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Chapter 33 響生

1



 自動加速される思考レート。それによって舞い散る埃の一つ一つまでをも認識出来る程に体感時間が引き伸ばされる。


 起動した戦闘支援システムによって緑色の光線となって浮かび上がる構造物の輪郭。


 激しい振動を伝える天井へと目を向けると、屋上を這い回る無数の鉄鬼兵の姿が視界に合成された。


 その重さに耐えきれず崩壊を始める構造物。壁を駆け上がる亀裂は目に見えて数を増し、裂け目から大量の粉塵をまき散らし始める。


――橘さん。その義体の強度はどれくらいですか?――


 高圧縮された思考が伝達される。


――貴方程は強くはありません。ですが私の事は放っておいて大丈夫です。いざとなればこの身体を放棄いたしますので。それより宗助様を……――


 それに返事をしようとした瞬間頭の中に雪崩れ込む強烈な雑音。脳を食い荒らされるが如き感覚に思わず片手で頭を押さえる。


 視界に追加される警告。


――量子場干渉!?


 強制的にオフラインとなってしまうネットワーク。同時に視界が激しいノイズに埋まり、拡張オブジェクトの全てが消えてしまった。


 遂に崩れ落ちる天井。


 引き伸ばされた体感時間の中、思考レートに付いてこない鉛の如く重い身体を動かし、降り注ぐ瓦礫から先代表を守るべく、彼を押し倒すと同時に覆い被さる。


 それと同時に背を向けた上方の光景をセンサー群情報から視界に呼び出した。それによって後ろに目があるかの如く再現される風景。体制と視界に生じた矛盾に脳が猛抗議し、強烈な違和感に襲われる。三半規管はパニックを起こし吐き気すら込み上げるが、それを無視して状況を再確認する。


 無線による義体放棄の術を失って尚、橘の瞳は先代表に向けられていた。そこに宿る信念の強さに感服せずにはいられない。幸いにして、彼の頭上へと落下しようとする瓦礫に致命傷となりそうなものはない。


 続いて視界に赤色の光線で合成された鉄鬼兵の位置に意識を集中する。ここからの脱出タイミングを計らなければならない。


 生体部を放棄する程の出力での移動は出来ないのだ。それをすれば先代表の肉体に大きなダメージを追わせてしまう。


 救いなのは現時点で彼等が火器を使用していない事だ。構造物の破壊は飽くまで強引すぎる移動によって起きた現象に過ぎない。


 つまり現時点で彼等は自分達を積極的に殺そうとまではしていないと見て良い。最も死んでも構わない位の扱いを受けてはいるのだが。


 耳に嫌でも入り込んでくる人々の悲鳴。


 いったい何がどうなっているのか。何が起きているのか。ベルイードは一体何をしようとしているのか。


 頭を占領する大量の疑問を追いやるべく、一度大きく首を横に振る。そんな事より考えるべきは『どう、行動するか』だ。


 迂闊に飛び出さない方が良いのは明らかだった。


「すまないね、君達をこのエリアが抱える恥ずべき問題に巻き込んでしまった」


 先代表が静かに口を開いた。初めて聞く彼の肉声。あまりにゆっくりと紡がれた言葉は、彼が自身の口で喋る事の困難さを物語る。


 それにどう答えて良いか分からず、結果的に、


「いえ……」


 と短く答える。


「橘、動けるかな?」


 橘へと向けられたその声は既に元の合成音声に戻っていた。


「はい」


 先代表の言葉を受け、橘が瓦礫の中に立ち上がる。


「ならば私を此処から、彼等の目の前へと連れ出してはくれないか」

「先代表、それは……」


 危険だと言わざるを得ない。けど、それ以上言葉を続けることが出来なかった。彼の瞳を通じて伝わる意思。それが上に立つ者の務めというものなのだろう。


 橘は静かに頷き、此方へと歩み寄ると代表の手を取り、それを自身の肩へと回すと担ぎ上げるかの様にして宗助を立たせた。


「自分一人で歩くことすら出来ない身体と言うのは、こう言う時にもどかしさを感じるね」


 自嘲気味な笑みを浮かべた宗助に橘が静かに首を振る。


「その為に私がいるのです」

「そうであったな」


 橘が頷き、一歩み出そうとした瞬間、明らかな異音が聞こえた。それと同時に彼の左足首から飛び散った火花。先の崩落の破片の直撃を受けたのかもしれない。この状態では身体の不自由な先代表を連れ、瓦礫の山を登り外へ出るのは困難だろう。


 だが、その状態で更に一歩踏み出した橘。相当な苦痛がフィードバックされているはずだが、彼は表情一つ変えない。


「俺が連れて行きます」


 思わず出た言葉に瞳を大きく開いた先代表。


「しかし、君は……」


 先代表の言葉を遮る様にして口を開く。


「気にしないでください。俺の任務の都合です。ベルイードと交渉しなければならない事項がありますので」


 言いながら橘の肩へと回された腕を、そのまま自分の肩へと回した。




2


 


 ベルイードが放った量子場干渉のせいで、拡張現実を失ったネットワーク隔離エリアは、強い照明に照らし出されているとは言え、再現されていた空を失い、地下特有の陰気臭さに包まれている。


 通路に設置されていた大型テントはなぎ倒され、そこに並んでいたはずの品々はあまりに無残な姿をさらしていた。


 さらに至る所に配置された鉄鬼兵の姿。まるで巨大なクモを連想させるが如きその姿は、構造物の中を這い回る事に特化したデザインなのだろう。


 明らかに武器と判る装備を背に突き付けられた状態での移動。やがて、一際広い空間へ出ると、そこは人々でごった返していた。どうやらこのエリアの住人全てが一か所に集められてるようだ。中には明らかに酷い怪我を負っている者も少なくはない。


 その集団に加わるように促され、仕方なしにそれに従う。


 彼等と合流した瞬間、背中に何かが張り付いた様な強烈な違和感を感じ、それを本能的に引き離そうと手を伸ばした刹那、頭の中に思考伝達特有の方向感の無い声が響き渡る。


――響生!――

――飯島!?――


 それによって背に張り付いたのが彼のサソリ型オブジェクトだと悟る。量子場干渉によってワイヤレスネットワークが絶たれている中で、直接接続によって成された思考伝達。


――マズいよ響生、伊織っちの行動可能時間はすで数十分を切ってる。意識を一時的にサーバーに引き上げるなりなんなりかしないと……


 けど、ベルイードの量子場干渉のせいで、無線でのサーバー接続は無理、出来ない。このままじゃ……――


 切羽詰まるその声に応えようとした瞬間、空間に走り抜けたノイズ。それと同時に巨大なホログラムウィンドウが展開される。


 そこに映し出されるベルイードの姿。荒れ果てたこちら側の光景とは裏腹に、嫌味な程豪華なオブジェクトに装飾された室内で、荘厳なデザインのデスクに横柄な態度で付き、その口元には卑屈な笑みが浮かぶ。


 その姿が映し出された瞬間、集団の中に湧き上がった怒号。さらに、ウィンドウに向かって投げつけられた何かが、実体を持たない『それ』をすり抜け後ろへと落下した。


 それを切っ掛けに、あちらこちらから色々な物が投げつけられ、場は収拾のつかない修羅場と化す。


「すんげぇ不人気っぷりだな……」

――まぁ、ここはあいつが嫌いな人達が集まって出来た場所だから――


 ベルイードの口元に浮かんでいた笑みが消えた。額にありありと血管が浮かび上がる。彼の手が苛立たしげに持ち上げられた次の瞬間、群衆を取り囲む鉄鬼兵の一体が脚部の一部を持ち上げた。


 迸る激しい帯電光。大気が震えるかの如き、悍ましい放電音が空間中に木霊する。


 そして真上へと放った稲光が、ドーム状の天井に炸裂し照明の一部が弾け飛ぶ。それによって生じた鋭い断面を持った破片が降り注ぎ、群衆の上げていた怒号は一瞬にして悲鳴に変わった。


「黙れ! クソゴミ共が!」


 感情剥き出しのベルイードの声が、空間を振動させるが如き音量で響き渡る。さらに群衆を取り囲む鉄鬼兵が一斉に脚部を持ち上げ、帯電光をまき散らし始める。


 先ほどとは比べ物にならない程の放電音が大気を震わせ、目を開けている事が困難な程の光に包まれる。


 戦闘支援システムの赤い光線で縁取られた一体の鉄鬼兵の脚部が、床に突き立てられようとしていた。


 咄嗟の判断で、先代表の身体を抱え上げる。


 次の瞬間、地を這ようにして広がった電光。


 完全にパニックに陥って群衆の叫び声が一瞬にして途絶えた。人々が身体を痙攣させ次々に倒れて行く。


 残りの鉄鬼兵が放つ放電音だけが支配する空間にベルイードの場違いな笑い声が響き渡った。


 が、それすらも唐突に止まってしまう。


「次は…… こんな物では済まない……」


 人々が地に伏したまま尚も身体を痙攣させ続ける異様な光景を、ウィンドウの向こう側から見渡し、満足げに何度か頷いて見せたベルイード。その口元に卑屈な笑みが戻る。


「やはり『肉体持ち』だけに、身体に覚えさせるのが一番効くようですな。これでようやく話が出来る」


 濁った青い瞳に宿る明らかな侮蔑。それに記憶の底から、どす黒い感情を伴った『何か』が引きずり出される感覚が襲う。


 深い記憶の闇の向こうで、燃えるような赤い瞳が、強い憂いを帯びて此方を見つめていた。


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