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Chapter 37 ベルイード エクスガーデン理論エリア、特別閉鎖領域

1



 ウィンドウの向こう側で、漆黒の装甲ジャケットに身を包む年齢幾何もない少年が、巨大な大剣の切っ先を真っすぐに此方へ向けた。


「お前達の下らない遊びで何人死んだと思ってる? お前達のせいであいつは……」


 赤い光を放つ人工の瞳に宿る憎悪は凄まじく、黒い炎とでも言うべき禍々しさを放っていた。それに背筋を駆け上がる悪寒。同時に額を冷たい汗が伝った。


 過去に全く同じ光景を見た事がある。ウィンドウ越しに叩き付けられた激しい感情。怨念の如く心底に焼き付き、忘れる事の出来ないその瞳に、封印したはずの記憶がフラッシュバックする。


 瓦礫が散乱する廃墟に銀色の髪を無残に乱した少女が倒れていた。


 ネメシスの装甲と同等の耐久パラメーターが与えられた装甲ジャケットはズタズタに引き割け、そこから明らかに致死量と分かる量の血が滲む。


 少女は2百年以上も続く名家の出身だった。なのに彼女は有ろうことか生粋の純血者でありながら、あの訓練において感染者側に付いた。その結果がこれだ。


 今にも事切れそうな少女の傍らに感染者の少年が膝を付き、叫び声をあげていた。やがて少女の瞳に宿る虚ろな光は完全に消えてしまう。


 よろよろと立ち上がった少年。大剣を握る拳は小刻みに震え、犬歯を剥き出しに噛み締められた奥歯がギリギリと音を立てていた。


 俯いていた顔が僅かに上げられる。その顔は少女の血と自らの涙で悍ましい程に汚れ、涙が枯れ果てて尚、残された激しい怒りと憎しみで醜く歪む。


 それでも、まだこの時は、事の重大さを理解していなかった。


 確かに既に幾人もの死傷者が出ていたとは言え、その全てが感染者側だ。社会的地位も低く発言力もない。肉体とシステムの間に生じるリスクのせいにしてしまえば、多少強引でもなんとかなる。


 純血者の少女に至っては厄介な事になるかもしれないが、それでもたかが一人、上が何とかしてくれよう。そもそもこれは軍内部の純潔派幹部を喜ばせるための娯楽なのだから。


 少年の激しい憎悪を宿した瞳が、ウィンドウの向こう側から此方を見据えていた。


――見るに堪えないな。さっさと始末してしまいなさい――


 招いた幹部の一人が嫌悪感をあからさまに声に宿し、言った。


――仰せの通りに――


 ウィンドウの向こうで少年がどんなに憎悪を膨らませようとも何も変わらない。残存するネメシスは5機。結果は目に見えていた。


――まぁ、たまにはイレギュラーも良いでしょう。彼等にも頑張って貰わないと、いつも同じではつまらない。今回は私の一人勝ちですな――


 幹部達が乾いた笑い声を上げる。


 が、それは突如として空間に響き渡った異音に掻き消されてしまった。この世の物とは思えない奇怪な音だ。


 怨念、もしくは呪いそのものとしか表現しようのない歪んだ叫び声。あまりの感情の強さにシステムが声の再現を正しく出来ていない。


 叫び声を上げているのはウィンドウ内の少年だ。訓練領域のマップを走り抜けるノイズ。


 少年を中心に空間が歪んだかの如き波動がウィンドウ内を伝っていく。その後に続いたのはあまりに悍ましい映像だった。


 異常な速度で薙ぎ払われた大剣によって、大量の流体液をまき散らし千切れ飛ぶネメシスの触手。また別の機体は装甲の隙間に手を突っ込まれ、鷲掴みにされた内部機構が引きずり出されるのと同時に、悍ましい音を立てながら引き千切られて行く。


 響き渡る断末魔の如きランナーの絶叫。ウィンドウからネメシスの残機数が減っていく。


 何が起きているかを理解する術もなく、ウィンドウ内で行われる一方的な殺戮としか表現しようのない光景を呆然と誰も見つめた。こみ上げる激しい吐き気。


 やがて残ったのはバラバラに引き裂かれた5機のネメシスの残骸。それが血の如き色をした粘性流体液の液溜まりに沈む。あまりに悍ましい光景。


 その中心で全身を赤く染めた少年が、肩で荒い息をしていた。少年が大剣を引きずるようにして、ウィンドウ越しに近づいて来る。


 ゆっくりと持ち上げられた右腕。大剣の切っ先が此方へと真っすぐに向けられる。


 静かに上げられた顔。そのゆっくりとした動作とは裏腹に、瞳に宿る感情の強さに全身の毛が逆立つような感覚に襲われる。


――俺は……お前達を絶対に許さない――



2



「俺は…… お前達を絶対に許さない……」


 ウィンドウ越し聞こえた低く掠れた声に、ベルイードは全身を震わせる。そして思わず立ち上がり後ずさりした。


「馬鹿な…… お前はまさか……」


 少年の瞳に宿る赤い光が禍々しさを増した。その口元が得体の知れない感情を宿して歪な笑みを浮かべる。


 ウィンドウを通して怨念の如き『何か』に首を鷲掴みされた様な感覚に襲われた。


 それを振り払うが如く激しく首を横に振る。それでも払えない息苦しさ。


「あれは…… 違う…… 私は知らん! 私は何も知らんぞ!」


 自分から上がった声は驚くほどに裏返り、冷静さを欠いていた。その事実がより自身を混乱させる。


 堪らず閉じたウィンドウ。だが、目の前から少年が消えて尚、荒い息が収まらない。


「馬鹿な…… あの一件に生存者など……」


 いや、一人だけいた。それがあの少年だ。だが……


「あり得ない! アレは永久的に凍結されたはずだ!」


 なら何故、あれが此処にいるのか?


「何故あんな装備が現実に産み落とされた!?」


 何故? 何故? 何故?


「何故だ!」


 ベルイードは震える拳をデスクに叩き付けた。痺れるような感覚が腕を通して全身に伝う。


 それによって僅かに取り戻した冷静さ。そして気付く、先ほど消したのは『映像のみであり、音声がそのまま残されている』事に。それは冷静さを欠いた自分が喚いた全てが、先の空間に響き渡った事を意味する。


 沸騰していた血が一気に引いて行く。その中で鼓動だけが速さを増す。


――聞かれた……――


 何とかしなければならない。


 自分が此処で喚いた情報など、到底真実には辿り着けない取るに足らない情報だろう。だが、狼狽した声を聞かれてしまった事自体が問題なのだ。


 憶測が憶測を呼び、確実に今の音声は盥回しにされる。それ以前に向こうには『事の全て』を知る者がいるのだ。


――何故、私がこんな目に遭わなければならない!?――


 フィードバックする記憶。自分はただ、幹部達が望む娯楽を用意しただけだ。


――それが何故こんな目に遭わなければならないのだ!?―― 


 それに自分は内通した側だ。だからこそ、自分は軍を追放されたとはいえ、この席についているのだ。自分は悪くない。


――『何人死んだと思ってる?』だと?――


 ネメシスのランナーを殺したのは彼自身ではないか。自分ではない。それ以前にあの少女が感染者側に付かなければ、あのような事態には発展しなかったのだ。


 なのに何故自分がこんな目に遭わなければならないのか。


――どうすればいい!?――


 どうすれば良いのか。自分より上の連中は、このような場合、何をやって来たのか。


――『簡単だ、握り潰してしまえばいいのだよ』――


 不意に蘇る嘗ての上官が口にした言葉。


 滴り落ちる汗でべったりと濡れた口元に歪んだ笑みが浮かぶ。


「ネメシスだ! ネメシスを投入しろ! あの空間の全てを焼き尽くせ! サーバーも人も全てだ!!」


 部屋の片隅に張り付く様に身をかがめていた部下に向かって、声を張り上げたベルイード。


 とたんに部下の男が悲鳴のような耳障りな声を上げた。


「ですが、そんな事をすれば!」


 裏返った声で抗議した部下を殴り飛ばし、更に転倒した彼の胸倉を掴み強引に立たせたベルイードが、唾液を撒き散らし、大声を張り上げる。


「そんな事をすればなんだ!? 言え! 言ってみろ! 私に逆らうのか!?」


 ベルイードは掴んだ胸倉を前後へと激しく振り、最後に手前へと強く引き寄せた。それによってベルイードと部下の額が接触する程の距離となる。


「ネメシスを投入するのはお前だ。これはお前が独断で行う指示だ」


 部下が血の気の引けた顔をブルブルと横に振る。ベルイードは更に部下の胸倉を引き寄せた。遂に部下の額と汗に濡れたベルイードの額が接触する。


「なに、心配することはない。奴はこのエクスガーデンの治安隊の指示に従わなかったばかりか、一方的に破壊行為を行った。あれは犯罪者だ。しかも使用している義体の戦闘パフォーマンスはネメシスに匹敵するという。もはやこれはネメシスを投入せざる得ない状況だろう?

 あの場に居る者や、あそこにある施設は不運によって巻き込まれるんだ。

 だが、それを私が指示しては、いささか軽率な判断だと評価されるかもしれない。だからお前の独断でなければならないのだ。分かったな?」


 部下の男は顔を引きつらせるばかりで頷こうとしない。ベルイードの声量が増した。


「いいかよく聞け! 何か有れば私はお前を助けてやれる。だが、私を失ってみろ! お前は終わりだ! 分かるだろう?」


 唐突に掴まれた胸倉を離され、そのままズルズルと壁際に崩れ落ちた部下を、ベルイードは苛立たし気に見下ろした。そして大きく息を吸い込む。


「何を聞いていた!!? 分かったら早く行け!!」


 部下が、慌てて立ち上がり、悲鳴のよう奇声を残して走り去って行く。


 それを血走った目で見送ったベルイード。その口元に僅かに浮かんだ笑み。それはやがて常軌を逸したものへと変わった。


 そして狂ったかの如く声を上げて笑い出す。血走った目を異常な程に見開き、笑い続けるベルイードの声だけが、閉鎖領域に響き続けた。


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