Chapter 32 響生 数分前 エクスガーデン ネットワーク隔離地区
1
戦闘型ドロイドに両脇を固められたアーシャ。構造物の影で強制的に待機させた状態だ。ドロイドの他に『2名の獣型ユニット』の見張りも付く。橘の部下だ。
彼女はあれ以来全く言葉を発していない。その瞳は周りの風景に一切関心を示すことなく、此方を見据えていた。
その射抜く様な視線を終始感じる。不思議なのは其処に殺意のような感情が込められていないことだ。
――観察されている……?――
けど、一体何故。
自分が彼女の立場だったなら、思考は『どうやって逃げ出すか』に向かうはずだ。だが、彼女を見ているとその為の情報収集の全てを放棄しているように見える。
「彼女が気になりますか? もし、安心できないと言うなら、意識を肉体から切り離して、隔離デバイスに閉じ込めてしまう事をお勧めします。その方が安全に連行出来るでしょう」
「いや、そこまでは望みません」
橘の提案に静かにそう答える。
「何故です?」
橘が小首をかしげた。
「その場合、彼女の肉体はどうなりますか?」
「当方で焼却いたしますが」
想像通りの答えに溜息しか出ない。
「そうなりますよね…… やっぱり。だから駄目なんです」
橘が立ち止まった。
「私には分かりかねます。彼女は犯罪者なのでしょう? 法に照らし合わせても人権制限の範囲内だと思いますが」
張り付いた様な笑顔を変える事無くそう言ってのけた橘に、困惑せずにはいられない。
「それは……」
――あまりに残酷な行為です――
と言いかけて慌てて言葉を飲み込む。それを言ってしまえば、肉体を持たない者に対しての差別となってしまう恐れがあった。
「私に気を使われましたね?」
言葉と共に此方を覗き込むかの如く視線を向けた橘。人工の瞳を通して確かに感情と呼べるものが伝わってくる。
「貴方様の考え方は宗助様によく似ていらっしゃる」
その言葉の意味を理解するのに若干の時間を要した。
「俺を…… 試したんですか?」
「申し訳ございません」
深々と頭を下げた橘。それに思わずため息が出る。
「俺は何も特別な考え方をしてる訳じゃない。他の感染者やアクセス者だって似たような考え方をしてると思います」
「そうでもないのですよ。確かに肉体を持つ者に対する考え方はそうでしょう。ですが、我々のような『生まれながらに肉体を持たない者』に対して、貴方の様な考え方をするアクセス者や感染者、流入者も含め意外に少ないのです。我々と貴方達では近いようでありながら、その価値観に大きな差異があるのです」
確かにそうなのだろう。けど……
「……貴方はどうなんです?」
その問いに橘は、唯でさえ張り付いた様な笑顔をより強調させた。
「私は、変わり者ですから…… もし貴方が私をそう思わないのでしたら、貴方は相当に恵まれた人達の中で生きて来た事になります」
2
橘に案内され、部屋に入り最初に目に付いたのは本棚に納められた大量の本だ。分厚いそれらが放つ雰囲気もさることながら、このご時世に紙ベースの書籍の貴重さを考えれば、この空間の価値は相当な物なのかもしれない。
元々、現実世界に生きる従業員たちのために設けられた事務所か何かだったのだろう。その名残が至る所に見て取れる。それを強引に書斎にレイアウトし直した感じに見えた。
それでも不思議と空間そのものの調和は取れている。部屋に置かれた全ての物が質素ながらに、嫌味なく品が良いのだ。
本棚を背に配置された簡素な机の上に展開された大量の電子書類は、エクスガーデンの代表を退いて尚、席に着く人物がこのエリアにとって重要な人物である事を示していた。
中立エリアNo.382:エクスガーデン先代表 飯島 宗助である。
その相貌を無意識に観察しようとするが、彼の背後から差し込む『仮想の陽光』が逆光になり良く見えない。
「二宮軍曹をお連れしました」
「ありがとう」
橘の言葉にそう答えた声に何処か違和感を覚える。
「昭仁がいつも世話になっている。息子は変りものだから付き合うのは大変だろう? そのせいで友達がいなくてね。技術者志望なのは分かっていたが、まさか軍に入るとは……
上手くやっていけてるのかと、常に落ち着かない気持ちでいる。そんな息子が私に友人を紹介すると言ったんだ。君に会うのを心から楽しみにしていたよ……
……だが肝心の昭仁がいないな?」
相手が長文を口にしたことで、違和感の理由にはっきりと気付く。声質が単調なのだ。まるで文章を棒読みしているかの如く、言葉に強弱が無く一握りの感情すらも籠っていない。
――肉声じゃない?――
「昭仁様は急いでやらなければならない作業があるとの事で、ラボに向かわれました」
「たまに帰って来たのなら、顔くらい出せば良い物を…… 興味がある方向へ直進してしまうのは妻によく似ているな……」
声に重なる様にして聞こえた深い溜息。どうやら口では無く機械を通して話しているようだ。
「すみません私のせいです。彼には私の友人の義体を見てもらっていて…… 義体の寿命もギリギリであまり猶予が無かったので。正直自分だけでは、現代表が非協力的なこともあって、途方に暮れていたと思います。だから彼がいてくれて本当に良かった」
逆光の中で小柄な男の影が目を一度大きく見開く、そして満足気に微笑んだ。
「そうか…… どうやら息子は上手くやっているようだな……」
微かな駆動音が聞こえた。それに合わせるように小柄な影が移動する。
そして知った。その人物がリニア駆動の車椅子に腰を掛けている事を。それだけでは無い。両腕は肩から指先に至るまで、金属製の可動アームに固定され、肉体が『それ』によって強制的に動かされている様に見えた。
首は顎のラインをアームに固定されて尚不自然に折れ曲がる。
男の姿が陰から浮かび上がるにつれて明らかになる皮膚の色の異常さに思わず目を見開いた。
到底ヒトのものとは思えない青黒い肌。さらに其処に血管のような黒色の筋が複雑に浮かび上がる。その異様な相貌はヒトとは全く別の生き物すら連想させる。
「驚かせてしまったかな? だが君も興味はあるだろう? 昭仁から話は聞いている。君も感染者ならば、いずれ選ぶ事になる選択枝の一つがどのような結果をもたらすのか、気にならないはずがない」
その言葉に思わず息を飲む。
「代償…… ですか?」
自分でも驚くほどに低く掠れた声が漏れた。
「感染型ニューロデバイスによって黒く変色した神経系と、それによって青黒く見える皮膚はね。いささか決断するのが遅すぎた。通常なら此処まで酷くはならないだろう。
だが、この不自由な身体は後遺症ではないよ。進行性の病気でね。今じゃ見ての通り首から下は殆ど自分の意思では動かせない。話すことは出来なくはないが、酷い発音になってしまってね。聞き取る方が可哀そうだ。私がフロンティアに渡った理由がこの身体だよ……」
「そう…… ですか」
それ以上言葉が出てこない。それに対し、宗助は「気にする事はない」とでも言いたげに、微笑んで見せる。けど、その笑顔を作るために、彼が尋常ではない努力を必要とすることが目に見えて分かった。
「もともとフロンティアには縁のある人がいてね。だから、仮想世界に渡る精神的なハードルは低かったよ。残念ながら戦時中の時間加速で、そのころの友人も殆ど残ってはいないけどね。今では暁氏くらいのものか」
『暁』と言う言葉が出た事に思わず目を見開く。
「ドグを知っているんですか?」
「もちろん知っている。彼はフロンティアの時間加速を拒んだ数少ないエンジニアだ。同時に私にとっては偉大な先輩でもある。もっともビッグサイエンス時代は部署が違っていたけどね。このアームも彼が作ってくれた。ニューロデバイスを介さない筋肉収縮を感知するタイプのアームを作れる者は今じゃ彼ぐらいのものだろう。重宝しているよ」
まるで、アームを見せびらかすかの如く腕を上げて見せた宗助。それにどう反応していいのか分からない。
訪れた静寂。そして湧き上がる強烈な疑問。それが不意に口を突いて出た。
「何故…… そこまでして現実世界へと戻って来たんです……?」
言ってしまってから、強烈な後悔に苛まれる。気軽に訊いて良いはずが無い。逆鱗に触れてもおかしくはないのだ。
だが、宗助は静かに此方に瞳を向けただけだった。
「君はSF映画は好きかな?」
あまりに唐突な質問に混乱する思考。
「え?」
それしか出てこない。宗助は混乱する自分を見て、再び微笑んだ。
「私は古典SFが好きでね。まさに当時憧れていた未来がここにある――」
言葉と共に大げさとも取れる仕草で両腕を掲げた宗助。その顔から唐突に笑顔が消えた。まるで射抜くかの如き鋭い輝きを宿した瞳が真っすぐと此方に向けらる。
「――さて…… もし、この世界がそのような誰かによって作られた物語だとするならば、君はこのフロンティアの位置づけ、もしくは役割は何だと思う?」
彼の質問の意図が全く分からない。答えられるはずが無かった。
宗助がゆっくりと瞳を閉じる。
「我々の位置づけは当時描かれた悪役そのものだよ。倫理を無視して突き進んだ科学によって生まれた存在。世界を滅ぼした人類の敵。だとするならば悪役には相応の結末が訪れる」
「……」
「私は思うんだ。もしもこのまま現実世界とフロンティアが争い続けた場合、滅びるのは我々の方だとね」
宗助がゆっくりと瞳を開いた。
「我々は本当にヒトなのだろうか? この肉体を捨ててしまったら私は自分をヒトと思えなくなってしまうのではないか? 今更ながらにそんな疑念が頭から離れなくなってしまってね。
理由のほとんどはその恐怖だよ。だが、同時に思う。感染者の私が最終的にこの不自由な肉体を選んだことには大きな意味があると。私はフロンティアと現実世界のはざまに生きる人間だ。私はそうであり続けなくはならないと感じた。ならば、この『答え』には意味はある。おかげで私は今もこうして狭間に立ち続けているのだから」
宗助は言葉を区切、自嘲するかの様に笑った。
「こんな自分の意思では動かすこともままならない身体だがね。おかしいだろう? 私一人がそのような決断をしたところで、大した影響力はないのだからね。
だが…… いずれ君にも決断しなければならない時は来る。既に答えは決まっているのかもしれないが」
まるで此方の心情の全てを見透かすかの如き、底知れない輝きを宿した瞳が真っすぐに此方を見つめる。
自分の中に今ある『答え』もしくは『思い』を嘘偽りなくこの場で伝えなければならない気がした。
「俺は……」
が、出かけた言葉は、唐突に視界に開いたウィンドウに遮られてしまう。閉ざされていたディズィールとの通信ラインが復帰した事を知らせるアラート。
それと同時に新たに展開したウィンドウに示された伝達事項に目を見開く。
――荒木がこのエリアに!?――
「どうかしたかね?」
宗助が此方の表情の変化に、そう問いかけた瞬間だった。空間を揺るがすような激しい振動に襲われる。
天井の構造物から大量の粉塵が舞い散り、壁を駆け上がる亀裂。
視界が大量の警告ウィンドウに埋め尽くされて行く。
――なっ!?――
警告ウィンドウの向こう側に更に空間共有型の別ウィンドウが開いた。そこに映し出される顔面蒼白の飯島。
「爺! 親父っち連れてそこを離れて! 響生も早く!!」
「何が起きてる!?」
思考伝達も忘れ、思わず肉声を張り上げる。
「あいつだ! ベルイードだ! 凄い数の鉄鬼兵を連れてる!」
「随分と思い切った行動にでたものだな…… 議会の承認をどう得たのか」
激しい揺れが襲う中、宗助が思案気に顎に手を当てた。それを見た飯島が顔をさらに引き攣らせる。
「そんな呑気に考えてる場合じゃないよ!! あいつ今度こそ本気だぞ! 此処から俺っち達を本気で排除する気だ!」
切り替わるウィンドウ。そこに映し出される、まるで巨大なクモの如き装甲兵の姿。それも1体や2体ではない。少なくとも数十機はいる。
さらにその奥には一際巨大なムカデの様な機体が巨体をうねらせていた。それには見覚えがある。このエリアにきて直ぐに遭遇した機体。ヒロを殺そうとしていた『それ』に違いなかった。