Chapter 56 アーシャ エクスガーデン・ネットワーク隔離地区
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「ああああああぁぁぁぁ――!!」
空間を支配する虫の羽音すらも、小さく聞こえるほどの音量で響き渡った絶叫としかいいようのない叫び声。
それは、記録映像で見た呪いを込めるかの如き咆哮ではない。ただただ、限界を超えて制御しきれなくなった感情がそのままあふれ出たかの如き叫び。
魂の絶叫としか表現できないほどにそれは痛々しさを伴い、聞く者の心すらも抉る。
剥き出しの感情に呼応するかの様に義体表面に浮き上がったエネルギーラインの光は、半ば暴走するかのように荒れ狂う。
その身体は小刻みに震え、見開かれた瞳からは、得体の知れない赤い輝きを灯した流体液が涙の如く頬を伝っていた。
全身を荒れ狂うエネルギーラインの光は更に激しさを増し、行き場を失ったそれが漏れ出すかのように、義体から凄まじいほどの帯電光が迸る。
それに巻き込まれた大量のユニットが、響生の周りで大量に爆散した。
言葉では無い呻くような低い声と共に、身体を不気味に揺らしながら立ち上がった響生。
彼の周辺に迸る帯電光は更に強さを増し、直視するのも困難な程になる。
無造作に握られた大剣が、空間そのものを揺るがすような異音と共に、高エネルギー粒子の光を纏い始めた。
その輝きが尋常ではない。切っ先が向けられた箇所を中心に地面が溶融し始め、周囲の大気までもが、異常な量の荷電粒子の影響を受けて励起され、スパークし始めた。
そして遂に持ち上げられた大剣が、爆発したかのような輝きを放つ。
次の瞬間、全身を雷が直撃したかのような激しい衝撃が襲った。真っ白に染まる視界で、エネルギーそのものを具現化したような何かが、迸り荒れ狂っている。
爆発的に広がった大気の励起が遂に自分達までをも飲み込んだのだ。
それによって、体表に群がるユニット群は根こそぎ爆散するが、同時に身体を駆け上がった苦痛の凄まじさに身を捩る。
限界まで加速された思考レートの中、薙ぎ払われた大剣。切っ先の延長線上の空間の全てを切り裂くが如く、放たれる光。
荒れ狂う大気が、光が通過した周辺の空間までも巻き込み根こそぎ破壊して行く。それがドーム状空間の内壁へと吸い込まれて行く光景に、鳥肌が立つほどの強烈な寒気に襲われたが、起きた現象は自分の想像を遥かに超えていた。
後に残ったのは異常な破壊の爪痕。内壁には赤々とした溶融面が横一直線に内壁に刻まれ、その先に続く空間に存在するあらゆる構造物が、異常なエネルギーの通過痕跡を刻む。
――嘘…… でしょう? こんな……――
まるで殲滅艦の主砲で射抜かれたような有様に息が詰まるような感覚に襲われる。
止まりかけた思考が動き始めた直後、切り裂かれた空間の遥か先に見えた目もくらむような光。
それが、遥か遠方で起きた巨大な爆発の光であることに気づくと同時に、地響きと共に耳を劈くような轟音が押し寄せ、空間を震わせた。
まるで、脱力したようにだらりと垂れ下がる大剣。だが、それが再び激しくスパークし、高エネルギー粒子の光を放ち始める。
体表を巡るエネルギーラインの光は、先よりも更に荒れ狂うように激しさを増す。
『これ以上はまずいよ! 義体の反応ユニットが!』
小さなサソリが裏返った声を上げた。
だが響生にはそれすらも聞こえていないようだった。半ば硬直したかのように見開いた目は何も見えていないようにすら感じる。
こんな事を繰り返されたら、今度こそこの空間が持たない。
確かに響生の行動によって敵の厄介極まりないユニットは、かなりの数が消滅したはずだ。だが、それでも全体から見れば僅かである事には変わりはない。効果に対し、あまりに大きすぎるエネルギー消費。それが齎した破壊の爪痕は、全身を震わせただけでは足りず、得体のしれない嫌悪感すら呼び起こす。
けど、今の響生はそれを理解しているように見えない。それどころか思考すらも停止し、錯乱とも違う異常な状態にある気がしてならない。
途方もなく嫌な予感がした。
自分達の中で最大の戦力は間違いなく響生なのだ。彼が機能しなくては、自身の望みを叶えるどころか、此処で全てが終わってしまう。
「まずいって何が!? 説明なさい!」
今の響生の状態をこの小さなサソリだけは正しく理解していると直感する。小さなサソリを鷲掴みに拾い上げ、激しくゆすった。
『わわわわわっ! リンクするから揺すらないで!』
次の瞬間、視界に大量の警告表示が重なる。
それが響生の義体に関わるものであることは直ぐに理解できた。
表示された数値の殆どが危険域示し、その体表温度は既に生身の人間には触れる事すら出来ない温度に達している。
エネルギー発生源たる反応ユニットは、自壊寸前にまで加熱していた。これでは周辺の機構に影響が出てもおかしくはない。
そして何よりも目を疑ったのが、理論ニューロネットワークの活動状態を示す信号、つまりオブジェクト化された脳の活動を示すグラフが明らかにおかしかった。
――何なの…… これ……――
それが示す可能性に全身の筋肉は強張り、異常な寒気に襲われる。震える身体を無意識に動かし、響生を見る。
再び持ち上げられようとする大剣。見開かれた瞳には一握りの感情すらも宿っていない。
そこから溢れ出る淡い光を湛えた血の色の琉体液だけが、『彼が抱える痛み』を象徴しているかのように思えてならなかった。
――響生…… 貴方は……――