Chapter 28 ヒロ エクスガーデン ネットワーク隔離地区 飯島ラボ
1
「まずは彼女の身体だよね?」
そこは得体の知れない機械類が乱雑に並ぶ倉庫の様な部屋だった。中でも不気味なのが部屋の中央に置かれた手術台のようなベッドだ。
その上には多量の先端の尖ったアームが取り付けられた見るからに悍ましい機械が吊るされている。それはあの荒木の研究室を彷彿とさせる光景だ。
響生が橘に連れられて出て行ってしまった事もあり、より不安を感じる。
長い間、主が不在だったせいか、部屋全体に白い埃が降り積もり、それが動く度に舞い上がった。
「うんじゃ、本格的に調べるからその上に寝て。それとステータスデーターこっちに貰うよ」
軽い調子でそう言った飯島の言葉に、伊織は明らかに戸惑った表情を浮かべた。
「こんな汚ねぇ所に伊織は寝かせらんねぇよ」
自分の言葉に今度は飯島がムッとした表情をする。
「しょうがないでしょ? ずっと使ってなかったんだから。それでも君達が普段寝起きしてた外の世界よりよっぽど清潔だと思うよ?」
お互いに睨みあったまま止まる会話。それに割って入る様に伊織が申し訳なさそうに口を開く。
「ええよ。私は大丈夫。変な気を使わせちゃってホンマごめんな」
ぎこちない作り笑いを浮かべ、そう言うと手術台に腰を掛けた伊織。そしてゆっくりと横たわる。その顔には隠し切れない不安が浮かんでいた。
飯島はそんな彼女に気を遣う様子を一切見せずに空間に浮かび上がったウィンドウを操作し始める。途端に部屋中に響き渡る複数の機械が機動を開始する音。それと共に冷却ファンから大量の埃が排出され、ただでさえ埃っぽい部屋が息をするのも躊躇われる空間になってしまう。
溜まらず咳き込み、当然の如く感じた強い不安。
「大丈夫なんだろうな!? これ!?」
「うるさいなぁ。集中できないでしょう? セルフチェックはオールグリーンだよ」
こちらを見ようともせずに自分以上に不機嫌な声を上げた飯島が、伊織の方に歩みよる。それと同時に天井に固定された鋭い先端を持ったアームの一つが不気味な駆動音と共に伊織の直ぐ間近まで降りて来た。
「服が邪魔なんだよね。ちょっといい?」
その言葉に伊織が顔を強張らせる。
「おい!」
たまらず飯島の腕を掴もうとするが、その手は実体の無い飯島の身体をすり抜けてしまう。
「流体液が漏れだしてる肩の損傷個所を確認したいだけだよ。生態部の損傷も酷そうだけど、そっちはどうにもならないし、命には関わらないしね。
それにしても君は何なの? この子の彼氏か何か?」
横目で此方を見た飯島の問いに言葉を詰まらせる。
「そうや。ヒロは私の大切な人。だから離れなくて済むようにしてほしいんよ……」
自分の代りにはっきりとそう答えた伊織に、喜びと共に、自分が酷く情けない存在に感じてしまう。
顔に浮かんでしまったであろう表情を隠す様にして、視線を顔ごと飯島から外した。
「へぇ…… こんな瞬間湯沸し機の何処が良いのかと思っちゃうけどね。響生がやけにモテる理由も俺っちには分からないし」
やや不貞腐れたような声を上げた飯島に対し、ここに来て妙な優越感が湧いて来る。
「――まぁ、でもそう言う事なら俺っちは無条件で応援するよ。そう言った関係は今のフロンティアと現実世界にはとても重要なんだ。親父っちの受け売りだけどね。そこは俺っちもそう思う。
だから、色々障害は多いと思うけど頑張ってね。子供とかは心配しなくても作れるから」
考えもしなかった言葉に動揺し、埃の混じった空気を大量に肺に取り込んでしまったために激しく咽る。
伊織に至っては血色の悪かった顔を真っ赤に染め視線をこちらから逸らしていた。
「あ、今『変な事』想像したでしょ?」
「違げぇわ!」
思わずそう叫んだことで再び大量の埃の混じった空気を吸う事に繋がり、さらに大きく咽る。
「その態度は絶対そうだよ! 何かまた得体の知れない繁殖方法を想像したんだろうけどさ。言っておくけど、繁殖の仕方は現実世界と何も変わらないからね!」
声を張り上げた飯島の言葉に、自分が『彼が発した最初の言葉の意味』を勘違いしていた事に気づき、激しい羞恥心に襲われる。さらに今度こそ頭に想像してはいけない光景がよぎってしまう。両手で顔を覆う伊織に、血が沸騰するような感覚に襲われた。
「そ、そうか……」
努めて冷静を装い行った返事は、妙に高い声となってしまい。それがより自身を動揺させる。
だが、此方に視線を向けた飯島の表情に変化が無い。
「君はニューロデバイス導入出来ないって話だけど、肉体を捨ててフロンティアに移り住むってなら、手はあるよ。例えば『デス・フラレンス・システム』とかね」
「デス…… システム?」
視線をウィンドウへと戻した飯島が、ウィンドウを操作しながら口を開く。
「『細胞死』の瞬間に起きるデス・フラレンス、『死の蛍光』と言う現象を利用した脳オブジェクトの生成方式だよ。脳神経細胞のネクローシスの瞬間に発生する僅かな光信号を元にオブジェクト化するんだ。もちろんその間、被験者とフロンティアのシステムの間にネットワークが組まれ、全体としての脳活動は維持され続ける。だから被験者は生体から電子化終了まで、連続した意識が保たれる。他の方式と同様にね。
一度だけこの方式による転送を見た事あるけど、あれは神秘的だよ、まるで肉体を離れようとする魂の光がフロンティアに導かれるかの様に見える。その光からオブジェクトが再形成される様を見ると特にね。創始者『葛城 智也』が『科学は魂を捕らえることに成功した』って言葉を残してるけど、それも頷けると言うか、とにかく凄いんだ」
ウィンドウから視線を上げ、どこか遠くを見るような表情で瞳を輝かせる飯島とは対照的に、それが示す事実の重さが自身にのしかかる。
「脳神経細胞の壊死…… それって」
飯島の目が真っすぐと此方へと向けられた。アメジストを思わせる怪しげな光を湛えた瞳が、まるで此方の心情を探るかの如く見つめている。
「そう、この方式でフロンティアに渡った者は肉体を失う。だから『肉体を捨てて』って言ったよね?
本来は脳細胞の壊死が始まった者、つまり既に死にかけている者を速やかにフロンティア導へくための技術なんだ。先のアクセス者達の中にもこの方式でフロンティアに回収された者達がいるはずだよ」
「……」
言葉が出てこない。
「――この方式はニューロデバイスの導入を必要としない。必要なのは『死の蛍光』を感知し、その信号を転送するためのマイクロデバイスを埋め込む事。それさえ成されてしまえば、被験者が現実世界で肉体の死を迎えるタイミングで自動的に、もしくは強制転送コマンドの発動によって被験者の魂はフロンティアへ導かれる。
何が言いたいかというと、君が望むなら『それ』は可能ってことだよ。施術は出来る。まぁ、ここにはその設備が無いけどね」
心の奥深くで何かが強く揺れた気がした。湧き上がる激しい拒否感と共に、それだけでは説明がつかない感情が湧き上がる。
「俺が…… 死霊に……?」
漏れた掠れた声。伊織の瞳が殊更強い憂いを宿して此方を見つめていた。