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Chapter 61 アーシャ

1



 視界上を黒い霧と化したユニット群が荒れ狂う。身体は一瞬にして大量のユニットに纏わり付かれ、それらが体表を這い回る悍ましさに、思わず身体が震えた。


 強い生理的な拒否感。だが、それに歯を食いしばり耐える。


 身に纏った特殊強化繊維で作られた人工筋肉のスーツは、そう簡単には食い破られる物ではない。


 急所となる頭部に至っては、生身である皮膚こそ弱いが、その内側の骨格は根こそぎ高強度の人工物に置き換えられていた。それは旧世代の武器が放つ弾丸の直撃をも容易に耐えるものだ。


 7割以上が義体化された姉の身体。あの日、死霊達の世界に渡る時点で、幼い姉の身体はすでにボロボロだった。


 左腕と右足の膝から下を内戦により失い、死霊達との戦いにおいてはネメシスが放った集積光による熱風で背の皮膚の殆どが失われた。


 姉の負った傷の全ては妹である自分を庇おうとした結果であることを知っている。自分は、姉と年齢どころか個のスペックも殆ど変わらない一卵性の双子だった。なのに、姉は常に姉として強く振舞い、自分を守り続けたのだ。


 あの日、瀕死の姉と集積光を放ったネメシスとの間で行われた問答の全てが頭に焼き付いて離れない。それを受け入れることが姉にとってどれほどの苦痛だったのか。あの時の自分はそれを理解していなかった。


 そして自分達はそのネメシスによって死霊達の世界へと渡る。


 その後、死霊達の技術によって、姉は外見だけは元の姿を取り戻したが、犠牲はあまりに大きく、やがてそれは姉の心を蝕んで行った。


――違う。姉の心を蝕んだのは私――


 そんな姉の姿に、自分が耐えられなかったのだ。


 強い自責の念と、自分への失望感。


 そこから逃れるために死霊達の世界の全てを拒否した。自分はあろうことか、死霊達の世界で生きる決断をした姉に、『それによって起きた不幸の全て』を擦り付けることで、自責の念から逃れようとしたのだ。そしてそれは、姉を追い詰め狂わせてしまった。


 脳の全てにニューロデバイスを導入すると言う姉の説得に応じた時、現実を受け入れて、死霊達の一部として生きていく強さが自分にあったなら、姉には別の人生があったのかもしれない。姉にはその強さがあったのだから。


 先の強制接続の際に垣間見てしまった『彼』の記憶と、自分を重ね合わせずにはいられない。『彼』がフロンティアに渡った状況は自分達に酷似するのだ。違ったのはその後の選択に他ならない。


 無意識に『彼』へと向けた視線。体中から帯電光を迸らせ大剣を振るうその姿は、何かに取り憑かれたようであり、鬼気迫るものがある。


 彼自身は幸福とは程遠い状態にあるのかもしれない。それでも自分から見れば、彼は自身の周りに『多くの守るべき者達』を維持している。


 そしてそれは嘗ての姉の姿に重なった。頭の中と心の双方を掻き毟られるような、強烈な感覚に襲われる。


――気に入らなくってよ!――


 それらを振り払おうとして、無意識に思考伝達に乗った言葉。そしてこの環境の中、自らに課した使命を果たすために行動する準備に入る。


――ここに居る全ての『クローズド処置を受けた感染者』の位置は特定できて?――


 必要な情報を得るために飯島に行った思考伝達。だが返って来たのは、


――親父っち以外は分からないよ。今の状況じゃ、此方からの強制接続に対する応答の可否、つまり『ネットワーク接続が可能なデバイスを脳内に宿してるか否か』、くらいしか分からない。だから『非アクセス者』と『クローズド処置を受けた感染者』の区別が出来ないんだ。君はいったい何をする気!?――


 との期待外れの回答だった。それに舌打ちをしつつ、次の思考伝達を送る。


――説明してる時間は無くってよ! ならその強制接続に対する応答が無い…… 『デスフラレンス・システムが起動できない者』の位置を私に教えなさい! 早く!――


 それは素晴らしい応答速度を持って、視界上のマップに表示された。


「少しは信用されたって思っても良いってことよね……」


 加速した思考レートのために、動かすこともままならない口の中でそう呟くと、意識を更に集中した。


 過去にニューロデバイスを導入していな者にも寛容な政治形態をとっていたとは言え、やはり中立エリアだけあって、『デスフラレンス・システムを受け付けないような、アクセス者ですら無い者』の数は少ない。


 このドーム状空間内において、マップ上に表示された光点は僅か10点だ。だが……


――これでは駄目! 対象が多すぎる!――


 やはり『クローズド処置を受けた感染者』に絞る必要がある。だが、どうしたら良いのか。


 加速された思考レートの中でも、考える時間すらも惜しい。全てはデスフラレンス・システムによる魂の転送が終了するまでに終えなければならないのだから。


――クローズド処置を受けた感染者…… 分かった! 響生が何をしようとしているかが分かったよ! だから君は…… そうなんだね!?――


 此方の目的を理解してくれた安堵と同時に、彼特有の無駄口の多さに苛立ちも感じる。


――分かったなら何とかなさい!――

――うん、全力で君に協力させてもらうよ! だからちょっとだけ待って! 赤外熱センサーの情報を使えば何とかなるかもしれない。クローズド処置を受けた感染者は、脳の全てがニューロデバイスに置き換わってる関係上、頭部の血流量が通常の人間比べて少ないんだ。だから……――


 半ば怒鳴るように送った思考伝達に返って来た声は、状況に反して僅かに弾んでいるようにも思える。それがより自分の苛立ちを助長した。


――何でも良いから、早くなさい! タイムリミットが近づいててよ!――


 飯島と同期したために更に上昇した思考レート。実際、ウィンドウに示された時間は殆ど進んではいない。それにも拘わらず時間の流れを感じてしまうのは、視界上で響生の赤熱した大剣が、異様な速さで縦横無尽に空を切るが故なのかもしれない。


――半分化け物ね――


 そう思った瞬間、マップ上の表示が変った。10点あった光点は3点に絞られている。


 その内の一人、先代表である飯島宗助に目を向ける。


 地に伏せた彼は左腕を完全に失っており重傷である。だが、幸いにして怪我のわりに出血量は多くない。


 異常に膨れ上がったままの肩部。大量のユニットが依然として体内に取り残されているようだ。それらが幸運にも溢れ出ようとする血をせき止めているのかもしれない。


――これならいける!――


 無意識に大きくうなずいた。彼を生かして救出することは、今後の自分の待遇に大きく影響するに違いない。


 自分から最遠に位置する光点に向かい移動するべく意識を集中する。


 その意思に応えるが如く脚部を覆う人工筋肉が膨れ上がった。その直後、足元で何かが爆発したかの如き独特の衝撃が自身に伝わる。


 常人を遥かに超える脚力によって、舞い上がる粉塵。引き延ばされた体感時間の中で、大気がまるで粘性を帯びたかの如く、重く体に纏わり付く。さながら水中で行動しているような感覚だ。


 身体に纏わり付いていたユニットが粘性を増した大気に絡み取られるようにして、離れて行く。


 重力は体感で極端に減少し、足に伝わる大地の感触は砂のように脆く、酷く頼りないものに変化した。


 思考レート加速が齎す魔訶不思議な世界。それは歩行することすら不可能な空間だ。


 思考レート加速を用いた超速戦闘は、決して『止まった時間の中で、自分だけが制限なく動きまわる様な魔法』ではない。身体そのものは、物理法則に縛られた世界で、超速機動しているのだ。


 100倍の思考レートの中、普通に歩こうとすれば、足は普段の100倍の速さで地を蹴ることになり、身体はいとも簡単に地から浮き上がってしまう。そして錐もみ状態で意図しない場所へと叩き付けられるだろう。


 無意識に遠ざかる響生の姿を横目で見る。この思考レートの中、信じられない速度で空を泳ぐ大剣。


 それが巻き起こす大気の渦に巻き込まれ、大剣が通過した軌跡より遥かに広範囲で大量のユニットが爆散する。しかもそれは闇雲に振り回されているわけではない。常に最もユニット群が高密度に存在する空間を切り裂くように動いているのだ。


 いったいどうやったら、あんな芸当が出来るのか。


 その動きがあまりに早すぎるために、大剣が大気との摩擦で真っ赤に赤熱している。音速を遥かに超えているのは明らかだった。


 尋常では無い思考レートでの音速を超える超速機動。


 彼が体感している空間は、自分が体感するこの空間より遥かに苛烈な法則に支配されているだろう。僅かに動くだけでも、この世のあらゆる法則がまるで彼に報復するかの如き、凄まじい作用を受けているはずなのだ。


 それに耐える義体の性能だけでも寒気がしてくるが、何より異常なのは、そんなあり得ない世界で、あのような動きをする響生自身だ。


――やはり、あれは化け物だわ――


 頭の中でそう呟いた瞬間、唐突にフィードバックした『垣間見てしまった彼の記憶』。


 彼があれ程までの戦闘技術を手にするに至った経緯。それは自分が経験した『それ』を遥かに超える地獄でしかない。


 瞬間的に胸をえぐる様な強い感情を伴った何かに支配されそうになるのを、彼から瞳をそらし、自身の目的に集中することで耐えた。


 僅か数回地を蹴るだけで辿り着いた一人目の対象。それは痩せこけた中年の男だった。


 唯でさえ恐怖に歪んだ顔を、更にゆがめ自分を見上げた男を、問答無用で左腕で担ぎ上げ、次の目標へ向かう。


 移動を開始するや否や、担ぎ上げた男の身体に大量のユニットが高速で叩き付けられ、進行方向に向けた背に、血が滲み始める。


 だが、速度を落とすわけにはいかない。男が本能的に頭を庇うように身を丸めてくれたのは好都合だった。


 そして次の目標である初老の女を手荒く抱え込み、最終目標、飯島宗助が倒れていた地点へと戻る。


 彼等を飯島宗助の傍に雑に降ろし、瞳だけを動かし素早く観察した。女も男同様、体中に痣を作り、至る所から血を滲ませてはいたが、致命傷は無いように見える。


 それを確認するや否や、自身の装備からワイヤーが連なる五本の短刀を抜き取る。その内四本を自分と『保護対象』を囲むように地に突き刺した。そして、最後の一つを天を指し示すが如く構える。


 それによってワイヤ―が自分を含めた対象を包み込むような四角錐を作り上げた。無論これはただの短剣ではではない。


 それは突き刺した敵に一回限り、致命的な電磁パルスを送り込む機構を持つ『対死霊武器』だ。そして、それは五本同時に組み合わせて使う事で、全く別の機能を発揮する。


 これで、自分が成すべき全ての準備は整った。


――どうやら間に合ったようね……――


 瞬間的に駆け上がった安堵と共に、今更ながらに襲った生体部の猛抗議に、片膝を突きそうになる。


 それを渾身の意志で耐え、荒い息をしつつ、血だまりの中心で荒い呼吸を小さく繰り返す少女へと目を移した。


 その呼吸は今にも消え入りそうであり、あまりに頼りない。少女の瞳が何かを訴えるように、此方を見つめていた。


 それに答えるよう静かに頷く。それで、彼女に何かを伝えることが出来たのかは分からない。


 少女の呼吸によって僅かに上下していた肩の動きが止まった。死に抗うが如く見開かれていた瞳が、まるで眠りに落ちるかのように閉ざされる。その表情は穏やかであり、安堵を浮かべている様にすら見えた。


 視界上のマップから『対象』以外の生体反応が、異常な勢いで減り始めた。ついにデスフラレンス・システムによる強制電子化転送が実行されたのだ。


 まるで、それを待っていたかのように、響生が大剣を振るうのを止めた。だらりと垂れた切っ先が、重々しい衝撃音と共に地に埋まる。


『許さない等と言っておきながら、もう諦めたのかね?』


 ベルイードの嘲笑を含んだ蔑むかのような声が、空間に多重に響き渡った。


 次の瞬間、無防備になった響生に大量のユニットが群がり、覆い尽くしてしまう。


『これで私の勝ちだ!!』


 いびつに歪んだベルイードの狂ったような笑い声が空間中に木霊し続ける。


 が、その笑い声は、空間を伝った地響きをも思わせる獰猛な唸り声によって唐突に止まった。


 それは更に音圧を上げ、ついには呪いを込めるかの如き咆哮となって空間そのものを振動させる。


 響生を飲み込み、黒い塊と化したユニット群の上方で、激しく何かがスパークする。そこを起点に大量のユニット群が雪崩れるように崩れ落ちた。


 その中から左手を真上に向かって突き上げるが如き姿勢の響生が姿を現す。そこに握られた大型ハンドガンが、異常なまでの帯電光を巻き散らしていた。


 呪いを込めるかの如き咆哮は更に圧力を増し、それに呼応するかの如く彼の全身を駆け上がるエネルギーラインの光が、左手のハンドガンへと集まって行く。


 その中で響生の瞳が此方に向けられた。


――有難う。心から礼を言う…… それと悪いが、タイミングを合わせたい。だから『同調』を受け入れてくれ――


 次の瞬間、同期によって跳ね上がった思考レートのために、世界の全てが停止した。その中で濁流の如く雪崩れ込んでくるもの。それは彼の思考。


 いや、それどころか感情や五感を含めた全てが雪崩れ込んでくる。それは彼の自我そのものだ。


 頭の中が誰かに支配され、自我すらも揺らぐような強烈な感覚だった。


 だが、同時に今まで自分を苦しめ張りつめていた全ての物が、急速に抜け落ちて行くような抗い難い感覚に襲われる。


 流れ込んでくるのは、底知れぬ深い闇色の感情。だが其処には憂いは感じても冷たさは感じない。それ以上に自身を闇に染めて尚、周りを包み込む温かさのようなものすら感じられた。


 曖昧な自我の中、彼が天に向かって構えた大型ハンドガンが爆発するかのような光を放つ。


 それに合わせて完璧なタイミングで起動した自身が準備した装置。それは狙い通りに極小の電磁遮蔽フィールドを形成した。


 響生が手にしたハンドガンを中心に不可視の波動が光速で空間を駆け抜ける。爆発的に広がった光が視界の全てを飲み込み、白く染め上げた。


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