Chapter 65 アーシャ
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「響生!」
無意識に上がった叫び声。
荒木と姉がいる地点から、百数十メーター以上も吹っ飛び、それこそ砲弾の如き勢いで対角側の壁に突っ込んだ彼。
炸薬が爆発でもしたかのような衝撃音と共に、大量の瓦礫が落下する。舞い上がった土煙に阻まれ、彼の姿を確認することが出来ない。
あんな勢いで受け身も取らず激突すれば、いかに彼の義体が優れていようと、ただでは済まないはずだ。
精神を襲った不安から、身体が無意識に震えた。自分の計画の全ては彼に依存しているのだ。
本能的に響生へと集中させた意識。
次の瞬間、頭の中に意図しないイメージが浮かんだ。やがてそれはイメージどころが自身の視界を侵食し始める程に強烈なものとなる。
元の視界よりも、遥かに複雑な戦闘支援システムに支えられた視界。その向こうにクローズアップされた姉の姿がはっきりと見えた。
視界情報だけではない。脳に雪崩れ込んだ濁流の様な情報量に、軽い目眩を感じる。
――これは…… 響生の五感情報?――
あれ程の勢いで、壁に激突したと言うのに、視界にダメージ警告は存在しない。
――……って、どんだけの義体を使ってるのよ!?――
今更ながらにフロンティアの技術力を思い知らされる。恐らく、自分がフロンティアを離れた僅かな間に、彼等の技術力は更なる高みへと到達していたのだ。
「ほう、大した耐久力だね。僕と前に遊んだ時から格段に進化している。うん、間違いない。
まぁ、でも驚かないよ。僕も君達の世界を垣間見て分かったんだ。君達の世界の時間の進み方は、現実のそれとは違う。時間進行に対する価値観が大きく現実世界とは違うんだよ。君達は必要とあらば幾らでも自身の時間を加速するからね。そうなのだろ? そうだよね?
君達は既に技術的特異点に突入している。うん、現実世界からは、そのように見えるんだ。もっとも君達にその感覚は無いのだろうけどね……
分かるかね? この事実がより、君達と現実世界の隔たりを大きくしてるんだよ。ヒトはヒト以上の力を持つ存在を本能的、生理的に拒絶するからね。うん、間違いない」
荒木の不気味な声によって、途切れた集中力。途端に視界は本来の自身のそれへと戻る。
荒木が得体の知れない感情を宿した瞳を細め、響生を見つめていた。
「だからこそ、君達はもうこの星を捨てるべきだと思うのだけどね。そうは思わないかい?
空気も水も食料すらも必要としない。自分達の住む世界の時間経過すらも操る君達は、広大な宇宙を旅するのにこれ以上ない存在だ。うん、間違いない。ならば最果ての、その外側が見たいとは思わないのかね? 僕は思うけどね。うん、僕は見たいんだ。僕の全てはそのためにあると言っても過言では無いんだよ。うん、無いんだ。でも、君達は思わないのだろうね」
荒木の瞳が狂気を帯びて見開かれる。
「僕はどうすれば良いのか考えたよ。答えは二つあった。うん、二つあったんだ。一つ目はあまりに簡単だ。僕がこの星を壊してしまえばいい。君達の技術を使えばそれはあまりに簡単だ。うん、簡単なんだ」
荒木の言葉に感じた表現しようのない恐怖を伴った寒気。彼なら本当にやりかねないと感じた。
荒木の目がゆっくりと此方へと向けられる。そして嘲笑じみた笑みを浮かべ、不気味に喉を鳴らした。
「そんなに、怯えなくてもいい。それは最終手段だよ。僕が実行しているのはもう一つの手段だよ。回り道をした方が面白いだろう? ついでに色々な実験も出来るしね。うん、間違いない。だから君達にはもう少し付き合ってもらうよ。うん、付き合ってもらう」
荒木の言動に強い拒否反応を感じる。なのに彼から意識を逸らすことが出来ない。
――飯島とヒロに俺と同クラスのアクセスを。行けるか?――
唐突に頭に響き渡った響生の思考伝達。それによって我に返るが、頭の回転が追い付ない。
――何故そんなことを!?――
――君と繋がった瞬間、サミアの精神を受け入れられるようになった――
――どういう事?――
――分からない。けど、とにかく早く。このままじゃ、飯島もヒロも飲まれてしまう――
脳内に響き渡った響生の声は冷静だったが、状況が切迫していることを思い出す。見れば、ヒロの半身が既に赤い流体液に飲み込まれ、飯島にいたっては完全に液体の中に埋没し、6本の足をばたつかせていた。
――分かった…… やるだけやってみる。けど、あまり期待しないで。貴方との接続だけでも、視界汚染が起きるぐらいに、混乱してる。だから集中する必要があってよ。意味は解って?――
――ああ、解ってる。君は俺が守る。無茶を言ってすまない――
その言葉と同時に、凄まじい衝撃音と共に壁から抜け出た響生が、自分と荒木の間に着地する。
不思議と心を満たしていく安心感。それに全く根拠が無い事が解って尚、自身の精神が落ち着いていくのが分かる。
その事実に若干の苛立ちめいた感情が沸き上がりそうになるのを、強引に抑え込み、ヒロと飯島に向けて接続を開始する。
繋がった瞬間、頭の中に響き渡った二人の苦痛に満ちた呻き声。それに、意識を持って行かれそうになりつつも、堪えきることに成功した。
――私の思考伝達が聞こえて?――
彼等に呼び掛けるとほぼ同時に、彼等の呻き声は止る。
あまりにあっさりと正常な精神を取り戻した彼らが、流体液に塗れた身体をゆっくりと起こす。
その現象に驚くと共に感じた安堵。
だが、それは唐突に声を上げて笑い出した荒木の不気味さに消し飛んでしまう。やがてその笑い声は、異常な興奮を宿したものに変わった。
目を見開き狂ったように笑い続ける荒木の姿に、恐怖を感じずにはいられない。
「これではっきりしたよ。うん、はっきりしたんだ。君がサミアを核にした場合の『鍵』だ。うん、間違いない。『核』と『鍵』の関係は僕の推測どおりだったようだ。うん、間違いない。
『君達の創始者』が何をしたかったのか…… 僕は大分真相に近づいたよ。うん、近づいたんだ。だが、彼はやはり愚かだと言わざるを得ない。分かれば分かるほどにね――」
荒木の限界まで見開いた瞳に直視され、背筋を冷たいものが駆け上がる。小刻みに震え出した身体。意識を集中させていなければ、腰が抜けてしまいそうだった。
荒木の瞳が此方から響生へと移る。不謹慎にもそれに、僅かな解放感を感じずにはいられない。
「――そして…… ここにはもう一人『鍵』がいる…… 僕はそう確信したよ。うん、したんだ。やはり『君達の女王』の鍵は君だったんだね? うん、間違いない。僕はついてるよ。本当についてる。実験の結果が思い通りになっただけじゃなくて、『鍵』が二つもここにあるんだからね……」
そこで言葉を区切り、再び狂ったように笑い出した荒木。
狂気すらも超えた異常な笑い声が、空間を異質なものへと変えていく。瞼の縁が避ける程に開かれた瞳は、人のそれを遥かに超えた得体の知れない『何か』が宿っていた。