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Chapter 68 サラ

1



 唐突に消失したコックピット。後に残されたのは、外の風景をそのままに壁も床も無い空間だった。


 おかげで白一色に染まる高度も分からない空中に、突然放り出されたかの様な錯覚を起こし、全身の毛が逆立つような感覚に襲われる。


 溜まらず上がった「ヒッ!」と言う短い悲鳴。


 その瞬間、美鈴が此方へと向けた冷ややかな視線に、羞恥心を伴った腹立たしさが湧き上がる。


 身体が硬直し、動けない自分をよそに、転移者と美鈴が縺れ合った状態から起き上がり、不可視の床に、やや砕けた姿勢で座った。


 視線を転移者へと向けた美鈴。


「まったく何ていう強引な転移だ。システムによる墜落回避機構があるとは言え、流石にヒヤッとしたぞ」

「変な声上げて喘いでるからでしょ?」


 湧き上がった腹立たしさから、転移者が口を開く前にそう言ってしまい、重要な話の腰を折ってしまった事に気付く。


 美鈴は驚いたように目を一瞬見開いたかと思うと、顔を真っ赤に染めた。


「わ、私が悪いのか?」


 その、滑稽さに自分の中に有った僅かな腹立たしさは完全に消えてしまう。


 一方、自分に口を開く機会を奪われたはずの転移者は、無残に乱れた特徴的なシルバーブルーの長い髪を、整えようともせずにその場にペタリと座り、虚ろな視線を何処へともなく投げかけていた。その普通ではない様子に思わず、


「……アイ?」


 と声をかける。


 すると、そこで初めて我に返ったかのように、此方を見つめると。まるで何かを振り払うように大きく首を横に振った。


「どうかしたか?」


 美鈴の言葉に、アイが額に手を当てながら口を開く。


「ちょっと感覚に違和感があって……」

「違和感?」

「五感の全てが鈍いと言うか…… 何言ってるんだろ…… 私。私の言ってる事って正しい? 解る? ゴメン…… 何か、頭も上手く働いてないみたいで……」


 美鈴の燃えるような赤い瞳がそれを受けて僅かに細められた。そして何かを考えるように細い指先が顎に当てられる。


 アイを観察するように暫く見つめ、ゆっくりと口を開いた美鈴。


「強い不安を伴った喪失感に襲われているのではないか?」


 アイは驚くように目を見開き、静かに頷いた。


「やはりな。それは、ディズィールとのリンクが途絶えた反動だろう。


 かの船が齎す膨大な情報と演算アシストが途絶えたのだ。当然であろう? あの船と繋がっている時、艦長殿がどれほどの『拡張感覚を有しているのか』はいちランナーに過ぎない私では想像できない。それこそ『ネットワークを介して、この世界で起きている全てが見えているのではないか?』と勘ぐってしまうくらいにな。もしかしたら『集合意識化システム』を使用して、我等の心とも常時低レベルで繋がっているかもしれない。艦長殿にはそれが出来るはずだ。そんな状態が当たり前になってしまえば、接続が途絶えた時の反動は計り知れない」


 アイが愕然とした顔を美鈴に向けた。美鈴がゆっくりと瞳を閉じる。


「……とは言え、ナイトメアと繋がる私も他人事ではない。それは『ヒトを遥かに超えた存在』と理論神経接続を行う者全てにとって避けられない現象だ。いや、日常的にシステムとの精神リンクを行うフロンティアの民全員に当てはまる現象と言っても良いのかも知れんな」


 美鈴はそこで言葉を区切り、瞳を再びアイに向けた。


「非常に心地が良いのだ。システムと繋がる感覚は…… 共有される膨大な情報と共に、五感はヒトのそれを遥かに超えて拡張され、研ぎ澄まされる意識。その中で神になったかの如き錯覚すら覚える。


 ディズィール級の戦艦となれば、猶更だろう。それ故に、あまり度が過ぎると、正常な感覚を失ってしまう。依存してしまうんだ。そのような状態に陥ったランナーを私は何人も知っている」


 美鈴の言葉に強い不安を感じる。居てもたってもいられず、アイの顔を覗き込んだ。


「だ、大丈夫なの?」

「う、うん。大丈夫だと思う……」


 言葉と同じく頼りない笑みを返してきたアイ。美鈴が深いため息を吐いた。


「気を付ける事だ」


 目を伏せながら頷くアイ。 


「ならば、そろそろ本題に移らせてもらおうか。まさか、1度ならず2度までも艦を放り出してきたのだ。遊びに来たわけではあるまい?」


 その言葉にアイの態度が急変する。焦ったように勢いよく顔を上げ、美鈴へと視線を移したアイ。だが、発せられた声は言葉として意味を成す前に途絶えてしまう。

 

 そして再度、額に手を押し当て、整った顔が台無しになる程に表情を歪めた。


 美鈴が再び溜め息を吐く。


「大方、先の不自然な帰投命令に起因しているのであろう?」


 その信じられない言葉に、感じた強い憤り。


「帰投命令? まだ、何もしてないのに!?」


 思わずそれに言葉が荒立ち、美鈴を睨んでしまう。


 燃えるような赤い瞳を僅かに細めた美鈴。それだけで、彼女の持つ独特の威圧感が数倍に膨れ上がる。


「だから不自然だと言ったんだ。それに、ラグランジュ防衛艦隊が軌道上に集結したようだ。ただ事ではあるまい。確かに嫌な予感がする」


 美鈴が何を言っているのか解らない。


「味方が来たって事でしょう? 違うの?」

「無論、味方ではある。だが……」


 そこで言葉を区切り、考え込むように瞳を閉じた美鈴。


「そもそも、ラグランジュ防衛艦隊って何なの?」


 僅かに生じた間をじれったく感じ、空かさず疑問を投げかけると、美鈴はため息と共に瞳を開けた。


「その名の通り『月と地球の間にある重力平衡領域』、『ラグランジュ・ポイント』を防衛するための艦隊だ。だが、その艦隊の構成は『防衛艦隊』と呼ぶに相応しいものでは無い」

「……どういう事?」

「考えてもみろ。今のこの状況で、我らが地球からの本土進攻に、大規模な艦隊を中間点に展開してまで備える必要があると思うか?」

「それは……」


 今の現実世界に宇宙に出られるような設備は残されていない。垂直離着陸型の航空機の運用ですら、まともに行っている組織はいないのだ。最全盛期に生産されたものを再現する術もなく、ただ当時の遺物を使い潰していく事しかできない。それが今の現実世界なのだ。


「確かに我等は現実世界に怯えている。だが、リスクに対する評価が出来ないほど馬鹿ではない。あり得ない仮想敵を想定し、『それ』に莫大な予算を割くことなどしない」

「じゃあ……」

「ラグランジュ防衛艦隊の構成の大半は、『先の大戦に使用された艦艇』だ。当時の『地表殲滅艦隊』の構成がほぼそのまま維持されている。つまり、その構成は地表を焼き尽くすことに特化した攻撃型と言う事だ。


 あの艦隊は我等の間で『無人艦隊』とも呼ばれていた。何故ならラグランジュポイントにランナーのいない艦艇だけが、放置されたような状態だったからだ。だが、いざと言うとき再運用できるように自立AIによって維持だけはされてきた。そんな動くはずの無い、地表殲滅に特化した艦隊が軌道上に集結している」


 美鈴の言葉に全身の毛が逆立つような、寒気に襲われた。


 否応にも蘇る『あの日』の記憶。空を埋め尽くすネメシスの群と、数億本の触手を従えた城の様な巨大な戦艦の影。その先端から放たれた赤い光が一瞬にして地上を焼き尽くし、形あるもの全てを薙ぎ払っていく。耳の奥に張り付き離れない人々の悲鳴。


 無意識に震えようとする身体を両手で抱え込んだ。


 何故今更、そんなものが再び軌道上に集まっているのか。


「……まさか、エクスガーデンを!?」


 発せられた声は驚く程に掠れ、裏返っていた。


「無いと信じたい。だが、そう言い切れない。それほどに荒木は脅威だ。現実世界において唯一、我等と対等以上の戦闘をやってのける人間なのだからな」

「そんな! あそこには響生が! それにあそこは貴方達の施設なのでしょう!?」


 感情が高ぶり過ぎた為に、再び荒立った語気。


「だから『無いと信じたい』と言っている。だが、我々に対するこの不自然な撤退命令。嫌な予感がするのは当然であろう」


 言葉が出てこない。言いたい事は沢山有るが、それを美鈴にぶつけても無意味なのだ。彼女は自分以上に感情を抑えているに違いなかった。


 美鈴がゆっくりとアイに瞳を向けた。


「で、どうするのだ? 艦長殿。よもや我等を連れ戻すために、わざわざ転移してきたのではあるまいな?」


 それを受けて静かに立ち上がったアイ。その瞳には、ディズィールの特別閉鎖領域を指揮する彼女本来の光が戻っていた。


「全波長域ステルスを展開。私達は軌道上の艦隊から身を隠しつつ、予定の任務を続行します。私はそのために来たのだから」


 その宣言に美鈴の口元に歪な笑みが浮かんだ。それは悪戯っぽくもあり、何処か好戦的で獰猛極まり無い笑みにも見える。


 それが、やけに心強く感じた。自然と自分の口元にも笑みが浮かぶのが分かる。


「そう来なくっちゃ!」


 自身を奮い立たせるように漏れた言葉。意味も無く立ち上がろうとした刹那、空間に突如として展開したウィンドウが、けたたましアラート音を響かせた。


 一瞬遅れて外界を切り裂いた強烈な閃光によって、赤一色に染まる視界。


「簡単には行かせてくれないか……」


 赤い光に照らし出された美鈴の獰猛な笑みが、より強くなった気がした。


 ウィンドウに現れる敵を示しているのであろう無数の光点が、凄まじい勢いで此方へと迫ってくる。


 美鈴が立ち上がった。その口元からは、既に笑みが消えていた。


 燃えるような赤い瞳を此方に向け、自分を見下ろした美鈴。


「貴様に一つ重要な事を問うのを忘れていた。


 事態によっては、私は貴様の『生身の身体』に配慮しきれないかもしれん…… 万が一の時、貴様は『肉体を持つヒトとしての死を選ぶか、もしくは我等が、同胞となってでも生きるか』どっちだ?」


 強い光を浮かべた真紅の瞳が、『表情変化の一切』をも見落とさないとするかの様に真っすぐと此方を見つめていた。


「私は……」


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