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Chapter 49 ヒロ

1



 一際強いノイズと共に視界から消失したウィンドウ。


 次の瞬間、雪崩れ込んで来たあまりに強い感情の起伏に、意識が飛びそうになる。それは異常な程に強い恐怖。強迫観念。ランナーが尋常ならざる理由を持って、ネメシスを駆っている事が怖い程に伝わる。


 それは今まで自分が対峙してきたランナー達と比べても明らかに異質だった。


 だが、


――飲み込んでやる!――


 自分が成す事はそれだけだ。


 激しさを増す頭痛。鼻から滴り落ちる血液の量が目に見えて増してく。『あの日』の記憶と共に、湧き上がる憎悪は精神を蝕み自我をも食らい尽くすが如く膨れ上がる。自分は数分と経たず自らが何者かすらも分からない状態に陥るだろう。


――けど、それでいい……――


 後はこの膨れ上がった憎悪をランナーに叩き付けるだけだ。


 荒木に埋め込まれた装置によって凄惨な記憶ばかりがループし呼び起こされる。それによって自身の中で無限に増幅され続ける憎悪は、今に至るまで数多くのランナーの精神を破壊してきたのだ。


 目の前に鮮明に広がる『あの日』の光景。紅蓮の炎に呑み込まれて行く故郷の姿と共に、浮かび上がったのは、ネメシスの触手によって身体を貫かれ、宙吊りとなった父の姿。口から大量の血を吐き、息をすることすらままならない中で、紡がれた父の最期の言葉が蘇る。


 それに従いその場を逃げ出し、街を彷徨う中で幾度と無く見た『見知った者の亡骸』。その全てが顔に恐怖と無念を色濃く残し絶命していた。


 自身の中で爆発する感情。声にならない絶叫が空間を駆け抜ける。


――復讐を……――


 奴等の全てを根絶やしにしてやる。


――駄目や!!――


 渦を巻いて湧き上がるどす黒い感情に支配される刹那、脳内に響き渡った叫び声。


 次の瞬間、紅蓮に染まる視界に唐突に弾けた光。それが瞬く間に小柄な少女の姿を作り上げていく。


 光の粒子を纏いながら背中へと流れ落ちる長い黒髪。淡い光を湛えた肌は透き通る様に白く、ヒトを超えた神聖さを感じさせる。女神の降臨の如きその美しさに、思わず見とれた。


 やがて身体が光を失うにつれて、認識した『彼女』に目を見開く。


――伊織…… どうして……――


 それは嘗て自分と共に地上を彷徨っていた頃の彼女のイメージとはまるで違うものに感じた。


 砂埃と直射日光に晒され続け、赤茶け艶を失っていた長い黒髪が今は嘘の様にその輝きを取り戻していた。破れ解れどころか、汚れすら一切ない白一色の見慣れない衣服に身を包む伊織の姿。それに感じた言い様の無い感情。


 『死霊達の一部』としての彼女の姿は、洗練され過ぎていて強い違和感を覚えずにはいられなかった。住んでいる世界そのものが違うという事実を、否応なく再認識する。


 それでも自身を飲み込もうとしていた憎悪が嘘のように引いて行くのが分かる。


 強い憂いを宿した瞳を細めた伊織。 


――飯島はんが、私を呼んでくれたんよ。ねぇ、ヒロ。お願いや、もう止めて――

――けど!――

――ヒロはいつもそうや、ろくな相談もせんと自分で何でも決めて…… 私の感情なんて置いて行きぼり。貴方を失った後の私の事も少しは考えてや――


 伊織の瞳の縁に溜められていた大粒の涙が、頬を伝った。


――けど、このままじゃ!――


 自分は彼女を、伊織を失ってしまうかもしれないのだ。


――それをしても、ネメシスの暴走は止まらへん。思い出して。ヒロが接続したネメシスは全て暴走したやないの――

――それすら許さない程に、壊してやる!――

――ダメや! それじゃ『それ』をする前にヒロが壊れてしまうやない――

――なら、どうしろと!? 響生は来ねぇぞ!――


 焦りから荒立った感情がそのまま思考を伝う。静かに瞳を閉じた伊織。


――……方法があるんや。ネメシスのランナーの精神に直接アクセスできる術があるなら、もっといい方法が……――

――方法?――


 伊織が閉じていた瞳に、決意のようなものを宿して再び開いた。


――それはフロンティアの理念に則った方法。憎悪で相手を飲み込むんやない。相手の心に寄り添って、その叫びを聞くんや――


 伊織から『フロンティアの理念』と言う言葉が飛び出した事に、全身を強い拒否感が駆け上がる。


――無理だ。俺に埋め込まれた装置は、『あの日』俺が体験した全てを呼び起こし、それによって掻き立てられた憎悪を死霊共に叩き付けるものだ――


 その言葉に伊織がことさら瞳に強い憂いを浮かべ首を横に振った。


――ヒロ、私も死霊や。死して尚、生に縋りつく者や――


 愕然と目を見開く。


――貴方に埋め込まれてるのはただの発信機や。それを使って何を成すのかは貴方が決めればいい。貴方と私はその発信機を通して、今こうして繋がってる。そうやろ? ヒロ……――


 伊織が白く細い腕を此方へと伸ばす。その手を握る事が出来ない。


――無理だ…… この装置は俺の負の感情を掻き立てる! 脳のそういう場所に埋め込まれてるんだ!――

――大丈夫、ヒロならできる。私も、一緒に繋がるさかい。私が貴方を癒す――

――そんな事をすればお前も俺の憎悪に飲み込まれるかもしれねぇ! それが分かってるのか!?――


 静かに頷いた伊織。


――分かってる。それでも…… 貴方を失えば、私は『私が肉体を失ってまで生きる意味を失うさかい…… だからお願いや――


 伊織から伸ばされた白い手が、自分のそれを握りしめる。それを通して実体が無いはずの伊織から、確かな体温が伝わる。それは、自身の根底に焼き付いた憎悪すらも溶かすのではないかと感じる程に温かかった。


――伊織……――




2 響生




「準備は良いか?」


 瓦礫の山から空間を支える唯一の柱となっている大剣に手を掛ける。


「良くってよ」


 アーシャは此方に視線を送ると細い両腕を掲げ、天井を支える姿勢を取った。力仕事をさせるにはあまりに細く華奢な身体。


 その姿に罪悪感を覚えずにはいられない。一瞬とはいえ、彼女の身体に掛かる負荷は数トンに及ぶだろう。可動式装甲ジャケットを纏っているとは言え、彼女に頼むべきでは無かったのかもしれないと、すら思えてしまう。


 瞬間的に頭に浮かんだ非合理的な思考を意識して排除する。ここには彼女しかいないのだ。


 タイミングを合わせなければならない。そのラグを少しでも少なくするために、思考レートを100倍で彼女と同期させる。


――3、2、1、今だ!――


 思考伝達に乗った掛け声と共に、大剣を渾身の力で引き抜く。アーシャの可動式装甲ジャケットが数倍に膨れ上がった。


――1秒持つか分からない。早くなさい!――

――分かってる――


 大剣から吹き上がる高エネルギー粒子の反応光が、狭く薄暗い空間を一瞬にして照らし出す。


 自身の持つ渾身を叩き付けるために自然と上がった雄たけび。それに呼応するかの如く、大剣から吹き上がる光が輝きを爆発的に増した。


 下段に構えた大剣を低い天井に向かって薙ぎ払う。その瞬間、発生した遠心力の凄まじさに腕が肩から千切れそうになる感覚に襲われた。


 音速の数倍の速度で空間を切り裂いた大剣の切っ先。それが生み出した衝撃波は閉鎖空間で爆発する。


 100倍に加速された思考レートの中で、降り注ぐはずの瓦礫が、まるで上に向かって落ちるかの如く弾け飛んでいく。その先に開けた視界。


――跳ぶぞ!――


 思考伝達を送るや否や、アーシャの身体を強引に引き寄せた。


――え? 何? ちょっ!――


 頭に響き渡った抗議めいた悲鳴を無視し、彼女を抱きかかえるようにして、腰を落とす。そして真上に向かって脚力任せの跳躍を行った。


 頭の中にアーシャの絶叫とも取れる悲鳴が響き渡る。


 瞬間的に真下に向かって線上に伸びあがる景色、弾き飛ばした瓦礫を超える速度に一瞬で達する。


 さながら弾丸の如き勢いで衝突してくる瓦礫がアーシャの露出した頭部に当たってしまわぬように、彼女の顔を自身の胸に押し付けるようにして抱え込んだ。


 跳躍の最終到達点は、抜け落ちた天井の更に上に至る。もしそれが抜け落ちていなかったなら、天井に突き刺さっていてもおかしくはない到達地点だ。


 自身が弾き飛ばした全ての瓦礫を追い抜いた事で、守る必要の無くなったアーシャの頭部を解放し、眼下を凝視する。状況を再把握しなければならない。


 が、集中しようとした思考は、脳内で響き渡ったアーシャの猛抗議によって逸らされてしまう。


――馬鹿じゃないの!? 馬鹿じゃ無いの!!? バッカじゃないの!!!? こんなの無茶苦茶よ!!――


 頭の中に響いた声のあまりの声量の大きさに、頭痛どころか軽い目眩すらも感じる。


――あ、いや君も装甲ジャケット纏ってるし、殆ど生身じゃ無いからこれ位は、行けるかなと……――

――そう言う問題じゃなくってよ!!――


 咄嗟に出た言い訳に対し、更に声量の増した声が脳内に反響する。


 確かにこれは無茶苦茶だったかもしれない。それを当然の如く殆ど考えも無しに実行した自分に、僅かな驚きすらも感じた。


――ああ、なんか確かに戦闘スタイルがあいつに大分汚染されて来てる気がする――

――意味が分からない!――

――だろうな。こっちの事情だ。気にするな――


 現実世界の時間の流れに対し100倍のスピードで行われる思考伝達の応酬を行いながらも、眼下にネメシスの姿を捉えた。


 瓦礫に埋もれた体勢から、半分ほど抜け出した所で沈黙しているネメシス。奴がまた動き出す前にとどめを刺さなければならない。


――アーシャ、自分で着地出来るか?――

――多分…… って何をする気!?――

――俺は『あれ』がまた動き出す前に仕留める――

――……分かった――


 その返事を受けて、アーシャの身体を完全に解放する。


 戦闘支援システムの起動によって、敵を示す赤い輪郭で強調されるネメシス。その核の位置がターゲットとしてロックされる。


 左手で腰の『ガーンディーヴァ』を抜き、自分とネメシスの対角方向へ向かって構えた。迸る帯電光。それが空間を真っ白に染め上げるかの如く膨れ上がる。


 一瞬にして全弾を撃ち尽くし、それによって得た反動と重力を味方にネメシスへと弾丸の如く突っ込む。加速された思考レートの中、瞬間的な音速突破が齎す衝撃波が自身を中心に円盤状に広がって行く。


 引き絞られた大剣『ラーグルフ - ヒルディブランド』。高エネルギー粒子の反応光が爆発的に光量を増した。


 それが、ネメシスの装甲を貫く刹那。


――駄目だ!!――


 脳内に唐突に響き渡った『有り得ない者』の声。


 それに瞬間的に反応し、直線的に突き出そうとしていた大剣の軌道を強引にそらした。その反動は凄まじく、崩れてしまった体勢。


 結果、ネメシスの装甲面に、自身を弾丸として着弾したかの如き勢いで突っ込む形となる。


 響き渡る凄まじいまでの衝撃音。義体のオート制御によって、着地体勢を取っていなかったら、流石に損傷は免れなかったかもしれない。


 片膝と片手をネメシスの装甲面に突いた状態で、混乱した思考を立て直そうと試みる。


 脳内に響き渡った声は間違いなくヒロの声だった。


――そんな事が有り得るのか?――


 彼は思考伝達の手段など持っていないはずだ。可能性があるとすれば、それは『受け入れがたい現象』が起きた事を意味する。


 ヒロの方へとゆっくりと顔を向ける。


――そいつにもう戦闘意思はねぇ。哀れなこった――


 ヒロの言っている事の意味が分からない。それよりも二度目の思考伝達が行われた事によって、不安が的中してしまった事を知る。


――ヒロ、お前……――

――ああ、目覚めちまったらしい。おかげでまた頭痛持ちだ――


 自身の頭を指さし、憂いの宿る寂し気な笑顔を浮かべたヒロ。


――だがよ、これで少しは俺も役に立てる――

――駄目だ、ヒロ!!――


 思わず思考伝達に乗った言葉。ヒロの顔から笑みが消えた。


――分ぁってるよ、俺だってもう伊織を悲しませるような真似はしたくねぇ。もう、二度とな。だから無茶はしねぇよ。それよりよ、そいつは情報の宝庫だぜ?――


 ヒロの視線が自分からネメシスへと落とされた。


「そろそろ、そこから出てこい。洗い浚い全部吐いてくれんだろ? あ?」


 唐突に肉声に変わったヒロの声。


 それに呼応するように視界上に合成される光の粒子。やがてそれが形作ったのは、あまりに憔悴しきった小柄な男の姿だった。


 地に両手と両膝を付き、項垂れた状態で姿を現した男。身体は小刻みに震え、嗚咽すらも放っていた。


 その姿はネメシスのランナーのイメージからあまりにかけ離れている。服装から見て恐らく軍人ですらない。


 顔を上げようとしない男の前にヒロが腰を落とした。


「泣いてても何も、始まんねぇよ。話すって決めたんだろうが? あ? お前ぇの話す事が、あのクソみてぇな代表が作り出したクソみてぇな状況を変えるかもしんねぇ」


 伸ばされたヒロの手が、男の肩へと載せられる。その瞬間、男の身体がビクリと震えた。さらに声量を増した男の嗚咽。


 どれくらいの時間そうしていただろうか。男が震えながら僅かに顔を上げた。


「……私は……」


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