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Chapter 62 アーシャ

1



 視界の全てを飲み込んだ光が消えた後に残されたのは、異様な静寂。空中を黒い霧と化し荒れ狂っていたユニット群の羽音は嘘のように消え失せていた。


 自分が確保した感染者を除き、老若男女、幼い子供を含めた全ての人々が地に倒れ、骸を晒す。その上に、黒い雪の如く機能を停止したユニットが降り積もろうとしていた。


 それらの骸は事実上の『抜け殻』なのかもしれない。それでもやり場のない感情が身体を震わせる。


 まるで大虐殺が行われた後の如き凄惨極まりない光景。胸を抉られるような強い痛みを感じ、思わず拳を握りしめ、瞳を閉じた。


 彼等の『生命』を奪ったのはベルイードでは無く自分達なのだ。


 電磁パルスによる広範囲攻撃。ユニット群を沈黙させるには『それ』を使うしかなかったのかもしれない。


 だが、その影響を受けるのは、自分のようなニューロデバイスを脳に導入した者も例外ではない。ネメシスのような対磁気パルス防衛機構を持つ戦闘用マシーンでもなければ、ひとたまりも無いのだ。


 駆け上がる不安から逃れるために、


――彼等の転送は無事終了したの?――


 と飯島に送った思考伝達。


――それは間違いなく…… けど……――


 頭に響き渡る彼の声は、勝利の喜びなど微塵も感じさせない酷く憔悴したものだった。瞳を意識して開き、視線を響生へと向ける。


 彼の大型ハンドガンを掲げた左腕が、脱力したようにだらりと垂れた。やや俯き加減の顔には、隠し切れない遣る瀬無さが浮かぶ。


 だが、これでようやく終わったのだ。気持ちを切り替えるために、一度瞳を閉じ大きく息を吸い込もうとした瞬間だった。


『おのれ! この私が! おのれ、おのれおのれおのれぇぇぇぇぇぇぇ!!』 


 もう二度と聞きたくは無かった声が響き渡る。


 見れば自身の足元で、電磁遮蔽フィールド内に紛れ込んだであろう、数匹のユニットっが蠢いていた。


 本能的にそれを踏み潰そうとするが、一匹が逃れてしまい空中へと舞い上がってしまう。


『これで勝ったと思うな! 向こうに戻って体制を整えれば、我がエクスガーデンにはまだガーディアンもネメシスもあるんだ!』


 その言葉の意味とは裏腹に、響き渡る声は酷く高い声質であり滑稽に感じた。


――させなくってよ!――


 対象があまりに小さいために、空間に同化しそうになるそれを目で追う。


 むき出しの敵意にシステムが直ぐ様反応し、赤々としたターゲットマーカーを視界に表示させた。これで奴を見失う事は決してない。


 瞬間的に肥大化する脚部、その出力に任せて空中に舞い上がる自身の身体。あれほど脅威に感じていたユニット群もたった一匹となっては、ただの羽虫に等しい。


 視界の中心に捉えたそれを、渾身の力で叩き落とす刹那、まるで金縛りにあったかの如く、全身が唐突に硬直した。成す術も無く、空中でバランスを崩し地に叩きつけられる。


「そのへんにしておいて貰えるかな……?」


 地に叩きつけられて尚、硬直し動かない身体が、その声に反応して無意識に震えた。


 それほどまでにその声は本能に刻まれた最も単純で抗い難い感情、恐怖そのものを呼び起こす。


 背筋に冷たい何かが走り抜け、ただでさえ動かない身体がより強張るような感覚に襲われる。


 空間の中心部に現れる光の粒子。それが瞬時に形を整えていく。災厄の訪れ。


 身体が徐々に光を失うにつれて浮かび上がった男の容姿は、あまりに異様だった。到底生きているとは思えない青白い顔の上で、瞳だけが異様に強い光を宿す。


 目の前に現れたそれが、実体を持たない視界上に合成された映像に過ぎない事を理解して尚、身体を冷気が包み込むような感覚に支配される。


 男の瞳がゆっくりと移動し、虚空に向けられた。


「……あれは、僕に有意義な機会をくれたんだよ。うん、くれたんだ。あれがいなければ僕は君たちの世界に潜り込む術を得られなかっただろうからね。うん、間違いない。


 君達のテクノロジーは素晴らしい。本当にゾクゾクするよ。今まで抱いていた疑問という疑問の答えを僕に教えてくれる。まぁ、全てではないけどね。うん、全てではない。


 だが、だからこそ思うんだ。君達はヒトであることに拘るべきではない…… とね、うん本当にもったいない」


 唐突に出現した荒木の恐怖に抗うように歯を食いしばる。同時にフィードバックした姉の姿。それを切っ掛けにして、表現しようの無い感情が自分の中に湧き上がるのを感じる。


 荒木へと意識の全てが持っていかれる刹那、空間に甲高い滑稽極まりない声が再び響き渡った。


『ははは! これは傑作だ! ガーディアン共を引き連れて直ぐに戻ってくるぞ! 直ぐにだ!』


 視界に浮かんだ赤いマーカーが空中で、疎ましいくらいに動き回る。


 が、それは唐突に動きを停止した。


『あ、あれ……? ネットワークにアクセスできない!?』


 滑稽極まり無い声を更に裏返らせた羽虫に、荒木は背筋が凍るほどの冷たい瞳を向けた。


「アクセス機構は僕が取り除いておいたよ。約束を果たさないまま、ネットワークに逃げられては面倒だからね。うん、余計な時間は割きたくないんだ」


『なら、早くネットワークを!』


 ベルイードが裏返った声を更に張り上げた。荒木はそれに僅かに喉を鳴らし、首を大きく横に振る。


「それは無理だね。無理なんだ。僕は今言ったよね? 『取り除いた』と。うん、言ったはずだ。それに君は僕との約束を果たしていない。『彼等』は全員生きているよね? うん、間違いない」


『ガーディアンやネメシス、それに他にも兵器が沢山あるんだ! それを使えばこんな肉体持ちどもなんかに!』


 荒木が呆れたように大げさな溜め息をついた。


「無駄だね。うん、無駄なんだ。それらを君が一人で扱うのは無理だろう? 君は今の自分の立場を忘れたのかい? それほどまでに馬鹿なのかな? いや、君はバカだったね。うん、どうしようも無いほどに。まぁ、だから僕は此処にいることが出来たのだけどね。うん、間違いない。


 戻った所で、もう誰も君には従わないと思うんだ。違うかい? いや、違わない。うん、間違いない」


『なら、どうすればいい!?』


 ベルイードが耳障りな声を上げた瞬間だった。視界の端で強烈な光が迸り、ベルイードを掠めて細い閃光が空間を切り裂いた。


 ベルイードが『ヒッ』と情けない悲鳴を上げ、空中を狂ったように飛び回る。


 瞬間的に光の発生源に目を向けると響生が虚空に向けて、大型ハンドガンを構えていた。その銃口が標的を追って、正確無比に動いている。既にロックオン状態。対象が小さすぎるために一射目が外れてしまったのかもしれない。


 だが、その考えは響生の表情を見てしまった事によって、修正せざるを得なくなった。


 彼の見開かれた赤い瞳には、身の毛もよだつ程に憎悪が宿り、その口元には残忍極まりない笑みすらも浮かんでいた。


 その表情に、荒木の登場時に感じた寒気を遥かに超える悪寒が背筋を駆け抜ける。


 再びフィードバックする『垣間見てしまった響生の記憶』。


 彼の強さは地獄としか言いようのない経験の中で身に着けた復讐者としてのそれだ。全ては彼が憎悪を向ける者達を刈り取るための強さなのだ。


 響生のハンドガンに再び帯電光が迸り始める。そして放たれた閃光は、ベルイードの片羽根だけを正確に粉砕した。


 弾き飛ばされたベルイードの小さな身体が、地に転がる。それはのたうつ様に地面を転がりまわった後、正にゴキブリとしか表現の出来ない速度で、実体の無い荒木の足元に移動した。


『お願いだ! 助けてくれ!』


 明らかに嗚咽交じりだと分かる高い声が、空間に耳障りに響き渡った。


「うん、いいよ。そのつもりだったしね。うん、そのつもりだったんだ。先にも言ったけど君は僕に機会をくれたからね。うん、間違いない。だから何処へでも行くといい」


『……え?』


 暫くの静寂の後に聞こえたそれは、あまりに間の抜けた声だった。


「君は部下をノミと表現したが、僕にとって君はゴキブリ程にはやくにたったよ。これはそのお礼だ。君にぴったりの身体だろう? うん、本当にピッタリだ。さぁ遠慮なく受け取り、何処へでも行くといい」 


『な!? この私がゴキブリだと!? 貴様!――』


 ベルイードが喚き散らしたことで、唯でさえ耳障りな声がより不快さを増す。だが、それも荒木が瞳を足元に向けると、小さな悲鳴に変わった。


 更に響生から放たれた閃光が、地に突き刺さり、ベルイードの身体が再び宙に舞い上がる。


『お願いだ! 助けてくれ! 何でもする! お願いだ! だか――』


 空中で喚き散らすベルイードの声が、言葉の途中で唐突に止まった。


「うるさい。うん、本当にうるさいよ。そもそも、ゴキブリが喋るのはおかしいね、声帯も壊しておこう。うん、これでよりゴキブリらしくなった。似合ってる。うん、とても君に似合っている。


 もう君が僕に差し出せるものは残っていないだろう? うん、間違いない。だから君にはもうバックアップを取る価値すら僕には見いだせない。興味があるとすれば、『君がその身体でこれからどうやって生きていくのか?』ぐらいしかない。うん、無いんだ。


 それは君の視覚を通してこれからじっくりと観察するよ。まさか此処から出ないなんて詰まらない事を言わないだろう? そしたら僕は君を生かしておく意味を失ってしまう。うん、しまうんだ。ああ、そうかもう喋れないんだったよね? そうだった。間違いない――」


 暫く荒木の足元をうろうろしていた赤いマーカーだったが、荒木が片手を僅かに動かすと、まるで何かに怯えたように一目散に移動を開始した。


 本当にゴキブリとしか言いようのない動き。そのあまりに惨めな姿に向ける感情は一切ない。冷徹なまでに無感情な自分に気づきつつも、ドーム状空間の隅を目指して、ひたすらに走り去ろうとするそれを無意識に目で追う。


 が、それは壁面にたどり着く寸前で、空間を切り裂いた細い閃光によって、完全に消失した。


 荒木がまるで可笑しくて溜まらないとでも言うように、喉を不気味にならす。


「ああ、やってしまったね。今の君は実に良い目をしているよ。うん、本当に良い目をしている。おめでとう。これで満足かな? いや、これは君なりの慈悲の可能性もあるね? うん、ありえる。どっちなのかな?」


 響生は答えなかった。ただその瞳が強い憂いを宿し、荒木を見据えている。


「答えたくないかね? まあいい。『ヒトで有り続けようとすること』と、『ヒトであることから逃れられない』のとは違う。うん、違うんだ。特に後者は哀れだね。うん、見るに堪えない。僕は『あれ』を観察していて、心底そう思ったよ。そうは思わないかい? うん、思うはずだ。もっとも、前者も愚かではあるがね……」


 荒木の瞳が響生の表情から何かを読み取ろうとするかの如く、見開かれる。その口元には得体の知れない笑みが浮かんでいた。


「無駄話をする気はない」


 その言葉に大げさに悲し気な表情を作り、両手を上げて見せた荒木。


「つれないな。うん本当につれない。僕は君ともっと話したいのだけどね。うん、話したい。まぁ、『あれ』のおかげで、良いデーターも取れたし、此方としても次の実験の準備が整ったところだ。


 だから、もう少し付き合ってもらうよ。いいよね? 嫌だと言っても僕はやるんだけどね。うん、間違いない」


 そこで言葉を区切った荒木の瞳が不意にこちらに向けられた。たまらず背筋を駆け上がる悪寒。


「そんな顔をしないでくれ。仮にも僕は命の恩人のはずだよ? こうして、君を約束通り生かしているばかりか、自由を与えたのに酷いね。うん、本当にひどい。まぁ、君は僕の予想通り良い働きをした。『彼』がここにいるのだからね。そんな君にプレゼントだ。会いたいだろう? 大切な姉に…… そのはずだよね? うん、間違いない。おいで、サミア……」


 荒木の隣に光の粒子が現れ、それが急激にヒトの形を整えていく。長く伸ばされた髪が淡い光を纏いながら背中へと流れ落ちる。


 やがて光を失うにつれて露わになる褐色の肌。まるで写し鏡を見ているような自身とうり二つの存在が、視界に合成される。


 此方を見ようともせず、静かに前を見据える瞳には一握りの感情も浮かんではいない。


「姉ぇさん……」


 自分の口から無意識に掠れた声が漏れた。それでも尚、此方を見ようとしない姉に、表現しようのない感情が駆け上がる。


「さぁ、余興も終わったことだし、そろそろ実験を始めようか……」


 荒木が大げさに両腕を掲げた。それに合わせるように瞳を閉じた姉。その身体を光のラインが覆い始める。まるで重力から解放されたかの如く舞いがる姉の長い黒髪。


 空間を統べる空気そのものが、冷気を帯びて変わっていくが如き、得体の知れない感覚が全身を駆け上がった。


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