Chapter 44 響生 理論エリア アーシャ支配領域
再び像を結び始めた景色。それは吐き気すらも覚える凄惨な光景だった。目の前で展開されるあまりに一方的な虐殺。
迸る閃光。薙ぎ払われる触手。そこら中で血飛沫が弾け飛び、迷彩服を着た男達の絶叫が建物内に響き渡る。
まだ生きていた者が奇声を発しながら、既に弾の切れた銃の引き金を何度も引き直す。
その無様なまでの生への執着は、微塵の躊躇も無く突き出された触手によって途絶えた。
『自走型・自動危険分子排除ユニット・デメニギス』。それは自分が知る限り、フロンティアが放った自立型ユニット群の中でも最悪のものだ。
地上をただ只管に徘徊し、膨大なリストと一致する者を片っ端から処分するようにプログラムされた殺戮マシーン。
その行動に一切の譲歩はなく、慈悲も無く、例外すらも存在しない。命の尊さを知らず、『生き物』と『それ以外』の区別すら無い。
破壊されるか、リストに載る全ての者を処刑するまで、地上をただ只管に徘徊し続けるのだ。何年でも、何百年でも。例え、リストの人物が既に知らぬところで息絶えていたとしてもだ。
――逃げて!――
頭の中に響き渡るサミアの絶叫。
が、その直後、目に飛び込んできたのは、身体を深々と突き刺され宙吊りになるアーシャの姿だった。
串刺し状態のアーシャの身体を、まるでゴミを払いのけるかの如く触手を乱暴に振り、投げ飛ばしたデメニギス。
その身体が背中から壁に叩き付けられ、血の跡を引きずりながら地に転がる。広がり始める血溜まり。
――何故……――
サミアの深い絶望に支配された感情が頭の中に流れ込んでくる。
――私の全てを犠牲にしても妹だけは守ろうと心に決めた…… それなのに……――
脳内に響き渡る悲痛な思い。
背中から一目で致死量と分かる血を流して尚、サミアの瞳は激しい憎悪を宿してデメニギスを睨んでいた。
すでに到底動かす事など出来るはずが無いように見えたサミアの身体。だが、ハンドガンを握りしめた右手が震えながら持ち上がる。
そして放たれた一発の銃弾が、デメニギスの装甲で乾いた音と共に火花を散らした。その瞬間、赤い光を放つ全てのセンサー群が一斉にサミアへと向けられる。
高々と振り上げられた触手。
死を目前にしたサミアから怨念の如き意思が頭に流れ込んだ。
――私は、この世界の全てを呪う……――
触手が振り下ろされる刹那、宛ての無い思考伝達に乗った言葉。
次の瞬間、頭の中に響き渡った者の声に身の毛がよだつような感覚に襲われる。
――怒ってるね。それに絶望と憎しみ。うん、良い感じだ。とてもいいよ。その感情は強い原動力になる――
生理的に受け付けない独特の口調、間違いない荒木だ。それを境に周辺の凄惨な光景が闇に滲むようにして消えて行く。
目の前でアーシャが静かに瞳を閉じた。
「姉に…… いえ、私達に選択枝なんて無かった。それ以外に生き残る術などなかったのだから。けど、その代償はあまりに大きくて……」
荒木の声を聞いてしまった事で、感情が逆立つ様な感覚と強い焦りを感じる。
「奴の目的は何だ!?」
無意識に荒立った声。
「分からないって言ったでしょう? この質問は2度目。私達が顔を合わせてた時に既に貴方が私に訊いてる」
アーシャの言葉に思わず唇を噛みしめる。
「けど、姉がしようとしている事なら分かる。あいつは姉にそれを成すための力を与えた。命と引き換えにね。姉は荒木に殺された……」
話が唐突に理解の範囲を超えた気がした。自分はつい先ほど回復したディズィールとのコネクトによって、荒木がアマテラスの特別閉鎖領域にサミアとメルを連れ現れた事実を知ったばかりなのだ。
「サミアが既に殺されている……?」
なら、荒木と共にディズィールに現れたと言うサミアは何なのか。それ以前にたった今アーシャ自身が『姉がしようとしている事なら分かる』と言ったのだ。『したかった事』では無く。彼女の言った言葉自体が大きな矛盾をはらんでいる。
「混乱してる? もしくは私の言っている事が信じれなくて?」
こちらを真っすぐに見つめる彼女の瞳には一切の揺らぎが無い。ただ只管に強い憂いが宿るのみだ。それでも俄かに信じがたい彼女の言葉。
「無理もない。私だってこんな現実は信じたくない……」
憂いを宿る瞳を何かを決意するかの如く細めたアーシャ。その指が静かに持ち上がり、空間をスライドする。
「これは私の覚悟。どちらにしてもこの身は貴方に捧げるしかないのだから…… 貴方もそのつもりで、その…… 触ったのではなくて?
けど、覚悟なさい。これを見て後悔しても、今更遅くってよ。そして貴方はこれを見れば信じるしかなくなる」
次の瞬間、アーシャの身を包む赤を基調とした鮮やかな民族衣装が、中に着込む可動式装甲ジャケットごと光に包まれた。それが儚いまでの光の粒子を散らし四散してしていく。
闇に沈む空間の中、眩いばかりの光の粒子の向こうに浮かび上がり始める褐色の肌。露わになりつつある妖艶なまでの曲線で形作られた『それ』に思わず悲鳴をあげる。
今までフル回転で巡っていた思考が一気に違う方向へと流され、遂に真っ白になった。
「ちょっ!?」
思わず目を背けようとした瞬間。
「目を背けないで!」
と強い感情が乗ったアーシャの声が突き刺さった。だが、身体が硬直し動かない。
「目を開けなさい。そしてその目でしっかりと見て。さぁ、早く」
その言葉に恐る恐る目を開ける。そして自分が手で顔を覆ってしまっている事に気付いた。
その指の隙間から見えた一紙纏わぬアーシャの姿に、再び悲鳴を上げ目を閉じそうになる。
が、その刹那に目に飛び込んだものに絶句してしまう。
恥じらう様に視線を此方から逸らしたアーシャ。その身体は控えめに言っても美しい。長年の戦闘経験によって引き締まった褐色のそれは、女性特有の芸術的な曲線を残しつつも、何処か野性的で、猫科の肉食獣すらも連想させるものだ。
が、目を奪われたのは生まれて初めて見る異性の身体にではない。褐色の皮膚の奥に浮かび上がる青い光。それは自立駆動骨格を駆け上がるエネルギーラインの光そのものだ。
その光が身体の七割以上の部分で巡っているのだ。
目を逸らしたままのアーシャが静かに口を開く。
「安心して。こんな身体でも子は成せるし、貴方の欲望にも答えてあげることは出来る」
震える声で発せられたアーシャの言葉は殆ど耳に入ってこなかった。それほどまでに、目の前に露わになったアーシャの身体の痛々しさに衝撃が走ったのだ。
デメニギスによって串刺しにされた身体。フロンティアが彼女に対して行った仕打ちを思い知る。
体の7割以上を義体化している。さらに絶望的なのはそれが内蔵にまで及んでいることだ。これでは、自分が使用するバトルユニットベースの義体と殆ど変わらない。その身体が使用できるのは、長くて5年。酷使すれば寿命は更に縮むだろう。
静かに瞳を閉じる。そして実行した思考入力コマンド。
それによってアーシャの身体の周りに光の粒子が舞い、一つのオブジェクトを実体化させる。それはあまりに洒落っ気のない布切れだ。作戦行動中に酷使した思考を休息させるため、タイムレート加速を用いて簡易睡眠をとる時に使用するものだった。
アーシャは一度、驚いたように目を見開き、簡素な布を握りしめると、自身の身体を覆い、まるで緊張の糸が切れたかの様にその場に蹲った。小刻みに震え始める細い身体。
「勘違いしないで。貴方達の兵器に貫かれたとは言え、それだけじゃ義体化の範囲は此処まで及ばない。それに『あの身体』はもっとマシな形で修復出来た。『この身体』を使ってね。それが姉があいつと交わした契約。姉は自らの全てを犠牲にして私を救おうとした」
俯いたアーシャの言葉に、更に混乱する思考。それが示す可能性に全身を冷たい感覚が駆け抜ける。
「じゃあ、その身体は…… まさか……」
膝を抱えるようにして蹲っていたアーシャが、更に自身を抱えこむようにしてその身体を小さく丸める。
「これは、姉の形見。そして今は私の身体」
「そんな事が!?」
それは不可能なのだ。それぞれの個体に適応して専用のネットワーク構造を持つ脳。基本構造が変わらないとは言え、それを他人の身体に移植しても、運動系はおろか感覚ですらも、大きな誤差が生じ適応できない。
理論上、脳がその誤差を修正するまでその身体を使い続ければ可能ではあるが、それは精神の崩壊を招く程に過酷なものだ。今に至るまで乗り切った者はいない。それは脳と全く同じ構造を持つニューロデバイスにおいても同じだった。
それが不可能だからこそ、生体ベースの義体は本人の細胞からしか作れないのだ。
「可能なのよ。ある特殊な条件下ではね。私と姉は一卵性の双子。そして、共に脳の全てをニューロデバイスに置き換えてる。ニューロデバイスは脳神経ネットワークの構造を司るデバイス。姉の身体に私の脳構造をトレースするのは難しくなかった。身体もこの通り適応した」
視線を何処か遠くに投げかけ、呟くようにそう言ったアーシャ。
「なら、本来の君の身体は……」
やっとの事で紡ぎ出された声は、自分でも驚くほどに掠れていた。
「私にはあれを使う資格がない。だから姉のもとに置いて来た。けど…… 姉があの身体を使う事は多分無い…… 不可能だもの」
「ちょっと待ってくれ! 君はサミアは死んだとさっき」
混乱から再び荒立ってしまった言葉。アーシャの表情が目に見えて歪む。その瞳から大粒の涙が零れ落ちた。
「そう、姉は既にこの世にいない。あいつに…… 荒木に殺されたのよ。今、あいつと共に行動してるのは姉じゃない。姉の記憶を持つ全くの別人…… それは分かってる。けど…… それでも私は……
あいつが姉にしたのは、とても恐ろしい事…… それはきっと死よりも遥かに……」
黒い瞳から止めどなく溢れ出た涙が、僅かな光を反射しながら空間の闇に呑み込まれて行く。
見開かれた瞳は彼女が思い出した記憶の壮絶さを物語るが如く、ある種の恐怖と深い悲しみに沈んでいた。