Chapter 45 『転生』 響生 アーシャ支配領域
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――君は、神を信じるかね?――
唐突に頭へと流れ込んだ特徴的な声は、神経を激しく刺激し感情を高ぶらせる。
「いや、愚問だったね。うん、愚問だ。君達の国が戦争を繰り返すのは神を信じるが故だったね。うん、間違いない」
生理的に受け付けない独特の口調。その声と共に空間へと浮かびあがったのは西洋人の若い男だった。長い金髪を無造作に後ろで束ねる男。その容姿は整い過ぎていて、中性的な印象を放つ。だが、その相貌は異様だった。
肌は全く血が通っていないかの如く病的なまでに青く透き通り、生命感の一切を持たない。その中で瞳だけが、得体の知れない感情を宿し肉体に不釣り合いな強い光をたたえていた。
それに感じた強烈な違和感。既に死した肉体に『何か』が憑ついているかの如き様相の男に、強い拒否感を伴った恐怖を感じずにはいられない。
本能的に身構えようとした身体が、全身を駆け巡った悪寒によって激しく震えた。
自分が嘗て戦った時と似ても似つかない容姿をしているが間違いない。これが今の荒木なのだ。
目の前の荒木が『アーシャが投影する記録映像』に過ぎないと分かっていて尚、身体が強張るのを感じる。極度の緊張状態。身体が勝手に臨戦態勢を取ろうとするのを辛うじて抑え込む。
だが、荒木の視線は自分を通り越し全く別の場所に向けられている。その先に浮かび上がったのは、液体に満たされた筒状の装置の中で、長い黒髪を漂わせるサミアの姿だった。
――もう、どうだっていい。私には既に帰るべき国も存在しないのだから。私は神すらも呪う。その為の力を貴方はくれるのでしょう?――
頭へと流れ込んでくるサミアの声。荒木が口元に歪な笑みを浮かべた。
「うん、良い答えだ。実にいい答えだよ。非常に僕好みだ。僕は思うんだよ。神は崇める存在ではないとね。むしろヒトこそが其処にたどり着く可能性を持っている。うん、間違いない」
液体に満たされた筒の中で、サミアの表情が僅かに変わったように見えた。
「何を言っているか分からないかい? もしくは『驕り』だと思うかね? その顔は思ってる顔だ。うん間違いない。でも君はその神を呪うのだろう? 矛盾しているね。うん、矛盾している。
まぁ、あれには呪う価値すらないし、無意味だけどね、うん、間違いない。ヒトは既に神の正体を知っている。うん、知っているんだ」
口元の笑みを更に強調し、大げさに手を上げて見せた荒木だったが、サミアの答えは、
――信仰の話なら興味がない――
と短く乾いたものだった。
「違うよ。違う。この僕がそんな話をするわけないだろう? 僕がしたいのはもっと科学的な話だよ。
この世で起きる事象の全ては『現象』に過ぎない。その規模が大きかろうと小さかろうとね。ヒトはその『現象』を引き起こす『何か』を神と呼ぶ。つまりは『神』の本質は、量子を統べる『確率』だよ。
そして、その法則は二十年以上も前に統一された。この宇宙を統べる法則に対する理論が統一された時は、流石の僕も感動した事を覚えているよ。うん、とても感動したんだ」
持ち上げた両腕を更に掲げるかの如く開いた荒木。瞳に宿る得体の知れない輝きが強さを増した。
「『現象』を引き起こす者が神であるならば、この世を統べる法則を知り、望む現象を意のままに引き起こそうとする事は神になろうとする行為に他ならない。だって、そうだろう? そう思うよね? うん、間違いない。仮に全ての現象を意のままに操る術を身に着けた者がいたとして、それを神と呼ばずに何と呼ぶのかね?
一つの現象を引き起こす術を手に入れる度にヒトは神に近づいて行く。一つ一つの現象は小さくてもね。けど、既にかなり良いところまで来ているよ。うん、来ているんだ」
そこで言葉を区切った荒木が、空間に巨大なウィンドウを出現させる。映し出されたのは、フロンティアと現実世界の間で起きた壮絶な戦争の光景だった。
軌道上の戦艦から一斉に放たれた強烈な光が、嘗て大国が存在していた大陸へと突き刺さり、膨れ上がった火球が、上空の雲を弾き飛ばし地上を飲み込んでいく。
「天を貫き地に突き刺さる光の矢、それによって焦土と化す地上。出現する巨大なクレーター。それは遥か遠い昔、ヒトが神話に描いた神々の戦争そのものでは無いかね?
ヒトは死後の世界ですら自ら創造し、肉体を捨てるまでに至った。このまま進めば、やがて宇宙を統べる法則すらも利用し始める時が来る。まぁ、それまでに滅びてしまうかもしれないがね」
液体に満たされた筒状の装置の中でサミアの表情が目に見えて歪んだ。
――貴方は死霊共が、神だと言いたいの!?――
強い感情の伴った思考伝達が頭に流れ込む。
「違うよ。違う。本当に君は何を聞いていたのかね? 僕が言いたかったのはそれじゃない。がっかりだよ。うん、本当にがっかりだ」
大げさなまでの溜息を吐き、落胆した荒木。上に掲げていた手がだらりと下におちる。
「でもまぁ、いい。君はやっと見つけたサンプルだからね。しかも僕のサンプルにしては珍しく協力的だ。うん、若干面白みに欠けるくらい協力的なんだ。それも、君がこの世界を呪うが故なんだろうね? うん、間違いない」
僅かな間をおいて再び頭に流れ込むサミアの意思。
――貴方は言った。私をフロンティアと現実世界双方を統べる女王にすると。その力を私にくれると。貴方が言うような世界を覆すような力が得られるなら、私は貴方に従う――
「たとえ死んでもかね?」
荒木の瞳が狂気じみた感情を宿し光を増した。
「まぁ、君が嫌だと言っても僕はやるのだけどね。うん、間違いない。
あの力は『才能』のようなものだ。生まれ持った力。それも極めて、特殊かつ強力なね。君にはそれが無い。至って普通のヒトだ。残念だけどね。うん、君は普通なんだ。
だから『才能が有る事が分かっている者』に君を生まれ変わらせる。うん、それしか無い。無いんだ。うん、文字通りの生まれ変わりだね。僕が君を才能のある者へと転生させてあげようじゃないか。君は輪廻を信じるかね?」
――そんな事……――
サミアの思考伝達に明らかな動揺が宿った。
「出来るんだ。うん、確かに出来るんだよ。神の所業に見えてくるだろう? 僕は魂の正体を知っている。
もっとも成功率は低いけどね。でもゼロじゃない。これは凄い事だよ? うん、凄い事なんだ。
確率が1%なら100回、0.1パーセントなら1000回も繰り返せば一つの成功が生まれる事を意味している。
バックアップはいくらでも取れるからね。つまり確実にその現象は起こせるんだよ。うん、間違いない。成功するまで繰り返せば良いだけだからね。そしてそれは一瞬だ。
素晴らしいとは思わないかい? もっとも体感する君にとっては、成功するまで生死を繰り返す事になるけどね。いや、違う。そうじゃない。一個体が経験する死は一度きりなのかな? この場合。まぁ、そこは重要ではないね。うん、重要じゃない……」
荒木の瞳に宿る狂気が目に見えて強さを増した。その悍ましさに背筋を冷たいものが駆け上がる。
目の前に蹲るアーシャの身体が一際大きく震えた。それを抑え込もうとするかの如く自身を抱えこんだアーシャ。
彼女の精神状態に反応するかの如く、空間に激しいノイズが走り抜ける。それによって唐突に消えてしまうサミアと荒木。
「……あいつが欲しがっていたのは『葛城 愛』が持っていた能力を開花させるに足る経験と強い意思。しかもその理想は彼女が人生を掛けて導いた結論と真逆の結論を有するもの。
……それが姉だった。あいつが目を付けたのは、姉の持つ壮絶な記憶と『そこ』から生まれた世界を呪うが如く膨れ上がった憎悪……」
アーシャの顔がゆっくりと持ち上げられた。激しい感情の揺らぎに耐えるかの如く食い縛られた口が、再び震えながら開く。
「あいつはそれを、『葛城 愛』の複製に植え付けた」
「馬鹿なっ!?」
思わず出た言葉。強烈な拒否反応が全身を支配する。そんな事が出来るはずが無いのだ。脳から記憶や意識だけを抜き取るなど不可能なのだから。それは電子化されていようと、いまいと同じだ。
だからこそ多重理論分枝型・生態思考維持システムは、膨大なリソースを消費してまで活動状態の脳そのものをオブジェクト化し、シミュレートしているのだ。
「貴方が何を言いたいのかは良く分かる。 けど、これは事実。全ては私の目の前で起きたのだから……」
アーシャの瞳が再び耐えるように閉じられる。
「あいつは言っていた、『人は死ぬその瞬間、自分の人生を走馬燈のように見ることがある』と、そして『それを引き起こすのは、脳細胞の壊死が引き起こす連鎖反応だ』とね……
デス・フラレンス・システム。あいつは貴方達が持つこの技術を利用した」
現実味を帯びたアーシャの言葉に、背筋を再び冷たいものが駆け上がる。
「姉の電子化された脳で強制再現された『死』。その刹那、姉が振り返った人生。あいつはそれを使って、姉の持つ記憶、経験した全てを抽出した。そして姉は死んだ……」
それを語る震えた声は言葉の最後で、消え入りそうな程に小さくなった。閉じられたままの瞳から零れ落ちる涙。
「あいつはそれを『乳児期の葛城愛の複製』にタイムレート加速を用いて経験させる事で、目的を果たした……
だから、荒木と共に行動しているのは姉じゃない…… 姉の意思が宿った化け物。その目的は手にした力で、世界の全てを書き換える事」
「世界の全てを書き換えるって!?」
ただでさえ理解の範囲を超えた領域で語られていた話が、更に飛躍した事によって一気に思考が混乱する。
「可能なのよ。あいつが言っていた事が本当だとすれば。『葛城 愛』が持っていた能力はそれほどに恐ろしいもの。彼女の能力はネットワークに繋がる全ての者の意識を自身の意識と強制的に同調させ、取り込む能力。
あいつは言っていた。『絶対支配を齎すその能力こそが『葛城 愛』が死して尚、フロンティアに女王として君臨し続ける理由』だと……」
アーシャの言葉に蘇る記憶。『葛城 愛』が生前に成した偉業はフロンティアではあまりに有名だった。
現実世界がフロンティアに対して行った先制攻撃。それは嘗て地上に存在していた唯一のフロンティアのサーバー『AMATERASU:01』に対する電源供給を物理的に遮断するものだ。それによってフロンティアは当時の人口と世界の半分を失った。
月へと逃れたものの失意のどん底にあった民の心を『葛城 愛』は癒し、全ての者と意識融合を果たしたとされる。それによって民は一つとなり、フロンティアは急速な復興を果たしただけでは無く、現実世界を遥かに超える技術力を手に入れた。
だからこそ『葛城 愛』はフロンティアで英雄として扱われる。けど、自分はその話を大げさな尾ひれが付いた昔話として捉えていた。
それが決して大げさではない事実だったとしたら。
「――そして、貴方達が『希望』と呼ぶ船には、その影響範囲をニューロデバイスを持たない者にまで広げるための装置が積まれている…… だから、あいつは貴方達の船を襲ったのではなくて?」
無意識に身体が震えた。彼女の言葉は自分が何処か考える事すら拒否していた可能性を示唆するものだ。
だが、同時に『その言葉』によって全てが繋がってしまった気がした。軍に興味すらなく、何も知らなかったアイが強引にディズィールの艦長にさせられてしまった理由。
自分はそれをアイがただ単に『葛城 愛』と同コードを持つ者であり、創始者『葛城 智也』の実質的な娘だからだと考えていた。彼女自身が望んで無いとしても彼女はフロンティアの象徴なのだ。けど、単なる象徴であればアイにはもっと適したポジションがあったはずだ。
フロンティアは明らかにアイに何かをさせようとしている。その目的は荒木が行おうとしている事と同種の事なような気がしてならない。強烈に嫌な予感がしてくる。
巡り始めた思考を遮断したのは、アーシャから自分の手へと伸ばされた細い褐色の腕だった。触れた手の平から彼女の震えが直接伝わってくる。
静かに瞳を開いたアーシャ。強い憂いを帯びた瞳が躊躇うように、此方へと向けられた。
「お願い。姉を…… 姉の意識を解放してほしい。あいつから、世界を呪う呪縛から……。
あいつと一緒にいる『あの化け物』を殺して」
紡がれた言葉の最後が持つ意味とは裏腹に、再び大粒の涙がアーシャの頬を伝った。彼女の言葉は紛れもない本音であるのだろう。だが、同時にどうしても処理する事の出来ない相反する感情がその瞳に宿る。
自分達が瓦礫に埋もれる直前、アーシャは暴走したネメシスからスラムのサーバーを守ったのだ。それは恐らく其処にサミアの意識がある可能性があったからに違いない。
それは『化け物』と呼びながらも荒木と行動する『彼女』に姉を重ねてしまうからに他ならないのだろう。
荒木の行った行為に胃が裏返るほどの強い吐き気と、激しい怒りが湧き上がってくる。無意識に噛み締められた奥歯がギリギリと音をたてた。
こちらを真っすぐと見つめる憂いを帯びた瞳に、返すべき返事を見失う。
「俺は……」