Chapter 71 アーシャ
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頭の中に狂ったように響き続ける荒木の笑い声。
――響生は!?――
彼が落ちた方向に意識を集中する。姉の凍てつくような視線の先では、空中から突き刺さった集積光群によって、瓦礫が溶融し、さながら地獄の様な様相を呈していた。
彼に『あれ』を躱す余裕があったのだろうか。
目の前で起きた一瞬の出来事に強い混乱と拒否感を感じる。
やがてそれが絶望となり心を侵食していく刹那、溶融した瓦礫が下から押し上げられるように動き、その下から響生が姿を現す。
その左腕は不自然に垂れ下り、見れば肩のすぐ下で半分以上が抉れ、赤い溶融面を晒していた。
彼が深手を負ってしまった事実に、強い焦りを覚えるが、直ぐにそれを超える衝撃に、襲われる。彼の傷が見ているそばから、失われた構造を再形成するかの如く塞がっていく。
驚きと共に心を満たして行く安堵感。
――面白い。もはや、形だけが人間ってだけで、他の部分は生物らしさを捨てた感じだね。うん、良い感じだ。本当に良いよ。その自己修復速度はどうやって実現しているのかな? 興味深い。本当に興味深いよ。さぁ、サミア。彼ともっと遊んでみて。早く。うん、早くだ――
頭の中に場違いに、楽し気な荒木の声が響き渡る。それは、子供じみた無邪気さがあり、半ば純粋さが感じられるだけに、強い憤りと共に拒否感に襲われる。
「拒否する」
空間に響き渡る姉の声。そこには一握りの感情すら込められていない。
――僕の言う事を聞けないという事がどういう事なのか、君は解っていてそれを言っているんだろうね? それとも、僕を納得させるだけの理由があるのかな?――
その言葉とは裏腹に、頭に響く荒木の声は未だに楽し気であった。
それに対し姉の表情は一切変わらない。凍てつくが如き瞳で、響生を見下ろし続ける。
「答えなら出ている。今のを見ていて分からなかったか? この場において彼では私に勝てない」
――確かにそうなのかも知れないね。うん、その可能性は凄く高い。ここまでで、見る限り君の性能の方が彼より高そうだ。それに、彼は敵になり果てたはずの、ここの住人を庇って行動してるね。それは彼の悪い癖だ。うん、本当に悪い癖だよ。だからこそ見ていて面白い、本当に面白いんだ。
それに、断言は良くない。うん、とても良くないよそれは。なにより科学者としてあるまじき行為だ。何事も実験し、実証しないとね――
「私は科学者じゃない」
――全く君は本当に…… 何故そうなんだ。本当に何故そうなんだ? 少しイライラしてきたよ。うん、イライラしてきた。
何故、好奇心というものを持たない? それじゃ楽しくないだろう? 自分でも詰まらないとは思わないのかい? 生きることは経験を積むという事、『知る事』そのものだよ。ならば何故知りたいと思わない? 全てを知りたいと望まなない?――
僅かに表情を苛立たし気に歪めた姉。
「お前の目的は『鍵』を『鍵穴』へ送り届ける事であって、『鍵を破壊』することではないだろう? それに、こんな事をしている暇はない。見ろ」
姉の体表に流れる光が僅かに輝きを増した。同時に空中展開するウィンドウ。そこに映し出された映像に目を疑う。
それは悪夢の体現としか言いようの無い光景だった。記憶の底から引きずり出されるあまりに悍ましい光景。
ただでさえ、内戦で破壊しつくされていた故郷を、完全に地図上から消し去ってしまった『あの悪夢』が鮮明に脳裏に呼び起こされる。
それは微塵の容赦もなく全てを奪いつくした。自身が愛した者達も、街も、その地形さえも変えてしまった。何一つ抗う術が無かった『絶対的な恐怖そのもの』が、そこには映し出されている。
数億本はあるのでは無いか、と思われる長い触手を漆黒の闇に靡かせる巨体。得体の知れない巨大生物を思わせる外見とは裏腹に、その表面には数万に及ぶ人工的な光が点在し周期的に点滅を繰り返していた。
当時は、到底それがヒトに由来する技術の延長線上に創造されたものなどとは、思いもよらなかった。全長十数キロに及ぶその巨体の影が街を覆いつくし、次の瞬間、故郷は焦土と化したのだ。
ウィンドウに映し出されていたのは『死霊達』の『地上殲滅艦』だった。それも、1隻や2隻ではない。
――一体何が……!?――
記憶の底から引きずり出された恐怖が、全身の筋肉を痙攣させ身体を小刻みに震わせた。
それを強引に抑え込もうと自身を両腕で抱える。けれど、震えはそれでも止まらない。
――ほう……――
頭の中に響き渡る荒木の声のトーンが明らかに落ちた。
――確かにこれは面白い事になって来たね。うん、本当に面白い事になって来た。来るとは思っていたけど、まさかこれほどに大掛かりなものをよこすなんてね。少し驚いた。いや、かなり驚いているのかな? 僕は――
「理解したか?」
姉の問いに対して荒木は返答しなかった。異様な間が場を支配する。
――ところで…… この全てが、僕に向けられた敵意なのかな? だとしたら光栄だ…… うん、本当に光栄だ。いや、違う。うん、違うね、これは。そんなはずはない…… うん、あるはずがない。なら、いったい、それは何処に向けられている……?――
意味不明な荒木の自問が唐突に止まった。
が、それは僅かな間を置いて、けたたましい音量で再び頭に響き渡った。
――あぁ、そういう事か! なるほど、中々に面白い。うん、本当に面白いよ! 良い展開だ!! 予想以上に良い展開だよ!!――
その異常な興奮を伴った思考伝達に、姉の表情までもが歪んだ。
――良いだろう。次のステージに移ろうじゃないか。サミア、戻ってきていいよ――
それを受けて静かに瞳を閉じた姉。
「了解した」
次の瞬間、姉の周りをゆっくり回転していたパネル状の歪んだ空間が、姉を覆い隠すかの如く集まる。まるでパネルごと空間に溶け込むように、消失し始める姉の姿。
その事実に感じた強い憤り。
「逃げるの!?」
無意識に張り上げた大声。ここを逃せば二度と姉には手が届かない気がした。
行動可能時間が、残り少ない身体。けど、知った事ではない。姉がいる空間に向け、全身全霊の跳躍をするべく身体を深く沈める。
が、それをしようとした瞬間、身体を乗っ取られるが如く雪崩れ込んだ意識。それによって身体の反応が僅かに遅れてしまう。
視界いっぱいに何かが広がった。それが、響生の持つ大剣である事に気付き愕然となる。
――何故……!?――
何時の間にか、目の前へと移動した響生が大剣の樋を此方に向け、行動を阻害するかの如く進路上に掲げていた。
慌てて視線を泳がせ、姉の姿を確認しようとするが、既に姿は完全に空間に溶け込み、そこには無かった。
静かに首を横に振った響生。心の底から、制御しきれない憤怒が湧き上がる。
「何故!!?」
溢れ出た感情が怒鳴り声となって響き渡った。