Chapter 43 響生 理論エリア アーシャ支配領域
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肌を焼くような熱気に目を開く。異様に乾燥した空気。
辺りを見渡すと、そこは全ての構造物が石で作られた広大な空間だった。それを支える巨大な柱には荘厳な彫刻が刻まれ、金を使った装飾が施されている。
柱を伝って視線を上げると、天井一面に渡って繊細かつ複雑極まりない幾何学的な図形が組まれ、その至る所に金があしらわれていた。
作りが異様に豪華なだけではない。空間そのものがまるで宇宙、もしくは宗教的な世界観を示すが如く、神秘的な一体感を持ち、圧倒的なまでの厳格な雰囲気を放っている。
何処か異国の宮殿、もしくは寺院だろうか。それもかなり歴史のある建造物だと感じる。
情報を得ようと本能的に明かりの射す方へ目を向けると、壁には特徴的な形をした大きな窓が一定間隔に延々と並んでいた。
窓の向こう側には雲一つない青い空の下、石造りの背の低い建物群で構成された街並みが見える。その更に奥には大海原をも連想させる広大な砂漠が広がっていた。
日差しは異様に強く、それが照らし出す範囲全てを焼き尽くすが如き強烈さを放つ。
不意に声が聞こえた。幼い子供の声だ。その方向へ顔を向けると。鮮やかな民族衣装に身を包んだ二人の少女が、楽し気に笑い声を上げていた。
年齢は10歳前後と言ったところだろうか。彫りの深い顔立ちに褐色の肌。黒い瞳をキラキラと輝かせ微笑む姿は子供らしく、それを見る者の心を和ませる。
それは何処か現実離れした光景だった。おとぎ話のワンシーン、もしくは神話の一部を見ているような錯覚すら覚える。
少女達が不意に此方に顔を向けた。そして気付く。二人の少女が、まるで複製したかの如く瓜二つな事に。その顔に何処か見覚えがあるような気がした。
――アーシャとサミア……?――
彼女達の瞳は此方を通り越し、もっと遠くを見ているように見える。その視線を追って振り返ると、数人の男達が此方へと歩いて来るのが分かった。
男達の服装は幻想じみた空間の雰囲気を、一瞬にして崩壊させる。茶色を基調とした軍服姿の男達。
本能的に身構えるが、男達はまるで此方に気付いていないかの如く、速度を変えずに歩みを進める。
やがて、胸に縫い付けられた夥しい数の勲章がはっきり分かるほどにまで近づいた男達。だが、それでも彼等の行動に変化は無かった。こちらに視線を向けようとすらしない。
その状況に頭に浮かんだ一つの可能性。それが、次の瞬間に起きた事象によって確信に変わる。
「お父様!」
声と供に背後から聞こえた少女達が走り出す音。それに反応して振り返ろうとした刹那、少女達の身体がまるで幻の如く自身の身体を突きぬけ、背後から正面へ抜けた。
――記録映像の再生……?――
――その通り。もっと早く気づくと思ってたけど――
頭の中に声が響くと同時に、光の粒子を纏いアーシャが目の前に実体を結ぶ。
彼女の瞳は此方を見ていない。軍服姿の男達の元へ走って行く幼き日のアーシャ自身へと向けられていた。
先頭を歩く男が膝を落とし、両手で幼い姉妹の頭を優しくなでる。その慈愛に満ちた微笑みとは対照的に、『目の前のアーシャ』は何かに耐えるように瞳を閉じた。
「私の父は王だった…… って言っても治めていた国は、貧しくて小さかったけど。おまけに内戦が絶えなくて…… 私にとっての父は偉大であり、誰よりも優しい人。……けど父は国民には嫌われていたんだと思う」
ゆっくりと瞳を開き、視線を此方に移したアーシャ。それを合図にしたかのように辺りの景色が全くの別物に変わって行く。
やがて映し出されたのは、廃墟と化した街並み。建物は無残に崩れ、しかもその至る所に銃弾を受けた痕跡が見て取れる。それは今の現実世界の光景そのものだ。
「王都から一歩出れば、街は荒れ果てたものに変わり、そこは飢えと暴力が支配する地域。それは当時の私も何となく気付いてた。それが原因で父には敵がいて、戦況が思わしく無い事も」
目に見えて苦痛に歪むアーシャの表情。
「けど、反政府組織が本当の意味で国民達の支持を得ていたとも思わない。彼等は支配地域の幼い子供を戦力としてたから。彼等がどのような方法で支配地域を拡大してったか、今の現実世界を見れば手に取るように分かる」
言葉を区切り、再びアーシャが瞳を閉じる刹那、そこに強い憎悪が宿ったのを見逃さなかった。
眉間に深い皺を刻み、感情の起伏に耐えようとする彼女の表情に、此方が言葉を挟む機会を失う。瞳を閉じたままアーシャが再び口を開いた。
「……そして、私達の国は崩壊した。けど、それで終わった訳じゃない。
立場が入れ替わっての新たな内戦。始まった地獄のような日々。幼い私達は新たな反政府組織の大儀に担ぎ上げられ、王都の奪還を目指して戦闘に明け暮れた。
……それから間もなくだった、内戦が本当の意味で終結したのは」
言葉を区切ったアーシャが瞳を開く。射抜くが如き真っ直ぐと此方へと向けられたその瞳に宿る感情が何なのか分からない。
「それをもたらしたのは貴方達、『死霊』よ」
「……え?」
思いもしなかった言葉に思考が混乱し、息が詰まるような感覚が襲う。
「貴方達の存在は私達の国を内戦へと掻き立てていた『対立する複数の大国』ですらも一つにまとめた。
皮肉な物ね。内戦続きだった私の国は、『死霊』と言う人類共通の敵を得て、初めて一つにまとまった。ほんの一瞬だったけど、あの時ほど安堵を感じた事は、これより先は無い。束の間の幸せ。けど……」
闇に沈んだ景色が、再び急速に像を結んでいく。見渡す限り一面を炎が飲み込み、逃げ惑う人々の声が木霊する。先ほど見せられた内戦の光景の比では無い。
遥か上空から、地上に突き刺さる神の雷の如き閃光。それが大地を切り裂きながら空間を横切った瞬間、地響きを上げて壁状に立ち上がる巨大な火柱。
燃え盛る炎の中で、傷ついた幼い姉妹が重なるようにして横たわっていた。それを見下ろす異形の巨大兵器。金属光沢を放つ漆黒の装甲の上で、赤い光を放つセンサー群が生き物の眼球の如く動き回わる。
――ネメシス――
前方中心にある一際大きなセンサーで少女達を見下ろしていたネメシスが、触手を少女達に向け伸ばした。
それが獲物を締め付ける蛇の如く少女達の身体に絡みつくと、唐突に跳躍し、そのまま上空に去って行く。
「こうして、私たちは貴方達の国に渡った。孤児として」
再び歪に歪み始めた景色。
「その後の私達がフロンティアでどのような暮らしをしてきたか、私の事を調べているなら貴方は知っているはず……
このエリアの領主ベルイードのやり方は極端ではあるけど、考え方そのものは特殊だとは思わない。むしろフロンティアを象徴していると思う」
アーシャの言葉に「だとしたら貴方は相当に恵まれた人達の中で生きて来た事になる」と言った橘の言葉が重なる。
自身の周りで空間が新たな像を結んだ。漆黒の闇に浮かぶそれは凄まじく巨大なものだ。
青い光を放つ月。
その表面全てが金属光沢を放つ構造体で覆われ、複雑極まり無い網目の如き信号ラインを大量の光が行きかっていた。それは最全盛期の都市部の光を連想させる。
その光のラインが余りに高密度なために、結果として月自身が淡い青色の光を放って見えるのだ。
フロンティアの首都、月詠である。
それを守るように配置された大艦隊が、十数万にも及ぶ浮遊ユニット群を展開させる様は、凄まじいまでの威圧感を放つ。
「――貴方達の世界を見て、私は悟った。『私たちは勝てない』と。私の中で、全てが諦めに変わっていった。
貴方達はいずれ、現実世界の完全な掌握を果たす時がくる。けど、その先も目に見えてる。それが叶ったなら次に始まるのは内部分裂と抗争、そしてそれは新たな戦争に発展する。大きすぎるもの、貴方達の国は……」
言葉を区切り大きく左右に首を振ったアーシャ。
「私には、そんな分かり切った未来に興味はなかった。世界がどうだとか、ヒトと死霊がどうだとか、もはやどうだってよくなってた。そんな分かり切った未来よりも唯一残された姉が大事だった。私はどんな環境でも姉さえ一緒にいてくれれば、それでよかった」
アーシャの瞳が目に見えて憂いを帯びて、此方から逸らされる。
「けど、姉は違った。いいえ、何もかも諦め、姉に頼り切って生きることを選んだ私が姉を変えてしまったのかもしれない。
私が何もかもを諦めたように、姉は世界の何もかもを恨むようになっていった……」
言いながら更に歪むアーシャの表情。
「フロンティアを抜け出し、再び現実世界でゲリラとして生きることを選んだ姉の選択を、否定するような自我を当時の私は持ってはいなかった。姉が行く場所について行く。ただ、それだけ……
けど、既に脳の全てを電子化してしまっていた私達に待っていたのはさらなる地獄。私たちの居場所は現実世界にも無くなっていた。そして訪れたあまりに当然な結果。絶望的なまでに聞こえた死の足音。あいつ……荒木が私たちの前に現われたのはそんな時だった」