が震える。彼等を排除する以外の方法が見いだせない。


――飯島、済まない……――


 やりきれない感情が思考伝達に乗る。


――状況はこっちで把握してるよ。正直、俺っちに謝られてもと言う気もするけどね。俺っちも背負うよ。彼等の命を――


 状況の打破に結局このような方法をとるしか出来ない自身の無力さに、血の通わない身体が震える。


 魂が悲鳴を上げるが如き苦痛に抗い、歯を食いしばり大剣を握りなおした。それに応えるように吹き上がる高エネルギー粒子の刃。


 収まりきらなかった感情が、叫び声となって溢れだし、望まない殺戮をするべく大剣を振り下ろす刹那、目の前の空間の全てが停止した。


――思考レート同期!? この思考レートの速さは――


 だが、その相手は飯島やアーシャではない。


――やっと繋がった。響生聞こえてるわよね? この思考レートだと私の脳で維持できるのはコンマ数ミリ秒もないから、何も言わずに聞いて。貴方の義体に容量を確保して、美玲の時と同じように。それも今すぐに。こっちはこっちでピンチなのよ。だから一刻の猶予も無い――


 


3 アイ 数分前。



――敵がさらに増えた――


 痛覚遮断が行われたとは言え、左腕には先に感じた凄まじいまでの痛みの感覚がまだ残る。


 ナイトメアは敵の放った超電磁加速粒子砲を躱し切れず左腕を失った。さらに、浮遊ユニット群の7割を失っていた。


 この状況で更に敵が増えたのだ。状況は絶望的と言ってよかった。


 エクスガーデンの内部がどのような状況になっているか分からない。量子場干渉によってディズィールからの支援が得られない。さらに、静止軌道上に集結した艦隊は、時がくればこの一帯の全てを焦土と化して事態の収拾を図る可能性がある。


 それをさせないためには、正確な情報を艦隊に伝える必要があった。その上で必要な支援を要請する必要がある。


 そのためには生き残らなければならない。だが今の状況ではディズィール及び艦隊の支援なしには生き残る事すら難しいと言う矛盾が生じていた。


 情報リンクをするためには量子場干渉を何とかしなければならない。


 だが、この任務自体、量子場干渉による通信不能の状況を利用して、元老院直轄の上位命令である帰投命令を無視しての単独行動を行う事で成り立っている。


 量子場干渉の原因を排除し、通信が復帰すれば命令無視が露呈する。


 上空の艦隊が本気で地上を焦土に変えるつもりなら、命令を無視してこのエリアにいる自分達の要請に応じてくれるかさえ、疑わしい。そして交渉の時間などない。


 もし、自分が此処にいると解れば、軌道上からの一斉射撃は回避されるだろうか。葛城愛と同コードを持つ自分と言う存在は、フロンティアにとってそこそこ重要であり、換えの効かない存在であるはずだ。


 だが、それがどの程度の抑止力になるのか。


 思考レートを限界まであげ、思考する。いつから自分はこんなにも色々な事を考えるようになったのかと思うほどに。


 やがて一つの結論に達した。ディズィールの演算支援を得られない今、この結論に対する未来予測の正確性は劣るが、それでも賭けてみる価値はる。


――それに必要なのは、今ある私の全てを捨て去る覚悟――


 思考の為に瞑っていた瞳を意識して開ける。


――お願いがあるの――


 美玲に思考伝達を送る。極限まで上げられた思考レートによる同期。ランナーの美玲にとっては突然、世界の時間が止まったかのような感覚に捕らわれているはずだ。


――自己犠牲か。艦長殿らしい――

――え?――


 まるで、これから伝えようとする事を先読みされたの如き美玲の発言に困惑する。


――失礼を承知で助言させてもらう。艦長殿が不幸になれば、それに巻き込まれる人間がいる。そしてそれは艦長殿にとって一番大切な人間であろう。その指輪に誓ったのであろう? ならば、あ奴を悲しませないで欲しい――


 そこで言葉を区切った美玲。取り巻く時間の全てが停止した極限の思考レートの中、生じた間がやけに重苦しく感じる。


――不完全ながらにも意識が共有されているのだ。私には艦長殿の考えが全てではないにしろ伝わっている――

――なら、もうこれしかないと貴方にも分かるよね!?――


 破裂しそうな感情がそのまま思考伝達に乗った。


 自分だって、何も好んでこんな事を決定している訳ではない。そうしなければならないから、それしか出来ないからそれをするのだ。


――艦長殿が『それ』をすれば、確かに我等は生き残る可能性が見えてくる。だが、艦長殿がこのような形でディズィールを降りるのであれば、それは艦長殿だけの問題ではない。せめて、あ奴の意志は確認しろ。『それで良いか』と。もし、あ奴を置いて去るつもりなら、きちんと別れを告げろ。『それが、あ奴や我等のため』だと勝手に決めつけ筋も通さず勝手に決めるなど、私は許さない。例えここで死したとしても許さない。そんなものは『覚悟』ではない――


 美玲の思考伝達が、耐えがたいほどの痛みを伴い胸を抉る。何も言い返す事が出来ない。


 思考伝達が途切れた事によって、通常戦闘時まで落ちた思考レート。時間が動き出したことによって、無数の集積光がナイトメアを掠めて行く。


 全身に走る痛み。ナイトメアに更にダメージが蓄積されて行く。


――これより、サラがこじ開けたはずのエクスガーデン通信可能エリアを掠めて飛行する。艦長殿は情報通信による退避を。この機で艦長殿を死なせたとあっては、ディズィール艦載機のランナーとして恥――

――ちょっと待って美玲!――


 信じられない内容に叫ぶかの如き思考伝達が飛ぶ。


――待っている時間は無い。サラ、今の話は聞いたな?――

――ええ、聞いてたわ。直ぐに準備する――

――ちょっ!?――

――諦めて女を見せなさい。その上で私たち全員を救ってみせて。期待してるわ――


 その、言葉に合わせるかの様に急降下を開始したナイトメア。エクスガーデンを覆う漆黒のパネル群が、急速に視界内で拡大して行く。


 次の瞬間、視界の全てが光に飲まれ、意識転送時の体が浮くような独特の感覚が全身を支配した。


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