Chapter 55 ザイール
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――ですが、二宮軍曹については順調に人格統合が進んでいると言って良いんじゃないでしょうか?――
実際知る限り、彼の行動について特に危惧するようなものは無いように思える。もっとも彼が出撃前にしでかした騒ぎは、一部で笑えない部分もあるにはあるのだが。
不幸な事故とはいえ、美鈴のプライベート空間に閉じ込められ、強制召喚をかければ、目も覆いたくなる程に絡みあった状態で二人そろって現れた。その後に閉鎖領域を襲った混乱は記憶に新しい。
そうかと思えば、今度は出撃寸前に艦長に対し、聞いているこちらが恥ずかしくなりそうな程の告白を行ったのだ。
視線を無意識に艦長の方へと移すと、その指には彼から送られた指輪が、シンプルながらに魅力的な輝きを放っている。
このミッションが終わったなら、閉鎖領域内はしばらくこの話題で持ち切りとなるだろう。
――若いって、それだけで素晴らしいことですよね……――
――はぁ? 突然、何を言ってやがる?――
思わず思考伝達に意図しない思考が載ってしまった事と、それに暁が反応してしまった事実に、顔が焼けるような感覚が襲う。
――いえ、なんでも――
『貴方はそろそろ自分を許しても良いころだと思います……』と言う本音が、思考伝達に乗ってしまう事を辛うじて回避し、思わず出た深いため息。
今話しているこの男がこうも頑固者でなかったのなら、自分も仕事以外の充実が得られたのかもしれない。
そんな思考と共に、自身の中の羞恥心が妙な腹立たしさに変わり始めるのを自覚する。自分を棚に上げた完全な八つ当たり的な感情が芽生えた事実に頭痛すらも感じた。
――お前は響生と意識融合状態の響生を同一と見れるか?――
此方の心情などお構いなしに、進んだ会話に僅かな安堵を覚えつつ、暁の言葉に意識を傾ける。
それによって思い出されたのは、意識融合状態の二宮軍曹が見せる鬼神の如き戦闘ばかりだった。
義体の性能限界を遥かに超えた戦闘の数々。
自重を超える大剣を超音速で投げ放ち、装甲ジャケットの肩部はそれに耐えきれず、内部から爆発したかの如き破裂した。さらにその後の戦闘でも尋常ならざる負荷は続き、最終的には自立駆動骨格を残すのみとなった。
その骨格すらも四肢は千切れ飛び、辛うじて頭部の量子チップが機能していた状態だったのだ。一つ間違えば確実に彼は命を落としていた。逆に言えば『彼』でなければ、あの場から生きて帰ることなど無かっただろう。
――それは難しいでしょう。二宮軍曹と『彼』とでは戦闘における経験がまるで違います。『彼』の持つ戦闘能力の殆どが二宮軍曹に定着しつつありますが、それでも根本的な部分で大きな差異があります。
判断能力。闘争心。全てにおいて『彼』は二宮軍曹を上回っています。まぁ、当然ですが――
自身の視界のみに呼び出した『彼の記録』に素早く目を通し、自身が言った事が客観的な意見である事を確認する。
――俺が言ってるのは能力の問題じゃねぇ。その他の人間的な部分だ。
響生と『彼』では戦闘行動だけとっても、その行動原理が大きく違げぇ。基本的に守りを主体に行動する響生に対し、『彼』は敵と定めた者の命を奪う事に対して容赦がねぇ――
視界に新たに展開したウィンドウには、『ランナーが精神崩壊を起こしバーサーカー化したネメシスの核を、二宮軍曹が閉鎖領域の静止を無視し貫く瞬間の映像が映し出されていた。
大破したネメシスから噴き出した血の色の液体を大量に浴び、赤く染まった身体。その目に宿る底知れぬ憂いを伴った闇色の感情に、冷たい何かを感じずにはいられない。
――それは、当然ではないかと。あの忌まわしいデスゲームの中で、『生き残るには何が必要なのか』を経験した結果、彼は自身の中の『甘さ』を排除したのでしょう。多くの兵士が通る道です――
言った事は至極当然のことだった。軍に身を置くものであれば、誰しも遠からず自身の仕事の結果が『人の命』を奪う事に最終的につながる。それを理解して受け入れなければ先には進めない。
長くこの世界に身を置き経験を積んだ者ほど冷酷になっていく。それは仕方のない事だと感じる。
――俺が言いたいのはそういう事じゃねぇ。意識融合状態の響生は『彼』が持つ記憶が苛烈過ぎるために、人格の殆どが『彼』に持っていかれた状態だ。
そして『あれ』は、そのまま現段階においての意識統合が成された場合の響生の姿だ――
暁が何を言おうとしているのが分かった気がした。その上で自身の意見を重ねる。
――それに何か問題でも? 仮に性格が変わってしまったとしても、彼本来の記憶が全て彼に戻った結果に過ぎません。経験が違えば性格も変わってくるのは当然と言うものではないですか? それこそが本来の二宮軍曹ってことなのでは?――
返ってこない返事。その間がもたらした時間が、独特の緊張感を誘発する。
――確かに…… それは一つの考え方なのだろう。実際俺もそう考えていた。だが……――
暫くの後、脳内に響き渡った暁の声は酷く掠れていた。
――貴方は、『彼の経験したことの全ては二宮軍曹に返されるべきだ』と考えた。記憶と人格の統合…… それは間違っていないと私は思いますが――
本来一人であるはずの人間が、不幸な事件によって複製が生まれてしまった。このフロンティアにおいて絶対に起きてはならない事が起きてしまったのだ。
解決策など有るはずがない中で、暁の提案は正に唯一と言って良い程の打開策であるはずだった。
――ああ、あの時点では俺もそう考えてた。
同時期に発生してしまった複製。複製が存在してしまった時点で、それはもう『同記憶を持つ別の人間』だ。だが、この事実はあまりに酷過ぎる。記憶の中に存在する掛け替えの無い全てのものは、この世に一つしかねぇのだからな。
本来なら、生まれてしまった複製には、世界そのものの複製を与える事でしか償えねぇ。だが、そんな事が出来る訳もねぇ。
だったら、『彼』の持つ記憶も、響生が新たに紡いだ記憶も損なう事無く統合して、元の一人の人間に戻してやりてぇと思った――
苦しいまでの悲痛な感情に満ちた声が脳内に響き渡る。だが、彼が何を懸念しているのかが分からない。
――ですから――
――……響生がアイに指輪を送った見てぇだな。穂乃果から聞いた――
自身の思考伝達に重ねられるようにして、唐突に変えられた話題。それに付いて行けず混乱する思考。
――突然何を言い出すのです? 保護者とは言え、他人の恋路を心配するのは野暮というものではありませんか?――
再び黙り込む暁。静寂が腹立たしさに代わる刹那、再び暁の声が脳内に響く。
――経験ってのは人格を左右するだけじゃねぇ、その後に行われる行動にも密接にかかわってる。まして響生の中に残るあの忌まわしき記憶は強烈だろう。それと同じくらい失ってしまった美鈴に対する思いもな。
お前は気づいているか? 意識融合時に、響生が用いる剣技。それが、『美鈴がナイトメア使用時に見せる剣技』と非常に似通ってる事に……
そして恐らくそれは偶然じゃねぇ。異常な隔離空間で、数年間にわたり生き残りを賭けて共に過ごしたんだ。そこに芽生えた感情も絆も、並みのものではないだろう――
暁が言っていることはあまりに当然の事のように思えた。それだけに真意が見えてこない。
――何が言いたいのです?――
――新たに加わる経験が、『未来のもの』なら構わねぇ。だが、響生に新たに加わる経験は、過去に起きた経験だ。それがあったのと無かったのでは、出された答えも違ってたんじゃねぇのか?――
暁の言葉に息が詰まるのを感じた。彼が何を言おうとしているかが、ようやく理解できたからだ。
――だとしたら、今のあいつが『あいつとして行動してきた全て』が覆ってしまわねぇのか。例えばそれは『アイへと送られた指輪』だったりするんじゃねぇのか?――
さらに続いた暁の言葉の重大さに返す言葉が見つからない。
――本来だったら、もっと時間をかけて統合は成されるはずだった。ゆっくりと統合されていく記憶が、響生が新たに紡いだ記憶に釣り合うだけの時間をもって、少なくとも意識融合状態だろうと無かろうと、殆ど差異が見受けられなくなるまで、掛けるつもりでいたんだ。
だが、実際は予測よりも早く統合が進んじまってる。
それが度重なる能力を超えた苛烈な戦闘で、響生が生きるために『彼の記憶を手繰り寄せる』からなのか、美鈴がその場にいた事で、頻繁に起きたデジャブのせいなのか、それは分からねぇ。
だが、今になって思うんだ。そもそも根本的に人格統合なんて所業が、ヒトの手によって制御できる代物ではなかったんじゃねぇかってな――
そこで言葉を区切った暁。それに対して返す言葉が全く出てこない。重苦しい時間だけが過ぎて行く。
やがて、息すらも詰まる程に、掠れ切った声が思考伝達を伝った。
――……俺は怖い。今の不安定な状態で、『彼』の記憶を悪戯に刺激するような場面に遭遇した場合、統合が一気に完了してしまう可能性がある。
そして今の状態で統合してしまえば、それは俺が良く知る響生じゃねぇ、『彼』でもねぇ。
それは結局、響生も『彼』もどちらも殺してしまった事に他ならねぇんじゃねぇか? そんな疑問が片時も頭から離れねぇんだ――