Chapter 74 美玲 エクスガーデン周辺域
1
「これは……」
自身から漏れた低く掠れた声。眼下に見えたエクスガーデンは自分が知る中立エリアとは程遠い状態にあった。
本来ならフロンティアの存在を示すが如く、エリア中心に聳える広域通信施設と、それを中心に規則性を持って広がるプラント群が見えたはずだ。
構造体同士を繋ぐ信号ラインの上を眩いばかりの光が行きかい躍動する様は、さながら施設全体が統率された一つの巨大な量子コンピューターの様な美しさを誇る。
それが今はどす黒いパネル状の防護シールドがエリア全体を覆い隠し、あまりに異質な黒色の巨大ドームと化していた。白一色に染まる景色の中でそこだけが異様に浮いて見える。
黒色パネルはエリア防衛のための装備ではあったが、それが施設を完全に覆う形で展開される事など、通常はあり得ないのだ。
普通であれば多くても十数枚程度が浮遊し、誘導弾などの旧世界の兵器に備えているに過ぎない。そもそもこれほどに大量のパネルが装備されている施設など見たことが無い。
この異様な状況を見ると施設そのものが、フロンティアとの戦闘に備えていたとしか考えられない。
――一体いつから荒木は、エクスガーデンを手中に収めていた? いったい何時から奴は準備にかかっていた?――
無意識に脳裏に浮かんでしまった疑問に身震いするのを感じ、自身を一度落ち着かせるべく深呼吸を試みる。人工物のみで構成された肺すら存在しない巨大な身体。それでも確かに肺が冷たい外気に満たされる感じがした。
拡張された視界によってクローズアップされた施設壁面を沿い、十分距離を取った位置で機体を低速で飛行させる。
早く施設外周に侵入できそうな脆弱な個所が無いかを把握したいが、生憎面倒を避けるのであれば、これ以上速度は出せない。いかに可視光を含めた全周波数領域ステルスを展開しているとは言え、光路歪曲域の外に巨大な大気の渦を巻き起こすような運動をすれば感知されてしまう。
施設の周りを一周して得られた結果はあまりに、絶望的なものだった。
パネルは完璧なまでに隙間なく施設を覆い隠し、侵入ルートなど何処にもないばかりか、中の様子を知る手掛かりとなる僅かな電波すらも漏れていない。
こうなれば後残される手段は、外壁を破壊して強引に内部に侵入するしかない。
――だが、果たしてそれが可能なのか?――
自らを晒すような行為をすることで、どれほどの敵がここに集まって来るのか判らない。相手はこれだけの防衛パネルを秘密裏に準備するような奴なのだ。それ相応の戦力を保有していないと考える方が不自然だ。
脳裏に鮮明に『荒木の不幸な子供たち』との戦闘を行った時の記憶が蘇る。その時に頭の中に響き渡った彼等の悲痛な叫び声が、胸に焼き付き離れない。
そもそも、あのパネルの耐久スペックは通常通りなのだろうか。
――もし破壊出来なかったら?――
様々な疑念が頭を占領し、次の行動を決定できない。
――あれ、使えないの?――
意識へと流れ込んだサラの声。
視界上に彼女が注目したポイントが拡大される。それはこの施設が『肉体持ち』を抱える中立エリアであるが故に存在する対人ゲートであった。言わばエクスガーデンの正門である。
その大きさはフロンティアでは珍しく陸路での輸送を考慮した巨大な物だ。
基本的に現実世界からの『流入者』を拒まないフロンティアであるが、その窓口となる中立エリアでも、このような車両の通行も可能となる大型ゲートはリスクでしかない。
それでも、このような大型ゲートを持つ中立エリアは、中立エリア自体がその周辺地域との交流を持つほど、現地をある程度取り込んでいる場合が殆どである。
そう言ったエリアの管理者は、管理者自身が『流入者』であることが多く、周辺地域を取り込むべく努力した政治形態をとっている事が多い。
このエクスガーデンも嘗てはそういった者が管理者の任に就いていたのだろう。
残念ながらこういった努力をする施設程、侵入が容易となりテロの標的になりやすいのだが。
嘗ては開かれていたとは言え、今は当然の如く固く閉ざされたゲートを見つめ、ナイトメアには有りもしない眉を顰める。
――正面から突っ込めと?――
それを思考伝達に乗せた瞬間、僅かに嘲笑とも呆れともとれるニュアンスを含んだ溜め息が頭に響き渡った。それに腹立たしさを覚えたが、抗議するより先にサラの思考伝達が伝わる。
――まぁ、それが貴方らしいとは思うけど、私の質問の意図は違う。あのゲートに付随する設備よ。それを使ってここのサーバーにアクセス出来ない?――
――と言うと?――
――あのゲートを監視するための光学素子やら、防衛するための固定武器、門の開閉装置、色々あるでしょう? それらを制御する為のケーブルが、『サーバー』もしくは『サーバーにアクセスできるような端末』に繋がってないの? って話し。
私はそのために来ているのよ。私の元々の任務はエクスガーデンが行っている通信封鎖を解いて再びネットワークに復帰させることだったのだから。まぁ、その任務は頓挫しちゃったけど――
それを受けて、ゲートを注視する。途端に別ウィンドウが開き、ゲート上部に取り付けられた可動式の監視装置がクローズアップされた。
――確かに、可能性はある…… だが、ここのサーバーは荒木の手に落ちている可能性が高い。ディズィールのシステムですら奴に乗っ取られかけたのだ。そこにアクセスするなど、このナイトメアを奴に明け渡すようなものだ――
それだけは何としても避けなければならない。サラの言葉は更に続いた。
――ここにはアイがいる。アイなら荒木が連れてた『あの子』を抑え込める。荒木の精神支配に対抗も出来る。アイはそのために来たんでしょう? 違う?――
その問いに対する肯定の意志が、本来ならここに居るはずの無いの艦長からはっきりと伝わった。
――なるほど、手札はそろっているという事か――
静かに息を吐き瞳を閉じる。深層意識でそれをしたところで、ナイトメアからの視覚情報は途絶えない。それでも自分の中で十分に決意を固めることが出来た。
2 サラ
――この時点で、ナイトメアの存在は敵に察知されている。何時敵が来てもおかしくはない――
――分かってるわよ! だから全力でやってるじゃない!――
監視装置のケーブルを切断し、そこにナイトメアの有線接続端子を強引に接続するというあまりにアナログな方法。
ナイトメアの指先から伸びた端子は、まるでそれ自体が単体の生き物であるかのように、実に器用に動き、自分の常識じゃ考えられない程早くそれらの作業を終了させた。それでも現実世界においての物理的な作業が割いた時間の損失は大きい。
それを補うべく限界まで思考レートを上げたために、強烈な吐き気と目眩を感じる。
視界から色彩感覚が消失し、苛烈なまでに活性化した生身の脳が大量の糖分と酸素を求めて悲鳴を上げた。
視界に並ぶ大量のウィンドウの上を凄まじい勢いで流れて行くコードの羅列。
まずはゲートが持つ、ここを通過しようとする『アクセス者を含む肉体持ち』と情報をやり取りするための、無線アクセスポイントの再起動と解放が最優先となる。
何故なら有線接続のままではナイトメアが此処から動けなくなってしまうからだ。それを復帰したところで、この量子場干渉の中では、ゲートから大きく離れられはしないだろうが、それでも全く動けないのとでは、天と地ほどの差である事は間違いない。
――来た!――
――来たって何が!?――
――敵だ!――
あまりに早いその襲来。
――5秒持たせて!――
思考伝達でそう叫び、さらに思考レートを上げる。
途端に脳を焼かれるかのような強烈な頭痛と耳鳴りに意識が飛びそうになる。それに気力だけで耐え抜き、自前のクラックウェアにコードを思考入力で次々と走らせて行く。
これだけで突破出来れば良いが、出来なければ圧倒的に時間が足りない。
――お願い!――
信仰心などこれっぽちも持ち合わせてはいないが、思わず心の中でそう叫ぶ。
次の瞬間、視界の全てを赤い閃光が飲み込んだ。集中力が途切れた事によって、通常感覚まで戻されてしまう思考レート。
圧縮された時間が破裂するかの如く動き出し、その中で耳をつんざくような衝撃音が鳴り響いた。